困惑 ーフーガ
目を開けると知らない天井が朧げに映った。次第に輪郭を取り戻し遅れてそれが天井だとわかる。
「は?、どこだここ、痛っ」首筋に電撃のような痺れが走った。堪らずフーガは手で痛みの元を押える。
少し我慢すると痛みは引き、止めていた息を吐き出せた。周りを見渡すとどうやら民宿のようだった。
しかし置いてある物や室内が現代的ではない。中世ヨーロッパが舞台の映画に出てきそうな石工造りで蜘蛛の巣のようなマークが飾られていた。フーガはどこか宗教染みたものを感じ、気味悪りいなと呟く。
ふと、横にある机を見ると朝食が置いてあった。ロールパンにバター、ベーコン、卵焼き、スープ。オーソドックスなメニューだった。その横にはナイフとフォークが並んでいる。ナイフを見て反射的に内ポケットに入れていた銃に手を伸ばした。銃がない。最後に銃に触れたのはいつだったかと考えるも頭がぼんやりして思い出せない。とりあえず置いてあったナイフを手に取り袖にしまった。
状況がわからない以上武器は必須だと思った。大体、状況がわからない時というのは限りなく最悪に近い。フーガは今までの仕事の経験上そう考えるのが正しいと結論付けていた。ほとんどの確率でありえない事態に巻き込まれていることが多かったからだ。以前引き受けた、人の後をつけて住所を特定する簡単な仕事も終わって帰ってみたら家が荒らされてた。あの時の犯人は結局依頼主だったが、その背景には昔世話になった同業者も絡んでいて大変だった。あれ以来何か訳のわからない状況に陥った時は最悪のケースを想定して行動する。そう決めていた。
ここでの最悪のケースは何だろうかと考えるも頭痛が酷く考えがまとまらない。
なぜこんなところにいるのか、フーガにはさっぱりわからなかった。
鍵を開け、しまっていた窓を開くと眼下にレンガで出来た大通りが見えた。正面には似たような造りの家が横に連なって並んでいる。身を乗り出し、大通りの先を見ると広い空間に大きな噴水とそれを周るように人と馬車のようなものが忙しそうに行きかい活気があった。
「なんだこれ、一体どうなってんだ」
暫く街並みを眺めながらフーガは考える。どうして自分はこんなところにいるのか。必死に最後の記憶を手繰り寄せる。が、思い出せない。眼前には人が左右に忙しく流れていく。人の流れとしては右が多いかとぼんやり思う。まるで川を泳ぐ魚みたいだなとフーガは思った。
その時なんとなく最近人ごみの中を歩いたような記憶が浮かび上がってきた。それは自分が大きな流れの中を大急ぎで逆走している様子だった。あれはどうしてあんなに焦っていたのか。そこまで思い至ったところでようやくハカセを殺した犯人を取り逃がしたことを思い出した。
「やばい、早く戻ってユーリにこのことを知らせねえといけねえ飛行機の搭乗時間まで時間がない」
時間を確認しようと左腕を見るも時計はない。代わりに携帯電話を取り出そうポケットに手を伸ばすも何も入っていなかった。何か違和感を感じ自分の着ている服を見てみると空港にいた時とは全く違う服装だった。どうして今まで気がづかなかったのかと自分で驚く。さすがののび太君でもこれには自分より早く気が付いたのではないかと思い少し口角が緩んだ。
取りあえず外に出て情報を集めようと振り返った瞬間、視界の端に鋭い眼光を感じた。身体は反射的に臨戦態勢なり、視線の源泉を探る。
「見たところ、お前はこの国の者ではないな。何者だ。目的を言え」
ベッドの脇、柱で陰になっていた所に若い男がいた。背はそれほど高くはないが色白で凛とした目を持ちスラっとした立ち振る舞いであったため威圧感を感じさせた。
「お前こそ誰だ、急に現れるなよびっくりするじゃねえか」相手には明らかに敵意がある。
フーガはゆっくりと半身になりながら袖に隠していたナイフをいつでも取り出せるように準備をする。
「小学校で習わなかったのか。『人を後ろから驚かせてはいけません』ってな。だいたい人に物を尋ねるときは自分からだろうがそんなことも知らないのか」相手には武器を構える様子はない。しかし自分が持っていた拳銃がなかったことを考えると奪われた可能性が高い。
「名乗れだと、どういうことだ、お前は私を狙ってここに現れたのではないのか。ならなぜ、私を霊体化し自身に束縛する必要があった、答えろ」
フーガは相手が何を言っているのかまるで理解できなかった。とりあえず無視し、この場を自分に有利なものにした方がいいと判断する。相手も自分も武器を構えていない。つまりまだ、ギリギリ五分の状況だ。武器で優位を掴んだ瞬間、その場を支配できる。
フーガは袖に隠していたナイフを掴み、相手の懐へ走りこんだ、相手の脇腹めがけてナイフを突き立てる。銃を構える余裕も与えない、電光石火の攻撃だった。フーガ自身、確実に致命傷を与えられると確信していた。
しかし、その突進は男を通り抜け壁に突き刺さる。バランスを崩したフーガは勢いよく壁に叩きつけられた。目を白黒とし、天地の所在を仰いでいる最中、撃たれると思い、顔を両手で覆い、防御の姿勢を取る。
