邪悪 -メイル
緊張感のあるゲームが終わりぼんやりと設置されたテレビを見る。テレビにはファイトクラブで必死に戦う人間の映像が流れていた。人間が必死になる姿というのはそれなりに見応えがあり、この戦っている人物は高校生か中学生かとは少しだけ考えるが、どちらにせよ、とメイル=フェルジオはすぐに思う。
どちらにせよ、大した違いはない。自分と同じ中学生であろうと、それより年上であろうと、人というのはみな同じだ。誰も彼もが予想通りに行動する。正面の席にいるエドガーに目をやった。この男は、その、面白みのない人間の代表格だ。
テープで自由を奪われているとはいえ、エドガーは始め暴れるしぐさを見せた。そのためメイルはエドガーから奪った銃を他からは見えにくい角度で構え、「少しの間だから、大人しくして。話を最後まで聞かないと、おじさん、絶対に後悔するよ」と伝えた。
「おじさん、おかしいとは思わなかったの?中学生の僕が一人でファイトクラブに来てるなんて。それに、観戦席のどの座席に座っているとか、そんな情報が手に入るなんて、普通は、罠じゃないか、って疑ったりするんじゃないかな」
「この情報を流したのはお前かよ」
「だって、おじさんが僕の居場所を捜してる、って知ったから」
「お前がいないから捜しただけだ。隠れているんじゃねえよ。学校も行かずに」
「隠れていたんじゃない。臨時休校なんだからしょうがないよ」
嘘ではなかった。まだ新年が明けてから一月しか経っていなかったが、突如として世界中で流行り始めた新型のウィルスによる風邪の影響で、新学期が始まるまで全国的に学校という学校が登校禁止になったのだ。感染力の高さからウィルスの温床になりやすい学校を閉鎖するのは分かるが、その間の教育を完全に放棄している大人たちが、メイルには理解できなかった。
インターネットが整っている現在、教育のやりようなどいくらでも考えられるにも関わらず、リスクを負うことを恐れ、責任を回避するため、政府が決めたルールに従う。そのこと自体を責めるつもりもないが、何の疑問も持たず、臨時休校を行っていく教師たちからは思考停止の愚かしさを感じた。検討し、工夫し、決断する能力がゼロだ。
「この休みの間、僕が何をしていたか分かる?」メイルは言う。
「知るか」
「おじさんのことを調べていたんだ。たぶん、おじさんは、僕のことを怒っているでしょ」
「そんなことはねえよ」
「あ、そうなの?」
「怒ってるなんて言葉じゃ足りねえんだよ」エドガーの言葉には血が滲むようで、メイルは自然と頬が緩む。感情を制御できない人間を転ばすのは、容易だ。
「ほら、だから、僕をこらしめたいと思ったわけでしょ。で、たぶん、おじさん、僕を捜して攻撃するんじゃないかって思ったんだ。だから、家にいるのも危ないし。それで、せっかくだから、おじさんのことを色々調べたんだよ。あのさ、誰かを攻撃したいとか、誰かを陥れたいとか、誰かを利用したいとか考えた時にまず最初にやるのは情報を収集することなんだよ。その人の家族とか仕事とか性癖とか趣味とか、そういうとことから、とっかかりが見つかるんだから。税務署のやり方と一緒だよ」
「譬え話に、税務署を使う中学生ってのは、最悪だな」エドガーは苦笑する。「それに、ガキに何が調査できるんだよ」
メイルは眉を傾ける。この男はやはり、甘く見ているのだ、とがっかりした。見た目や年齢に左右され、相手の能力を低く見積もっている。「お金を渡せば、情報を集めてくれる人はいる」
「お年玉でも貯めたのか」
メイルは幻滅をたっぷり含んだ息を吐きだす。「たとえば、だよ。そうじゃなくても、ほら、中学生の女の子に興味がある男がいるかもしれない。女子中学生の裸を抱けるとなったらその男は、探偵まがいの仕事もして、おじさんのことを調べてくれるかも。たとえば、おじさんが落ち目のロックミュージシャンで、奥さんに愛想尽かされて、離婚して、可愛い子供を一人で育てることになって、とかそういうことを調べてくれるかもしれない。そして僕には、僕のために一肌脱いでくれる、女子の友達がいるかも」
「女子中学生を、大人にあてがうのかよ。その女の子の弱みを握ってるのか?、それとおれは落ち目なんかじゃない」
