兄と妹の不思議な関係
平凡な一般家庭、加藤家の兄には誰にも言えない趣味があった。世の中的には最近認められつつあるが、まだまだ特殊な方だ。今は昼前。妹は塾、両親は仕事であと数時間は帰ってこない。
そんな兄はついに一線を越えようとしていた。妹の部屋の戸を静かに開け、中を確認する。当然のように妹は不在だった。そのまま侵入しクローゼットの戸を開ける。兄の目的は妹の制服だった。
胸の高鳴りが抑えきれない。心臓がばくばくと動いているのが良く分かる。息もまともにできない。そっと妹の制服を手に取り、自分の部屋へと戻る。
今まで来ていた上着とズボンを脱ぎ捨て、スカートに足を通す。ボタンの向きが逆で一瞬止めるのに苦労したがブラウスを着てリボンをつける。そう、兄には女装の趣味があったのだ。単に女装して可愛くなりたかった。ただそれだけである。決して変な事をする気はさらさらない。
残念ながら自分は男子の中では背の低い方だが、こういう趣味を持っていた時は本当に助かると思う。短いこともなく、妹の制服がぴったりだった。
胸の高鳴りが止まらない。そのままくるっと一回転する。
「まったくあいつのやつ・・・スカート短くない?」
下半身を隠しているただの布なので風通しは抜群だった。予想していたよりも風通しはよく、スカートを履いているのに履いていないのと同じくらい下半身が寒い。女子は普段からこんなものを履いているのかと驚く。
とはいっても念願の制服だ。妹が帰ってくるまでに完全に元の状態に戻して返却せねばならない。とはいっても、せめて全身像を見たり、記念に写真を撮りたい。
全身が映るような鏡を持っていなかったので仕方なく妹の部屋に行き、全身が映る大きな鏡の前に立つ。そしてスマホのカメラのシャッターを切る。
「カシャ」
「カシャ」
写真を撮った枚数は一枚のはずだ。だが部屋に響いたシャッター音は二つだった。慌ててドアの方を見る。
「・・・お兄ちゃん。何してるの?」
そこには不審そうに兄にスマホのカメラを向け、立っている妹がいた。
今まで生きていて初めて詰んだ、と思った。
†
その一分後、兄は妹の部屋で正座をして座らされていた。当然格好は妹の制服のままだ。その前には仁王立ちでキレ気味の妹がいる。
「何でこんなに早く帰ってきたの?予定だったらもうちょっと帰りは遅いんじゃなかったの?」
「今日短縮授業だったから。あ、言ってなかったっけ?というよりも、お兄ちゃんからの質問は受け付けてないから。私の質問に答えて」
妹は冷淡な声でいった。顔も笑っておらず、有無は言わせない形相だ。
「・・・何しようとしてたの?」
「あ、いや・・・」
答えたがらない兄の様子を見ていた妹はスマホを取り出し、笑顔で言った。
「答えなかったら、私の友達にこの写真を送り付けるよ?あ、ママにも見せなきゃね?」
「それだけは!わかった!言うから、頼むから誰にも送らないで!」
必死になる兄。その様子を見た妹がスマホをしまい、ため息をつく。
「・・・送らないから、で、何しようと思ってたの?」
言いたくはないが、言うしかない。
「・・・前から女装したいな、と思ってて、それで制服を借りました。あ、でも!別に変な事をしようとしたとかじゃなくてただ・・・可愛い恰好をしたくて・・・本当にごめん」
兄は妹に向かって土下座をする。
「本当に・・・変な事しようとしていたわけじゃないのね?」
「もちろん。それに関しては誓ってもいい」
「で、可愛くなりたかった、と」
「・・・うん」
再度妹は大きなため息をつく。
「・・・一応聞いておくけど、私の下着は着けてないよね?」
「さすがにそれは里奈に悪いと思ってしてない」
「制服だけでも十分悪なんだけど」
「本当にごめん。もうしないし、何でもするから許して」
「・・・別にもうしないのは当たり前だし。ふーん。何でもしてくれるのね。じゃあ許す条件として一緒にその恰好でおでかけしよ?」
「え?」
