夜会 4
「わあ、美味しいです」
「でしょー、美味しいよねー」
イレネオが嬉しそうにほほ笑む。まるで自分のことを褒められたかの様に首を傾けて私の顔を覗き込んでくる。その目に促されるように、今度はスパークリングワインを手に取った。イレネオが期待でワクワクした瞳で私の感想を待っている。
「爽快!!」
「わかる!!」
私が力強く叫ぶと、イレネオががっちりと握手してきた。喉を刺激する強い炭酸が心地よく、かつ柑橘系の香りが鼻に抜けて後味がすっきりしている。
「さっきの白と比べてどう?」
「さっきのも美味しかったです」
「そうでしょ、俺もこれよく飲むの。でも炭酸も捨てがたいよね」
「はい、さっぱりして、これの後はまた次を新しい気持ちで飲めますね」
「結果、どっちでもいい! が答えですね」
「うっそお、この時間何だったの」
「えっと、じゃあ、王妃様がスパークリングワインがいいんじゃないでしょうか」
「なるほど。あの人おしゃれな物好きだから、こっちにしておくか」
イレネオはオレンジ色の箱を指さし、こっち王妃様に送っておいて、と従者に命じた。
ちょっとだけ頬が熱く感じた私は、手で顔を仰ぎながら絵画を見上げた。
「いやあ、やっぱり女の子と話すのって楽しいなあ。あ、ミミちゃん、お水飲む?」
イレネオはそう言って、空いているワイングラスに水差しから水を注いで私の前に置いた。
「俺、絵とか彫刻とか好きなんだけど、ミミちゃん今度一緒に美術館行かない? 俺のお気に入りの美術館があるんだ」
「へえ、行きません」
「そんなこと言わずに、美術館は嫌い?」
「美術館は好きですけど、イレネオ様がちょっと」
「大丈夫! 慣れればきっと好きになるよ!」
「レナート殿下の親戚とは思えないポジティブさ」
「俺って見た目だけはレナートに良く似てるでしょ。デートの練習になると思うんだけど」
「練習?」
努力と練習こそが上達へ一番の近道。思わず反射的に背筋を伸ばしてしまった私を見て、イレネオはくすりと笑いながら自分のワイングラスに白ワインを注いだ。
「男をメロメロにする可愛い女の子の会話を教えてあげ……ん? 誰か来た?」
イレネオが手を止めて顔を上げた。確かに階段を上って来る数人の足音が聞こえてくる。耳をすませば、女性がひとりと体格の良い男性が3人のようだ。男たちは軍靴を履いている。私は立ち上がり、イレネオをかばうように腕を伸ばした。
扉の横にいた兵士がタイミングよく扉を開けると、黒髪に真っ赤なドレスの女性が飛び込んで来た。
「イレネオ様!!」
「うわっ、ザイラ!」
ソファに片足をのせて逃げる姿勢のイレネオが、ばつが悪そうに口を歪めた。
髪を振り乱し肩で息をしている美女はイレネオと同じ年頃に見えた。派手な顔立ちなだけに、怒りで目を吊り上げた表情はとても恐ろしい。
どうやらお二人は知り合いの様なので、私は大人しくソファに座り直した。
「今度のお相手はその小娘ですの!?」
「えっ? えっ? ななな何のこと。この子はレナートの婚約者で、今は、一緒にプレゼントを選んでもらっていただけで、そんなことは」
「殿下の婚約者ですって!? わたくしだってアイーダ様のお顔くらいわかります! そんな見え見えの嘘をつくなんて見苦しい!」
「あわわ、君が領地に行っている間にいろいろあって、この子はマリーアちゃんでレナートと婚約を」
「わたくしが領地に行っている間にいよいよ発見、コロコロマニアちゃんでデザートにコンタクト、ですって!?」
「あんたどういう耳してんの!?」
どしどしと大股で近づいて来る美女の肩をイレネオは両手で掴んで部屋の外へ押し出そうとしている。どうやら痴話げんかのようなので、お水を飲んで二人の様子を静かに眺めていた。レナートとケンカする時の参考になるかしら。いや、私とレナートがケンカすることなんてないだろうし。
「お嬢様! それはワインです!」
「あら」
従者の声にはっと細めていた目を開けると、私はうっかりイレネオのワインを飲んでしまっていた。
「あらやだ、美味しくってついつい全部飲んじゃったわ」
「イレネオ様! とうとうこんな若い子にまで手を付けるなんて!」
「ちょっと! 人聞き悪い事言わないでよ」
「お嬢様、ああっ、そんな手酌で一気呑みなどおやめください」
「え、手酌って……ミミちゃん!?」
美女の肩から手を離したイレネオが振り返った時には、私はもう手が止まらなくなってごくごくとワインを飲み干していた。イレネオが慌てて私に駆け寄って来る。
