6(2章完)
子供の頃、街中に張られたポスターを熱心に見ていたのを覚えている。
『ドリームワールド』という屋内遊園地の宣伝ポスターだった。ジェットコースターやメリーゴーランドで子供たちが楽しそうに遊んでいた。田舎都市のスラム街でド底辺の暮らしを送っていたオレには、まさに夢の世界に思えた。首都にあると書かれたその世界に行くことなんて、夢の中でもありえないと思っていた。
「こんなところにあったのか」
呟きながらドリームワールドと書かれた看板に蹴りを入れ、ルイージ、エンドラと一緒に廃墟の中に入っていく。
ここに来るまでの間に調べたら、オレたちがこの街に来る一年前に経営破綻で潰れたらしい。その後は再開発されることもなく、こうしてスラム街へと飲み込まれていった。
全く、夢の世界は夢の中だけに止めて置いて欲しかった。そうすれば、いつまでもあこがれの世界として大事に取っておける。
しかし、現実は目の前にある廃墟で、中にいるのは楽し気な子供たちではなくて、しけた顔をしたヤクザたちだ。
いや、一人だけやけに嬉しそうにしている奴がいる。アイシャワナとかいう殺人狂だ。今日はハイレグレオタードではなくて、チャイナドレスを着ている。熊型の乗り物に座り、その膝の上にはティノが座っていた。黒い指が、ティノの白い頬を艶めかしく撫でている。
エンドラが今にも飛び出そうという素振りを見せている。気持ちは分かるが、こんな時こそクールに行かなきゃいけない。
「よおマリオ。家庭団欒のところを呼び出して悪かったな」
鎧塚さんはベンチに座っていたが、そのベンチにはこの遊園地のキャラクターが備え付けられており、そのキャラクターと肩を組んで座れるというものだった。それで何か面白いことをやっているつもりかよ。ベンチの後ろには傘木さんが立っていて、油断なく目を光らせている。
「呼び出してもらうのは構わないんですけど、ちょっと荒っぽくないですか?」
言いながら周囲に目を向ける。見える範囲だけでも十人。柱の陰などに隠れている奴もいるだろう。
「悪いとは思ったんだけどな、最近のお前たちは楽しそうにやっているのに、それをオレたちに教えてくれない、しかもオレからの仕事の依頼は断る、だからちょっと意地悪をしたくなったんだ」
いい歳をしたおっさんが、意地悪をしたくなったとか言ってんじゃねえよ。
「それに、ママをいつまで経っても紹介してくれないしな」
呼び出しの電話では「パパとママ揃って迎えに来い」と言っていた。つまりエンドラのことはばれている。しかし、エンドラの正体までがばれているかどうかは分からない。
「それはすみません。でも、オレもそれなりに良い歳なんですから女ができたぐらいで報告しませんよ。結婚するとかなら、きっちり報告させていただきますけどね」
「結婚、結婚だと」
鎧塚が笑う。
「お前、機械人形と結婚するつもりか。浮かれすぎて頭がぼけちまったのか」
ばれていた。しかしそれ以上に、エンドラを機械人形呼ばわりされたことに頭がかっとなった。
その頭を冷やしてくれたのは、意外な人物だった。
「なあ、いつまでさえん遊びをしとるの」
アイシャワナが苛立った顔をしながらティノの頬に黒く塗った爪を立てる。
「退屈で死にそうじゃ。楽しいことしましょ」
プツっと小さく血が出たところで、エンドラが我慢できなくなった。
「放しなさい」
強く言うと、アイシャワナに向かって歩いていく。
「あんた、強いんじゃってね」
アイシャワナはティノを下ろすと嬉しそうに立ち上がり、腰を覆っていたスカートを外し、レオタード姿になった。
「本気で来て欲しいけぇ言うとくけど、わし、オートマタと闘うなぁ初めてじゃない」
言いたいのはオートマタにも勝ったことがあるということだ。しかしエンドラにはそんなことはどうでも良い。ティノが傷つけられた時から、本気の本気だ。
勝負は一瞬でついた。
金属音が幾つか響いてきたのは聞けたので、何度かのやり合いはあったのだろう。しかし気が付いた時には、アイシャワナの身体は建物の外まで飛ばされていた。地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がった後、向かいの建物にぶつかったところで止まった。
中段蹴りを放ったエンドラはそのまま脚を振り上げ、床に踵落としを食らわせた。
轟音と共に穴が開く。巻き上がった土煙の中にエンドラの姿が消えた。オレとルイージも逃げ道を探ったが、鎧塚たちも甘くはなかった。エンドラを警戒しながらも、銃口はしっかりとオレたちに向けられている。
土煙が晴れると、エンドラとティノの姿はなかった。しかしすぐにエンドラが穴から飛び出してきた。下の階にティノを逃がしてきたのだろう。さすがに機転が利くぜ。
「大した女だ。先生がやられるとはな。マリオ、お前が惚れるのも分かるぜ。おっと動くなよ。こいつらの命が大事なんだろ」
鎧塚は銃を抜くと、オレに向ける。
「その眼。良い眼だ。二人ぐらい助けて見せるって眼をしてる。でもな」
鎧塚の合図であちらこちらの物陰から人が現れた。
「マリオ、すまねぇ」
それは鎧塚の部下たちに連れられたグイオたちだった。ジェラルド、フェブラーニ、ロッコ、タブローニ。全員いる。奇襲を行うための工作を行わせていたのだが見つかったのだ。ジェラルドとタブローニは捕まるときに抵抗したのか、顔に酷い傷を負っている。くそが!