一瞬妹の言っていることが理解できなかった。数秒の時間脳みそをフル回転させて答えを導き出す。当然。
「えー!無理だって!絶対バレるし!」
「だろうね。だから、バレないように私が上手にメイクとかしてあげる」
「え?」
「可愛くなりたかったんでしょ?元からお兄ちゃん顔はかわいいし、ちょっと工夫すれば大丈夫だと思うんだけど」
「・・・いいの?」
「ちょっと面白そうだし。その代わり、私もお兄ちゃんのことお姉ちゃんみたいにして関わるからね?いい?」
「もちろん。よろしくお願いします」
「よろしくね、お姉ちゃん!」
「!」
破壊力は抜群だった。だが、妹は何も気づいていないようだった。否、気づいていてからかってきている確信犯かもしれない。油断はできないとは思ったが、ここは騙されておくことにした。
メニューは多岐に及び、髪の毛を整えるところから始まり、ファッションコーデまで幅広く行われた。少し意識して伸ばし気味にしていた髪の毛がここで役に立った。メイクをすればボーイッシュな女の子程度にはなれたと思う。
さすがに下着は貸せないとのことだったが、足の毛を隠すために厚手のタイツは借りた。
「――よし!こんな感じでどう?」
妹による手直しが終わり、鏡の前に立つ。恰好は春にふさわしい桜色のスカートに黒タイツ、白色無地の長袖トップスだ。追加でヘアピンで髪の毛をまとめてある。鏡に映った自分はまるで自分ではなく、ただ普通にいそうなボーイッシュの女の子だった。
「どう?気に入った?」
「・・・うん。まるで僕が違う人間になったみたい」
「あ、言い忘れたけどお兄ちゃんは今からお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんだからね?だから、『僕』は禁止で女の子言葉でしゃべること。いい?」
「うん」
「よし、じゃあ出掛けようか。まだ不安?」
「まあ、だけど里奈がいるしなんとかなるよね。うん、気は進まないけど行こう。罰ゲームだし」
「・・・うん」
「どうした?」
妹の顔を覗き込む。だが、すぐに妹は体の向きを変えて顔を見えなくしてしまう。だがわずかに見えた彼女の頬は赤く染まっていたような気がした。
「いいから行くよ!」
妹に手をつながれ、考える間もなく家を飛び出し駅へ向かった。
†
妹の配慮かは知らないが、電車で家から離れた駅ビルへ行くことになった。昼過ぎなので電車の中はあまり混んでいない。今のところ、誰にもバレていないはずだ。
このお出かけはひとつ、困る点があった。この格好で出歩いている時点で困るのだがそれは置いておいて、予算は全額兄(姉)持ちとのことだった。
「あ、言い忘れてたけど、お姉ちゃんにその服あげるから、私に新しい服買ってね?いいでしょ?」
着ている手前ダメとは言えない。
「いいよ。おそろいにしたりする?」
「・・・それはさすがに気が向いたらね?」
駅に到着し、駅ビルへと向かう。当然最初に向かったのは服屋だ。
「一緒に見て回らない?お姉ちゃん。お姉ちゃんだけで見てもファッションのことよくわかんないでしょ?」
「うん、まぁ」
「じゃあ決まり」
そういうと二人で店内を物色し始める。それで最初に思ったのは『女子の服は高い』ということだった。ものとメーカーにもよるだろうが、二割増しが最低ラインな気がする。財布の中からいくらなくなるのか怖いが、それでも『新しい服が欲しい』という欲求の方が大きかった。
「ねえ、これなんかどう?」
里奈が見せてくれたのはベージュのゆるっとしたワンピースだった。価格は五千円ほどだった。
「可愛いんじゃない?」
「さっきから値段ばっかり気にしてるでしょ?ワンピースだったら一枚だし、値段も安いからおすすめだよ」
「へー」
バレていたようだった。
「私と同じサイズで大丈夫だよね?」
「うん」
そういうと里奈は兄が持っていたかごにそのワンピースを二着入れた。
「え?」
「・・・おそろいにしたいんでしょ?」
