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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

元貴族の青年と貧困街の少女

作者: ルート

しんみりとしたお話しです。空き時間にどうぞ。

 目前で倒れ伏す漆黒の男が一人。

 ギャラリーの群れも、すっかり静まり返っていた。


 胸部の一突きによる刀傷。そこから流れ出る血液は緩やかに広がり、少女の足元まで到達した。赤黒くも瑰麗な温血が地面をしとどに濡らす。


 なぜ、こんなことに──





────────────────────────





 貧民窟。

 犯罪や非合法物の売買が飛び交う腐った街。救抜も一望もありはしない。汚泥に満ち満ちた世界。

 それが少女の全てだった。


 日が落つる暗夜。

 少女は一人の中年男性に目をつけ、のらりくらりと後を追う。周囲に溶け込み気配を殺した。

 しばらくの追跡ののち、男は裏の路地の方へと足を伸ばした。これはしめたと少女は心で鼓を打つ。


 男が十分に裏路地へ深入りしたのを見計らって、瞬時に距離を詰める。

 男が少女に気づいた時にはすでに遅い。脇に仕込んだナイフを颯爽と取り出す。


 震驚の面持ちをしたが最後。男の喉を疾く速い一撃で掻き切った。

 鮮血が飛沫を上げ、少女の頬に癒着する。

 力なくくずおれる男は、体内の機能が完全に停止し音立てぬ肉塊へと変貌した。


 無感情に見下ろす少女の瞳は、絶対零度に凍りついていた。

 死した男の懐から、金属特有の感触のする袋を手に取った。

 手のひらの上でひっくり返すと、それを掴みとりその場を後にした。





────────────────────────





 少女は自らの棲家へと帰来した。

 人の気配も絶え絶えの裏の路地の奥。あらゆる場所に穴があく石造りの家屋。


 そこに、いつにも増して不機嫌そうな男が待ち構えていた。


「おい、今日の分は?」

「…………これ」


 少女の矮小な手のひらの上には、銅貨が三枚ほど並んでいた。離さないよう強圧してしまったせいか、手汗で少々色が滲んでしまっている。


 強面の男は、少女から銅貨を野太い手でぶん盗った。

 男は訝しげに銅貨をまじまじと見つめる。すると唐突に舌打ちを響かせ、少女を思いきり蹴り飛ばした。

 軽少な少女は、蹴付けられた勢いのまま背後へ飛ばされた。背中を強く打ち付け、肺の空気を吐き下す。


「偽の銅貨じゃねぇか!ったく下らねぇもん持ってきやがって!この役立たずが!」


 男は嚇怒を顕にし、吠え散らした。

 その猛勢を以て少女を激しく踏みにじる。息を荒くし何度も何度も踏みつけた。

 少女は悲鳴を上げることもなく、蹲りただ男の乱撃が止むのを待った。


 この犯罪者面の男は、幼い少女を拾った養親だ。養親とは名ばかりで、盗みの技術。暗殺の技術を教え込むと、その後はひたすら少女に人を襲わせ自分は待つのみ。


 男が拾ったのは命にあらず。ただの道具だった。

 少なくともこの男にとってはそうだった。他に行き場もない彼女は、こうして人を殺め、男から暴力を受ける他なかった。


「てめぇを拾ってやったのは一体誰だと思ってやがる……!こうなったら、その体に直接刻まれなきゃわからねぇようだなぁ?」


 男はそう言って、盗品の山の中からサーベルを取り出した。長く手入れされていないにも関わらず、刀身は艶やかに月光を反射している。

 今日は空前の虫の居所の悪さだったらしい。少女は自らの運命を感じ取り、覚悟を決めた。

 男はのっそりのっそりと少女へと詰め寄る。少女は終わりを悟り、目を閉じた。


 その時──


 ガキィィン!!


