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しょうてん(認証)

「似合うねー」

「そ、そうかの?」

 俺の誤解も解け、すっかり仲良くなったヤトとカイナ。俺が王宮で面倒事を押し付けられているというのに、随分と楽しそうに談笑していた。

「うんうん。その服取っといて良かったよ」

 満足げに頷くカイナ。その視線の先で、ヤトは首を回したりしながら衣装替えした自分の姿を確認している。

 黒地のスカートに白色のエプロン。エプロンのいたるところにはフリルが施されており、気品さの中に無類の忠を混ぜ込んだような、上品な意匠が成す美を醸し出していた。もちろん、着ているヤトも素材はいい。もしもヤトがこの服を着た状態で接客をしようものなら、きっとカイナの酒場は大繁盛するだろう。

「帰ってきたらクロガネも驚くだろうね」

「ほ、ホントかの?」

 ヤトが心配そうに尋ねる。心なしか涙を溜めているように見えるその目じりが、カイナの邪な気持ちにさせる。

「ホントホント。あんなんだけど、クロガネって結構ムッツリだから」

 なぜか口の中に溜まったツバを飲み込みながら、俺にとっては不名誉極まりないことをほざきやがるカイナ。その場にいたら、多分竜鎧を起動させて否定した。それぐらいしなければカイナは止めようとしないからだ。

「クロガネがムッツリ? あ奴、ワシが隣で寝ているにも手を出してこなかったぞ?」

「ヤトちゃんに手を出したら、人としてダメな気がするけどね」

 カイナが苦笑した。確かに、十歳にも満たない少女に欲情したからといって手を出しては、人の尊厳を失ってしまう。

「なんじゃ。ワシでは不満があると言うか」

「い、いやー? ヤトちゃんはカワイイんだし、不満とかはナイヨ」

「ならどうしてそんな言い淀む」

「えっ! えぇと……アハハ」

 カイナは後頭部に手を回しながら再び苦笑する。今度はかける言葉が見つからなくて、困ったという笑いだ。

「まあよい。このめいどふく、とやらを着ていれば、クロガネは喜んでくれるんじゃな?」

「え、うん。喜ぶよ、喜ぶに決まってる」

「ヘンな名前の服じゃが、喜ぶというのならお披露目せねばならぬな」

 ヤトがやれやれと首を振って、メイド服の胸元をきゅっと掴んだ。

「……楽しみじゃ」

「何が楽しみなんだ?」

「それはもちろん、ワシのぷりてぃーになった姿を見てじゃな――?」

 自信に満ちた表情でそこまで説明してから、ヤトが固まる。

 どうしたのだろうか。俺が自分の家に帰ってくることが不思議だとでも言いたいのか。

「――いつからおった」

 ヤトが実に恨めしげな声と表情で、彼女の背後に立っている俺を睨む。

 俺を待ち望んでいるかと思い急いで帰ってきたのだが、とんだ勘違いだったようだ。

「似合うねー、の辺りからだな」

「最初からではないかっ!?」

 ヤトの嘆きにも似た叫びと、カイナが腹を抑え大爆笑するタイミングに一瞬の狂いはなく、八割程度しか状況を把握していない俺もつい口角を上げてしまう。

「カイナ、お前の趣味か」

「もちろん! ヤトちゃんカワイイし、クロガネも許してくれると思ってたからね」

「俺の許可はいらないだろ」

「クロガネの所有物でしょ?」

 キョトンとしながら、カイナは首を傾げた。いつもこれぐらいの可愛げがあればいいのだが、仕事となるとこの怪物は人が変わってしまうから困ったものだ。

「確かにそうだが、自由に使えと言わなかったか?」

「ああ、そういえば」

 本気で言っているのか、ただおどけているだけか。きっと後者なのだろう、カイナは忘れていたことを笑ってごまかしていた。

 ヤトに嫌われないように、望んで道化を演じているようにも見える。

「そ、それでクロガネ」

「ん? どうした、ヤト」

「ワシの格好、どうじゃ?」

 ヤトが俺の服の裾を掴んで、彼女の性格からは想像すら浮かばないほど自信のない顔をしていた。悲観的な顔なら何度か見たが、これほどまでに自信を無くしているヤトは初めてだった。

