二人の殺し屋 -フーガとユーリ
もうすぐ着くぞ、通路側に座るユーリは、窓際に座るフーガに声をかけた。名鉄名古屋本線中部国際空港行、ミュースカイと呼ばれる特別車両の二号車、十列目、三人掛けの座席だ。ゲーム機をいじっていたフーガは、「待て待て待て待て、やめてくれ、違う。うぉ」とぼそぼそ言っている。それからゲーム画面を止めてこちらを向き、「なんだって?」と眉をひそめる。寝癖なのか整えているのか、長めの髪は獅子の毛のようでもある。一重瞼の目と不服そうな口の歪みは、仕事に倦み、何をやるにも億劫に感じるフーガの性格の表れにも見え、性格が先か外見が先か、とユーリはぼんやり考える。「もうすぐ、空港に、到着するぞ、少しは準備したらどうだ」と窓際のフーガに指を向けた。
「あー、わかったよ。これが終わったらな」
「終わったらなじゃない。今すぐにだ。だいたい、仕事中に遊ぶな。こいつに何かあったらどうするつもりだ」ユーリは席の真ん中、ユーリとフーガに挟まれて座る若い研究者を指差して言った。歳は二十台中盤、平均的な身長と体つきをしており、研究者であると予め聞かされていないとただの大学生にしか見えなかった。ユーリとフーガはその研究者らしくない見た目をからかって、反対にハカセと呼んでいる。ハカセは鞄から取り出した大量の紙の資料を喰い入るように見つめていた。
「だいじょーぶだよなーハカセ。こんな仕事に駆り出されるような不遇で真面目な奴がこれ以上不遇な目に合うはずがねえ。第一、俺とユーリが左右をがっちり固めてんだ。ティガレックスだって突っ込んでこねえよ」フーガはハカセの首を絞めながらユーリに返答した。
「放してください」ハカセは顔を歪ませながらフーガの腕を振りほどこうともがく。
「ティガレックスが何なのかは知らないが仕事は仕事だ。俺たちはアマチュアじゃないプロだ。プロフェッショナル。絶対に失敗はできない。今回は特に、だ、気を抜くな、とにかく二人ともとっとと準備しろ。」
フーガは顔をしかめ。何か言い返そうと口をもごもごさせるが観念したのか「失敗なんかするわけねえだろこのフーガ様が。こいつが自殺でもしねえ限り大丈夫だっての」と言いつつも、ゲームの電源を切った。
「というかな、だいたいお前んとこのボスが恐すぎなのが悪いんだよ。失敗したやつに厳しすぎる。もっと懐のでかさが無いと部下はビビッて育たねえぞ」フーガは自分で歪ませたハカセの襟を直しながら言う。「ハカセはあの話知ってるか。約束の時間に五分遅刻した女の話。指揮官様が腕を切り落とさせたって話。指じゃないぞ。腕だ。」
「しかも五時間じゃない、五分だ」ユーリも口調を合わせてその恐ろしさを強調した。
「知ってます」
「知っているのか。やっぱり同じ組織の人間には甘いのか」ユーリは呆れる。
「そうですね、信じられないようなポカをしない限りは腕を切り落とされたりはしません。ただミスをすると今の僕みたいに危険な仕事に駆り出されるようになります。」
ユーリは反射的に何をやらかしたか気になり、何をしたんだと口から出そうになった時、フーガが「何やったんだ」と口にした。開いた口をそのまま閉じる。
「ヒッター指揮官の娘さんを抱いたんです。娘さんだって知らずにクラブで出会って酔った勢いでそのまま」
「そのまま夜の街に溶けちまったか」フーガは腹を抱えて笑う。
「そうしたら、日本の研究室を襲う強盗に抜擢されたわけか。合理的だな」ユーリも思わず顔を歪ませてしまう。ハカセとはたった一日の付き合いだったがユーリはハカセのことを真面目で面白みがなく取り柄が物理学しかなかったために研究の道を志すしかなかった、よく目にする冴えない若者の一人だと思い込んでいたため、そのギャップがたまらなかった。ヒッター指揮官殿としても危ない仕事に派遣する部下の選定といら立ちの種が同時に処理できて今頃コーヒーの香りでも楽しんでいるのだろうとユーリは思った。自分の味方を戦地に送り出すのは心苦しいが自分の娘に手を出した男ならそういった心労とは無縁だろう。