 金属同士が激しく擦れ合う音が鳴り響いた。少女はハッとし目を開ける。


 すると、そこには剣を払いサーベルを真っ二つに切り裂いた男が立っていた。フードのついた漆色の外套に身を包み、こちらに背を見せる。


 養父は間抜けな面を貼り付け、腰を抜かして座り込んだ。


「なっ……………………!」

「怯えることは無い。俺はただの通りがかりだ。その少女とは何の関係もないが、こうした現場を目にしてしまえば放ってもおけまい。疾く失せろ。これ以上の暴状は許さん」

「ひ、ひぃぃぃ!!!」


 養父は滑稽な悲鳴を飛ばしながら、這いずるように家を後にした。

 男は剣を軽く払い丁寧に鞘へと納める。


 室内に静寂が降りたころ、男はゆっくりと少女へと振り返った。


「無事、ではないな。だがそれは詮無きこと。このような場所にいてはな。見たところ生きていく術はとうに身についている様子。さあどこへなりと行くがいい。もうお前を縛るものはない」


 男は乾いた、だが確かに意思のこもった声を少女へ届ける。男は意外にも少女とさして歳が変わらないように見えた。


 芝居がかった口調に貴族のような喋り方をする奇妙な青年。

 その姿は、少女の瞳にはひどく眩しく尊く映った。

 それは、少女にとってのある種の希望であり、憧れとなっていた。

 少女は迷うことなく、青年の下で生きることを誓った。

 青年はそれをよしとし快く迎えた。


 それから、二人は同じ道を歩み始めた。スラム街を飛び出し、少女の新たな人生が始まったのだった──





────────────────────────





 出会ってから第三夜目のこと。

 荒涼とした丘の上。幾億もの星に見下ろされながら、二人は焚き火を向かい合わせに囲った。


「ねぇ。あなたって一体何者なの?」

「唐突になんだ?」

「いや、気になっちゃってて……。その、出会ったときから」


 少女は少々気まずそうに髪を指にクルクルと巻き付ける。


 一緒に旅をすることになったとはいえ、まだまだ関係は浅い。踏み込んでいいものか少女には判断しかねた。

 しかし、いい加減このもやもやを晴らしたいと思い、此度に尋ねることにしたのだ。


 青年は一つ息を吐くと、呼吸をするが如く淡々と自らの人生を語り始めた。


「そうだな。俺は、貴族の生まれだ。だが家のしきたりやらなんやらがとにかく嫌いだった。外出も禁じられ、半ば監禁状態だった。そんな俺は、よく書物庫に籠り本を読み漁った」

「本……?意外。やんちゃだったわけじゃないんだ」

「好奇心旺盛だったこともまた事実だが、本を読んでいたことが一番多かった。書物は知識の塊であり、浪漫の具現だ。そこには俺の知らない世界があった。歴史。冒険。図鑑。文献。考察書。何でも読み漁った。それに俺は魅了され、引き込まれてしまった。そして、いつしか浪漫は夢へと変わっていった。俺もこんなところへ行ってみたい。奇想天外で破天荒な旅をしたいと。そう思いたった俺は、すぐさま準備を整え親族との縁を切った。反発もあり、いざこざも起きたが、それでも俺は無理やり家を離れた。その瞬間、俺の手元には自由が舞い降りた。そののち、俺はしたいことをし、行きたいところへ赴いた。そうして見ればはや五年。そこでお前と出会ったというわけだ」