「ミミちゃん! いきなりそんなに飲んで大丈夫?」
「あははははは。これ美味しいからだいじょーーぶれす」
「だいじょーーぶじゃないよね!? いや、俺ほんとにレナートに怒られちゃうから、もう、やめて……」
「イレネオ様!! やっぱりその小娘が」
「ザイラ、ちょっと黙ってて。それどころじゃないから! ミミちゃん、水、水飲んで。シモン、窓開けて部屋の空気入れ替えて」
慌てた様子の従者が窓を大きく開ける。びゅうと音を立てて入って来た風が、私の前髪を揺らした。イレネオが水の入ったグラスを取って私の口に無理やり押し付けてきた。それを見た美女が怒りに任せて地団駄を踏む。
私は何だか耳が遠くなってきて、なぜだろう勝手に体がゆらゆらと揺れた。あれ? 私はここで何をしていたんだっけ? ソファの背もたれに体を預けると、自然と目が閉じてしまった。
「この期に及んでわたくしを無視するなんて! お前たち、イレネオ様を計画通りお連れしなさい」
「えっ、何? ザイラ、君いったい何を」
「イレネオ様、わたくしの家に行って、ゆっくりお話し、いたしましょう」
「いやいやいやいや、ちょっと待って! それ一生家から出られないやつだよね!? 落ち着いて」
騒ぐ男女の声がうるさくて目を覚まし、ソファにくっついた体をばりばりと剥がすように、私は起き上がった。指で目をこじ開け、焦点が合うまで少し待つと、金髪の男が兵士に腕を引っ張られていた。ひげの男が背の小さな侍女に後ろ手を取られて抑え込まれている。金髪の男がひじ掛けに縋り付いて何かわめいているせいでソファが揺れ、私はソファから床に滑り落ちた。
窓から入って来る風が大理石の床を冷やし私の火照った足から熱を奪っていった。手を付いたテーブルにはちょうど水の入ったワイングラスがあった。両手でワイングラスを持ってごくごくと水を飲んだら、少しだけ目が覚めたような気がした。
視界がさっきよりも広くなり、耳も聞こえるようになってきた。
見上げると、金髪の男が二人の兵士に無理やり立ち上がらされているところだった。その輝く金髪には見覚えがある。
私は地面に着いた手にぐっと力を入れた。さっきまでふわふわと柔らかかった床はしっかりと固くなっており、足を踏ん張れば立ち上がることができた。
が、今度は私の足の方が勝手にふらふらと動き回り、支えをなくした手が空を舞う。何とか体をひねり金髪の男の腕の方に手を伸ばして叫んだ。
「レナートに触らないでー!」
しかし、兵士を突き飛ばそうとした私の腕は何もない空間をさまよい、私はバランスをくずして床に飛び込みそうになった。私を受け止めようと伸ばされた兵士の腕を両手でしっかりと抱き込むと、体が勝手に動き、そのまま一本背負いを決めてしまった。あまりの早さに受け身が間に合わなかった兵士が床で伸びている。
「っ、ちょっと何なのこの子! 先にこの子を取り押さえなさい!」
美女がそう叫ぶと、背の小さな侍女があり得ない速さで私の背後にまわった。振り向こうとした私の体はなぜか止まらず、その勢いのままダンスのターンのようにくるくると回転しながら移動して壁にぶつかった。
「!?」
派手な音を立てて壁に激突した私に驚いた侍女が立ち止まった。
ちょうどいい高さに木の棒が見えたので、体勢を整えようと捕まったら、それは簡単にぐらりと傾いた。
女性の悲鳴にびっくりして目を開けると、目の前の床で侍女が大きなハンガーラックの下敷きになっていた。王城の立派なハンガーラックは豪華な装飾が施されており非常に重そうだった。
「ひどい! 誰がこんなことを!」
私は壁に背をついたまま叫んだ。
ソファの前でひげの男が目を真ん丸に見開いてあたふたしている。お前か、小柄でか弱そうな女性にこんなひどい仕打ちをしたのは!
男に近付こうと一歩前に踏み出したつもりが、なぜか私の足は真横に動いていて、壁に背をつけたまま横歩きして移動していた。すると、急に背中の壁がなくなり、何でもいいから掴まろうと伸ばした私の手が何かにぶつかった。
「わああ! それは王城の骨とう品ですー!」
壁をくりぬくように作られた飾り棚から、大きな花瓶がぐらりと落ちてきた。ひげの男が床に滑り込むようにして、花瓶を床に触れる寸前でキャッチした。
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