「たとえば、だって。むきにならないで。人はね、お金に限らず、いろんな欲望と計算で動いているんだ。梃子の原理と同じで、そういう欲求のボタンをうまく押せば、中学生でも人間は動かせるんだよ。知らなかった?性欲は比較的、その梃子が動きやすいんだ」メイルはわざと、苛立たせる喋り方をする。相手を感情的にすればするほど、コントロールするのが楽になる。「でも、おじさん、凄いんだね。何年か前まで、物騒なことをやっていたって聞いたよ。ねえ、人も殺したことあるの?」言ってからメイルは、自分が構えている銃に視線をやる。「こんなの持ってたんだもんね。凄いなあ。この先っぽについていたのって、銃声を抑える器具でしょ?本格的だね」と取り外しておいたサプレッサーを見せる。「僕、怖くて、泣きそうだったよ」と棒読みするように、言った。
嘘だ。泣くどころか、失笑を堪えるのに苦労した。
「おまえ、ここで待ち構えていたのか」
「おじさんが、僕の居場所を捜しているようだったから、このファイトクラブの情報を流してもらったんだ。おじさん、誰かに依頼したでしょ。僕の居場所を捜してくれって」
「昔、顔見知りだった男だ」
「物騒な仕事をしていた頃の知り合いでしょ。男子中学生の行方を捜している、なんて怪しまれなかった?」
「そんな性癖があったのか、と最初は軽蔑されたけどな、俺の話を聞いたら、興奮して、同情してたぜ。うちの娘をそんな風にするなんてな、絶対に許さねえぞってな」
「でも、その人が結局、おじさんを裏切ったんだよ。僕のことを調べているらしいから、こっちから逆に持ちかけたんだ。おじさんにこの情報を流してくれないか、って」
「好きに言ってろ」
「女子中学生のことを好きにできる、と知ったら、鼻の下を伸ばして、鼻息を荒くしていたけど、大人ってみんなああなのかな」メイルは言う。相手の人間の、感情の膜のようなものを言葉の爪で引っ掻く感覚が、メイルは好きだった。肉体は鍛えられるが、精神の筋力トレーニングは容易ではない。平気を装ったところで、悪意の棘に反応せざるをえないのだ。
「あいつに、そんな性癖があったのか」
「おじさん、昔の知り合いなんて信用しちゃ駄目だよ。どんな恩があったって、みんな忘れちゃうんだから。信頼で成り立つ社会なんてさ、だいぶ前に消えちゃったんじゃないかな。もとからなかったかもしれないし。でも、まさか本当におじさんが来るとはね。驚いたよ。信用しすぎだよ、いろいろ。あ、そういえば、おじさんの子供、元気?」とテレビのチャンネルをいじる。
「元気なわけねえだろうが」
「おじさん、声が大きいよ。誰かが来たらまずいんだから。拳銃もあるんだし。大騒ぎだよ」メイルはわざとらしく、囁き声になる。「目立ったらまずい」
「銃はおまえが持ってるんだから、やばいのはおまえだろ」
メイルは何から何まで想像した範囲で反応を示すエドガーに、落胆する。「拳銃が怖くて、おじさんから必死で取り上げましたってそう説明するよ」
「俺のことこんな風に縛っておいて何言ってんだ」
「いいんだよ。薬物の使用疑いで一度逮捕されて音楽活動を自粛してるミュージシャンと、普通の中学生の僕とさ、どっちが同情されると思う?」
「あれは何かの間違いだ、おれは薬物なんてやってない」
「確かに薬物をやっていたって情報はなかったけど、おじさん、最近、お酒だいぶ飲むようになったらしいね。毎晩、道端で酔いつぶれたって聞いたよ。どうしてそんなにお酒を飲むようになっちゃったの。アルコール依存症になっちゃうよ。それとも、お酒を飲まなきゃやっていられないことでもあった? たとえば、娘さんが死にそうになったとか?」
エドガーが鬼の形相で睨んでくる。
「おじさん、もう一回確認するけど、可愛い娘さんは元気? 何さんだっけ。あの道路と車が大好きな」
メイルはわざと名前を曖昧にする。「でもね、気を付けた方がいいよ。何歳になったって外に出ていれば車に撥ねられることが無いとは言い切れないからね。車の運転手だって人間なんだから」
エドガーが声を張り上げそうになるので、「おじさん、静かにしないと怪しまれるよ」と言い、再び、リモコンでテレビのチャンネルを変えた。
