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アイシャワナと呼ばれた黒人の女は、チャイナ服風の白いレオタードを着ていた。かなりエグいハイレグだ。均整のとれた身体が滑らかに、艶やかに動く姿はかぶりつき席で見たいところだが、残念ながらここはショーパブじゃない。古い教会だ。
聞こえてくるのは美女の色っぽい声ではなく、情けない男の悲鳴だ。
悲鳴と共に飛んできたものがオレの隣に座るルイージの顔にかかった。セーフ。ルイージは不快な顔をしながら赤い血を拭う。
埃っぽい床には血だまりができている。五つの死体がその中に沈んでいる。全部、目の前の女の仕業だ。ナイフや銃を持った屈強な男たちを瞬く間にぶっ殺した。
ぽちゃんと血だまりに新しい肉片が落ちる。目を凝らせば、ところどころに同じような小さな肉塊が落ちているのが見えてくる。さっきからみっともない悲鳴を上げ続けている男、新山の手の指だ。
女は黒のエナメルのロングブーツを履いている。それが宙を舞うたびに、新山の身体には傷が付き、肉が削がれ、悲鳴が上がる。ブーツの足先に仕込まれたナイフで切り刻まれているのだ。
「許してくれ。この女を止めてくれ。頼むよ鎧塚さん。オレが悪かった。金は払うから止めてくれ」
鎧塚さんは心底面倒くさそうな目を新山に向ける。白髪交じりの髪を綺麗に七三に分け、スーツにネクタイの姿は普通のサラリーマンにも見えなくもないが、左頬に残る大きな傷跡と、角縁眼鏡の奥から向けられる鋭い眼差しが、堅気ではないと教えてくれる。
「傘木。こいつは払えると思うか?」
鎧塚さんの隣に座る総白髪の痩せすぎの男は宇治組の金庫番、傘木さんだ。目の前で続く残酷なショーに薄い笑みを浮かべながら、「無理ですね」と短く断言した。
「無理だとよ」
「そんなことは無い。絶対に払います。絶対にい、払いますから」
新山は床に這いつくばって、額を赤く染めながら懇願するが、その甲斐なく一喝される。
「にいやま。てめえ、傘木をバカにするのか」
「傘木さんをバカにするなんてそんな……」
新山は鎧塚さんが何に怒っているのか分からずにおろおろする。
「うちで一番優秀な傘木が無理だって言ってるんだ。なんでてめえが無理じゃないって言えるんだ。てめえは傘木よりも賢だって言ってんのか」
「そういう意味じゃないです。違うんです。オレは傘木さんの足元にも及ばないゴミくずです。でも、ネタがあるんです。傘木さんの知らないネタが」
「傘木の知らないネタをなんでてめえが知ってるんだ!ぶっ殺すぞ!」
女が満面の笑みを浮かべながら足を振り上げる。
「まあまあ若頭」
新山が真っ二つにされるのを傘木さんの声が止める。そこには温情や同情なんてものは当然ない。
「オレの知らないネタってのを聞いてからでも良いじゃないですか」
「そうかい?お前がそう言うなら聞いてやるか」
勢い込んで話始めた新山の回りくどい、言い訳がましい、予防線を張りまくった説明を要約すると、こうなる。
警察が押収した麻薬を処分場に輸送するという情報を入手した。それを強奪して金にする。
二行で終わる話をだらだらと五分も話しやがった。
胡散臭い話だ。当然鎧塚さんは信憑性を確認するが、新山は証明することができない。訳の分からない説明に力が入り、オーバーアクションになり、跪いたまま払った手は、床に溜まった血を撒き散らし、女の白いレオタードにかかった。
「なにしてくれるんじゃ、われ!」
この女、日本語話せるのかよ、と思った時には新山に頭は三枚下しにされていた。この場合、三枚下しって表現は正しいのか?横方向に三分割された。
血だまりに落ちたスライス頭から脳みそがどろりとこぼれる。
「あーあー、駄目だろやっちまったら」
「服が汚れた」
女は鎧塚さんに臆することなく、不機嫌そうに言う。あんな殺し方をしておいて、服が汚れた、とかよく言えるもんだぜ。
そして「ああ」と気が付く。
あんな殺し方をしておいて、今まで服が汚れていなかったことが異常なのだ。この女は、殺し方も身のこなしも完全に狂ってる。
「そうか。服が汚れたか。そりゃ仕方ねえな。おい、先生をホテルに連れて帰って差し上げろ」
最初は不満げだった鎧塚さんだったが、傘木さんに耳打ちされて、部下にそう指示した。
「銭湯がええのう」
「先生の希望をよく聞いてな」
女が出ていくと、その場には鎧塚さんと傘木さん、及びその部下五人、俺とルイージ、六個の死体が残された。緊張しながらも、びびってない風を装いながら次の展開を待つ。びびってないけどな。
「さてマリオ。チップを拾ってくれ」
傘木さんが言っているのが、新山が言っていた、警察の麻薬輸送の行動計画書なんかが入ったデータチップだってのは分かる。しかし、それは今どこにあるんだ?
