ナヴァーロ村へ 8
「ナヴァーロ村を治めるナルディ伯爵の子息に縁談が持ち上がっているとの情報も掴みましたので、おのずとヴェゼンティーニ伯爵の名も挙がって来ました。そこからは芋づる式に関係者が出てきましたので、この件は早々に解決するでしょう」
ライモンドは手元を覗こうとした私から身を引いて手帳を閉じた。
「どうやらあの臭いの成分が材料となっていたようですね。ナルディ伯爵の香辛料の加工場も調査しましたが、材料となる臭いの成分は適切に処理して廃棄されていたので、ナルディ伯爵の関与が疑われることはないでしょう」
「へー、あのくっさい臭いがそんなことに使えるなんてねえ。世の中には捨てていい物なんてないのかもしれないわね!」
私が感心してそう言うと、レナートは少しだけ眉間のしわを緩めて笑った。
「人に益をもたらすものになるのだったらね」
「それもそうね! あはは!」
ヴェロニカが私の笑い声につられて少しだけ笑った。その様子にウーゴが安心したようにほっと小さく息を吐いた。
「さて、帰りますよ。殿下は他にもたくさん仕事が残ってるんですからね。騎士を数人置いていきますから、ウーゴ様後始末お願いしますよ」
「承知いたしました。この件に関して協力は惜しみませんので、何でもお申し付けください」
ウーゴが頭を下げると、ヴェロニカも一緒に頭を下げた。ライモンドに続いて部屋を出ようとしていたレナートがふと足を止め、食い入るように二人に見入る私に気付いた。少し考える仕草をした後、ウーゴとヴェロニカに振り向いた。
「王都に来ることがあれば、ミミに会いに来ると良い。許そう」
レナートが村娘であるヴェロニカに許可を出した。ヴェロニカは驚いて返事もできずにいる。
「ミミが君たちを気に入ってるようだ。彼女はこの国に来たばかりだから、仲良くしてやってほしい」
レナートはそう言い、返事を待たずにライモンドと一緒に部屋を出て行った。
「私、アメーティス公爵家に居候してるから、遠慮なく遊びに来て! できれば二人で! ペアルックで!」
「ペアルックはちょっと。でも、必ずお伺いさせていただきます」
ヴェロニカが出した手を私は両手で握り、ぶんぶんと振って握手した。レナートの護衛騎士に背中を押されながらヴェロニカとお別れし、屋敷を出ると既にレナートたちは馬車に乗っていた。
「ウーゴ様、ヴェロニカさんを必ず連れてきてくださいね! 是非お二人の馴れ初めから普段どう過ごしているかとか、デートのご様子とか、お話しする内容とか、あれやこれやを存分にご教授願いますね」
「どうしてそんなにぐいぐい来るのかよく分かりませんが、私たちにできることであればお手伝いいたします」
ウーゴが苦笑いしながら恭しく礼をした。
私はゴッフレードの手を借りて自分の馬車に乗ろうとしたら、そのまま肩に担がれレナートの馬車に押し込まれた。
「えっ? 私、こっちですか?」
「むしろ殿下が別々の馬車で帰すとでも思ってたんですか?」
相変わらず向かいの席の端に気配を消して座るライモンドがいつもの呆れた表情で言った。レナートは先ほどまでの厳しい表情はどこへ行ったのか、とても楽しそうにこちらを見ていた。
荷物はとっくに騎士団が用意した他の馬車に積み直されており、マッキオとゴッフレードはここでお別れらしい。馬車の窓を開ければ、ゴッフレードとマッキオがレナートに深く頭を下げた。
「殿下、お嬢様を宜しくお願いします」
「じゃあね、お父さんたちに宜しくね。余計な事は言わずに無事に帰って行った、と言ってちょうだい」
「俺も最近心の声が漏れるようになったので、言ってしまうかもしれません」
「口に絆創膏でも貼っておきなさい」
