いつかきっと
【スマイルジャパン】2016参加作品です。
毎日、校門で校長先生が挨拶運動をしている。
「おはよう」
「おはようございます」
この挨拶運動の意味が分からない。小学校ならともかく、高校でするか?
校長先生に言われれば、もちろん挨拶はするよ。
でも、この挨拶と今日一日がいい日であることの保証は何もない。
「朝から挨拶ができるというのはいいことだ」
そうかなあ。
反抗する気もないけど、それほどいいこともない。教室に入れば、男子も女子も昨日の宿題を写し回っている。いつものことだ。ノートの持ち主は葉山麗。みんなに優しくてノートも平気で貸す。こういう子ってありがたい。でも、どうして一生懸命解いたものをみんなに貸すんだろう。
数学の笹田平蔵はとっくにそこをお見通しだ。
「あのなあ、葉山の解答と同じものが多すぎだろう。しかも倉木まで同じってありえんだろう」
名前を言われた倉木隆は口をとがらせながら抗議している。
「その言い方は失礼じゃないんですか。僕と葉山さんと同じってあり得ることでしょう」
「ないない。君はノートとテストの点の差が80点。ひどすぎだ」
みんなの大笑いにますますふくれる倉木。葉山さんはにこにこ笑って全然動じない。私は夜解いてどうにかノートを提出する。さして難しい問題とは思わないが、夜のテレビを消してまでこの問題を解く必要があるのだろうか。親も8時になればテレビを消して私が勉強部屋に行きやすいようにと気を遣ってる。
「あーあ、つまんないな」
部屋ではまずベッドでゴロリ。姉はまだ帰ってない。この頃大学が忙しいとかなんとか言って夜帰ってくる。おかしいよ、絶対。
この間は服を脱いだらキャミソールが裏返しだった。
「あ、お姉ちゃん。外でキャミを脱いだんだ。言ってやろ」
「やめて。変なこと言わないで。朝から間違えたの」
「ありえなーい。だってそのキャミ買ったばかりじゃん。ショーツだって高いやつ」
「うるさいわね。だからあんたはモテないの」
「なんでよ。そんなことお姉ちゃんにはわからないでしょ」
「わかるわよ。あんたみたいに周りとなじまない子って好かれないわ」
妹に対してこんなにグサッとくるようなことを言うのはこいつだけ。
でも、少し当たってる。
葉山さんに見せてなんて口が裂けても言わない。あの子嫌いなんかじゃないけど、どこか嘘っぽくて。でもそんな人になったのは5年前からだって。ご両親が亡くなって遠い親戚に引き取られてからのようだ。いい人になるしかないって誰かが言ってた。私の不器用な真面目さはクラスでは浮く。葉山さんのを写すなら5分もかからないのに。
そんなことより早く解いちゃおう。
あーあ、こんな問題、笹田は毎日どこからか見つけてくる。その個性的なところは認めるけど、こんなことしてると英語はさらに時間がかかる。明日は古典もテストがあるしなあ。時間が足りないよ。
結構頑張って勉強してもあのクラスでは中の中。もちろん倉木は下にいる。葉山さんは上の上。父も母もそれほど勉強をしろとは言わない。命があればいいんだって。でも、姉はそんな二人の期待を一身に受けて国立大に受かった。私の方は個人懇談でもお姉さんほどではないとずっと言われてきたから親も期待していない。
父はあまりぱっとしない私の学費の計算をいつもしている。母も県外だと生活費は送れないからと高校入った時から言っている。
華やかな姉の二重瞼の顔と生粋の大和民族の私の顔ではモテる度合いも全く違う。
コンプレックスがないはずがない。
でも、いいんだ。
私は姉とは違って芸術方面に行くんだから。勉強はほどほどでいいんだと変な理屈を持ち出す用意はしている。でも親にはそんなことは言わない。私も結構いい子になってるのか。
ドアが閉まり、二階へ駆け上がる音。
姉だ。
「桜、頭が痛いから出て行って」
「勉強しないと」
「うるさい!」
部屋の間仕切りのカーテンを閉めると姉はベッドに飛び込んだ。
「何よ! 妹は受験生なのよ」
腹を立てながら言い返すと、小さく泣いてる声がする。
姉が泣いてる。
押し殺した声で泣いてる。
この声で泣くときは本当につらいときだ。
ヒステリーを起こすときはワーワーと泣くが、こうやって泣いてるときは私も気を遣う。
友だちが消え、家が消え、祖父母が消えた日もそうだった。
いつまでもいつまでも泣き声は止まらない。
気になって仕方がない。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「どうしたん?」
「なんでもない」
「そうか」
こういう時は黙って数学を解く。
言いたくなったらカーテンを開けてくるはずだ。
あめ湯を入れてこよう。
二つのカップにあめ湯を入れて、カーテンからカップだけ出す。
「ほい」
「ありがとう。あんたはいい子だね」
「そうだよ。今わかったの?」
「うん、知らなかった」
そう言いながら吹き出してる。
「桜、私フラれちゃった」
「いいじゃん、男なんて星の数ほどいるんだから」
「うん、そうだよね。でも、あいつにあげちゃった」
「何を?」
「いいの、おこちゃまは知らなくて」
「あ、あれか。でもそんなに大切なものかね」
「大切よ。親には知られたくない」
「ふーん、でも多分親だって若いときはおんなじでしょ」
「あんたって年寄りみたいな子ね。私よりずっと大人。耳年増ねえ」
「うん、勉強だけはたっぷりしてる。そっちの方も」
それを聞くと姉はひっくり返って笑い出した。
「教えて教えて。桜、こういう時はどうするの?」
「あめ湯を飲んだらだんだん忘れるわよ。そんな男」
「そうか、そうなんだ。あんたって最高」
肩を並べてベッドに座ってあめ湯を飲む。
「この部屋の狭さもいつの間にか慣れたね」
「うん、最初は嫌だったね。お姉ちゃんと私の部屋が無くなって」
「あれから5年だもんね」
「うん、いろいろあったね」
「ねえ、このキャミあげる。もう着ない」
「うん、もらってあげる」
「オープンキャンパス見に来ない?」
「うん、高嶺の花だけど見るだけ見る」
姉は笑いながらまた泣き出した。
飲み干したカップを下げて、カーテンを閉める。
「おやすみ」
「……」
静かに泣きながらいつの間にか姉は寝たようだった。
今日は電気を消して寝よう。
明日は葉山さんのノートを写すんだ!
多分早起きして解くと思うけど。
少しでも笑顔になればと思います。