ユーリとフーガの目的はアメリカの極秘組織ベネットの研究チームが行っていた兵器に関する物理学の研究開発の停止とその研究資料の奪取だった。研究開発の停止は研究員の殺害を意味し、その研究資料の奪取には専門知識が必要なため、ハカセがドイツから派遣されてきた。
つまり、ユーリとフーガは二人組のプロの殺し屋で、その仕事は研究員の殺害とハカセを本国まで護衛することだった。
「まあ落ち込むなって、その紙きれとUSB持ち帰えりゃ指揮官様も許してくれるさ。指揮官様の娘の胸とかいうSSレアの胸を揉めたんだ、むしろこの程度で済んでよかったんじゃねえか」フーガはにやつきながら言う。
「だといいんですけどね」
「どうかな、執念深くて性格の悪いヒッターアルグレイ指揮官殿のことだ。研究資料を受け取った瞬間他の殺し屋にお前の殺害を命令するかもしれない」
「そんな」ハカセはその場面が想像できたのか青ざめ、震える。危うい立場の人間をおちょくるのは痛快だった。
「まあつまりだ。お前はもう一度たりともミスはできない。クラブに行くのはもうやめた方がいいと思うぞ」
ユーリとフーガに仕事を依頼したドイツの秘密組織ツヴァイクの指揮官ヒッター・アルグレイは世界中の物理学の論文にくまなく目を通す非常に冷徹で鋭い人間だった。ヒッターはアメリカが自分たちよりも先に新兵器を完成させることを非常に恐れていた。そんな中で、ヒッターは物理論文を読む過程であることに気づいた。それはアメリカの物理学者と日本の物理学者による論文の発表数が大幅に減っていることだった。これはアメリカが従属関係にある日本と極秘裏に共同研究を行うために研究員を軍が引き抜いたからであるという可能性を示唆する。それを見抜いたヒッターは論文数が減少した年から十年分論文を遡り、記載されている共同研究者の情報を一人一人丁寧に記録していった。
その記録から得られた情報は驚くべきことだった。アメリカの著名な物理学者と日本の著名な物理学者同士でことごとく密接に関わりがあり、加えて膨大な量の研究組織とそれぞれの癒着関係を洗いだすとアメリカの秘密組織ベネットの兵器開発チームがアメリカではなく日本の大学病院を隠れ蓑に研究活動を行っていることがわかったのだ。
もちろん、論文だけでその事実にたどり着いた訳ではないと思われるが、この事実を暴き出せたのはヒッターのカミソリのように切れる頭脳と黒々とした執念深さがなせる業だったのは想像に難くなかった。
ユーリはそのような話をこの仕事を仲介した人間から聞いており非常に警戒していたが、フーガは相手が誰だろうとやることは変わらねえと強がっていた。しかし、大好きなゲームを中断する程度には警戒していたようだ。仕事で一番の山場部分自体は相手がただの研究員だったからなのか案外あっけなく終わり、ユーリたちはその帰り道の途中だった。
「もう二度と行ってませんし、行きません」ハカセがそう言い終えると同時にポンという機械音に続いて中部国際空港駅に列車が到着する旨のアナウンスが流れる。
「降りるぞ」ユーリはフーガたちに向けて言った。
―――――
直線の集合にしか見えなかった外の景色が徐々にその輪郭を取り戻していく。電車は大きな揺れを生じながら停止すると大量の空気を吐き出す音と共に扉を開く。時間ぴったりだな。電車を降りながらユーリは感心する。
外で待っていると、少し遅れてフーガとハカセも降りてくる。
長いホームを歩き、改札を抜け空港の受付を目指す。
「どこにあるかさっぱりわからねえな、綺麗なねーちゃんがエスコートしてくれたら楽なのにな」
「見ればわかるだろう、そこを右だ。この程度のことで綺麗なお姉さんの手を煩わせるな」
歩を進めるとANA、JAL、JETSterなど各航空会社ごとに分かれたブースが見えた。
「フーガ、確かチケットを管理してたのはお前だったよな、どこの航空会社だ。」
「ああ。ちょっと待ってろ」フーガは上着の内ポケットを探り封筒を取り出す。「ANAだ」