ファミリーを傷つけてしまった。
守れなかった。
エンドラを中心にして扇形に人が配置されている。エンドラは目まぐるしく周囲に目を向けている。戦闘シミュレーションをしているのだろうが、これはエンドラの力を持ってしても、全員を助けるのは不可能だと思った。
鎧塚たちを殺すことはできるだろうが、ファミリーの誰かも死ぬ。
エンドラの高性能AIもどうするのが最適なのか決めかねているようだ。
だったら、家長のオレがやるしかない。
ゆっくりと前に出る。手はだらんと下ろす。そのままぶらぶらと歩いていき、鎧塚さんの前で跪いた。
情けない手だが、経験上、これがこの場面では一番最適な手だ。
「失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。鎧塚さんたちにはいつも目をかけてもらっているのに、本当にすみません。今後は、鎧塚さんたちのご指導に従って精進しますので、今回はご勘弁ください」
必死で訴え、頭を下げる。十秒、いや、三十秒程経ってから、鎧塚が口を開いた。
「傘木、どう思う?」
「上りはちゃんと入れています。マリオはこれからもやってくれるでしょう」
「マリオが良くやってくれているのはオレも認める。うちの期待の星だからな。だから上がりを来月から二倍って言っても、快く引き受けてくれると思っている」
畜生、無茶苦茶言いやがって。二倍なんてできるわけないだろ。だったらせめて新山のシマをよこせ!と思うが実際には頭を下げたまま、「もちろんです」と答える。
「後はそうだな……、先生がいなくなっちまったから、代わりにその女を寄こせ」
一番最悪なところをついてきやがったこのバカ!
「お断りします」
全力で断った。鎧塚が口を挟む前に一気に畳みかける。
「鎧塚さんたちがこいつをどんな風に見ているのかは分かりません。ただの機械だって見ているのかもしれません。でも、オレは、オレたちは、こいつをファミリーとして、家族としてうちに引き入れたんです。今や、オレたちの家族として、欠くことのできない大事な一人です。だから、何があっても家族を売る様なことはできません」
「ふふふ。言うじゃねえかマリオ。そうだな、家族は大事だ。思い出したぞ。それをお前に教えたのはオレだったんじゃないか?」
「はい。家族を知らなかったオレに、家族を大事にしろって教えてくれたのは鎧塚さんです」
「そう言われちゃったら仕方がねえな。オレが言ったことをオレが引っ込めるわけにはいかない」
ほら見ろ、これが最適な方法だった。
「指で勘弁してやるよ」
イヤな汗が背筋を一気に流れ落ちていった。跪いているのに、そこからさらに崩れ落ちてしまうような感覚に襲われる。しかしここで倒れるわけにはいかない。もう一歩だ。
「ありがとうございます」
「マリオ!」
「良いんだ」
ルイージに大丈夫だと頷く。しかし指を落とすなんて古典、まだ生きてたんだな。
ナイフを取り出し、左手を開いて地面に置く。情けない、震えてやがる。小指の横にナイフの切っ先を立てる。
こんなのは一気にやっちまった方が良い。幸い思い切りは良い方だ。
「一体どこまで三文芝居が続くのかしら。そんなものはもう見たくないの」
指を切り落とす直前に乱入者が現れたおかげで小指とグッバイせずに済んだ。だからと言って安心するのはまだ早い。
偉そうな口調の女は、エンドラの背後の物陰からゆっくりと出てきた。
それはオートマタ強奪を持ち掛けてきた、カスペルスキー・神楽だった。
「なんであんたがこんなところに?」
「あなたが情けないからよ、マリオ。本当にがっかりだわ。こんな高性能の戦闘用オートマタを手に入れて、やることは家族ごっこって、あんた本当にヤクザなの?そんなものを見せられる方の気持ちにもなって欲しいわ。おかげでこの数ヶ月、じんましんに苦しめられたわ」
なんだ?この女は何を言っている?
