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しょうけつ

 ――これは悪夢だ。

 一歩引いた位置からその情景を眺めていた俺は、すぐに状況を理解した。

「二人きりになっちゃったの」

 綺麗な銀髪の少女が、照れ臭そうに微笑む。

 赤い場所だった。月が落とす光も、大理石の床に刻まれた魔法陣も、そこらに転がる肉のオブジェクトも、全てが赤い。

 ここは俺の悪夢の中。と言っても、過去の記憶を元にされてるから、俺の忘れたい過去でもある。

 しかし、この場で唯一赤ではない色があった。それは光を跳ね返す銀色。先ほど口を開いた少女の髪の色だ。

「あーぁ。せっかくのセリフなのに、ムードもへったくれもないの」

 銀髪の少女は両手を広げて嘆息した。

 彼女の視線の先には、一人の少年がいる。今までの地獄で全身を真っ赤に染めた、幼き頃の俺だ。

「ゴメン」

「謝るぐらいなら乗ってほしかったの」

「うん、ゴメン」

 少女が無言で頭を抱えた。これ以上話したところで、小さな俺の考えは変わらないと察したのだろう。

「約束を破らずに進めれてよかったの」

 少女も赤を全身に被っている。そして、右手には一振りのナイフがあった。少女だけではなく、当時の俺も同じモノを持っている。

「どうやって決めるの? 真面目にやるのはもう勘弁なの」

同時に考え込む様子を、俺はどこか遠くから眺めるように見ていた。二人は約束をしていた。もしも最後に残ったのが自分たちだけだったら、公平な手段で最期を決めようと。

 少女や幼き俺、肉塊になったそれ以外は一つの実験に参加させられていた。

 実験内容は、世界を支配する生物を超える能力の開発。成功例がいくつかある、非人道的な実験だ。

 内容はシンプル。集めた孤児同士で殺し合いをさせるだけ。

「――僕は死にたくない」

 まだ幼稚だった俺は考えを中断して、思っていることを正直に告げた。

 考えれば考えるほど公平なんて方法は見つからなくて、思考を巡らせれば巡らせるだけ猟奇的な殺し方が浮かんでくる。

「それは、私を殺したい、ということなの?」

「違う! けど……」

「殺したくないけど、生き残りたいってことなの」

「うん……」

 小さな俺が自信なさげに頷いた。

「分かったの。それなら仕方ないの」

 少女が小さくも確かな足取りで、当時の俺へと歩み寄る。

「そんなに怖がらなくていいの。ほら、私のナイフは捨てるの」

 少女の持っていたナイフが落ち、静かになった空間に金属音が鳴り響く。

 その時の俺も少女のまねをしようとして、動きを止めた。

 何かとてつもなく嫌な予感が胸中を走り抜けていったからだ。

「待って。何しようと」

「だから怖がる心配はないの」

 幼き俺の右手を、少女が両手で包み込むように握る。

「君は絶対に死なせない」

 少女の手に力が入り、俺の右手が少女の元へと引っ張られる。

 反射的に目を閉じる俺。手に持つナイフが、何かを貫く感触を伝えた。

「私を信じてほしいの」

 子供だった頃の俺は目を開けて、絶句した。

 自分の持っているナイフが貫いていたのは、銀髪を煌めかせる少女の胸元だったからだ。

「なんで、どうして君が――!?」

 少女に刺さったナイフを急いで手を引っ込めることで抜き、小さな俺は倒れる彼女の体を抱き支える。

「簡単なの。私は君に生きてほしいと思ったの」

 少女の体は軽く、心なしか全身から力が抜けているように感じた。

「不思議なの。死ぬなんて怖くないと思ってたの。でも今になって、死にたくないって思うの。強く思うの」

 ボロボロと腕の中で大粒の涙を流す少女。少年も彼女と同じように涙を流していた。

「私も幸せを味わってみたかった! 美味しい物を食べてみたかった! 好きな人と楽しい時間を体験したかった!」

 少女も当時の俺も、そしてこの実験に参加した他の子供たちもそうだ。

 実験に巻き込まれなければ。孤児じゃなければ。もしもこんなクソみたいな実験がなかったら。

 無数のたらればが一個でも該当していれば、こんな悲劇は起きなかった。

「……ゴメン、なさい」

 少女の叫びに、それだけしか言葉が出ない。

 彼女と当時の俺は、悲劇から逃れられる唯一の切符を目の前にしていた。そして切符は、この俺の手に渡った。

 それは何故か。彼女に譲られたからだ。

 今は無くなってしまった未来を叫ぶ少女に、生を託されたからだ。

「ゴメンなさい。僕がいなければ、君が生き残れたはずなのに」

 嗚咽が止まらない。少女の命を糧にしてしまった俺の苦痛は収まらない。

「――泣かないの」

 氷のように冷えた手が、過去の俺の耳を撫でた。どうして耳を、と思ったが少女の顔を覗き込んだらすぐに答えが分かった。

 少女の瞳孔が大きく開いている。彼女の瞳に光は映っていなかったのだ。

「私の分までしっかりと生きてほしいの。私にとって、初恋の相手である君に」

「えっ……?」

「せっかくの告白を、泣いてグチャグチャになった顔で聞いてほしくないの」

 少女の声音に、若干の不機嫌が混ざる。しかしそれ以上に、明確な冷たさが彼女を襲っていた。

 彼女の体を抱いている俺に、未曽有の恐怖が叩き込まれる。

「分かった、僕は生きるよ。君の分まで全力で」

「……ん」

 少女が力なく頷く。彼女の時間は、もう残りわずかだった。

「だから見てて。君が好きだと言ってくれた僕が生きていくところを」

 相変わらず涙は止まらなかったが、少年は今出来る最高の笑顔で言った。

「……うん。約束、だよ」

 ――そして、少女の体が動くことは二度となかった。




「嫌な夢だ」

 俺は呟きながら、静かに目を開けた。

 俺がいるのは、簡素な造りの部屋だ。荒い木目の小さなタンスと年季を感じるベッドしかない、仮眠をとるためだけを目的とした部屋。

 玉のような汗が額から流れ落ちる。不快な感覚に顔をしかめながら俺は体を起こし、額の汗を袖で拭う。拭った汗が予想を上回って袖を濡らし、部屋で一人ため息をついた。

「うなされておったようじゃな」

 訂正、俺は一人ではなかったようだ。

「なんでヤトがここにいる。カイナに別の部屋を案内されなかったか?」

「カイナがお主を肩に担いで帰ってきたんじゃ。所有物であるワシとしては、主の心配をせぬわけにはいくまい?」

 ヤトが肩をすくめる。冗談めかして言っているが、言っていることが本当なら、きっと驚いたに違いない。

「そういえば、寝た時の記憶が曖昧だ」

 確か、店に迷惑行為を働いたバカに堪忍袋の緒が切れたカイナを止めにいったはずだが、そこから先の記憶はひどく不透明だ。ただ、俺がこのベッドで眠れているということは、最悪の事態は回避出来たのだろう。

