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世界は戦争を続けていて、
戦場では巨大なロボットが闘っている
でも高校生である僕たちの日常は、
戦争がない世界の高校生の日常とそんなに変わりがないだろうと思う
学校に行き、
授業を受け、
友達とバカな話をして、
女子の何気ない言葉に心を揺らしたりする
多分そんなに、変わりのない世界
ふにっと後頭部に柔らかい感触を感じた。
放課後、成績の低下を心配してくれる親友と一緒に教室に残って課題をしていた。タブレットの画面に次々に表示される問題を片付けていた。基礎の反復が重要だと選んでくれたレベルの問題は立川祐にはぴったりで、次々に回答ができて、勉強をしているのに心地よい気分になる。さすが親友。
切りが良いところまでできたので少し休憩しようと、椅子に座ったまま身体を反らした時だった。祐の後頭部が、小さな衣擦れの音と共に柔らかい何かに触れた。
つまり故意ではなかったということだ。
それは寝心地の良い高級枕のようだった。しかし羽毛枕のふんわりと沈み込んでいくような感触ではない。弾力がある、頭の重さに合わせて形を変え、包み込んでくれる低反発枕のような柔らかさ。その心地良さに、勉強で疲れた頭は癒され、そのまま眠りに引き込まれそうになる。
しかし、放課後の教室に枕はない。もしかしたら、学校に枕を持ち込んで堂々と居眠りをする豪の者もいるかもしれないが、このクラスにはいない。
つまり―――、これは、後頭部が触れている気持ちの良いものは枕ではない。
ようやくそこまで頭が回ったところで、すぐ近くでひーひーと引き笑いしている女子がいることに気が付いた。自分が笑われているのだと直感的に悟る。
枕でないのなら、後頭部に当たっているこれは何なのだ。それを確かめるために祐が取った行動は正しいものではなかった。頭を更に後ろに倒し、背後にあるものを見ようとした。結果的に、意図的ではなく結果的に、枕のような未確認物体に後頭部をより深く沈めることになった。
見えてきたのは、見降ろしてくる白い顔と、黒くて長い髪だった。こんな角度から見るのは初めてだが、すぐに知っている顔だと気が付いた。同じクラスの氷川みどりだ。一房の髪がはらりとたれ、祐の顔にかかる。くすぐったい感触と、甘い香りに、後頭部の下にあるものの正体に気が付いた。
「うわぁ」
祐は甲高く大声を上げながら頭を跳ね上げ、その勢いのままに振り返った。
クラスの男子たちにGカップと推定認定されている大きな胸の下で腕を組んで、みどりが立っていた。睫毛の多い切れ長の目を細め、赤いルージュを引いた厚ぼったい唇が囁く。
「もう、終わり?」
あまりの衝撃に頭の回転が追い付かず、祐は座ったまま体勢を崩す。
「ひひひーひーっひー」
自分のことを笑っているのだとしても、祐はその引き笑いに感謝した。おかげで、少し冷静さを取り戻すことができた。
「顔を真っ赤にして慌てちゃって、ひー、かわいいー」
引き笑いをしているのは奥田摩子だ。茶色く染めた前髪は左右に垂らし、後ろは複雑に結い上げている。色黒の顔にそれを生かす派手な化粧をばっちりときめている。制服のブラウスのボタンは三つ目まで外されており、推定認定Dカップの胸をちらちらと見せ、短いスカートからはすらりと長い脚が伸びている。分かりやすい表現をすれば、ギャルだ。
一方のみどりは、髪は染めておらずストレートのロングヘアにナチュラルメイクだが、唇だけは派手なルージュを引いており、その鮮やかさが目立つ。ブラウスのボタンはきちんと閉めているが、それがかえって豊かな胸を引き立たせている。スカートは摩子と同じぐらい短く、脚はむっちりと白い。
摩子は騒がしくしゃべりまくるが、みどりは落ち着いてそれに相槌を打っていることが多い。
対照的な二人ではあるが、なぜか一緒に行動していることが多く、色気を振りまいて、クラスの男子達をドギマギさせている。