「仕方がないから苦労してこの場をセッティングしてあげたのに、やることは指を切るだけなんて本当に勘弁して。こんなんことでは、予算泥棒って私が笑われるわ」
この女がどこで笑われようと知ったことではないが、気になることを言っていた。この場をセッティングしただと?
そして気になることがもう一つある。エンドラがさっきから無反応であることだ。
「あんたは何者なんだ?」
「まだ分からないの?軍の関係者よ」
「軍人がなんでこんなところに来たんだ?」
鎧塚が落ち着いた口調で入ってきた。
「私はあなた方を取り締まる立場ではないから安心して。そうね、教えてあげましょう。この国を守るギガンティックマシンの操縦者には過度のストレスがかかるの。ひどい時には自殺してしまうぐらい。操縦士には適性があって、貴重な存在なの。自殺されてしまっては困る。それを解決する方法は二つ、ストレスを解消すること、操縦者を使い捨てできるようにすること」
「それがオートマタか」
「オートマタである必要はないわ。AIで十分。でも、問題があった。AIでは勝てない。AIは百手先まで読んで、最適な手を打つことができる。でも、最適ではない手を、間違った手を打つことができる人間にはどうしても勝てないの。AIは間違ったことをするのが苦手なの。でもそこにこそ人間の強さがある。そう考えて試行錯誤してみたけれど、うまくいかなかった。そこで考えたの。間違っている人たちに教育させれば、論理や理性以外で動く人たちの中に居れば、間違うことを覚えるんじゃないだろうか」
「それでヤクザを選んだってことかい」
「ええ。でもあなたの舎弟さんは役に立ちませんでした。間違ったことを教えるどころか、正しい家族生活を構築しようと頑張りだしたんですから」
「そう言われても謝る気にはならねえな」
「いりません」
「で、教えてくれたってことは、オレたちを生きて帰す気はないってことか?」
カスペルスキーは鎧塚の質問には答えず、言った。
「モードゼロ起動」
「強制コード入力確認。モードゼロ起動。問おう。あなたは私のマスターか?」
エンドラの声からは感情が消えうせていた。初めて会った時のような、機械的な口調だった。
「イエス。私はカスペルスキー・神楽」
「マスターカスペルスキーを確認」
「待ってくれ」
グイドが悲鳴を上げる。
「オレは協力したじゃないか!」
やっぱりそうだったのか。最近感じていた違和感の正体が分かった。この街に残りたがったり、大きな仕事をやりたがっていたのはこの女の指示だったのだ。鎧塚の部下の中にも慌てだした者が数名いる。おいおい傘木さん、あんたもかよ。
「皆殺しにして」
カスペルスキーの言葉を合図に、オレはホルスターから銃を抜いて、撃った。いけすかない女がくるくると回りながらぶっ倒れた。
ざまあみやがれ。殺すことばかりを考えていて、自分を守らせることを忘れていたのだ。束の間、胸がすかっとしたが、そこから先は地獄だった。
カスペルスキーに協力していた者たちは我先に逃げようと、邪魔をする、ついさっきまで仲間だった者たちを撃った。うちのファミリーの連中も逃れようとして暴れ、撃たれ、撃ち返した。誰が味方で誰が敵なのか分からない、乱戦状態になった。
そんな中、自分が殺すべき相手をはっきりと認識している者が一人だけいた。
完全に殺人マシンと化したエンドラは、その圧倒的な戦闘力で、一人、また一人と、この場にいる者全てを殺していく。
オレはファミリーを一人でも逃がそうと闘い続けた。それが無駄だと分かっていてもだ。
グイドとジェラルドが死ぬのを見た。ルイージはオレを庇って死んだ。皆を守るべきオレを守るなんてお前は本当にバカだ!
鎧塚はエンドラに単独で闘いを仕掛けて、善戦した後、死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ。
そしていつの間にか周囲は静かになり、オレの目の前には銃口があった。その先にあるのはエンドラの大きな瞳だ。
オレを愛おしそうに見つめる潤んだ瞳じゃない。道端に転がっている石ころを見るような、そんな目だ。
エンドラに殺されるのなら満足か?