エドガーの娘を交差点に突き飛ばしたのは、メイル達だった。正確に言えば、メイルとメイルの指示に従う同級生たちだ。あのお人好しな女は最後まで人間の悪意に気づかなかった。
お姉さん、僕、ここに行きたいんだけどどう行けばいいかな。
純真無垢な様子で困った顔をして言えば、疑いもしなかった。
交差点が赤になり、車の往来が激しくなったのを確認してから、お礼を言い立ち去る、ただ道を尋ねてきた普通の中学生、そう見せかけた。周りにばれないように回り込み、後ろから突き飛ばしたのは痛快だった。
「おまえ、このファイトクラブで待っていて、怖くはなかったのかよ」エドガーが眉をひそめる。
「怖い?」
「俺が物騒な仕事をしていたのは知っていたんだろ。こうして銃を持っている可能性は高かった。今だって、タイミングが違えば、俺がお前を撃っていた」
「どうだろう」実際に、メイルは、どうだろうと思った。恐怖を感じてはいなかった。緊張はあった。ゲームがうまくいくかどうかの、興奮と緊張だ。「でも、おじさんがすぐに撃ったり、ナイフで刺したりはしないと思ったから」
「どうしてだ」
「おじさんの、僕への怒りはそんなもんじゃ済まないからだよ」メイルは肩をすくめる。
「不意をついて、撃ち殺して、はいおしまい、じゃ納得できないはず。せめて、僕を脅して、怖がらせて、わんわん泣かせて、謝らせてから、じゃないかな」
エドガーは否定も肯定もしない。大人が黙るときは大抵、こちらの意見が正しいのだ。
「だから、こっちが先手を取れば大丈夫だと思ったんだ」とリュックの中から、自家製のスタンガンを取り出す。
「そんなに電気ショックが好きなら電気屋になれよ」
「おじさんは、昔、物騒な仕事をしていた時、どれくらい人を殺したことがあるの?」
テレビのボリュームを少し下げ、エドガーに向き直る。
エドガーは充血した目で、まさにその瞼で噛みつかんばかりだった。ああ、これはもう少ししたら、手足が動かない状態にもかかわらず飛び掛かってくるぞ、と想像できた。
「僕もあるんだよ」とメイルは話す。「十歳の時が最初だったんだ。一人ね。で、それから三年で、さらに九人。全部で十人。これは標準からすると多いの?少ないの?」
エドガーの目が少し驚きの色を帯びる。これくらいのことでびっくりしてどうするのだ、とメイルはまた幻滅する。
「ちなみに、勘違いしないでほしいから言うけど、僕が自分でやったのは一人だけだからね」
「何だよそれは」
「自分の手で罪を犯すのは馬鹿げてる。そうでしょ。僕がそういう愚かな人間の一人だと勘違いされたくないじゃん」
「どういうこだわりだよ」エドガーが顔をしかめた。
「一人目は」とメイルは話をする。
メイルが小学四年生だった頃、学校から家に帰った後で、徒歩で買い物に出かけた。大型書店で欲しかった本を購入し、その帰り道、一台の外国の車が目に留まった。車にはエンジンがかかっており車内で運転手は座席を倒し死んだように眠っていた。メイルが気になったのは駐車された車からゆっくりと広がっていた水たまりだった。最近雨など降っていなかったのになぜ水溜りがあるのかと考えたところで、すぐに、エンジンから油が漏れているのかと思い至った。危険な状態だとは思ったがわざわざ睡眠中の運転手を起こしてまで危険を伝えるのも煩わしく、また先ほど購入した本を早く読みたかったため、特に何もせず通り過ぎた。
メイルが車を通り過ぎてすぐ、自転車に乗った高齢のおじさん、おじいさんと言った方が正しい男とすれ違った。そのおじいさんは自転車に乗りながら煙草を咥えていた。あの火がもし油についたら爆発するのではないかと思い至ったのはおじいさんが通り過ぎてから数分経ってからだった。急いで車まで戻りやはり油が漏れている旨を運転手に伝えようと思ったんだ。驚いたことに、油溜りの近くに火のついた吸い殻が捨てられていた。すぐに火を消そうと考えたが何かのミスで火を消すことに失敗し、自分も爆発に巻き込まれるのではないかと、すぐにその場を離れた。その数秒後大きな爆発音とともに火柱が立った。男は焼死した。
