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「…ぅう」
明るい日差しが邪魔をする。まだ寝ていたくて布団を顔まで上げた。心地よい温もりに包まれて二度寝の姿勢に入るが、
「ッ!?」
ありえない状況に飛び起きた。
混乱する頭のまま辺りを慌てて見渡す。
ガラス窓から差し込む日の光、古びた部屋に古びた家具、昨日あいつにかけたはずの毛布がオレからずり落ちていた。
そうだ。オレは昨日この屋敷に忍び込んで、不気味な影から逃げるために部屋に飛び込んだんだ。
そして変なガキと出会った。
「そうだ!あいつは」
向かいのソファで寝ていた子どもの姿はない。
一瞬すべてが夢だったのかと思ったが、
「あ、起きた?」
ドアからひょっこり顔を出していた。
「おはよう」
「…おう」
なんとなくムカついてテキトーに返事をした。
「ご飯って言っても八朔しかないけど食べれる?」
「はっさく?」
「これ」
抱えていたカゴ一杯にでかいミカンが入っていた。黄色の皮には傷や黒ずみがあり、形も不ぞろいでお世辞にも美味そうには見えなかった。
「酸っぱいけど食べれるよ」
はい、と言ってひとつ渡され思わず貰ってしまったが、その瞬間さわやかな匂いが鼻をくすぐった。
ミカンなんていつ以来だろうか。いや、そもそも食べたことがあっただろうか。
「うーん…やっぱり酸っぱい」
床に座って一足先に食べているそいつの声に現実に引き戻された。
オレも座り込み、皮をむこうとしたが思いのほか固く力が入った。
それでも中身を取り出し口にする。
「まぁまぁだな」
「ほんと?なら君のは当たりだね」
半分こしない?と聞かれて、しょうがねーなと応じた。確かにこいつのは酸っぱかった。
「それでお前は何なんだ」
ハッサクを2つ3つ食べて腹も膨れてきたので、オレは肝心なことを聞き出そうと口を開いた。
オレと交換したもの以外はすべて酸っぱかったのか、しかめっ面をしながら食べていた子供はきょとんとした表情をした。
「何とは?」
「こんなボロ屋敷にただのガキがひとりでいるわけないだろ」
「自己紹介しろってこと?」
「そうだっつってんだよ」
「なら最初っからそう言ってよ~」
イライラして怒鳴る寸前だったが、こいつの態度は変わらずマイペースだった。
「あたしは…そうだなぁ名前はたくさんあるからなぁ…取り合えず『リン』って呼んで。妹と二人暮らししてたんだけど何か変な事故で此処に飛ばされた上に出られなくなったの。早く帰りたいから良かったら協力してね。はい君の番だよ」
「その前にツッコませろ。名前がたくさんあるってなんだよ。ガキが妹と二人暮らしってヤバいだろ。事故で飛ばされて出れなくなったってどういうことだよ」
自己紹介どころか聞き出すことが増えた。
「名前に関してはそのままの意味だし一番無難だからこの名前を使わせてね。妹はあたしよりしっかりしてるから大丈夫だけど…心配してるだろうから早く帰って安心させたいの…」
ここにきて初めてこいつの暗い顔を見た。
「…事故で飛ばされたってのはどういうことだ?」
「あたし達が住んる家にね空からいきなり大きな鉄の船が落ちてきて、それを止めるために魔法を使ったら魔力が暴走しちゃって、その影響でこの世界に飛ばされたみたい」
「ちょっと待て」
「なに?」
たまらず待ったをかけた。
「オレの聞き間違いか?空から船が落ちてきたとか魔法とか魔力とか世界とか…」
「間違いじゃないよ」
さも当然と言い切るこいつに頭が痛くなってきた。
「お前…頭がおかしいからってここに捨てられたんじゃないのか…?」
「失礼な子だな」
「子ってどう見たってお前のほうがガキじゃねーかよ…」
小学校の低学年くらいにしか見えねぇし、身長もオレの腰くらいしかない。