「どう、とは?」

「ヤトちゃんに似合っているか、ということよ」

 俺が困惑しながら聞き返すと、カイナが簡潔に助け舟を出してくれた。

 事情は納得出来たが、説明の意味は理解できない。

「俺の意見がいるのか?」

「もちろんじゃ!」

「なぜだ? カイナが認めているんだし、別にいいじゃないか」

 俺の発言が癪に障ったのか、カイナが重いため息を吐き出す。

「男の意見もいるでしょ?」

「そうじゃ、大切なんじゃ!」

「そうなのか?」

 カイナの呆れ声とヤトの怒号にも似た叫びが俺を襲う。まったく腑に落ちないが、俺が悪いんだろう。怒られるようなことを言ったつもりはないのだが。

 俺はあごに手を持ってきて少し考える。思考のほとんどが先ほど王宮で聞かされた不可解な事態に対応しているので、考えが全然纏まらない。だが、中断も出来ない。

 ヤトが朱色の瞳を輝かせながら俺の答えを待っているんだ。考えが纏まらないから分からない、と言ったら、彼女がどんな顔でどんな反応をするかなんて想像に難しくない。

「じゃあ、似合ってる」

「じゃあ、とはどういうことじゃ!?」

 俺の精いっぱい気を使った台詞は、ヤトのお気に召さなかったようだ。

 結局、怒られてしまった。真にふがいない。

「そのままの意味だ。よく似合っている、と思う」

「ププッ」

 持てる力のすべてでフォローに走ると、ヤトは満足してくれたが、カイナが吹き出した。俺に恨みでも持っているのか。

「……何がおかしい」

「べっつにー。ただ、成長したなーと思ってね」

 食えない笑顔で答えるんじゃない。それ以上何も言えなくなるだろ。

「余計なお世話だ」

 カイナの我が子を眺める目線を受けて、俺は逃げることを決意して、階段に向かう。今度こそ寝るためだ。なんて戯言が、居たたまれない空間から逃げるための言い訳に過ぎないのは、俺が一番よく知っている。

「ああ、そうだ。ヤトで遊ぶのはいいが、あまり羽目を外さないでくれよ。紅蓮さん」

「ん? ああ、心配しなくても大丈夫。看板娘として働いてもらうだけだから」

 ――どうだか。

 俺は疑いの視線を一瞬だけ向けてから、階段を上って行った。


「むぅ。反応が薄いではないか」

 クロガネが階段の奥に完全に消えるのと同時に、ヤトが口を開いた。その声はかなり不満げだ。

「まあ許してやってよ。アレでも大分マシになったんだよ」

 アタシは苦笑してクロガネのフォローをする。言葉は味方したが、心情はヤトに傾いている。つまり、上手く褒められなかった彼に呆れの気持ちを抱いていた。

「マシ? 前はアレより酷かったというのか?」

「ヒドいヒドい。もしも同じ質問を昔にしてたら、竜鎧を展開していたかもね」

「それは成長以前の問題ではないかの……?」

 ヤトが顔を青ざめながら呟く。

「うん、会ってすぐの時は大変だったよ」

 昔のクロガネは抜き身の刃みたく周りを傷付けていた。そしてそのたびに、騎士団にお世話になったものだ。彼は竜鎧、竜と並ぶ力を持つ化物なのだから、私的な理由で使いまわしていい力ではないのだ。

