プロローグ
短編「逃した魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件」で、続きを読みたい、と言っていただけて嬉しかったので、ホイホイ続編を書いちゃいました~。
平日AM11時更新予定ですので、よろしくお願いいたします。
ルビーニ王国第一王子レナートと公爵令嬢アイーダとの婚約破棄騒動から3ヶ月。
アイーダと第二王子プラチドの婚約式を待って、レナートは無事王太子となった。レナート派だった貴族や心配していた友人、果ては使用人、国民までもがほっと胸を撫で下ろした。
レナートの側近、ライモンドは久々に王立学園を訪れていた。学園の理事にレナートが名を連ねることになったので、その書類を届けに来たのである。その帰りに廊下で思わず足を止めてしまった。
なぜ……。ルビーニ王国の名に恥じない紳士淑女を育成している王立学園の廊下で、なぜこんなことが。
ライモンドの視線の先で、金髪の令嬢が全力でスキップしていた。
膝を高く上げ、両腕をちぎれんばかりに大きく振り、満面の笑顔で廊下をスキップしている。しかも、あろうことか周りの生徒たちはそんな彼女に微笑ましく道を譲っているのだ。
スキップしている令嬢は、マリーア・アンノヴァッツィ公爵令嬢。隣国ムーロ王国からの留学生で、レナートの婚約者に内定している。
明るい性格で友人たちからはミミと愛称で呼ばれ、非常に好感度の高い彼女ではあるが、スカートを翻して廊下をスキップしていても誰も違和感を感じないとは、生徒たちは彼女に毒され過ぎではないか!?
ライモンドが立ち尽くす横を、美しい金髪に上品な臙脂色のドレスの淑女が静かに通り過ぎた。
「ミミ。廊下でスキップしてはいけないわ。皆さんが遠慮して端の方を歩いているわよ」
「あっ、本当だわ! ごめんなさい。私ったら」
アイーダが声をかけるとマリーアはスキップをやめ、めくれたスカートを整えた。その様子をアイーダは女神のような微笑みで見ていた。
「ずいぶんと楽しそうね。何か良い事があったのかしら」
「ええ、来週の連休に実家に一度帰ることになったの。久しぶりに弟のテオに会えるわ!」
「やっと決まったのね。ミミは婚約の準備があるというのに、レナート殿下がなかなか離そうとしない、とプラチド殿下がおっしゃっていたわ」
「え、えへへ」
マリーアはもともと血色の良い頬を更に赤くして照れ笑いしている。そうしていれば、朗らかで可愛らしい令嬢に見えるのだが。とても敵を一撃で倒すような豪傑には見えない。ライモンドは腕を組んで首を傾げた。
「今日は学校帰りにレナート殿下に会いにそのまま王城へ行くから、アイーダは先に帰っていてくれる?」
「わかったわ。プラチド殿下の馬車に乗せてもらったらいいわ。頼んでおいてあげるわね」
「助かるぅ。ありがとう、アイーダ。晩ご飯までには帰るわね」
マリーアはぶんぶんと手を振って食堂へと続く階段に向かって歩いて行った。それを見送った後、ライモンドは音もなくアイーダに近付いた。
「アイーダ様、お久しぶりです」
「あら、ライモンド様。気付きませんで申し訳ございません」
「気配がないのは自覚しておりますので」
アイーダはライモンドに振り向き、先ほどの柔らかい笑顔から淑女らしい微笑に切り替えた。背筋が伸び凛とした姿は、厳しい王妃教育の賜物であった。
「マリーア様の淑女教育の進捗はいかがでしょうか」
「見ての通りね。でも、運動神経がいいから、式典での王族としての作法はすぐに覚えたようだわ」
「……心の声が聞こえてしまうのは何とかなりそうですか」
「ああ、それは」
眉をひそめ小声で話すライモンドに、アイーダは肩をすくめて笑った。
「それは、敢えてそのままにしてるの。心の声が聞こえてしまうところがミミの持ち味だと思うから」