「マリオ」
目を泳がせていると、ルイージが顎で示してくる。新山は頭を失くしているのに執念深く、データチップを指先で摘まんだままだった。
オレが顎で指し示し返すとルイージは「まじかよ」と言いながら立ち上がる。頼りにしてるぜ。まじで。
ルイージは血だまりに足を踏み入れると、新山の指からデータチップを抜き取り、戻ってきてオレに渡した。それを傘木さんに持っていこうとしたところで嫌な予感が的中した。
「それはお前が持ってろ」
「オレが……ですか?」
「傘木は、新山の代わりにお前がやれって言ってるんだよ」
鎧塚さんがわざわざ口に出して言ってくれる。
「いや、ありがたい話ですけど、オレたちにはでかいネタ過ぎるんじゃないですか。しくじったら大損ですよ。オレたちはともかく、鎧塚さんたちの儲けが減っちまう」
「なあ、マリオ」
声色は優しいが、ドスが効いている。
「お前はよくやっていると思うぜ。半端もんばっか集めてよ。それでも、毎月きっちり上がりを持ってくる。大したもんだ。でもな、若者はそれじゃあ駄目だ。もっとビッグになることを考えなくちゃよ。自分たちには今の生活で十分だ。満足してる。そう言いたいんだろう。でもな、いつまでもそんなことは言ってられねえんだ。お前にも守るもんがあるんだろう。だったら、ビッグにならなきゃ守り切れねえ。もう三十になるんだろ?だったら、そろそろお前もでかいことをやるべきだ」
「分かりました。お心遣い、ありがとうございます」
もとより、断ることなんてできないのだ。
外に出ると、東の空が明るくなってきていた。その中にぽつんと小さな点が浮かんでいる。航空機とは異なるシルエットのそれは、首都防衛のために配備されているギガンティックマシンだ。とは言え、足元で困っている哀れな羊には見向きもしてくれない。何を守っているんだ、このでくのぼう!
「面倒なことに巻き込まれちまったな。そもそも、なんでオレたちは呼ばれたんだ」
ルイージが疲れた顔で言う。ルイージはオレと同じ歳で、小さい頃からの付き合いだ。腐ってどうしようもないどん底の街から一緒にここに出てきて、やっぱり底辺を一緒にうろついている。女顔の甘いマスクで、女にはよくもてている。
「最初からオレたちにやらせるつもりだったんだ」
「でも、新山が持ってきたネタだったんだろ?」
「多分、傘木さんが新山に持っていったネタだ」
「?知らないって言ってたじゃねーか」
「全部仕組まれてたんだよ」
「なんだそりゃ。分かんねー」
ルイージは髪の毛をかきむしりながら、転がっていた空き缶を蹴りつける。
「分かんねーな」
鎧塚さんや傘木さんの考えていることは複雑すぎて分からない。このネタを回されたのは、それが分かるようになれってことなのかもしれないが、その意図も分からない。オレたちはそんな難しいことを考えられない。
「しかし、あの女は怖かったな」
「怖かったけど、エロかったな」
ルイージは少し嬉しそうな顔をしている。
「お前、あんなのとできるのかよ。勘弁して欲しいぜ。やっている最中に切り落とされそうだ」
「怖いけど、身体は最高だっただろ。それにどうせお前はエンドラとしかできねーんだろ」
「それじゃあ、一生できないじゃないか」
エンドラはオレたちが昔住んでいた町にやってきた女だった。国籍不詳で、自分でもどこで産まれたのか、親が誰なのか分からないと言っていた。目が大きくどんな時にも良く笑っていた。大きくうねる赤毛に巻かれながら眠るのが好きだった。オレたちと一緒にこの町に逃げてきた後、三年前に死んでしまった。最高の女だった。死んだ今でもそうだ。
「エンドラみたいな女はいねえかな」
気合いを入れる意味で少し大きな声で叫ぶと、意外とビルの谷間で反響した。
「いないだろ」
ルイージが即答してくる。
「そうだな」
左の口端を少し上げて応えた。
そして家へと急ぐ。すげえ眠い。