「僕はその時に二つのことを知ったんだ」
「勇気があれば、人を救えたのにってか」エドガーが言う。
「一つはね、やり方にさえ気を配れば、人を殺しても罰せられないのでは、ってこと。実際、その火災事故は、ごく普通の放火事件として処理されて、僕が助けなかったことなんてまったく誰も気にしなかった」
「まあ、だろうな」
「で、もう一つは、僕のせいで誰かが死んでも、僕は全く落ち込まない、ってこと」
「そいつはめでたいな」
「それからだよ。人を殺すことに興味を持ちはじめたんだ。誰かの命を奪うこととか、命を奪った誰かの反応とか、そういうことに」
「自分は他の人が考えないような恐ろしいことが出来るって言いたいのか、はっ、そんなのはな、誰でも一度は通る思春期みたいなもんなんだよ、何にも凄くなんかねえぞ、子供が教師に向かってさも意味ありげにどうして人を殺しちゃいけないのっていうようなもんだ」
「どうして人を殺しちゃいけないの」メイルはエドガーに言われたから聞いたのではなくこの質問について前々から考えていた。どうして人を殺してはいけないのか、その答えを論理立てて納得のいく答えを提示できる大人に出会ってみたかった。しかしこの男からは、大した意見は得られないだろうと予想がつく。大方、別に人を殺してもいいと俺は思う。ただし俺の親類、家族にその被害が及ぶなら許さないといった回答だろう。
自分が口走った質問をされエドガーはキョトンとしたかと思うと口角を上げて「俺は別に人は殺してもいいと思うぜ」とにやけた。「だたし、俺の家族に手を出すなら容赦しねえけどな」
メイルは大きく幻滅の溜め息を吐く。
「どうした。驚いてしょんべんちびりそうになったか」
「予想通りの答えすぎて呆れたんだよ」メイルは正直に言う。「さっきの話の続きだけどね、とにかく僕はね、それから色々試してみることにしたんだよ。まずは、自分でもう少し、直接的に人を殺してみることにして」
「それが、自分で手を下した一人ってやつか」
「そうそう」
「おまえのそういう自由研究のために、を突き飛ばしたのかよ」エドガーの声は大きくはないものの、喉をぎゅっと絞り、血を滲ませるような、ひりひりとした調子だった。
「違うよ、おじさんの娘さんはさ急いでたんじゃないかな。カリカリしちゃって。道を尋ねたら義務感から答えてはくれたけど、投げやりだったもん。僕が、ここは交通量が多くて危ないですね、って教えてあげたのに、気にもしないで道路に出ちゃうんだもん。だから走ってる車のブレーキが間に合わなくて轢かれるんだよ。気づいたら轢かれてるんだもん。びっくりしちゃったよ」
「おまえが、おまえたちが突き飛ばしたんだろうが」
「人を道路に!」メイルは両手を口に当て、おぞましい想像に悲鳴をこらえる、という大袈裟な仕草をした。「そんなひどいこと、僕たちがするわけがないよ考えたこともなかった。大人って残酷ですね」
「おまえ、殺すぞ」エドガーは両足首が固定されているにもかかわらず、その場で立ち上がり、口で噛みつこうとしてきた。
メイルは両手を前に出し、「おじさん、ストップ。これから大事なこと言うから、聞いて、聞いて。おじさんの娘さんの命が関係することなんだからね。ちょっと大人しくして」と落ち着いた言い方をする。
エドガーは鼻の穴を膨らませ、興奮状態にあったが、メイルの言った、「娘の命」という台詞が気にかかったのか、尻を座席につけた。
ちょうど後方から人が来ることが分かった。他の観戦客のようで、この席の横を通るようだ。エドガーもそちらに注目していた。
「おじさん、あの歩いてくる女の人に、変なこと言ったら駄目だからね」
「変なことって何だよ。付き合ってくれ、とかか」
「助けてくれとかそういうことだよ」
「言われたくなければ、口を塞げよ」
「そうしちゃったら意味がないんだ」
「何でだよ。何の意味がねえんだ?」
「口が使えるのに、助けが求められるのに、でもできない。そういう無力感を味わってほしいんだから。口を塞いだら、意味がないよ。『やれるのにできない』っていうもどかしさを、僕は見たいんだから」