そんなガキにガキ扱いされて、妄想を聞かされるのがバカらしくなり、さっさとこの屋敷から出て行こう。
そう決意して立ち上がった。
「無自覚か…いや閉ざしているのか…」
「あ?」
「まぁここじゃもう魔法は物語の中にしかないみたいだから、一度実際に体験してもらいましょう」
そう言って、そいつは一冊の黒い本をどこからともなく取り出した。
慣れた手つきでページをめくり、付せんのついた所で止まった。
オレは嫌な予感がして思わず背を向け走り出しそうとしたが、それよりもあいつのほうが早かった。
「さぁお洗濯の時間だよ!」
本から大量の水が飛び出してきた。
朝日を浴びて輝かんばかりだったから、思わず見とれて逃げ遅れた。
これがダメだった。
「グッぅお!?」
頭からプールに飛び込んだかのように、水は容赦なく全身を飲み込んだ。
身体が床から浮き上がり視界はぼやけている。逃げ出そうともがくがムダだった。
怒鳴り散らそうと息を止めることを忘れ、口を開くと当たり前だが水が入ってきた。
さすがに窒息すると気が付きいたが、それ以上におかしなことに気づいてしまった。
息ができる。
水いやちょうどいい温度のお湯の中に全身沈めているのに息ができた。
信じられなくてあいつ、リンを見る。
リンはオレのバッグから財布やケータイを取り出して、同じように水を本から出してはその中にバッグを放り込んだ。
ぼうぜんと眺めているとふいに水が引いていった。
床に足がつくが、立っていられず尻もちをついた。
服はおろか髪の毛一本も濡れてはいなかった。
「うん。きれいになったね」
リンは満足気に笑っていた。
タオルで体を拭くくらいはしていたが、今のを風呂を言うならば、まともに風呂に入ったのは久々だった。
「こっちもお洗濯完了」
バッグからも水が引き、取り出していた財布とケータイを再び入れてソファに戻した。
「どうだった?初めて魔法を体験した感想は?」
無邪気な笑顔にフツフツと怒りが込み上げてくる。
「ふっざけんな!」
オレはガキに掴みかかろうとしたが、さっきの水が壁のように立ち塞がってきた。
「乱暴はやめて」
「乱暴はどっちだ!死ぬかと思ったわ!!」
「あったかいお風呂気持ちよかったでしょ?」
「いきなりあんなんされたら気持ちいいもクソもあるかよ!」
「ならもう一回入る?」
「二度と入るか!」
肩で息をし怒鳴り散らす。
「でも少しはあたしの話受け入れられたんじゃない?」
「…ッ!」
目の前の水の壁、その先に小さな魔女がいる。
それは間違いない。
だったらこいつの話にあった別の世界ってのもありえなくはない。
「あたしの話はしたよ。次は君の番」
水の壁は高さをなくし、そのまま床をはってドアから出て行った。
リンはソファに座り話を待つ。
オレは少しの間迷い、リンの向かいに座った。
「オレはレイジ。お前の言ってたとおり家出中だ」
「学校は?」「中学の途中から行ってねぇよ」
「運動できる?」「昔サッカーしてたな」
「喧嘩できる?」「ヤンキー相手なら勝てるぜ」
「持久走得意?」「知らねー」
「逃げ足速い?」「…そこそこにな」
「これから何処に行くの?」
「どこだっていいだろ!」
「なら何処にでも行ける?」
「どういう意味だ…」
さっきから変な質問ばかりしてくるのにイラつき睨みつける。
「君の行動範囲はこれからどんどん広がっていくから、その為には体力が必要不可欠だからね」
オレのガンをまっすぐに見つめ返し、真面目くさった顔で言い切りやがった。
「けど当面はバイトしてお金を貯めることを目的にしよう。
図書館は丘を下って町中にあるから標識を見たり人に聞きながら辿り着いてね」
「…チッ」
こいつの良いように操られてる気がしてムカついてしょうがなかったが、金がないのは事実なため渋々うなずいた。
「それじゃぁ宜しくね」