「ふーん」


 気のない返事だが、少女は真剣に心で話しを聞いていた。

 この男の独特な口調の要因に合点がいった。


 そんな少女の様子を目にした青年は、軽く口角を上げ尋ね返した。


「そういうお前はどうなんだ?」

「え?わたし?」

「お前以外にいないだろ…………」


 少女は自らを指差し、目を白黒させる。

 その茫然とした表情に青年は目を細め呆れ返っていた。


 少女は誰かに興味を向けられたことがなかったので、自分のことを聞かれているということが素直に脳に認識されなかったのだ。

 そんな自分の習性に少女自身も呆れてしまった。


 少女は、頭を整理し気を十分に取り直した。

 だが、そこで言い淀んでしまう。

 自身の過去を語れば、この関係が終わってしまうかもしれない。

 その不安が、少女の口をきつく引き結んでいた。しかし、この男にだけは素直でありたいという自分もいた。

 少女は意を決して、ナイフを取り出し徐々に言葉を紡いでいった。


「私は、捨て子なの。貧民街で捨てられていた私を、あの男が拾った。そして、私を便利な道具に仕上げた。私は、あんな男のために、何十人もの人を手にかけ、貶めた…………。そのうち、私は、人を殺しても、何とも思わなくなっちゃったの…………」


 少女はうつむき、ナイフを力強く握りしめている。

 表情は暗く陰り、夜の闇と同化したようだった。少女の手はプルプルと小刻みに揺れている。


 それは、恐怖からだった。

 人を殺したという事実に対しての恐怖ではない。命を奪って、何とも思わない自分自身に対してだった。

 そして、おそらく自分は見離されるであろう恐怖。見知らぬ人間を助けるほどの善人が、殺人者を許すはずがない。

 最悪ここで切り捨てられる。それも、覚悟した。


 だが、青年は意外や意外。あっけらかんとした声で言い放った。


「そうか」

「………………え?それだけ?」


 少女は顔を上げ、唖然とした表情でまじまじと青年を見つめる。

 青年は逆に猜疑心を抱いたようで、首を傾げた。


「それだけだが?」

「あなたは正義感で私を助けたんじゃないの?そんな人間が、人殺しを見逃すの?」

「お前が咎人かどうかは俺のあずかり知らぬこと。お前を助けたのはただの善意だ。そのとき助けたかったから助けた。正義感だなんだというものではない。俺が知っているお前は、素直で心優しいお前だ。もし、それでも自分の行いに悔いがあるのならば、その過去の自分ナイフを、今度からは自身のために使えばいい」