「しかし、王妃になったらいろいろとまずいことが」
「大丈夫よ、あの子は人を不快にさせるようなことは思わないから」
ライモンドはぱちりと瞬いた。そんなばかな、と思いつつも、納得してしまった自分がいる。
「……多分ね」
アイーダは少し首を傾げてペロッと舌を出して笑った。彼女としてはめずらしく、年相応の令嬢のような仕草だった。
マリーアが来てからアイーダは随分と変わった。感情を押し殺し決して表情を変えなかった以前よりも、ずいぶんと素直に感情を表すようになり、単なる取り巻きであった令嬢たちとも今では親友と呼べるほど親密になったようだ。
王太子レナートもそうである。
マリーアととんでもない出会いを果たした後からは顔色も良く、塞ぎ気味だった気分も少なからず晴れているようだ。常に刻まれていた眉間のしわはあまり見られなくなった。
おかしな令嬢だ、とライモンドは何度も思う。少なくともルビーニ王国にはマリーアのような令嬢はいない。ムーロ王国にもいない、バカにするな、と彼女は言っていたが、本当のところはどうなのだろう。一度視察に行ってみたいものだ。
周囲の者皆が心配していた国王陛下、王妃殿下との顔合わせも実にマリーアらしく成功させた。
婚約者として内定した非公式の顔合わせの日。
アメーティス公爵家の侍女により美しく整えられたマリーアは、王城に着いた時からひどく緊張していた。緊張しすぎて、なぜか王城内で迷子になった。そして、衛兵が懸命に捜索する中、ドレスを泥まみれにし頭に葉っぱを乗せて中庭で発見された。
小脇に子犬を抱えて。
子犬は数日前から行方不明になっていた王太后の愛犬だった。結果、レナートのおばあさまである王太后に可愛がられることになり、父である国王を爆笑させ、弟のプラチドも両手で顔を覆って笑いを堪えていた。それを見たレナートはなぜか嬉しそうにしていた。ただ一人、王妃だけは終始真顔であったが。
「そういえば、レナート殿下狙いの令嬢たちからの嫌がらせはどうなりましたか?」
「そうね、あの通りよ」
扇で口元を隠したアイーダの目線の先を追うと、ちょうどマリーアがロザリア・ピノッティ侯爵令嬢に絡まれているところだった。ロザリアはレナートの婚約者であったアイーダに長年嫌がらせをしていた令嬢である。
胡桃色の輝く茶髪を巻き髪にしたロザリアは、後ろに取り巻きの令嬢たちを引き連れ、きょとんとしたマリーアを睨んでいた。
「あら、マリーア様ごきげんよう。どうりでこの辺りが田舎臭いと思いましたわ」
「本当ですわね、ロザリア様。何だか臭いわ」
「本当のこと言っちゃいけませんわぁ」
マリーアを見下してくすくすと笑う令嬢たち。黙って話を聞いていたマリーアは、急に正気に戻ったかのように目をぱちりと見開いた。
「わぁ、ロザリア様はとっても良い香りしますね! 香水ですか?」
マリーアが不躾に顔を近づけ匂いを嗅いだので、ロザリアがぎょっとしてのけぞった。
「香水は淑女の嗜みですもの。当然よ」
「ピノッティ侯爵領の名産と言えば高品質な香水ですのに、ご存じないのかしら」
「ロザリア様、きっと田舎者は天然精油を使った最高級の練り香水なんて見たことないんじゃありませんこと」
ロザリアが取り巻きの令嬢たちを手で制し、呆れたようにため息をつく。
「皆さん、無知であることを責めてはいけませんわ。本人がそうであることを自覚していないのですから」
「さすがロザリア様、お優しいお心遣いですわ」
令嬢たちがちやほやとロザリアを褒めたたえる。ニコニコと笑顔でその様子を見ていたマリーアが再びくんくんと匂いを嗅ぎながら顔を近づけ、令嬢たちが思わず後ずさった。
「その、テンネンセーユのネリコースイとやらは、今は持ってらっしゃらないの?」