銃声はなかった。腕の隙間からゆっくり目を開けると、目を大きく開きあっけに取られている男の姿があった。
「…貴様の国の初等教育では『ナイフで突進してはならない』と教えられていないようだな」と男は言った。
相手が拳銃を持っていない様子を見てフーガは全くの見当違いをしていたことに気づいた。先程まで怯えた姿勢を取っていた自分が恥ずかしくなりつい大声が出る。
「何で体がすり抜けるんだ!!答えろ!!お前は何者だ!!」
「…私はバイゼンベルグ王国、国軍中将リオン・デル・オルバート。軍人だ」
「…軍人?」軍人って言ったか今、それにハイゼンベルグ王国なんて聞いたことがねえな。
「名は何というんだ」リオンが続けて尋ねてきた。どうやら敵意は無いらしい。フーガは足を組みなおし胡坐をかいた。壁を見ると先ほど自分で突き刺したナイフが刺さっていたので引く抜き袖に隠す。
「…そうだな、俺の名前はフーガ・フォン・ティガレックスだ。かっこいい名前だろ、今考えたんだ」フーガは足を組みなおし胡坐をかく。
「ふざけているのか」生真面目にリオンは訊ねる。
「冗談だ。つっても半分は本当だけどな、フーガが名前で苗字は捨てたんだ、親がクズだったからな、昼間っから酒は飲むし子供がいるっつーのに愛人連れ込んでよろしくやっちゃってるしで、最悪の環境だったからな抜け出して一人で生きてんだよ。一人で育って来たんだから苗字を背負ってやる義理もねえからな」
「それでティガレックスか、別にいいがティガレックスの家名を背負うのも相当に重いと思うが」
「まるでティガレックス家が存在するみたいに言うじゃねえか」
「知らずに名乗っていたのか、まさかとは思うがリオレウス家、ディアボロス家、ナルガクルガ家も知らないのか」
「おい、真面目そうな男がおかしなこと言っても何にも笑えねえっつうの、何のつもりだ」
「待て、何を言っている、リオレウス家もディアボロス家もナルガクルガ家もティガレックス家も全て存在する。この四つの家系は代々国を大きく支えてくれている血筋のものたちだ、その家系の男はほぼ全員国家軍人として活躍している」
「本当にあるのかよ、それはそれで全然面白くないな」フーガは口を尖らせて言い捨てた。
「ティガレックス家は王直属の家系で四つの家系の中では最も位が高い。それ故にその名を持つものはある程度の自負と誇りを持っている」
「で、ここはどこだ」とフーガがリオンに尋ねた時、階段をすごい勢いで昇る音が聞こえ、扉の前で止まったかと思ったら、大きな音と一緒に蹴破られた。
「誰だ」と言いながら、小柄のくりくりとした目をした女の子が入ってきた。
キョトンとするフーガと目が合うと女の子の体が一瞬輝いた。なんで光ってるんだと思った時には胸倉を捕まれていた。胸倉を捕まれていると気づいた時には椅子に投げ飛ばされ、後回りをするように椅子ごと倒れた。何とか起き上がろうとするもいつの間にか縄のようなもので椅子に縛り付けられておりじたばたと動くことしかできない。
女はフーガが縛りつけられた椅子を片手で持ち上げ、起こした。足を机の上に乗せ思い切りにらみつける。
「お前は何者だ、リオン閣下をどこにやった」女はフーガに尋ねる。女の目は殺気を帯びていた。
「待て、何のことだ、事情を聴きたいのはこっちだ」事情を呑み込めないフーガは困惑した。
「とぼけるな、遺跡でリオン閣下がいなくなり、リオン閣下の上着に包まれた状態で失神していたお前が何も知らない訳がないだろうが。失神したお前を遺跡からここまで運んでやったのは私なんだぞ。子供だからって容赦はしない、とっととリオン閣下がどこにいるのか教えたらどうだ」女はフーガの髪の毛を思い切り掴んだ。フーガの顔は痛みに耐えられず少し歪む。
「知るかよ、訳の分からねえこと言いやがって俺のどこが子供だっつーんだ、あとリオンとかいう奴なら後ろにいるじゃねえか、リオンこの状況を何とかしてくれねえか、こいつお前の部下かなんかだろ」
その言葉に驚いたリンはフーガを放し後ろを向いた。
フーガもリオンの方を向くとリオンはゆっくりと首を振っている。ふざけるな、どうにもならないとでも言いたいのかと腹が立った。
「貴様、ふざけたことを言いやがって、誰もいないではないか、私を騙したな」女はもう一度フーガの髪を掴み上げた。
訳の分からないことばかり言う女にさすがに腹が立ち、フーガは「ふざけてんのはお・ま・え・だろうが」と思い切りヘッドバットを喰らわせた。
女が吹っ飛んでいる隙に椅子に縛られている縄を解き、腕を縛っている縄をナイフで切った。窓へ走り顔に当たらないように防御しながら突っ込むと、窓は割れ屋根に出る。屋根を伝って急いで部屋を離れた。すると、後ろから建物が破壊されるような大きな音がした。
砂煙が舞い、その中に女の影が見える。フーガはすかさず、その陰に向かって思い切りナイフを投げつけた。それは女が砂煙から出ようとした瞬間を狙った死角からの攻撃だった。しかしギリギリのところで避けられる。しかしそのおかげか女はまだ、砂煙から先に出ることが出来ていない。出てくる前に屋根を降り路地裏に隠れながら移動することにした。これで見失うはずだとフーガは思った。