 青年は清々しい微笑をもらした。


 その言葉で驚愕したのち、一縷の涙が頬を伝った。

 だんだんと表情が崩れていき、気づけば滝のような熱涙がナイフに流れ落ちていた。

 青年の一言一言が少女の心に染み渡り、枷を外していったのだ。


 気を極限まで張り詰め、人生に絶望していた彼女がようやく本当の意味で解き放たれた瞬間だった──





────────────────────────





 歩み歩んで幾星霜。

 二人は多種多様な地へと赴き、目に焼き付けた。

 凍る大地。燃え盛りける山脈。どこまでも広がる大海原。

 見るもの全てが新しく、新鮮だった。

 少女の世界は目にした分だけ広範していく。


 今や彼女の目には一点の曇りもなく、温かく透き通った瞳を浮かべていた。


 旅と同時に少女は青年より剣術を学んだ。護身のため、そして青年の背中を守れるようにと願い、日々鍛錬を積んだ。

 気づけば、青年のスキルを全て盗みあげ、実力で肩を並べていた。


 業腹ながら、盗みに関しては天性の才能を持っているようだ。

 青年はそれすら、長所だと言ってのけた。

 何を習得しようと、この男の寛大さには届かない。


 しかし、その事実を少女はちっとも悔やんではいなかった。むしろそんな人間が身近で自分を支えてくれているのだと誇負するほどだ。


 毎日が発見の連続で、感動してもしきれないほどの衝撃を受けるのは日常茶飯事となっていた。

 あの頃の自分では想像もつかない、幸せな人生を送っている。


 青年は言った。

 今まさに、自分達は人生を謳歌しているのだ。生きることは、尊く、時に残酷だ。それでも生きるんだ。例え、何を無くそうとも──





────────────────────────





 出会いから三年。

 二人は王国の首都へと足を運んだ。スラム街とは似ても似つかない平和で、清楚で、賑やかな街並みだった。

 商人のかけ声や雑踏の群れを掻き分け、地図を頼りに青年は宿探しを試みる。少女はその背後をしかと追行した。


 しかし、どれだけ足を動かせど宿らしきものは一向に見当たらなかった。


「ふーむ。ここらで休憩するか」

「そうだね…………」


 少女は大通りの端でぐったりと座り込む。人混みは苦手らしく、珍奇にも疲れた様子を見せる。


 その隣で青年は顎に手をやり、地図を見やる。思考を巡らせるが、入り組み過ぎて地図は対して宛にならなかった。


「さて、これは手探りで行くしかあるまいな。まずは、この乾いた喉を潤すとこからだ。お前はここにいろ。飲み物を買ってくる」

「わかった……」


 少女はこくりと小さく頷き同意を示す。そんな少女を一瞥すると、青年は人の波に飲まれていった。

 それを見届けたのち、少女は目の前の人群に呆れ果てる。慣れてないせいか、どうしても人に酔ってしまう。


 一つため息をこぼす少女の視界の一端に、一人の幼子が入ってきた。なにやら大きな荷物を抱え持ち、逃げ惑っているように思える。


 言うほど違和感のあるような光景ではないが、少女の中で何かが引っかかった。

 路地の奥へと去っていった幼女の後を、吸い込まれるように続いて歩いた。





────────────────────────





 路地裏。

 廃れたように、見捨てられたように寥落とした空間。

 まるで時を越えて過去の記憶を見せられているようだった。それほどこの場はあまりにも貧困街に酷似している。


 少女は重だるい足を無理やり動かし、幼い女の子の後を追った。


 しばしば歩いていると、この辺りの中では一際目立つ大きな建物に入っていった。木造の建築物で、小奇麗な外装をしている。

 中に入るのはいささか憚られたので、取り付けてある窓から中を覗きこむ。


 先程の幼女が一人と、屈強な男が一人。

 幼女は陰鬱な表情で男と向き合い、その手に持った袋を差し出した。


 男はそれを強引に手に取ると、中身のものを取り出していく。

 様々な形をしたパンが次々と出てくる。食欲をそそる香りがこちらまで漂い、思わず口内の唾液を増加させる。

 男は一通りそれを机に並べる。そして怪訝な表情を浮かべるやいなや、青筋をたて怒気を放つ。


 すると唐突に幼女の方へと突進し、その勢いを殺すことなく殴りつける。

 幼女の身体は軽々と宙を舞うと、扉にぶつかりそのまま外界に吹き飛ばされた。

 男はその気勢を保った状態で幼女を追い、壊れた扉を潜る。


「この、バカが!俺は金を取ってこいっつったんだ!パンなぞよくものうのうと俺の元に運んでこれたなぁ!?」

「あ、あの…………。食料がないって、言ってた、から…………」

「金さえありゃ何でもできんだ!!てめぇの勝手な判断で盗るもん変えてんじゃねぇ!!」


 男はありったけの罵詈雑言を幼女に浴びせかける。少女の今にも消えてしまいそうなか細い声も押しつぶして。