そんな難問に費やせる時間はもうなかった。
なにより、そんなつまらないことで最後の時間を使いたくなかった。
オレはエンドラを見つめて、言葉を掛けようとしたが、なかなかうまく声が出せなかった。なんだよ、 緊張してるのか?
エンドラの指がゆっくりと引き金を引いていく。
「あ」
やっと声を絞り出せた。
そしてエンドラは引き金を引かなかった。
それはオレの言葉が届いたからなんかじゃなく、単にオレの生体反応が消えたからだろう。
俯瞰で見ると、オレの身体は穴だらけで血まみれだった。死ぬのも納得だ。
そう、オレは死んだ。幽体ってのになって、宙に浮かんでいるらしい。周囲は死体だらけだったが、オレ以外の幽体は見当たらなかった。自由に動けるのを良いことに、オレはぐるりと周囲を回ってみた。
ドリームワールドは死体だらけだった。オレのファミリーの死体も全部あった。鎧塚も傘木も死んでいた。不思議なことに、カスペルスキーの死体だけが見当たらなかった。致命傷を負わせたはずで、撃たれた時に立っていた場所には血たまりができていたが、移動したような跡もなく、死体だけが消えていた。
不思議に思っているところで物音がした。
立ち尽くしていたエンドラも反応する。その視線の先には、地下から階段で上がってきたティノがいた。
まずい!
エンドラにティノ殺しをさせるわけにはいかない。オレは自分が死んでいるのを忘れてティノの前に立ちふさがった。
「止めろ!」
エンドラはティノを殺さなかったが、オレの声が届いたからだって考えるほど、ロマンチックじゃない。多分、カスペルスキーが皆殺しを命じた時にこの場にいなかったので、その対象に入ってなかったのだろう。
ではどのように対応するのか?それを命じるべきカスペルスキーはこの場にはいない。
エンドラが困っていると、ティノが動いた。
「ママー」と叫びながら駆け寄っていく。
親子の感動の再会の場面にしては、背景がスプラッタすぎる。爽やかな風が吹いて樹々の匂いでもするべきなのに、血の匂いが充満している。
「私はママではありません」
エンドラは困った顔をする。
「エンドラはママだよ」
「私はエンドラと言う名前なのですか?」
「そうだよ」
「状況の把握が困難です。再立ち上げします」
パソコンの再立ち上げのように時間がかかるのを想像していたが、目を閉じたエンドラは二秒程で再び目を開いた。さすが最新型のAIだ。
「緊急時のマニュアルに従い、コードエックスを起動します。問おう、あなたは私のマスターか?」
「違うよ。ママの子供だよ」
ティノは何度も訴えていた。幼い子供にも、エンドラが普段とは違う様子であることは分かっているだろう。それでもエンドラがママで、自分がその子供であることを、怒ったり、癇癪を起したり、泣いたりすることなく、何度も、丁寧に説明した。
「ママ。一緒にお家に帰ろう」
エンドラの体が震えた。
また一度目を閉じ、開く。ティノに向ける優しいまなざしは、かつてのエンドラのものだった。
「そうね。帰ろう」
エンドラは持ったままになっていた銃を放り投げると、服で手を拭った後、ティノの小さな手を握った。
ティノは満面の笑みでその手を握り返した。
オレは最高の気分だった。この世界の全てに勝った気分だった。
感情を押さえつけられなくて、ぐるぐると飛び回りながら大きな声で叫んだ。
「愛してるぜ」
了
これにて2話「世界の中心でAIを叫んだ羊」は完結です。
お付き合いいただきありがとうございました。
3話「黒光丸」を2019年2月17日のコミティアで頒布予定です。
<用語説明>
オートマタ:
自律型人型機械の通称。ロボット技術と人工知能技術の発達により、人類は自らのコピーを生み出すことを可能とした。しかし道具として考えた場合、人型である必要性は低く、広く普及はしておらず、性処理に特化して開発されたセクサロイドの割合がかなり高い。先の大戦ではオートマタによる戦闘が中心となり、オートマタ大戦と呼ばれている。戦闘の中心がギガンティックマシンに変わった後は、国際条約により戦闘用オートマタの製造、所持は禁止されている。但し、警護用オートマタの製造・所持は許されるという抜け穴が用意されている。外見は人間と見分けがつかないレベルに達しているが、その思考パターンは人間のレベルに達していない。(エンドラレベルの人工知能は開発済みだが、オートマタに搭載できる大きさではないとされている。エンドラに搭載されている人工知能の正体は不明である)