王城にて 1
レナートの執務室に近い応接室は、レナートを訪ねてきた親しい客人を迎えるための部屋なので、落ち着いた内装に必要最低限の家具しかない。以前レナートに謝罪された豪華絢爛な応接室とは違い、飾り気はないが置いてある物はすべて質が良いというとても彼らしい部屋となっている。
私は桃の香りのする珍しい紅茶を飲みケーキを食べながらレナートを待っていた。
待っている間手持ち無沙汰だったので、入り口にあった重そうな花瓶で筋トレしようとしたら、控えていた侍女が先にケーキを用意してくれたのだ。
王城にいる人たちはとても感じがいい。レナートを筆頭に、善良で優しくて落ち着いている。自国では王子たち相手に王城の中庭でチャンバラしてたことは絶対に知られたくない。
「ミミ、待たせてすまない」
重厚な扉が開き、レナートが部屋に入ってきた。急いで来てくれたらしく、シャツの首元のボタンを開け腕まくりをしたままだった。品の良い刺繍の入ったウェストコートに後ろで束ねた髪が肩から下がっていて、とても色っぽい。
「失礼、急いでいたから」
レナートは向かいのソファに腰掛けながら、まくっていた袖を直した。私と会うために急いで仕事を終わらせてくれたのかと、うぬぼれそうになってしまう。
「私は暇なので大丈夫ですよ。殿下、実家に帰ることを許して頂いてありがとうございます」
「そのことなのだが……」
「えっ、まさか」
「……ちゃんと帰って来てくれるのだろうか?」
「もちろんですよ。学校もありますし」
「……」
「ででで、殿下に会いたいですし」
がっくりとうなだれていたレナートが、ぱあっと輝く笑顔で顔を上げた。完全に彼に誘導されて言わされた感があるけれど、私のことで一喜一憂してくれるのがとても可愛いと思ってしまった。
でもなあ、テオドリーコに会ったら帰りたくなくなっちゃうかも。
「テオドリーコとは、弟君だったかな」
「また声に出てた!」
私が頭を抱えてソファに倒れ込むと、レナートは目を細めくすりと笑った。すっと立ち上がって移動し、私の横に座り直した。
「深い愛の力だろうか、あなたの心の声がよく聞こえてしまうようになったんだ」
「そうですか。どうやら私も侍女も護衛騎士たちも、マリーア様を深く愛しているようです」
いつの間にかソファの横にはレナートの側近ライモンドが立っていた。レナートがむっとした表情で彼を睨む。
「えっ、モテ期到来?」
「違います」
ライモンドは私を一瞥すると、すぐにレナートの方に向き直った。
「殿下、目録をお持ちしました」
「ありがとう」
レナートはライモンドから受け取った書類をぱらぱらとめくって確認する。目を伏せるとよく分かる長い睫毛をじいっと見ていたら、レナートと目が合った。
「これは、アンノヴァッツィ公爵家への贈答品の目録だ。喜んでもらえるといいのだが」
「うちは病気以外なら何でも喜びます」
「そうか、頼もしいな」
手にした書類を私に見せながら、レナートがほほ笑む。こんな素敵な人が近い未来にうちに挨拶に来るのだ。家族に心の準備をさせるために、一刻も早く帰らねばなるまい。
「実家に泊まるのは一日で十分だろう」
「えっ、早っ」
気付けば私は座ったままレナートにぎゅうっと抱きしめられていた。ライモンドたちが見ているので恥ずかしくて身をよじるが、レナートの腕は全然ほどけない。
「ちょっ、殿下。意外と、力が、ありますねっ、むむむ」
「そうかな。言われたことはないが」
「ていうか、動きが鈍くて逆に逃げられない! 何これ、こわい!」
動けば動くほどレナートに抱きすくめられてゆく。この私が抱きしめられるまで気配に気付かないなんて! ものすごい力なのに、レナートがいつもの優雅な笑顔のままなのが更に恐ろしい。
私の頭を撫でたレナートの手が止まった。
「最近いつもこの髪飾りを付けているのだな」
「ああ、これはアンノヴァッツィ公爵家の女性はたいてい付けています。公爵家の家紋のデザインを基に、成人したらひとりひとり特注で作るんです」
私の右側頭部には丸い指輪を4つ連ねたようなデザインの髪飾りが付けられている。これを付けているのはアンノヴァッツィ公爵家直系の女子の証。ルビーニ王国では付けていなかったのだが、レナートの婚約者になってからは身分を隠す必要がなくなったので付けるようにしている。
「では、結婚したら王家の紋章を基に新しく作らなければならないな」
「王家の……! そそそ、そんな、私なんかにもったいないです!」
「ふむ、少し大ぶりの物でもミミには似合うかもしれないな」
レナートには私の声が全く届いていないし、相変わらず腕からは少しも抜け出せない。何だこの腕、魔法でもかかっているのか。