エドガーの目に初めて、今までと違う色が浮かんだ。軽蔑と怯えが混ざったかのような、ようするに、不気味な毒虫を発見した感覚なのだろう。ただ、そこで自分の恐れを隠すかのように、わざとらしく笑った。「悪いけどな、やっちゃ駄目と言われれば言われるほどやっちゃうのが俺の人生なんだよ。それで今まで生きてきたわけだ。だから、あの姉ちゃんに抱きついて、『この中学生をどうにかして』って泣きついてやるよ。お前が嫌がるなら、絶対にそうしてやるからよ」
そうしてこの中年男はこうも強気なのか。手足を拘束され、武器を奪われ、力関係がはっきりしているにもかかわらず、なぜ、偉そうな、さも格下の人間を相手にするかのような態度を崩さないのか。おそらくその根拠といえば、彼が年長であるという一点しかないのだ。中学生に比べ、自分の方が何十年か長く生きている、というその事実だけだ! 同情を感じずにはいられなかった。不毛な時間を何百日、長く生きたところで何を得られたというのか。
「おじさん、分かりやすく簡単に言うよ。おじさんがここで僕の言うことを聞かなかったり、もしくは、僕に何かあったらね、危ないのは、病院にいるおじさんの娘さんなんだよ」
エドガーは黙る。
心地よさと落胆が、メイルに滲む。相手が戸惑う姿を見るのはいつだって気味がいい。
「おじさんが知ってる街の病院の近くで、待機している人がいるんだ。おじさんの娘さんがいる病院の近くだよ」
「近くってどこだ」
「病院の中かもしれない。とにかく、すぐに仕事ができるように待っている」
「仕事?」
「僕と連絡が出来なくなったら、その人が仕事をする」
エドガーが不快感を露骨に顔に出す。「連絡がつかなくなったら、って何だよ」
「大体30分おきかな、定期的に僕に電話をかけてくることになっているんだ。僕が無事かどうかを確かめる。もし電話に出なかったり、異常が分かったら」
「誰だよそいつは。お前の仲間か」
「違うよ。さっきも言ったけど、人はいろいろな欲求で動くんだ。女が好きな人もいるし、お金が欲しい人もいる。びっくりすることに、本当に善悪の判断が狂っちゃって、何でも引き受ける大人もいるんだ」
「そんな小間使いに何ができる」
「その人、昔、医療機器を扱う会社に勤めてたんだって。だから、病院に入って、おじさんの娘さんと繋がっている大事な機器に悪さをするのもできなくは無いらしいんだ」
「できなくはない、とか何だよそれは。そんなことが出来るわけねえだろうが」
「できるかどうかはやってみないと。さっっきも言った通り、病院の近くで、待機してるからね。仕事のゴーサインが出るのを待ってるんだ。電話をかけて、『仕事をしてください』と僕が言ったらゴーサイン。それにね、三十分おきの定期連絡以外でも、彼が電話をかけてきて、十回以上コールして僕が電話に出なかったら、それも、ゴーサインってことになってるんだよ。そうなったらその小間使いさんは病院に行って、おじさんの娘さんの呼吸器をいじくるよ」
「何だよその勝手なルールは。ゴーサインだらけじゃねえか。だいだい、圏外だったらどうするんだよ」
「最近はどこも電波塔が設置されてるから、多分電話がつながらないってことはないと思うけど、でも圏外にならないようにお祈りしておいた方がいいよ。とにかく、おじさんが今、変な行動を取ったら、僕はその小間使いさんからの電話には出ないことにするよ。ここを出て、本屋にでも行って立ち読みでもして、二時間くらい時間を潰す。そして、僕が本屋から出たころには、おじさんの娘さんは医療機器の故障とかで大変なことになってると思うよ」
おまえふざけるんじゃねえぞ、とエドガーは睨んでくる。
「ふざけていないって。僕はいつも真面目にやってるんだ。ふざけているのはおじさんのほうじゃないかな」
エドガーは感情を爆発させる寸前で、鼻の穴を大きく膨らませたが、どうすることもできないとようやく了解したのか、体から力を抜き、座席にもたれた。通りかかった女性をメイルはわざと呼び止め、テレビの操作方法を聞く。隣で口をつぐみ、憤りで顔を赤くするエドガーを見ていると、心地よくて仕方がなかった。
「僕の携帯電話が鳴ったら、おじさんも気にしてね。十回コール以内に出なかったら、まずいんだから」