マリーアの質問にロザリアは待ってました、とばかりにドレスのポケットから貝殻を模した華奢な入れ物を取り出す。蓋を開ければふわりと春の花の香りがした。
「わあ、初めて見ました! これ、お肌にも良さそうね!」
「ええ、保湿成分のあるクリームを使っているの。手を出してごらんなさい」
ロザリアはマリーアの右手を取り、その甲に練り香水を薄くすり込んだ。マリーアはすぐに右手の匂いを嗅いだ後、高く手を上げて光にかざした。
「すっごい! 良い香りがする上に肌が輝いて見えるわ!」
「ほほほ、貝殻の粉を混ぜ込んでいるので光を反射して肌が美しく見えるのよ」
「テンネンセーユノネリコースイ、スゴイ。クニニモッテカエリタイ」
「なんで突然片言になるのよ! ルビーニ王国とムーロ王国は同じ公用語でしょう!」
「えっ、ロザリア様、ムーロ王国のこと知ってくれてるんですね」
「と、当然でしょう! 貴族なんですから周辺国のことくらい勉強してるわよ!」
「ありがとうございます!」
つん、と顎を上げて横を向いていたロザリアの手を強引に引っ張って両手で握手したマリーアは、目をキラキラさせて言った。
「あんな小さなうちの国のことを勉強してくれるなんて嬉しいです!」
「ふん、牧場しかないような何もない田舎の国で育ったなんて、なんてかわいそうなのかしら。きっと海にも行ったことないのでしょうね」
がっちりと掴まれた手をロザリアは振りほどこうとしているが、マリーアの腕力にかなうはずもなく、二人は手をつなぎ合ってぶんぶん振り回している状態だった。令嬢たちがあわててその手を離そうとするが、それでもマリーアは手を離さない。
「ロザリア様は海に行ったことがおありなの?」
「当然よ。毎年夏は海辺の別荘でバカンスですわ」
「わあ、行ってみたーい。きっと海産物も美味しいんでしょうね。今度招待してくださいよ。皆でバーベキューして夜は花火しましょう」
「…………」
「ロザリア様! ちょっと楽しそう、なんて思ってはいけませんわ!」
「そうですわ! こんな田舎娘招いたら素敵な別荘を台無しにされてしまいますわよ!」
「あっ、そうだ、一緒に水着も選んで下さいよ。私、流行に疎いので」
「…………」
「ロザリア様! しっかりなさって!」
「で、でも、この子思ったこと口に出しちゃう性格って聞いてますわ。本気でロザリア様と仲良くなりたいのでは……」
やっとマリーアの手を振りほどいたロザリアは、気付けば顔を真っ赤にして涙目になっていた。
「何なのよ! あなた! 夏のバカンスには誘ってさしあげますから、覚悟なさい!! せいぜい気取った水着を用意しておくことね!!」
「えー、私水着着たことないから一緒に選んでほしいなあ」
「……っ、馴染みの店に連絡しておくわ! 首を洗って待っていなさい!!」
「わあい、楽しみです」
「ロ、ロザリア様ー! お待ちくださいっ」
訳のわからない怒りにぶるぶると震えながらロザリアは巻き髪を揺らして足早に去って行き、その後を取り巻きたちが追って行った。面白いお友達できちゃった、と心の声を大声でつぶやきながら、マリーアは階段を下り見えなくなっていく。
一連の様子をニコニコと見ていたアイーダは、隣で唖然としているライモンドに振り返った。
「ね?」
「ね、って言われましても」
「正直ロザリア様程度の嫌がらせはミミには通じません。物理的に襲撃してきた人たちはとっくに返り討ちにされてますし」
「たくましくて助かります」
ライモンドはこめかみを押さえてため息をついた。
そして、アイーダを教室まで送った後、馬車を急がせ王城へ帰った。マリーアが来るまでにレナートに仕事を終わらせてもらわねばならない。マリーアに会った後のレナートはいつもぽやぽやと頬を緩ませてしまって仕事にならないのだ。
真面目な側近は、つい笑ってしまう口元を押さえながら手元の書類整理を始めた。