「目的は達したな。見ての通り、俺には一つの心配もいらない。とっとと部屋に戻れ」

「イヤじゃ」

 即答。

「ヤトも久しぶりの旅で疲れたろ」

 顔のいたるところに青筋が走ったが、俺はわざとらしい笑顔と似合わない穏やかな声で全部を隠そうとした。話を長引かせるつもりなどなかった。

「ふむ、疲れた。お主は寝ていたから知らぬじゃろうが、ワシはつい先ほどまで働いていたしの」

 新たな看板娘の登場に、今日の酒場はいつもより盛り上がった。怪物である店主、カイナが嬉しい悲鳴を上げていたほどだ。

「じゃが、部屋には戻らぬ。話し相手になれ」

「はぁ? なんで俺がお前のワガママに付き合わないといけないんだ?」

 俺は今でこそ普通に話しているが、極度の疲労がまだ残っている。ゆえに、俺にとってヤトの話などどうでもよく、今は少しでも休息を取りたかった。

「付き合わぬならそれでもよい。じゃが、安眠を得られるとは思わんことじゃ」

「なるほど。脅しのつもりか」

「どうじゃろうな。気になるなら試せばよい」

 ヤトは本気だ。話をしなければ、本気で俺の睡眠を妨害するつもりでいるらしい。

「チッ、分かったよ。で、話っていうのは?」

 舌打ちしながら、それでも話を聞く体勢に入る俺は、きっとお人好しだ。なんだか、ドッと疲れが増した気がして、重たいため息で疲れを吐き出した。

「クロガネが化物と言われている理由を教えてほしいんじゃ」

「カイナから聞いたんじゃないのか?」

 昼間に二人で話をしていたではないか。俺の睡眠を妨害するぐらいの盛り上がりだったはずだが。

 せっかく意識まで切り替えたというのに、拍子抜けした気分だ。

「カイナから聞いたのは竜鎧という人種の成立ちについてじゃ。クロガネが化物と言われる理由ではない」

「それ、ほとんど俺が化物と言われてる答えなんだが」

 俺が化物呼ばわりされているのは、竜鎧という人種だからだ。竜鎧は世界に竜だと誤認させる必要がある。外見で言えば人間で間違いないが、竜鎧の本質は人間に忌避される竜なのだ。化物と呼ばれないわけがない。