「でも仕方ないの。クロガネは竜鎧の一人。ろくに会話も出来ない他の連中と比べれば、まだ比較的に軽度な部類なんだから」

「軽度……竜鎧とやらをまるで病気か何かみたいな言い方をするんじゃな」

「怒らせちゃってごめんね。でも本当のことだから」

 嫌悪感を露わにするヤトに、アタシは笑顔で謝った。しかし、その瞳は依頼の報告をした時みたく冷たくて、そして笑みの一つも混ぜていなかった。

「クロガネの力は造られたものだからね」

「造られた、じゃと? ワシを救ったクロガネは、偽りの力で戦っていると言うか!?」

 ふざけるでない! 白髪が逆立ち、瞳には烈火が燃え盛る。全身の雰囲気がアタシを敵としてみなしていた。

「いやいや、クロガネの実力は本物だよ。ヤトちゃんを助けたのは、間違いなくクロガネが本来持つ力だし」

 アタシは両手を前に出して、ヤトの怒気を軽く否定する。

「でも、竜鎧の特殊な力なんだけど、理論上は誰でも発現可能なの。ヤトちゃんも見たでしょ? あの黒い鎧を」

ヤトの脳裏に浮かぶのは、今朝も運んでくれたクロガネの姿。竜鎧の力は、誰にでも使えるような代物にはどうしても思えないんだろう。

 ヤトは懐疑的な視線をアタシに向けるのを止められなかった。

「信じられない? アタシの言うことが」

 視線に混じった感情を完全に読みとって、アタシは先ほどとは違う本当の苦笑を浮かべる。

「そう、じゃな。ワシにはとてもマネ出来るとは思わん」

「素直だね。でもそれは、造り方を知らないからだよ」

「カイナは、知っておるのか? その、造り方を」

「うん、知ってる」

 色とりどりの笑みを浮かべていたアタシから笑顔が消える。変わりに刻んでいたのは、まるで葬式にでも参加しているような悲壮な表情。

「つい流れに任せてここまで話しちゃったけど、正直ヤトちゃんが聞くべき話じゃないの。知らない方が幸せなことって確かにあるから」

 諦めが、アタシの表情を奪う。

 過去に何があったのか、竜鎧の秘密にどれだけの重みがあるのか、それはヤトには分からない。だが、新たな人を巻き込みたくないという思いは、事情をまったく知らない彼女でも理解出来た。

 ――だが、それでも。

「ワシは知りたい。竜鎧がなんなのか、クロガネが何を背負っているのか、ワシは知りたい。知らなければならない」

「それで後悔することになったとしても?」

「後悔などせぬ」

 ヤトは自信満々に胸を張り、アタシの脅しにも屈しなかった。

眩しかった。純粋な彼女が、絶望なんかには負けないと胸を張るヤトが眩しかった。

 アタシは目を細める。分かっているからだ。ヤトがこの後、事実を聞いて顔を歪めるという未来を。

「竜鎧を造る条件は一つ。たくさんの命を奪うことだよ」

 やはり予想通り、ヤトは凍りついた。

「世界に竜だと誤認させるために、竜と同じ数を殺さないといけない。あらゆる生物を、竜と同じぐらいの膨大な命をね」

 ヤトの呼吸の感覚が長くなっていく。尋常ではない殺意を感じ取ったのだろう。アタシが殺気を混ぜているわけではないが、自然と言葉は重くなる。重くなってしまう。

 クロガネが体験している過去には、それだけの重みと圧力がある。

「ついでに教えてあげるよ。十年で一万人。これは竜鎧になるために殺さなければならない人間の最低数。家畜とかも含むし当人の才能によっても変わるけど、この数より下は歴史上存在しない」

 ふざけているとしか思えないぐらい馬鹿げた数と期間だ。だが体験するとなると、その数だけでも背負う十字架の大きさは計り知れない。

「十年という期間は、いつから始まるのじゃ?」

 ヤトが口に出せたのは、そんなどうでもいい疑問だった。

 ヤトの頭は、そんなどうでもいいことしか考えられなかった。

「もちろん、生まれた時から」

「つまり、とおとなる前に殺さねばならぬということか?」

「うん。そうなるね」

 ――ふざけた戯言を申すな。言っていい冗談と悪い冗談があるぞ。

 まるでそう言いたげにヤトは不満そうになる。

 有り得ない。そう考えるのは簡単だ。何せ、ヤトの見た目も十を過ぎるかどうかといったところで、クロガネがヤトの年齢を迎えた時には既に地獄のような数を殺しているというのだから、有り得ないと言う他ない。

