ナヴァーロ村へ 1
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まだ日も昇りきらない早朝。レナートの乗る馬車の最終的な整備が終わったと報告を受け、ライモンドは騎士たちに一足先に王城を出て行き先に異常がないかを確かめるように指示し、レナートの執務室へ急いだ。
執務室の扉を開けると、レナートは執務机の前に立ち、本を片手に伸ばした右手を上に向けたり下に向けたりしていた。
「おはようございます。殿下、何をなさっているのですか」
「いや、ちょっと練習を」
「……ダンスですよね?」
「そうだね、ミミはダンスが上手いらしいから、ちょっとだけ」
「ああ、彼女は運動神経は人一倍いいらしいですからね。確かに王道のエスコートをするレナート殿下では持て余してしまうかもしれないですね」
「ああ、婚約披露の場では踊らなければならないからな」
本を閉じたレナートは、顔を上げると笑顔で答えた。
何だか嫌な予感がするぞ、と、ライモンドはレナートの持つ本のタイトルを見ようとしたが、レナートはするりと本を抱えるとすぐに机の引き出しに仕舞ってしまった。
「用意はできたのか」
「はい。一部の騎士に先に行くように伝えましたので、滞りなく進めるはずです。馬を休める程度の休憩しか取らずに、一晩中走りますので覚悟してくださいよ」
「じっとしているのは得意だから任せてほしい」
「自慢するところではありません」
「指示していた調査はどうなっている」
ライモンドはポケットから手帳を出してページをめくった。
「殿下の予想通り、全員に接点が見つかりました。今日の朝一番で奴らを王城へ呼び立てます」
「私が戻るまで何とか引き止められるか?」
「ええ、プラチド殿下が引き受けてくれました。あのお方なら、のらりくらりと時間を引き延ばして足止めしてくれると思います」
「ふむ。プラチドに期待しよう。では、すぐに出発しよう」
「何笑ってるんですか」
ライモンドは呆れた様子でレナートを睨んだ。これから証拠を押さえるために敵地へ向かうというのに、何で楽しそうにしているのだ。
「まあ、何考えてるのかは分かってますけどね!」
手で口元を隠してはいるが、目が笑っているのが丸わかりのレナートが、自分で上着を羽織ってボタンを閉める。
「できることならミミが村を通る前に、到着したい」
「ええ、分かってます。先を越されたらひと悶着起きてそうですもんね」
ライモンドは昨日のうちにまとめておいた荷物を持ち、扉を開いた。レナートに自分で開かせたら、開く前に出て行こうとして扉にぶつかってしまうからだ。レナートが部屋を出たのを確認し、しっかりと戸締りをした。
ナヴァーロ村までの道中、非常に不安ではあるが、いざという時はきちんと収めてくれるレナートである。それほど心配はしていない。
「あっ」
「気を付けてくださいって言ってるでしょう」
何もない廊下でレナートが躓いた。
決してそばを離れないようにしよう。ライモンドは思った。
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家族に加えて屋敷の使用人、そして弟子たちが揃った見送りは喧々たるものだった。
「やだわ、またすぐに来るのに」
私がそう言うと、今生の別れみたいになっちゃったわね、と姉たちがげらげら笑っている。マッキオの手を借りて馬車に乗ると、なぜかマリーアコールが始まった。恥ずかしいので早々に馬車を出発してもらった。
「マッキオもゴッフレードも、連日長旅お願いしちゃって悪いわね」
「いえ、座っているだけですからね。何にも疲れないですよ」
気の良い使用人に後を任せ、テオドリーコと遊び疲れた私はひと眠りすることにした。その後、以前と同じ宿に泊まったら、風呂でまたあのおばさんに出会ってしまった。また最強のマッサージをされ悲鳴を上げた私は、精神的に疲れて昼寝したにも関わらず朝まで爆睡してしまったのだった。
今回は朝食付きにしたので、のんびりと起きて食堂に向かうと、既にマッキオとゴッフレードがお皿いっぱいの朝食をもりもり食べていた。
「見てるだけでお腹がいっぱいになりそうな食べっぷりね」
「じゃあ、お嬢様の分も俺が食べてあげますよ」
伸びてくるゴッフレードの手をぱしりと叩いて、私も慌ててベーコンを口に詰め込んだ。うちの使用人は遠慮ということを知らないのだ。