「では、お嬢様、お気をつけて。あー、これで揉め事に巻き込まれずにのんびり帰ることができるな」
「ちょっと、さっそく漏れてるわよ」
ゴッフレードが両手で口を押さえ、マッキオが声を出して笑った。二人は私たちの馬車が出るまでずっと見守っていてくれた。
「本当に怪我はないですか、殿下」
私がそう言うと、レナートは右手をひらひらさせて「この通り」と答えた。
馬はとても早いスピードで駆けていて、瞬く間に過ぎてゆく田舎の風景が少しだけ名残惜しい気がした。立ち寄る予定のなかった村で出会った人たち。ヴェロニカとウーゴは会いに来てくれるらしいから、村人の話は彼らに聞けばいいか。
そして、後ろ髪引かれる思いと同時に湧いてくる期待感。
「うふふふふふふふ」
「ミミ、嬉しそうだね」
「えっ、あの、ヴェロニカさんが遊びに来てくれるの楽しみだなって思って」
「そうか、良い友人ができたようだな」
「うふふふふふふふ」
家には淑女の憧れアイーダ。
友人には愛され令嬢代表ヴェロニカ。
完璧だ。
二人を参考にすれば、愛され淑女マリーアの爆誕は間違いないわ。
「マリーア様、全部声に出てます」
「しまった! 思惑が全部バレた!」
不敵に笑う私にライモンドがじろりと視線を寄こす。窓にひじをついて私たちの話を聞いていたレナートが笑う。
「ミミはそのままで十分愛され淑女だよ」
「レナート殿下……」
「殿下、マリーア様を甘やかさないでください。愛され淑女が率先して他人の屋敷に侵入して兵士をぶちのめすなんてことするわけないでしょう」
甘い雰囲気になりかけた私たちの間に割り込むように、ライモンドが身を乗り出して言った。
「やだあ、そんなことまでバレてるの」
「あなたに戦うな、とは言いません。でも、自分から乗り込んでいくのはダメです。もし予想以上の数の敵がいたらどうするつもりだったんですか。反撃する程度に留めて下さい」
「……私もそうするつもりだったんですけどぉ」
「私が言っている意味は分かりますね!?」
「分かりますん」
「っ、マリーア様っ」
「やめろ、ライモンド。ミミがこんなにも悲しそうな顔をしているではないか」
いつの間にかぴったり横に座っていたレナートが腕を伸ばして私をかばってくれた。その腕に隠れながら私は舌を出す。
「それが悲しそうに見えるのなら、本当に眼鏡を買った方がいいですよ」
ライモンドがギリギリと悔しそうに顔を歪めた。ライモンドを無視したレナートが、私の頭に視線を移した。
「その髪飾りが武器だったとは、アンノヴァッツィ家は本当に知れば知るほど興味が湧いてくる」
「これは、あの、武器に対抗するためだけで、決してこれで人を殴ったりはしないんです」
「私もおそろいで作ったらどうだろうか」
顎に手を置いて真剣な顔つきで言うレナートに、私とライモンドは慌てた。
「えっ、殿下の馬鹿力にこんなものを付けさせたら相手を即死させちゃう……あ、でも、殿下は髪がきれいだから羽のようなデザインの髪飾りにして、そこに毒針を仕込んで……」
「襟に付けてラペルピンのようにしたらどうだろう」
「むむ、それは良いですね」
「殺傷能力上げてどうするんですか! お揃いの、アクセサリー、は、指輪って相場が決まってるでしょう!」
お揃いの武器って何ですか! と声を荒げたライモンドはいつも通り座席の隅に戻って行った。その様子を見て、レナートは楽しそうに笑っている。
「ふふ、殿下、ご機嫌ですね」
「ああ、ミミが何でもしてくれるって言うから、何を頼もうかと考えたら笑いが止まらない」
「……お手柔らかにお願いしますね……」
もう絶対にあんなこと言わない! 私はそう心に固く誓った。
ヴェロニカ(居候してるの!?)
留学して遠縁の親戚のお家でお世話になっている=居候してる