 しかし、アタシは決して笑わせようとして冗談を言っているわけでも、驚かせようと嘘を吐いているわけでもない。ただの事実として教えていたからだ。声が、動作が、そして表情が、現実を淡々と教えているとしか、ヤトの瞳には映らなかった。

「竜鎧を作るには、子供が必要になる。クロガネだって例外じゃなかったし、他の竜鎧もみんな同じだよ」

 アタシも直接本人から聞いたことはない。それでも竜鎧と交流する機会の多いギルドの長という彼女の立場には、色々と情報が集まってくる。竜鎧の製作方法も例外ではなかった。

 生まれてから十年も経っていない少年少女がどうやって竜鎧となるのか、そのクソみたいな作成手順を、カイナはよく耳にする。

「竜鎧の、クロガネの中には、無限の虚無があるんだよ。アタシたち常人では理解できない、深く暗い奈落がね」

 クロガネと初めて会った時、アタシは目を疑った。

 当時はギルドなんて作っていなかった。興味すらなかった。

 その時何をしていたのか記憶にない。どうせすぐに忘れてしまうぐらいのどうでもいいことだったんだろう。ただ、クロガネに会って、すべての見識が変わったことはよく覚えている。

 雨の中、虚無を映す少年を見た記憶は、昨日のことのように思い出せる。

「ワシは……」

「何も言わなくてもいいよ。ヤトちゃんには重すぎる過去だからね」

 求めたのはヤトだ。だが、好奇心が得た答えは、ネコをも殺す現実だった。


「――カイナ」

 ヤトではない声が、酒場に届く。その出所は俺が消えた後、沈黙を保っていた階段だった。

「なんだ、クロガネ。起きたの?」

「うるさくされたら寝れるモノも寝れない」

 俺の目が鋭くなっていた。鋭く、カイナとヤトを睨んでいた。

 ヤトの頭に浮かぶのは、ゴブリンを薙ぎ払ったあの時と同じ、戦闘状態に入っているのでは、という懸念だ。

「あー、ゴメンゴメン。話に夢中になってたよ」

 しかしカイナは至って軽く、手を振って笑顔も混ぜつつ謝った。

「困る。俺の眠りを妨げないでくれ」

「はいはい。悪かったよ」

 クロガネはそれだけを言うと、あっさりと背中を見せてまた階段へと歩き出す。

「へ? それだけか? あんなに怒っていたのに」

 ヤトの口から、思わず間抜けな声が漏れた。戦闘モードになっていた俺と、彼が恐れるほどの怪物であるカイナがケンカすると予想していたからだ。モチロン、力任せな殺し合いを。