「そういえば誘拐されたお嬢さんは見つかったのかしらね」
食後のお茶を飲みながら私がそう言うと、デザート代わりのミートパイを飲みこみながらゴッフレードが答えた。
「ああ、ナヴァーロ村ですか。あの後村人が王都に到着して、すぐに騎士団が向かってくれたとしても……まだ村には着いてないかもしれませんね」
「どうせ犯人は領主でしょう。可愛くって手籠めにしたとかかしら」
「淑女が、手籠め、とか言わないでくださいよ」
「じゃあ何て言うのよ」
「では、村に少し寄って行きましょうか」
マッキオがそう言い、私たちは席を立った。
同じ道を辿ってナヴァーロ村に到着すると、村の入り口には見知った顔の村人が立っていた。再び現れた私たちに非常に驚いていたが、それでも歓迎してくれた。
「村長の娘さんは戻ってきたのかしら」
「いえ、それがまだで。王城へ行った奴らもまだ戻りませんし」
村人は私たちに丁寧に対応しながらも、そわそわと王都の方の道を気にしている。正直なところ、私なんかに構っていられない、と言った風だ。
「そうよね、王城まで急いだって往復で3日はかかるもの」
「ええ、ですので、我々で救出に行こうと思っています」
「え!? どこへ」
私がわざとらしく驚くと、村人は意を決するように私を正面から見据えた。
「村長の娘が領主様の馬車に乗せられるのを見た奴がいたのです! 領主様がまさか、と思い言えなかったようです。今、動ける者たちを集めて領主様の家に行くところなのです」
「あらまあ」
「分かっています、領民が領主様に逆らってはいけないって。しかし、我々は村長のことも自分の家族のように大切なんです!」
「いや、止めはしないけど」
「止めないんですか」
「領主が犯人だろうって思ってたし」
「えっ」
「あの状況を聞いたら誰でもそう気付きます」
横からゴッフレードが会話に参加してきた。マッキオがその腕を後ろから引っ張っている。
「でも話も聞いてくれないんでしょ、その領主。どうするつもり?」
「領主様は現在、王都に行っていて不在なんです。何だか王太子様の婚約者が変更になったとかで、急な会議が立て続けに開かれているそうでして。今は屋敷は領主様の長男が仕切っているのです。とても性格の良い大人しい方だったのに……なぜこんなことを」
「仕方がないわね。私も行ってあげるわ。貴族が一人いるだけでも違うでしょ」
「姫様! 助かります」
どうやら私のせいで領主が急遽不在になり、息子が事件を起こしてしまったらしい。ちょっとだけ責任を感じた私は少しだけ手助けをしてあげることにした。
領主の家に行く有志たちを見て、私は頭痛がしてきた。彼らは兜の代わりに鍋やフライパンを被り、手にはまた鍬やスコップを持っている。
「あのねえ、あなたたち。胴ががら空きじゃない」
「お嬢様、そうじゃないです」
ゴッフレードが私の腕を掴んだ。
「領主はナルディ伯爵様だったかしら?」
「はい。長男はウーゴ様と言いまして、村長の娘のヴェロニカと幼馴染なんです。だからと言って、無理やり屋敷に監禁するなど」
「大人しい子って切羽詰まると何しでかすかわからないからねえ」
ガチャガチャと鍋やフライパンがぶつかる音をさせる村人たちを引き連れ、私たちはナルディ伯爵の屋敷へ歩いて向かった。
私の横を歩くゴッフレードが眉を寄せ苦い顔をしている。
「ゴッフレード、あなたの言いたい事はわかるわ」
ゴッフレードが心底呆れた表情で私を横目で見てため息をついた。
「あのすごく訛った村人がいないと調子狂っちゃうわよね」
「だからお嬢様、そうじゃないです」
ゴッフレードが頭を抱え、その横でマッキオが爆笑している。
「俺は旦那様から、くれぐれも揉め事に巻き込まれないように、と言われて来てるんですよ。村に寄る、と聞いた時から嫌な予感はしていましたが」
「仕方がないじゃない、少しだけ私のせいでもあるんだから。お父さんも、私が巻き込まれる前提であなたたち二人を付けたんでしょう。信頼しているわ」
マッキオとゴッフレードは、使用人の中でも腕のたつ二人だ。長く仕えているので忠誠心も厚い。制服は私と同じ濃紺だ。
「俺たちが何とかしますから、お嬢様は何もしないで下さいよ」
まあ、無理でしょうけどね、と胡乱気な顔でゴッフレードはそう言うと、黙って私の前を歩きだした。
岩のような大男を先頭に、鍋の頭のおもちゃの兵士を連れて歩く私はおとぎ話の主人公になったような気持ちになった。
まあ、無理でしょうね。