「そうか、じゃあ俺とハカセは近くの待合室で待っておくから受付を済ませておいてくれ」
「待てよ」
「何だ」
「なんで俺が受付しなきゃいけねーんだやったことねえっつの。大体こういう小難しいことはユーリの仕事だろ」
ユーリは眩暈がした。「全然小難しくない。受付の綺麗なお姉さんにチケットを見せて案内を受けるだけだ。大体、電車のチケットを手配するのを嫌がって俺は航空券を管理するからやってきてくれと言ったのはフーガの方だろうが」
「俺は管理するとは言ったが受付をするとは言ってない」
「じゃあ受付してきたらゲームを買ってやるから行ってきてくれないか」
「馬鹿にしてんのか」
「している。受付すらできない大雑把で面倒くさがりなB型の人間だからな」
「B型は関係ないだろ。ユーリ、お前本気でそんなこと言ってると馬鹿にされるぞ、科学的根拠なんかないんだからな」
「そうだな。B型かどうかは関係ないお前自身が面倒くさがりで大雑把なのが悪い」
「じゃあ俺たちは向こうで待ってるからな。」ユーリはハカセの背中を押しながらフーガから離れた。「あっ、おい。何がじゃあなんだ。全然つながってねえじゃねえか。」後ろからフーガの抗議の声が聞こえたが無視した。
―――――
「よかったんですか、あんなに強引に押し付けてしまって」
休憩所に向かう途中ハカセが話しかけてきた。
「あれくらいやってもらわないとやっていられない。ハカセだって強引にこの仕事を押し付けられているだろう、押し付けられるのにはそれなりの理由があるんだよ。押し付けられる側もそれをわかっているから成立する。ハカセは娘さんを抱いたから、フーガは日頃からサボるから、その報いだ」
「ユーリさんが面倒臭いからじゃないんですか}
「それもある」
「そういえば、お前は今、この面倒な仕事を仕方なくやっているが断わったことのあるやつとかはいないのか」
「部下ではまずいないですね。僕が知っているのは武器の製造に関する取引で相手の工場長に断られた時のことですね」
「どんな取引だったんだ」
「足です」
「何の話だ」
唐突な文脈の変化にユーリは戸惑う。
「工場長は足を失いました」
ユーリはほんの少しの間だけ言葉を失ったがそれは自分たちにもそうなる可能性があったからだ。
「朝、起きたら両足が切り落とされていたそうです。おそらく強力な睡眠薬で眠らされている間に切り落としておいたのでしょう。わざわざ絶望感を演出するためだけにそこまでするのはさすがに僕も吐き気がしました」
「失敗はしない方がいいってことが幼稚園児にも伝わりそうだな」
休憩所に着くと、席は思っていたよりも閑散としており二人とも椅子に腰掛けることが出来た。
しばらくフーガを待っていると後ろから扉を乱暴に開く音がした。
「ユーリちょっといいか」そう言いながら明らかに血の気の引いたフーガが帰ってきた。
「早かったな、どうかしたのか」そう口にした時点でおおよその見当はついていた。
「ユーリ、飛行機に乗れなくなった」
やっぱりなとユーリは心の中で呟く。フーガが改まって真面目な顔をして話すときはロクな知らせが来ないことをユーリは体感的に知っていた。
「どういうことなんだ、航空券は持っていただろう。それでどうして乗れなくなる」
「間に合わなかったんだよ、申し訳ございません、搭乗手続きは最低30分前までにして頂くことになっております。だとよ、ありえねえだろ」
ユーリは瞬間的に頭に昇る血を隣に座るハカセを肘で殴ることで冷静さを保つ。ハカセは隣で呻いている。
「ありえないのは、お前の時間感覚だ。飛行機が電車の乗り換えみたいに乗れるとでも思ったのか。これだからB型は」
「だから、B型は関係ねえだろ」
「そうだな、B型は関係ない。これはお前の無能さが災いした結果だ」
電子音と振動と共にユーリの持つ携帯電話が鳴る。反射的にユーリは舌打ちする。ヒッター指揮官からだ。空港に着いたら電話する手筈になっていた。要するに信用されていないのだ。
「ヒッターからの電話だ。ちょっと出てくるから待っていろ」