「クロガネが竜鎧じゃから人々に化物と呼ばれる。それは分かるんじゃ。でも、どうしてお主まで自身を化物と呼ぶ?」

「俺が化物と自覚している理由が聞きたいわけか」

 俺はようやく合点がいって、ポンと手を付きながら言った。

 ヤトは沈黙を保つ。沈黙が答えだ。俺の予想が当たっていることを表していた。

「興味が沸いたか? だったら部屋に戻れ」

 クロガネは冷たく言い放ち、再びベッドに横たわった。

 あの惨劇を説明する気など、あるはずがなかった。

「興味も確かにあるがそれだけではない。ワシはクロガネのことをもっと深くまで知りたいんじゃ」

「それは何故だ? まさか、恋愛感情が芽生えたわけでもないだろ?」

「真剣に話をして欲しいんじゃ」

 俺はヤトに背を向けたまま茶化す。答える気は毛頭なく、答えを求めて話をしたがっている少女を煩わしく思っている俺には、真面目のまの字も頭になかった。

「分かった。それなら真面目に話をしよう」

 俺は寝返りを打ち、ヤトと目を合わせる。

「ヤト、お前は何者だ?」

 会って二日しか経っていない俺からすれば率直な問いかけだった。だが、ヤトは面白く感じるほどの反応を示す。

「なんのことじゃ?」

「とぼけるなよ。お前が普通じゃないってことは昨日のアレでもう分かってるんだ」

 俺の言葉は、ゴブリンのことを指している。

 ヤトが生唾を飲み、喉が小さく跳ねた。

「あのゴブリン共はクロガネを狙っていたのかもしれぬぞ」

「本気でそう思ってるのか? キリュウ殿」

 再び、ヤトの顔が強張る。心臓を直接握られたような、悲痛に歪んだ顔だ。

「ゴブリンがお前をそう呼んでいたな。どういう意味なのかは知らないが」

「そ、それは……」

「別に答える必要はない。知りたいとも思わない」

 秘密の一つや二つぐらい、誰もが持っていることだ。そんな常識を知っているからこそ、俺は他人の秘密に興味を抱かない。

「ただ、俺がお前に秘密を言うこともない。これから先も、永遠にな」

「知りたいと思うことの何が悪いのじゃ」

「悪いとは言わない。だが、ヤトがしようとしているのはそういうことだと理解してほしくてな」

 俺は他者の都合なんて考えない。そんなモノは不必要だからだ。知ったところで、何か出来るわけでもないしな。

「ワシの秘密はあまり公言するべきではない」

「そうか。ならこの話はここで終わりだな。さっさと部屋に戻れ」

 俺はまた寝返りをうち、ヤトに背中を見せた。今度こそ話は終わりだ。背中でそう告げながら

「じゃが、お主になら」

 俺の意思を無視して、ヤトが口を開いた。

「クロガネになら、ワシは話してもいいと思うておる」

「聞こえなかったか? 俺は部屋に戻れと言ったんだ」

 俺の眉の間にしわが刻まれる。もっとも、後頭部しか窺えないヤトには、その深く刻まれた眉間を見ることは出来ないのだが。

「クロガネがワシを救ってくれた。ワシが今こうして笑えるのは、お主のおかげじゃ」

「感謝しているのなら俺の言うことを聞いてくれ」

 ヤトは俺の言葉の刃にめげず、胸に手を当てて内に秘めた思いを告白する。

「じゃからワシは、クロガネになら教えてもいいと思うておる」

「止めろ」

「なぜじゃ? この話はクロガネにも関係があるのじゃぞ?」

 関係はある。確かにそうだ。

 キリュウと呼ばれたわけ。ゴブリンが彼女を狙って竜鎧に恐れながらも手を出してきた理由。竜鎧として人間を襲う連中を駆除しなければならない俺に、関係がないわけがなかった。