 幼女は涙を流し、瞳で許しを請った。だが、逆にそれは男の怒りを駆り立ててしまった。


「なんだその目は!この、クソ、クソが!!!」


 男は幼女の胸ぐらを掴み上げた。そして、余った手で幾度も幾度も殴りつけた。

 幼女はそれを拒む気力も助けを求める力も残っていなかった。


 男の手には、幼女の血と汗と涙がこびりついている。本来輝かしい努力で流すものを、この男の取るにたらない理不尽で散らしている。


 この光景と少女の過去は、重なるところがあった。

 少女は追憶の彼方を思いやる。あのときはそれが当然で、受け入れるしかなかった。

 だが、今は違う。第二の生を持ち、様々なものを見て、聞いて、感じた彼女は、その無惨で無意味な所業を許すことができなかった。

 きっと、あの時青年も同じ気持ちを抱いたのであろう。


 こんなことがあってはならないと──


「やめろぉぉぉぉ!」


 気づけば体は動き始めていた。悲鳴のような静止の声と共に。


 男は驚駭と困惑が入り交じる表情でこちらを見やる。少女は電光石火の勢いで男との距離を詰めてかかった。


「んだてめぇ!!」


 男は幼子を乱暴に放り投げた。臨戦態勢をとり、拳を構える。隙の見当たらぬ構えだった。荒事の場数を、その気迫が誇示している。

 しかし少女は臆することなく真正面から向かっていく。


「どらぁ!!」


 大振りな拳撃が一直線に飛来する。

 少女はそれを難なく受け流し、男の懐に飛び込んだ。目にも止まらぬ快速で剣を手に取ると、抜刀と同時に男の腕を斬りつけた。刃は男の肉を深く抉り散らし、血飛沫を流麗に踊り狂わせる。


「ぐ、ああ、ああああ!!」


 男は跪き、片腕の斬傷を抑える。鈍く野太い嗚咽は、少女の耳を障った。


 少女は剣の先端を男の頭部に突きつけ、熱のこもった声音で言い放った。


「ここから消えろ!!二度とあの子に近づくな!!」


 譴怒の形相で、今にでも男の首を食いちぎる気勢を見せる。少女の目の前が真っ赤に染まり、冷静さを欠き始めていた。


 しかし男は、その態勢のまま肩をわずかに震わせ始める。


「…………!なにが可笑しい!」

「俺は、この地区のドンだ。その俺に手を出す、ということが、どういうことか、わかるか?」

「なに?」


 息も絶え絶えで、笑声をもらす。その様子は少女にとって不気味でしかなかった。

 早々に切り捨てようと剣を振り上げる。


 その瞬間。どこからか慌ただしい足音がこちらに打ち集ってくる。

 その音源の正体が続々と姿を現した。

 誰もかれも強靭な肉体を宿し、各々が武具を携持している。その男達は、少女にありったけの睥睨と憎悪をぶつけた。


 ようやくこの男の言葉の意味を理解した。

 少女は二歩三歩と後ずさるが、素早く退路を塞がれ囲まれてしまった。戦闘を行っても勝てる見込みはゼロに近い。


 まさに四面楚歌。八方塞がりだった。


 男は粘っこい笑みを浮かべながら、少女に視線を向ける。

 それを怨憎のこもった目で返すが、全てはあとの祭り。男は他の仲間に取り囲まれ、守護されている。

 男に改悔させることも、幼子を解放することも叶わない。


 絶対絶命に目が眩みはじめ、最大の死の予感を悟ったとき──


「よくやったぞ女!!!」


 大声がその場全員の耳をつんざいた。聞きなれた、柔らかな声色。男達を掻き分け閑歩する男。


 漆黒の青年は数年前、自分を救った時と同一の面で少女の前に顕現した。


「俺の指示通りよく長を打ち払った。だが甘いぞ。命を摘み取るまでが仕事だ。」


 青年は少女に歩み寄り、邪悪な微笑を表す。

 一体青年が何をしようというのか、皆目見当もつかなかった。


「さて、仕事は失敗した。これはお前の実力不足と俺の采配ミスが招いた事態だ。どちらが悪いということもないが、どちらも悪いという見方もある。これでは責任がどちらが取るべきかも定まらぬまま。ならば、この場で刃を交えて決着をつけないか?罪の擦り付け合いといこうじゃないか」

「な…………に、を?」


 少女は目を見開き、血の気が引いたように顔を青白くさせる。


 仕事?ミス?決着?今のセリフのどの一文を取ろうと、理解の外だった。

 半ば放心状態の少女を、青年は見透かしたように目を細める。


 そして、青年は両手を広げ高らかに喉から言の葉を飛ばす。


「どうだ!観衆の諸君!この決着が終わり次第、この騒動はお開きにしないか?そもそもここは人が寄り合うような場所ではない。そんな人間達は、人に付き従う必要は無い。その男がどうであれ、ここに住んでいる時点でお前達と同属。同じ地位だ。お前達が体を張ってそいつを守る必要も無い。それに俺達は国から依頼されている。王国から目を付けられている人間と関わりを持つというのは、自らその身を危険に晒しているも同義だ」