「殿下。マリーア様はこの後、王妃殿下とお茶会のご予定がございますので、離してあげてください」
「私との時間にぶつけるようにお茶会を入れるなんて、母上も人が悪い」
レナートがめずらしく不貞腐れた顔をすると、ライモンドは呆れたように肩をすくめた。
「仕方ないですよ。私、あんまり王妃様に好かれてないみたいだし」
「そんなことはないと思うのだがな」
レナートが首を傾げた隙に腕から逃げ出した。
「ケーキごちそうさまでした。ムーロ王国に帰る前に、もう一度会いに来ますね」
「そうしてほしい。申し訳ないが、私はしばらくあまり身動きが取れない」
レナートは王太子になったばかりで、いろいろと忙しいらしい。今までも王子としてたくさんの仕事を抱えていたが、その比ではない程に書類の山が増えた。
「あんまり無理しちゃだめですよー! それじゃ!」
それでも途中まできちんと送ってくれたレナートに手を振って別れ、王妃様の待つ中庭に向かった。ついて来てくれている2人の騎士は、護衛のためではなく迷子にならないようにだ。私だってできれば守ってもらいたいのに。
しばらくの間無言のまま歩いていたが、中庭近くの廊下に差し掛かった辺りで3人同時に妙な気配を感じ取り身構えた。
「ミミちゃーん、ご機嫌よう」
スカッ。
曲がり角から突然飛び出してきた男の手が空を切る。隠れていたのはバレバレだったので、私はあっさり彼の手を躱すことができた。
「つれないなあ。久しぶりに会ったのに」
「ご機嫌よう、イレネオ様。そしてさようなら」
「はい、そこからのこんにちはー」
どうにもこうにも軽いこの男は、マルケイ侯爵家のイレネオ。お母様が王姉にあたり、レナートの従兄である。王家の血の証の金髪で、若く見えるが30代前半。女性が大好きすぎて未だ独身という軽薄を代表する優男だ。微妙に身分が高くて誰も注意できないらしい。
「ミミちゃん、相変わらず今日も可愛いね。どこ行くの」
「王妃様とお茶会に」
「えっ、俺王妃様苦手。真面目過ぎるんだもん」
「多分向こうも苦手だと思ってると思います」
「ミミちゃんは俺のこと好きだよねー?」
「あはは、まっさかー!」
「だよねー見ればわかるぅー」
スカッ。
スカッ。
スカッ。
再びイレネオの両手が空を切る。肩や腰にまわってくる彼の手をことごとく避けると、さすがに騎士たちが笑う。
「ミミちゃん、瞬間移動使えるの!?」
「レナート殿下にまた怒られますよ」
「あいつも心が狭いよねえ。別に取り上げようってわけじゃないのにさ」
諦めて両手を頭の後ろにまわしたイレネオは、口を尖らせて拗ねている。適度に距離を保って並んで歩いていると、窓から差す光に当たった金髪がキラキラと輝いていて、角度によってはやっぱり少しレナートに似ているところがある。レナートももう少し大人になったらこういう感じになるのかしら、と想像してしまう。
レナートの婚約者になる際に、アイーダから要注意人物を教えてもらった。王太子の婚約者はいろいろと嫌がらせを受けたり命を狙われたりするらしい。幸い未だ何の被害もないので、もしかしたらレナートが事前に排除してくれているのかもしれない。
したがって、目下注意する人物はこのイレネオである。
アイーダ曰く、イレネオはレナートの敵ではないが、女性の敵である、と。
「あーあ、俺が先にミミちゃんに出会ってたらなあ」
「ははは、ご冗談でしょう」
「王都のケーキ屋の新作知ってる? 桃のタルト、すっごく美味しいんだって。俺、桃好きなんだー。一緒に食べに行かない?」
「知らない人に付いて行っちゃだめってライモンド様に言われてるんで」
「俺、イレネオ! よろしく! オレタチ、シンユウ!」
王家の皆さんとの挨拶の後、何を気に入ったのか彼は私にしつこく付きまとっている。レナートの親戚だけに邪険にするのも気が引けていたのだが、あまりにも煩わしいのでそろそろ一回殴っておいた方がいいかもしれない。
「ん?」
背後から視線を感じ、私は振り返った。そこには騎士が2人いるだけで、奥の廊下にも誰もいなかった。
スカッ。
またしてもイレネオの手が空を切る。
「ねえ、背中に目でも付いてるの!?」
「やだあ、怖い話ですか」
私は適当に相槌を打ち、もう一度廊下に目をこらすが誰もいない。でも、確かに誰かが見ていた。殺意というよりも、じっとりとした視線を感じた。
「もう中庭についてしまいますよ。イレネオ様も一緒にお茶会に参加されるんですか?」
「いや……王妃様も嫌だろうし。仕方がない、帰るよ」
今度は俺とお茶しよう、と手を軽く上げてイレネオは去って行った。騎士たちは慣れているのか、何事もなかったかのような表情をしている。
重そうなものはとりあえず持って重さを確かめてしまうミミ。