「巨乳の枕はどうだった?気持ち良かった?お子ちゃまの祐君には早かったかなー。あーもしかして、ママのおっぱいを思い出しちゃいましたかー」
「そんなわけないだろ!」
祐は必死に言い返すが、甲高い声のために迫力が出ない。高校生になったのに、まだボーイソプラノのままの声は、祐のコンプレックスだ。更に、女子の平均よりも低い身長と童顔が加わる。声、身長、顔と三拍子揃っているため、いつも小学生に間違えられ、そしてからかいの対象にされている。
今も立ち上がって抗議したりしないのは、見降ろされながらからかわれるのは我慢ならないからだ。 座っているなら、見降ろされるのは当然のことであり我慢できる。
「じゃあどうだった?みどりの胸を枕にするなんて、誰にでもできることじゃないぞ。特別大サービスだぞ。で、どうなのよ。大人の祐君はどんな気持ちになったか言ってみなよ」
「止めろよ」
ちょっとした怒りとか、呆れとかをブレンドしつつも、あくまでもさわやかな声が摩子をたしなめた。祐の向かいに座って一緒に勉強をしていた上原類だ。
類は祐とは対照的に高身長に甘いマスクを持っている。勉強、運動共に優れ、澄んだテノールの声を持っている。校内中の女子を虜にしている類だが、祐と一緒にいることが多い。祐も類ぐらい完璧人間が相手だと、コンプレックスも沸いてこない。
「今は勉強をしているんだ。祐をからかうのはその後にして欲しいな」
「後でも駄目だ!」
「いやいやこれも勉強だよ。いつまでも大人になれない祐君に、大人の勉強を教えているんだよ。祐 君も興味があるだろ、この巨乳に。ふかふかに。大人へと階段を上りたいだろう」
摩子がさっと手を向けると、みどりはぐいと胸を突き出してくる。
「そんなことで大人になれるわけないだろう」
「おやおや、さっすが上原君。経験豊富な人は言うことが違うなー。私もあやかりたいなー。そういえばこの間……」
「摩子」
調子に乗って声が大きくなる摩子をみどりが短く制した。摩子は「なに?」と顔を顰めたが、教室に入ってきた人物に気が付いて納得し、すぐに引き下がった。
「それじゃあ祐君。大人になりたかったらいつでも連絡してね」
摩子は自分の胸を揉んで見せながら、みどりと去って行った。
「しねーよ」
祐はぼそっと呟く。摩子たちに代わって、類の前に先ほど教室に入ってきた美少女が立った。類の彼女である羽村美咲桜だ。容姿端麗とは彼女のための四字熟語だと祐は思っていた。背が高く、プロポーションも抜群だ。制服の着こなしも抜群で、摩子たちが着ているのと同じものだとは思えない。少しくせのあるロングヘア―を優雅にたなびかせている。学内では文句の付け所がない美男美女カップルとして有名だ。
いつもと同じようにクールなまなざしを向ける。右の眉の上にほくろがあるのもセクシーだと思う。
「帰るわよ」
美咲桜は先ほどまでここで繰り広げられていた会話には全く興味を示さずに、類に短く告げた。
「今は祐と勉強をしているんだ」
類はそう言って手元のタブレットを示す。
「ごめん」
「……どうしてあなたが謝るの?」
美咲桜は謝る祐に怪訝な表情を向ける。祐がその視線から逃れるように下を向いて答えを考えている間に、美咲桜はさっさと類に告げた。
「いつものところで待っているわ」
そして颯爽と教室から出て行った。一陣の風が吹いたようであった。
「さぁ、続けよう」
少しだけ休憩するつもりだったのに色々と邪魔が入った。促す類に、祐は訊ねる。
「良かったのか?」
「なにが?」
「羽村さんと一緒に帰らなくて」
「待っているって言ってただろ。だったら待っててもらえば良い」
「なんか……悪い気がする」
類は美咲桜よりも祐を優先することが度々ある。彼女がいない祐は、嬉しい反面、申し訳ない気分にもなる。
「お前の彼女だろ」
「……オレの彼女だけど、オレのものじゃない」
「どういうこと?」