「なんて説明するんだ」フーガは不安そうに聞いてきた。
「とりあえず、順調にうまくいっている。あとは帰るだけだと伝える。どうするかは電話が済んでからだ」
「わかった。頑張って嘘ついて来いよ。嘘つくの得意だろユーリなら出来る」
「別に得意なわけじゃない、勝手に勘違いされるだけだ」
両方のコブシを胸の前に持ってきて頑張れのポーズをするフーガにそう言い残すとユーリは休憩所を出た。人通りの少ない通路の端まで行き電話をとった。
「順調か」
野太いいかにも指揮官といった声が電話口から聞こえてきた。
ユーリはヒッター指揮官に研究者を全て殺害したこと、データを奪ったこと、ハカセが無事なことを簡潔にまとめ伝えた。
「そうか、では後は、飛行機で帰ってくるだけだな」
「ヒッター指揮官殿は報酬の準備でもしてゆっくりお待ちください」
「わかった、用意しておこう。あと到着予定のアルクベルヌーイ空港にも迎えの者を送っておく。だが、くれぐれも失敗しないように、どうなるかは知っているはずだな」
「私たちは失敗したことがないのでわかりませんね」
電話越しにもヒッターが微笑むのがわかった。
「では宜しく頼む」
電話が切れた。
お前はオフィスで腕を組んでいるだけだろうがと言いたかったが印象を悪くするだけなので口にはしなかった。
持っていた携帯電話をポケットにしまい、休憩所に戻ろうと振り向くと目の前にフーガが立っていた。自分と同じ背丈で似た背格好であるため自分の悪い所が膨れ上がって現れた分身かと驚き、思わず手が出そうになった。
「おいおい、何する気だよ。良い案持ってきてやったのに」
「おれの経験では良い案だと言って持ってきた案が良かった試しがない」
「それはお前の経験だろ、俺の経験では良かった試ししかない」
「わかったから話してみろ」
「さっきなお前が電話で席を立った後、やっぱりどうにかならねえかなと思ってもう一回受付に行ったんだ。そしたらビジネスクラスだが、三席ドイツに同じ時刻に着ける飛行機があった」
「それは空港は同じなのか。ヒッターには到着する空港と時間が伝えてある。何人もの部下が迎えに来てくれることになっているがどうなんだ」
「空港は違ったんだ。だから俺も駄目だなと思ったんだけどよ、よく聞いてみたらそこの空港名がアイルベルヌーイ空港だったんだ」
空港の名前を聞いた瞬間ユーリにもフーガが何を言いたいかがわかってきた。
「なるほど、向こうが聞き間違えたことにするのか」
「ご明察。さっすがユーリちゃん」
ユーリたちがもともと到着予定だったアルクベルヌーイ空港とアイルベルヌーイ空港は二文字しか違わないため、向こうが聞き間違えたと思ってもらえれば、もしかしたらミスとしてカウントされないのではないか。
「悪くないかもしれない」
「だろ、天才的だろ。俺は諦めの悪い狩人だからな、どんな致命傷を受けても三回死ぬまでは諦めねーんだよ」フーガは鼻膨らませながらどうだ、俺の案は完璧だろうと言いたげだった。
おれは席を取ってくる。ユーリちゃんはおとなしくハカセと一緒に休憩所で待ってな。そう言うと、フーガは受付に向かった。
フーガと別れたユーリは通路から休憩所に戻りハカセのいる座席へ向かった。
座席ではハカセが俯いてぐったりと体を傾けていた。おそらく夜遅くからここまで緊張状態を続け、データの解析を行ってきたから疲れて眠ってしまったのだろう。
などとユーリは思わなかった。
そう来たか。跳ねる心臓を押えながらハカセの首筋に手をかざした。脈がなかった。
ほらな、フーガ、自殺じゃなくてもハカセ、死んでるじゃないか。
ユーリはそっとハカセの隣に座った。
―――――
少し時間は遡り、フーガはユーリに背を向け、受付に向かって歩き出していた。
おれは席を取ってくる。ユーリちゃんはおとなしくハカセと一緒に休憩所で待ってな。
ユーリにそう伝えたフーガの心は晴れやかだった。自分の提案した案でピンチを切り抜けられる。心臓や肺を締め付けられる感覚から解放される思いだった。