「ま、まあ」
「・・・ついてきて。どうせ欲しいんだろうし、一人で買えないだろうから」
よく意味が分からなかったが、おとなしく妹について行く。
たどり着いたのは同じ店の下着売り場だった。
「あんまり周り見ちゃだめだよ」
「あ、うん」
とはいっても周り中が女性ものの下着なので、確かに欲しかったとしても実物耐性はなく、頭はパニック状態だった。周りを見るなといわれても、どこにも視界の逃げ場はなかった。
「欲しいデザインの要望とかある?」
「んー特にないかな。というか詳しくないから何とも言えないし」
「あ、そうなの?てっきりそれくらい知ってるかなと思ってたのに。まあいいや。私と同じ――じゃなかった。二つくらいサイズ下げて選んでおくね」
「うん。ありがと」
そういうと妹はB70とかと書かれたブラジャーとショーツがセットになったものをカゴに入れた。
†
会計を済ませ、同じように電車に乗って家へ戻る。財布の中から諭吉と樋口が飛んだ。なんだかんだあの後里奈に追加の服を入れられたのだ。
家に着いた時の時刻は四時。親が帰ってくるような時刻ではないため、早速着てみようとの話になった。さすがにショーツは里奈の前で履き替えるわけにいかなかったが、ブラは自分では付けられない。結局里奈に頼むことになった。
「ごめんね、自分でできなくて」
「できた方が困るから大丈夫だよ。ほら、腕をちょっと上げて」
里奈によって自分の体に薄いピンクの花柄のブラがつけられていく。若干胸が締め付けられるような感触だった。
「どう?苦しくない?」
「多少は苦しいけど大丈夫。女の子って毎日こんなのずっと付けてたんだ。大変だね」
「女は忍耐ってよく言うでしょ?あれってそういうことだよ」
「そうなんだ」
「やっぱり前ぶかぶかでしょ?ハンカチでも詰めておいたら?」
「あ、そうだね。そうする」
かなり変態的な格好のまま部屋に戻り、ハンカチを二枚持ってきて、里奈にハンカチを入れてもらう。多少見えているが、服を着れば問題ないだろう。
買ってきたワンピースを上からかぶるように着る。妹も同じようにして着てみたいとのことで、部屋を追い出された。さすがに姉という設定でも本当の性別は変わらないため、さすがに無理だったのだろう。少ししてドアが開き、同じワンピースを着た里奈がそこに立っていた。
「どう?似合ってる?」
「うん、よく似合ってるよ」
「お姉ちゃんもね」
褒められると、恥ずかしい気持ちはあるがやはりうれしかった。向こうも同じ様子らしい。
「あ、ちょっとしてみたいことがあったんだけどいい?」
「ん?いいけど」
そういうと里奈は後ろに回り、胸のところに手を伸ばし胸をつかんできた。正確にはぺったんこなのですべてブラとハンカチだが。
それは別によかった。だが、背中に当たっているのはどう考えても本物の里奈の胸だ。
「え?どうしたの?」
「ちょっとしてみたかっただけ。さすがにハンカチじゃやわらかいわけないか」
少し残念そうにしながら前に戻ってきた。
兄は自分にできた胸を見る。里奈には悪いが里奈と同じ大きさか、ほんの少し小さいだけな気がする。だが、思っただけで口に出せるわけがない。
「どうしたの?まさか揉んでみたくなったりして?」
「別に大丈夫だってば。そういえばさ、なんで出かけようなんか言いだしたの?」
「それは・・・」
罰ゲームだから、で済む話だが、なぜか里奈は話そうとしない。少ししてからやっとその重い口が開く。
「・・・お兄ちゃんが可愛くなったから、お姉ちゃんみたいにして一緒にお出かけしたかったの。ほら私、昔からお姉ちゃん欲しかったから。だからね、最初はびっくりしたけど、お兄ちゃんが可愛くなってくれて嬉しかったんだよ」
「そうだったんだ・・・私でよかったらまた一緒にお出かけする?」
「うん!」
里奈に思いっきり抱きつかれる。
「もう・・・里奈ったら・・・」
何やら、妹との不思議な関係が出来てしまったような気がする。