「美咲桜は美咲桜のものだよ。オレはオレのものだ。美咲桜は待っているって決めたし、オレは待たせるって決めた」
「だからどういうことだよ?」
「だから良いんだって。それよりさ、どうだった?」
「どうって、なにが?」
祐は顔を上げるが、類は視線をタブレットに向けたまま、問題を解きながら答える。
「巨乳枕に決まってるだろ」
「巨乳枕って!」
祐は少し大きな声を出してしまい、慌てて周囲を見回す。放課後の教室に残っているのは、窓際に座る祐と類、それと廊下側に座る女子が一人だけだった。中神祝子はいつもと同じように耳に大きなヘッドホンを当て、机に突っ伏している。先ほどの言葉は聞かれなかっただろうと安堵しながらも、祐は声をひそめる。
「そんなの、分からない」
「おいおい、俺たちの間で恥ずかしがることなんてないだろ。隠し事はなしだ。気持ち良かったか」
「あ―――」
祐は先ほどの感触を思い返す。顔がまた赤くなってきたのが自分でも分かる。もっとも、思い返すまでもなく返事は決まっていた。
「……気持ち良かった」
「そっかー、いいなー」
祐が小さな声で言うと、類はタブレットから目を離し、心の底から羨ましがる。
「なんでだよ。お前は羽村さんに頼めばいいだろ」
「美咲桜はあそこまで大きくないよ」
「でもDはあるだろ」
「Dはあるだろうけど、氷川さんほどじゃない」
「確かに、氷川さんほどではないな」
「勝ったつもりか?」
「なんでそうなるんだよ」
「悔しいのでオレは勉強を頑張る。そしていつか祐に勝つ!」
類は両手で拳を作ってぐっと気合いを入れると、問題に向かった。
「勝つってなんだよ」
祐は、自分が類に勝っているところは何もないと思っている。だから、類にそんなことを言われるのは不本意だった。
その後も類はぼそぼそと「巨乳」とか「枕」とか言い続けたので、祐はそのたびに類の向こう脛を蹴った。
二十分ほどで課題を終えて二人は教室を出たが、廊下を歩いている途中で祐は忘れものに気が付いた。
「取ってくる」
「待っていようか?」
「お前は羽村さんを待たせているだろ」
「そうだった。じゃあな」
駆け足で戻った祐は、教室から出て来た人物とぶつかりそうになった。ずっと寝ていた中神祝子だ。身長は祐とほぼ同じである祝子は、無造作なおかっぱボブで縁の太い黒縁のメガネをかけている。先ほどまで耳にかけていた大きなヘッドホンは首にかけていた。
祝子はメガネの中の大きな目でぎろりと祐を見ると、「このエロガキが!」と低い声で言い捨てて、去って行った。
あまりのショックに祐は固まってしまい、しばらく動けなかった。
「このエロガキが!」
なんと暴力的な言葉だろうか!
摩子やみどり、しばしば視線を奪われている美咲桜に言われるのならまだ納得するが、身長がほぼ同じで、正直なことを言えば、色気があるとは言えない、地味な存在の祝子に言われるのは心外だ。
だからこそ、大きなショックを受け、心に深い傷を受け、固まってしまった。
ようやく我に返った時には、祝子の姿はどこにもなかった。
忘れ物を取りに来たことも忘れて、トボトボと暗くなった空の下を家に帰った。
家族と夕食を取った後、自室でゲームをしていてもちっとも心は晴れなかったので、さっさと風呂に入って眠ることにした。
「ああ、そうだ」
ベッドに入ってから日課を思い出した。鞄からタブレットを取り出して、【レポート】と書かれたアイコンをタップする。パスワードを入力した後に開かれたのは、今日の日付とその横に送信ボタンと、それらの下に空白があるだけのシンプルな画面だった。
祐はしばらく考えるが、思い浮かぶのは「このエロガキが」というショッキングな一言ばかりだった。『特記事項なし』と書き込んで送信すると、アプリを閉じ、タブレットを鞄に放り込んでベッドに倒れ込んだ。
頭を枕に置いた途端に、みどりの柔らかな巨乳枕の感触が鮮やかによみがえってきた。
そうだよ。良いこともあったじゃないか。
幸せな気持ちを取り戻して、祐は一日を終えた。