が、フーガはすぐに考え直した。まだ席が確保できたわけじゃない。もし席が一つでも埋まってしまっていたら全て水の泡だ。
少し息を上げてフーガは受付に到着した。席はまだ空いており、無事に席を手に入れることが出来た。
「あと十分ほどで搭乗手続きの時間になります。時間になりましたらあちらの入り口にてチケットをご提示ください」
受付スタッフが手を向けた方向には若干の人だかりとスタッフらしき人物と荷物検査などを行うための部屋への入り口が見て取れた。
「あそこで体を弄られちゃう訳ね」
ありがとな、と受付のお姉さんに伝えチケットを受け取りフーガは再びユーリとハカセのもとに向かう。
まるで吉報を持ち帰る飛脚の気分だな。
「飛脚、飛脚」フーガは語感を気に入りついつぶやきながら歩いてしまう。
「面白かったねー」少し前を歩いていた女子大生らしき二人組のうちの一人がもう一人に話しかけていた。いかにも活発でお喋りが大好きといった表情で前を歩く。
「後ろからクリームを塗った時の反応面白過ぎたよね。うわって小声で叫んだあと急に下向いて。びっくりしてこっちも逃げちゃったよ」
二人で笑いあうとそのうちの一人が携帯電話の画面をもう一人に見せた。
「見てみて、本当にお金入ってる。このアルバイト楽だし面白いし儲かるし良いことばっかりだね」
少し後ろで歩いていたフーガは次受ける仕事は絶対、楽で面白くて儲かる仕事にしようと強く思った。神様、全然信仰してないけどお願いします。
女子大生たちは改札の方へ曲がり消えていった。フーガはまっすぐに歩きユーリたちのいる休憩所を目指す。
ユーリの背中が見えたところでワゴンを引く作業着を着た男が前からやってきた。歳はそれほどフーガと変わらない。ワゴンには“未体験のもちもち肌へ”とある。
どこかの化粧品会社のキャッチセールスだろう。どことなく負のオーラを感じる。それほど盛況を得られなかったのだろう。おれが殺し屋なんて物騒な仕事をしていなかったらあんな未来もあったのかもしれないなとも感じ、同情心から道を譲る。達者でな、君にもきっとアカルイミライが来るよきっと。
ワゴン男とすれ違うとようやくユーリのいる座席にたどり着いた。
「待たせたな、チケットは取れたぜ。俺に感謝しろよ」
「フーガ、ハカセが殺された」
振り返りざまにフーガを見つけると開口一番ユーリはハカセが殺された旨を伝えてきた。
フーガは状況が呑み込めず、狼狽する。
「何が起こった」
「わからない、外傷がないか見てみたが見当たらない。強いて挙げるなら若干顔が赤いくらいだ」
「なんだそりゃ、じゃあハカセは勝手に死んだっていうのか。まあ死にたくなる失敗をしたのはわからんでもねえけどな、清算できる直前ってのは解せねえな」
そういいながらフーガは席に着くハカセを挟んで隣に座る。ようやく状況が掴めてきた。心臓と肺が重くなってくる。
「フーガさっきの状況を三文字で言うとなんていうかわかるか」
「そりゃまずいじゃねえか」
「ああその通りだ、じゃあ今の状況を六文字でいうと何になると思う」
六文字か、フーガは指を開いては折りたたみブツブツと呟く。
「マジでヤバイだ」
マジでヤバイ、開いた指を全て折りたたんだ後、小指を立てたフーガは六文字だ、と呟いた。
―――――
「なああんたこの辺で騒ぎとか起こってないか知らねえか」
フーガは近くの席に座っていた老夫婦に尋ねた。いきなり視界に入ってきたフーガに夫婦はぎょっとした様子だったが問いかけにすぐに答える。
「いえ、ちょっとわからないですね。私たちはさっきほどここに座ったので」
顔を見合わせながら答える老夫婦は本当に何も知らないといった様子だったのですまなかったなといいフーガは立ち去る。
「やっぱ、ロクな証言はねーな。犯人はあいつであっちにいったよとか教えてくれてもいいじゃねーか」
フーガはユーリに文句を言う。大体犯人がまだこの辺りにいる訳がない。聞き込みをしたところで犯人にたどり着けても搭乗終了時間に間に合う訳がない。
