ナヴァーロ村へ 6
区切りの都合上、今日はちょっと短めです。
「おあいこだわ。取引をしましょう」
「ふざけるな、主導権はこちらにある! 頭領を離せ。こいつを殺すぞ」
「ぎゃあぎゃあとうるさいわね。それ以上騒いでごらんなさい、この場であんたたちの頭領の首を引きちぎってやるんだから」
その場にいた全員がゴッフレードの太い腕を見て、ごくりと唾を飲んだ。
「その村人を離しなさい。それから全員、両手を上げて地面に伏せなさい」
私はまた一歩、賊に近付いた。
瞬きをせず、賊を睨みつける。
「そんなの、取引じゃねえじゃねえか」
「そうかしら。あんたがその腕を動かす前に、私はあんたの目をつぶすことができるわよ」
また一歩、近付く。賊が、口を引き結んで後ずさりした。村人の首を押さえる腕が少しだけ緩んだのを見て、私は飛び出した。二歩で賊の前まで迫り、飛び上がって賊の顔面に膝を入れた。離された村人を遠くに押し出し、そのまま賊の上に着地する。
「ぐえっ!」
「こっちです! 騎士様!!」
つぶされた賊が叫んだ瞬間、屋敷の門の方から声がした。すぐにバタバタと走る音が聞こえてきて、ルビーニ王国の騎士団の制服を着た騎士たちが姿を現した
「馬車を出せ!!」
そう一人が叫ぶと、次々に賊たちが荷馬車に飛び乗っていく。
「逃がすな!」
騎士たちが荷馬車を取り囲み、賊を引きずり下ろす。
王都へ向かった村人たちが、騎士団を呼んで来たのだ。私の下でもがいている賊を騎士に引き渡し、頭領を抱えているゴッフレードの方を見た。
体の大きな頭領が暴れ、さらに体の大きなゴッフレードがそれを押さえている。バッファロー対ゴリラのような争いに、騎士も近付けないでいる。ゴッフレードが易々と後ろ手に腕を取ると、背中に足を載せて頭領を抑えつけた。騎士たちがおそるおそる捕縛用の縄を持ってじりじりと近付いて行った。
マッキオの背中に隠れながらふと門の方を見ると、遅れてやってきた騎士たちの後ろに美しい金髪が見えた。
「ミミ! 無事か!」
「殿下!」
レナートが私を見つけ、こちらに向かって走って来る。長い手足を動かして、陽にきらきら輝く金髪を揺らして走る姿はとても美しかった。
騎士たちはすぐに先に着いた騎士たちに合流し、賊の捕縛に加わった。
どうしてレナートまで。
私がレナートに駆け寄ろうとすると、マッキオに腕を引かれた。頭領を助けようと、物陰に隠れていた賊が2人飛び出してきたのだ。
刀を抜いた賊の一人にマッキオが上段から重い蹴りを入れた。ぐしゃり、と地面に潰れた仲間を見て、もうひとりが逃げようと門の方へ慌てて体の向きを変えた。
「!!」
賊が向かって行く方向には、レナートがいる。
私は追いかけようとしたが、マッキオに肩がぶつかって出遅れてしまった。
突然方向を変え、自分に向かって走って来る賊に、レナートが立ち止まり目を見開く。
賊がレナートに殴りかかろうと右手を振り上げた。
「レナート!! 避けてぇっ!!」
私は腕を精一杯伸ばした。それでもまだ数歩、届かない。私の声に、賊を捕縛していた騎士たちが振り返り、急いで立ち上がる。
危ない!
そう思った瞬間、レナートはすっと左足を引き、賊の拳を避けた。
「えっ……!」
レナートは避けたその足を踏み出し、しっかりと賊を見ながら長い右腕を伸ばした。
次の瞬間、賊の体が高く宙に浮かび、後ろにのけぞるように地面にべちゃりと落ちた。
まるで優雅にダンスでも踊っているかのようなレナートの右ストレートが賊の頬に命中したのだ。
私たちはぽかんと口を開けたまま、しばらく動けなかった。
「いたたたたーっ」
レナートが右手を押さえながらしゃがみこんだ。彼のその声に、やっと目を覚ました私たちは慌てて動き出した。騎士たちが地面に蹲る賊を抑えつけて捕縛している。
「殿下! 大丈夫ですか!!」
私はレナートに駆け寄り、両手で彼の右手を包み込むように握った。そして、手の甲や指に異常がないかを確認した。
「はは、うまくできただろうか」
レナートが嬉しそうに私の顔を覗き込み笑った。それを見た私は、へなへなと体から力が抜け、地面にぺたりと座ってしまった。
「完璧でした。体勢といい、重心の移動の仕方といい、とても初めてとは思えない、完璧な右ストレートでした……!」
「そうか、練習した甲斐があったな」
「練習? したんですか?」
「ああ、あなたが教えてくれた38番。せめてひとつくらいはできるようになりたい、と密かに練習していたんだ」
早朝の庭で見せた、38番目の型。早口で教えたコツを、レナートは聞き洩らすことなく記憶し、ひとりで練習していたと言うのだ。
「……ちょっと教えただけで習得するなんて……なんて恐ろしい人……」
青ざめる私の耳に、ぶつぶつと何かをつぶやくライモンドの声が聞こえてきた。
「殿下が……人を殴った……しかも、素手で……賊を……殿下が……!」
レナートの後ろに、私以上に青ざめたライモンドが立ち竦んでいた。レナートが声をかけると、ハッとしたように顔を上げた。
レナートは地面に腰を下ろし、私の手を握り返してきた。
「習得するのに6日かかってしまった」
「普通はもっとかかります」
「この計算で行けば、80全部覚えるのには480日。一年と115日で全て習得することができるな」
「本当にやり遂げちゃいそうでこわい! 私の師範の座を奪われてしまいそう」
汚れるのも構わずに地面に座った私とレナートは声を上げて笑った。
レナートが怪我をしなくて本当に良かった。私は心からほっとした。
「既にひとつ習得されていますから、あと覚えるべきは79個。一年と109日です」
「ライモンド様、細かっ」
「レナート殿下のスケジュール管理は私の仕事ですから……って、私まで一体何を言ってるんだっ。殿下、お怪我はありませんか」
いつもの毅然とした状態に戻ったライモンドが、レナートの手に視線を移した。レナートは手を握るように指を何度か動かした。
「大事無い。それにしても、人を殴るというのは、こんなにも痛いものだとは知らなかったな」
レナートはそう言って苦笑いした。ライモンドが「もうしないでくださいね」とため息をつく。
「殿下」
私はレナートの右手を両手でそっと包み込んだ。レナートがきょとんとして顔を上げる。
「決して、その痛みを忘れてはいけません。殿下は人一倍、腕力も、権力もおありです。殿下が与える痛みは、それ以上のものだという事をしっかり覚えていてください」
レナートが一瞬眉をひそめ、いつもの厳しい王太子の顔になった。
「拳の重さ、よく覚えておこう」
私がレナートの手を自分の頬にあて笑うと、レナートが左手で私の頭を撫でてくれた。
その場にしゃがみこんだライモンドがこめかみを押さえて何やらうなっている。周りでは顔を赤くした騎士たちが戸惑っていた。
異世界〔恋愛〕ジャンルで首を引きちぎってもいいのかどうか悩んでいます。