 青年は饒舌な口調で演説を行った。半分は嘘で、半分は正論だ。


 その二つの論理は異常な説得力を放ち、男達の闘気を損なわせた。

 強面の男は動揺を顕にし、男達をきょろきょろと見回す。


「何をしている…………!貴様らに金をやってやった恩を忘れたか!」


 威勢よく響かせる声に、男達は肩をびくつかせた。何をすべきか、非常に迷い困り果てているようだった。


 やはり裏の住人にも情はあるらしい。その恩を受け流すか、ここで少女と青年を始末することで返すか。

 思考は迷走し行き場を失っていた。


 そこで、青年は終止符の言を空へ打つ。


「なればこそ、俺達の決闘で手を打ってほしい。正直この戦力差ではこちらの全滅は必然だ。だが、そんなことをすればお前達まで目をつけられるぞ。しかしこのまま俺達が逃げ帰ろうとすれば、そちらの男は納得いかずお前達にこちらを襲わせるだろう。そこで、この国の雇われ同士が死闘を行い、片方の命が失われる。これならば、お前達も、その男も、俺達も何とか納得できるのではないか?この条件を飲めば、そちらのことを国へ報告するのは取りやめよう。これでどうだ?現実的にも精神的にも良い案だと思うのだが?」

「…………………………仕方ねぇ」


 幼子の飼い主は、渋々ながらもそれで納得したようだ。例え片腕に重傷を負っても、王国から目をつけられるのは勘弁して欲しいらしい。


 青年の強引で、あべこべで、筋の通ってるのか否か分からない論議に、その場が呑まれてしまった。


 気づけば、貧民窟の男達はこの決闘を興奮して心待ちにしていた。

 どんな時代でも、命のやり取りを傍目から見るのは、人によっては愉悦らしい。


 それとは対照的に、少女は激しく狼狽し瞳を泳がせる。

 状況は上手く把握出来ていないが、これから起こることは瞬時に理解してしまったからだ。


「さあ、剣を取れ。ここで雌雄を決するんだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ…………。なんで、なんで、こう、なるの?」