 それら事情をヤトは話すというのだ。理由が分かれば策も考えやすい。

 俺の竜鎧としての本能が、彼女に先を話すように告げていた。

「ダメだ」

 だが、本能を抑え込んでまで、俺は少女の話を切り捨てた。

「俺にヤトの秘密を背負うつもりなんてない。だから聞かない」

「じゃからワシの事情はお主にも――」

「それでもだ」

 ヤトの言葉に途中で被せて、俺は再度体を起こす。

「確かにヤトの秘密は俺に関係あるのかもしれない。でも、聞かなかったとしても問題があるわけじゃない」

 強がるなよ。ヤトの事情は喉から手が出るほど欲しい情報だろ。

 竜鎧としての本能が、俺の頭の中で不満げに囁く。

「どうなったとしても、俺が狩れば済む話だ」

 黙れ。俺はもう誰かの事情を背負わないと決めているんだ。

 俺は竜鎧に吐き捨てながら、過剰としか思えない自信を見せた。ヤトの目が心配そうに細まる。

「そんなことがお主に出来るのか?」

「殺らなきゃ殺られる。昔から俺はそういう世界で生きてきた」

「それはそうじゃろうが、いやそうではなくてじゃな」

 ヤトが頭を横に振りながら、自分の中で意見を纏めるためか言い淀む。

「確かにクロガネ一人なら問題ないかもしれぬが、この王都に住む民はどうなるんじゃ?」

「は?」

「あのゴブリンたちがクロガネに牙をむくのは珍しいことじゃった。じゃからクロガネの報告を聞いたカイナも、首をかしげることになった」

「それはそうだが」

「ならば、じゃ。こうは考えられぬか? 人が集まるこの王都ですらもう安全ではない、という風に」

 バカな、それはもはや妄想の次元ではないか。可能性として有り得る、という話ですらない。

 だが、俺はヤトの言葉を妄言として笑い飛ばせなかった。

 それだけの説得力があった。

「クロガネには竜鎧として、公には広められぬ外道によって力を得た者として、お主には知ってもらわねばならぬ。じゃから――」

「何度も言わせるな! 部屋に戻れって言ってるだろ!!」

 本人すら意図していなかった怒声が、俺の口から溢れた。

 ビクリ、とまるで陸に揚げられた魚のように、ヤトの肩が大きく跳ねた。

「……悪い。急に大声出して」

 バツが悪そうに頭を掻きながら、俺は歯切れも悪く謝罪した。

「いや、えっと、クロガネが謝る必要はないぞ。悪いのはワシじゃ」

 目を伏せ、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ少女の表情は窺えない。ただ一つだけ、俺でも分かる。ヤトの表情に笑みがないという事実ぐらいは。

「すまんかった」

 ヤトはそれだけを残し、足早に部屋を出ていこうとドアに手をかける。

「おやすみ、ヤト」

「……おやすみ」

 努めて優しくした俺の声に、一拍の時間を置いて少女は返事した。

 それ以外の言葉を残すことなく、ヤトが部屋を出ていく。一瞬だけ見えた彼女の顔には、光るものがあったように思えた。

「何やってんだかな。俺は」

 昨日知り合っただけの人間に、ましてやまだ年端もいかぬ少女に怒鳴り声をあげてしまったことが情けなくって。

 俺は情けない自分から目を逸らすように、再び眠りにつくのだった。


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