「眠たい時のクロガネは不機嫌な顔するからね。アレで平常状態なんだよ。怒ってなくても怒ってるように見えちゃう」

「そーなのか」

「そーなのよ」

 二人はたまらず笑い合った。先ほどまで空気すら重たくする話題を話していただけに、余計に笑いの沸点が低くなっていた。

 突如、俺とカイナの視線が一か所に集中した。

「わっ!?」

 酒場のお世辞にも綺麗とは言えないくすんだ窓ガラスに石が投げ込まれ、ヤトが身をすくませる。

「な、なんじゃ!? 何事じゃ?」

「落ち着いてヤトちゃん。これぐらいよくあることだから」

 慌てふためくヤトとは違い、落ち着き払ったため息を吐きながら石を投げられた窓を見るカイナ。視線の先にある窓のガラスは割れていた。

 カイナはこめかみを指で抑えながら言う。

「はぁー、困るなぁ。ガラスだってタダじゃないってのに」

「新参者か」

 俺が窓を、その向こうにいる石を投げ入れた相手を睨みながら尋ねる。その瞳には、敵意をこめながら。

「みたいだね。最近王都に流れる人がまた増えてきたし」

「竜の被害、というわけじゃな?」

「うん、それだけじゃないんだけどね」

 王都に集まる人間には二種類の事情がある。ヤトが言ったように竜から逃れるためと、少しでも金銭を集めようと流れの早い場所を目指した場合だ。

 前者は分かりやすく、後者を目的にする人間も結構多い。

 ただ、一つ問題があった。前者、竜を恐れる人間も金を求める人間も、共通して一種の化物にいい印象を持っていない、ということだ。

 竜鎧を、竜と同種の化物としか思っていない連中が、容易にその存在を受け入れられるはずがない。

「俺を忌避している連中が増えたのか。面倒だな」

「面倒はこっちのセリフだよ。どこから情報集めてくるんだか、アタシの酒場にしわ寄せが集まるんだからね」

 カイナの酒場はギルドも兼任している。ギルド、ということはすなわち竜鎧が集まる場所でもあるということだ。竜鎧を嫌っている連中からすれば、ギルドはもっとも狙いやすい標的になる。