「大体、犯人を見つけたとしてもハカセが殺されてるんじゃ、おれたちも只じゃすまないぞ、任務は成功したんですけどハカセ殺されちゃいました。あと荷物も奪われちゃいましたって伝えるのかそんなのヒッター指揮官じゃなくても激怒するぞ」
「そんなことはわかっている。でもなハカセは殺されちゃいましたけど、犯人を捕まえて荷物を取り返しましたっだったら少しは怒りの矛先を犯人に向けられるかもしれないだろうが」
「さっすがユーリちゃんあったま良い」
「あくまでも応急処置のようなものだ、ペナルティは間違いなくある」
ユーリの深刻そうな顔を見てペナルティを想像したフーガは恐ろしくなり、情報収集で手に入れた情報を精査せずに話してしまう。
「おれが手に入れた情報はこの道をまっすぐ行って右に入ったところにある味仙のラーメンは辛いってことと、明後日そこの広間で北海道フェアが開催されるってことだな」
ユーリの顔色が変わった。今にもふざけるなと言わんばかりの目の圧力を感じ慌てて情報を付け足す。
「あとはな、さっきここで化粧品の移動販売をしてて試供品を配ってたらしいそれくらいだ」
慌てて付け足した情報もしょうもない情報だったことに言ってから気づき恐る恐るユーリの顔色を窺う。
「もしかしたら、それかもしれない」
ユーリの顔は神妙だった。てっきり怒られると思っていたフーガは「何がだよ」と聞かずにはいられなかった。
「さっき、お前が聞き込みに行ってる間おれもこの辺で聞き込みをしていたんだが、ハカセが女子大生に後ろからクリームを塗りたくられていたって聞いてな、それが原因かもしれない」
「どういうことだ、俺にもわかるように説明してくれ」
ユーリの話を呑み込めなかった。どうして女子大生にハカセはクリームを塗られることになる。
「フーガ、あの話を知ってるか。中国の金正男が殺害された話」
「金正男ってあのテクノカット一族の長男だか、次男だかのやつだろ。それがどうかしたのか」
「おれも詳しくは知らないんだが金正男の死因は毒だったらしい、そして本当の犯人はまだ捕まっていないんだ」
「犯人が捕まってないって、一国の政治家が殺害されたのに警察はその犯人を取り逃がしたのか」
「仕方なかったんだ、実行犯は何も知らない女子大生だったからな。いたずらを仕掛けるテレビ番組の撮影のためにこの液体を金正男氏の顔に塗ってきてくださいって頼まれたらしい。その液体自体はよくある化粧品のクリームで女子大生も乗り気でやったんだが、実はその日の朝に金正男氏が付けていた化粧水と化学反応を起こして猛毒に変わり女子大生も金正男氏も死んでしまった」
フーガは鳥肌が立った。っていうことは。
「ということはだ。その女子大生を唆したやつが犯人だ」
フーガは勢いよく立ち上がった。
「やばい、さっき行き違った女子大生だ。もう改札に向かってる。化粧水を販売してたやつは反対側の道を左に曲がっていった。ユーリはそっちを頼む。さっきすれ違ったんだ」
それだけ言い残し、フーガは全力で改札に向かって走り出そうとした。「おいフーガ」とユーリは口にする。フーガは耳だけ傾けた。
「おまえは死ぬなよ」
フーガは少し笑って「フーガ様は絶対死なねえよ。死んでも蘇る。フーガZになるからな」と言いながら走り去った。
いくつもある受付を越え、改札が見えてきた。ポケットからICカードの搭乗券を取り出し、スムーズに改札を抜ける。
電車は出発した瞬間だった。フーガは間に合わなかった。
「何だってんだ、本当に」
息切れしながらフーガはついてねえと呟いた。
息を整え振り返り、来た道を戻ろうと一歩踏み出した瞬間だった。
後頭部に稲妻が貫いたような痛みが走る。「ッ!!」視界は白黒とし、立っていられなくなる。
(『あなたは罰を受けねばなりません。私は、あなたを見定めます』)頭の中に直接言葉が流れ込んできた。痛みでとても対応する余裕はない。膝をつき、横に倒れる。ゆっくりと目は閉じていき薄れゆく意識の中で、何なんだ畜生とだけ言葉が浮かんだ。