「全ては、生きるためだ」


 少女を静かに見据える。

 その瞳は冷ややかで、まるで獲物を前にした猛獣のように滾っている。


 少女は苦悩に頭を歪ませる。

 自分のせいだ。自分が余計なことに首を突っ込まなければ、こんなことにはならなかった。

 少女の頭の中で、自殺の二文字が脳裏をよぎった。


 だが、その考えはすぐに露と消えた。一体何のために、青年は雄々しい芝居を打ったのか。考えればすぐにわかることだった。

 どちらかが生き残るための、苦渋の決断。

 しかし、それは好機でもあった。この青年に自らの成長を示す。


 青年に教わった。生きているからこそ、意味があることもあると。


 全ては、生きるため。

 例え、愛しい人を切り捨ててでも、生きなければならないと。

 それを貫き通すことこそが、この青年への恩返しでもあると、少女は思い至った。


 これ以上の言葉は、場を汚すのみ。

 少女と青年は剣を取り、刃を交え始めた──





────────────────────────





 二人の激化する剣戟は、長い間続いた。

 どちらも一歩も引かず、一進一退の攻防戦が繰り広げられる。ギャラリーは盛り上がりを見せ、際限なく湧きたっている。


 当の二人は、余計なことは考えず、ただただ剣舞を踊った。


「はぁ!」

「うぉぉ!」


 完全に実力は拮抗していた。

 その二人の全力の剣閃がお互いの剣をはじき飛ばす。剣は明後日の方向へ飛んでいき、硬い金属音とともに地面へ叩きつけられた。

 武器を失った青年は、その剣を拾おうと後ろへ飛び上がろうとする。


 その瞬間。

 少女は服に忍ばせておいたナイフを取り出した。血痕の目立つ古びたナイフを。


 あの頃の、自分を。


「ぁああああ!」


 少女は青年に向けてナイフを真正面に突き刺した。深々とナイフが体内へ沈んでいく。


 青年は血塊を口から吐き漏らし、動きを止めた。そのまま前に倒れ、少女に力無く寄りかかる。


「それで、いい」


 青年は息を荒くし、しどろもどろになりながらも言葉を紡いでいく。


 少女はその瞳に透明な涙を貯めていた。

 青年を貫いたナイフからは、ぽたぽたと血液が流れていく。


「そうだ。生きろ。生きることが、全てだ。何があろうと、生きてさえいればどうとでもなる。お前は正しいことをした。生きるためなら何をしてもいいとまでは言わん。ただ、自身の命を、意思を守れないものに未来はない。それに、この戦いは、ただの命のやり取りなどではなかった。互いの大切なものを、懸けての、決闘であった。その果ての結末ならば、俺は笑い飛ばそう」

「い、やだ…………。死な、ないで」

「俺が逝っても、お前は大丈夫だ。お前は、そのナイフを自らのために使えた。もうお前は、一人前の人間だ。悔いるな。存分に生きろ。それが、人の業というものなのだから」

「……………………」

「人を、殺めた、者は……、その人間の思いを汲み取り、生きなければならん。もし、お前にその気があるのなら、俺のこの思いを、お前の旅路に…………。連れて、行って、欲し、い…………」


 それが、青年の最後に口にした言葉となった。みるみる内に青年の体は体温を無くしていく。

 そして、完全に力を失い、少女の体からずり落ちていった。


 少女は涙を浮かべようとも、落涙することはなかった。必死に堪え、漏れそうな嗚咽も飲み込んだ。


 少女は、伏した青年を抱きかかえ、歩き出す。ギャラリーは自然と少女の道を開けた。

 少女は悠然と、凛とした足取りで観衆の群れを抜ける。


 そして、道の一端で呆然とする幼子へ目を向けた。


「ほら、行くよ」


 優しい、柔らかな口調で告げた。幼子の目は星のように輝きを放ち始めた。

 その光景は少女の心を暖め、懐かしさをはらませた。


 ああ、これが、この人が見ていた景色だったのか。青年の安らかな眠り顔を見て思う。

 幼子は、何も言わず少女の後をついていく。


 この時から、この少女と幼子の二人の物語が始まりを告げた──





────────────────────────





 あのとき、初めて語り合った場所。見晴らしもよく、心地よい丘の上。


 そこに、一つの墓を立てた。

 誰よりも人生を楽しみ、少女に生きることの大切さ、その意味を教えてくれた人のものだ。

 決して立派な墓標とは言えないが、そんなことあの青年は気にも止めないだろう。


 青年は、生きることに執着していた。それはきっと、一人の人間として、人生を楽しみたかったからだろう。

 何ものにも縛られず、ただ本から取り入れた浪漫に憧れただけなのだ。


 なんだかんだ言っていたが、結局は純粋に生きることが好きだった。

 それを、少女にも知って欲しかった。わかって欲しかっただけだったんだ。


 何も難しいことなんてない。


 貧民街で数十人の命を奪ってしまったことも、青年から命を奪ってしまったことも、少女は後悔していなかった。

 その人達の思いを胸に背負い、生きていくことこそが、大事なのだと。


 それが、あの人の最後の教えだった。

 だから、少女はその教えを守ろうと決意した。


 それさえも、青年の思いなのだから。


「そろそろいこーよー」

「うん、そうだね。行こっか」


 幼子と共に、少女は墓を後にした。


 次に帰ってくる時は、青年の分まで人生を謳歌できたらにしようと、そうささやかな願いを持って──

お読みいただきありがとうございました。

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