「すまない。俺のせいで」

「怒ってるわけじゃないよ。クロガネにはその分働いてもらってるし、悪いのはいつまでも感情でしか物事が考えられない田舎者なんだから」

 カイナがもう一度ため息を吐く。

 王都の住民はギルドの役目を理解している。竜鎧であるクロガネに眉を寄せる人間は否定できないが、それでもカイナの人望の甲斐もあり、まだ拒絶は少ない。

 もっとも、カイナという怪物を絶対に怒らせてはならないという一般認識が広まったからでもあるが。

「――ヤトを頼んだ」

「ちょっとクロガネ。どこ行くつもり?」

 目標を安息の地がある二階から外にいる迷惑な敵に変えて歩を進める俺を、カイナは疑問で止めた。

「どこって、外にいる連中を始末してくるだけだが」

「始末、じゃと?」

 俺の言葉をオウム返しするヤト。言葉の意味が分からないほど、彼女は子供ではなかった。

 俺に表情はない。完全に相手を敵と判断している無表情。ゴブリンの時は情報を集めようと考えていたため見せなかった、ただ標的の排除しか頭にない表情。

「バカ。ヤトちゃんがいるのに血生臭いこと言わないでよ」

 カイナが三度ため息を吐いた。俺と関わるようになってから、彼女の気苦労は増えるばかりだ。後悔はないが、もう少し穏便に日々を過ごしたい。

「見逃すのか?」

「そんなわけないでしょ。ガラス代弁償してもらわないといけないし」

 カイナは笑顔だ。美人な彼女が満面の笑みを浮かべているその様子はすれ違う異性の目を振り向かせるには充分な威力を秘めていた。

 しかし、ヤトはその表情に戦慄した。カイナの笑顔にはどうやっても仮面にしか見えなかったからだ。

「クロガネ」

「なんだ?」

「ヤトちゃん任せるよ」

「断ったらどうなる。元々竜鎧である俺の問題だ」

「は? 今はアタシの問題なんだけど」

 曇りのない満面の笑顔で、カイナが俺を睨む。表現は間違っていない。笑顔で顔を向ける彼女には、反論を許さぬ威圧があった。

「いや、その、すまない」

「どーして謝るの? アタシは怒ってないんだよ?」

「あ、ああ。そうだったな」

 俺はそれ以上何も言えなかった。カイナが本気で怒っている。そう分かったからこそ、付き合いの長い俺は沈黙を選択した。

 窓ガラスが割れ、軽い音が再び鳴った。

「「あ」」

 俺とヤトの声が重なる。今度投げ込まれた石は場所が悪かった。

 ゴチリという鈍い音が鳴り響く。投げ込まれたのはカイナの額。その中央に、こぶし大の石が張り付いた。

 額から離れ、石は床へと落ちる。落ちた時の音は重たく、痛いという表現では済まない激痛がカイナを襲ったことだろう。

「………………ふ」

 数秒にも満たない静寂。だが、その場に居合わせた俺とヤトにとっては、悠久に近い時間に感じた。

「「ふ?」」

 俺たちの思考は極めて正確に一致していた。すなわち、カイナの沸点をどれだけ超えたのか、自分に怒りの矛先が向く可能性があるのかどうかだ。

 ――どうせ鬱憤を晴らすなら、ヤト(クロガネ)にしてくれ。

 二人の頭脳は、ほとんど同時に相手をいけにえにしてでもカイナの業火から逃げられるよう祈った。

「ふざけんじゃねぇぞゴルァァアア!!」

 惚れ惚れするほど華麗な巻き舌でカイナが怒鳴り、ほとんど消えるような速度で酒場から飛び出していった。

「あ、ダメだ。カイナを止めないと」

 本気でキレたカイナの怒気に当てられて茫然としていた俺は、思い出したように独り言を呟きながら後を追う。

「クロガネ。お主、アレを止めるつもりなのか!?」

「ああ、止めないといけない。カイナを放っておいたら人が死ぬどころか王都の一区画が消える。それだけは阻止しないと」

「町の一区画じゃと? 竜も真っ青な規模じゃな」

「カイナは怪物だからな」

 ヤトに構っている時間も惜しい。俺は焦りを浮かべながら、カイナの後を追って酒場から出て行った。

「わ、ワシも一緒に――!」




「待てやァァアア!!」

 アタシの怒鳴り声が薄暗い路地裏に響く。

 どうやら犯人は最低でも二人いるらしい。酒場を飛び出した時に影が二つ見えた。

 両方捕まえて、ガラス二枚分プラス慰謝料を絞り取ってやる。アタシを動かしているのは欲に塗れた思いと額に残る鈍痛だ。

「チッ、どこに行きやがった」

 アタシが猛る足取りを制御して止まり、周辺に鋭い眼光を走らせる。

 目に留まるのはボロ切れで辛うじて全裸になるのを防いでいる汚れた人間ばかり。アタシに石をぶつけた不届き者の姿はない。

 王都は国の中で一番栄えている都市だ。栄えているということはつまり、それだけ貧富に差があるということに他ならない。

「ああ、イライラする! 全部まとめて灰に変えてやろうか」

「そうなったら、ガラス代で済む話じゃなくなるぞ」

 不穏な考えを実行しようと両手に赤い籠手を展開していたら、落ち着いた男の声がアタシの耳に届いた。

 アタシは空を見上げる。日の差さない路地裏を、二つの黒い太陽が照らしていた。

「やっと追いついたぞ。紅蓮のカイナ殿」

「クロガネ。わざわざ竜鎧それを使う必要ないんじゃない?」

「俺はまだ未熟なんだ。こうでもしないとアンタに追いつけない」

 全身を東洋鎧で覆ったクロガネが、軽口を叩きながら路地裏に降り立つ。着地してすぐに、竜鎧は解除された。

「クロガネは目立つんだから、あまり竜鎧は使わないでほしいね」

「自分の命が惜しかったからな」

「それだけの理由で無理するのは、どうも納得いかない」

 クロガネの額から大粒の汗が流れ落ちる。竜鎧を連続使用した反動だ。

 そもそも竜鎧は人間にとって手に余る力だ。世界そのものに支配者たる竜と誤認させなければならない点から見ても、それは明らかだ。

「竜鎧を使うと体に負荷がかかる。使った後は長時間の休息をとるか誰かを殺すしかない。そうじゃなかったかな?」

「ああ、その通りだ」

 クロガネは否定しない。アタシ相手に見栄を張ろうというつもりなんて毛頭なかったからだ。どうせ、どれだけ取り繕ってもこの人には気付かれる、とでも思っているのだろう。

「じゃあ、どうして力を使ったの? 万が一に備えておくべきだし、事実今まではそうしてきたでしょ」

 今までも、憤るアタシをクロガネは説得してきた。アタシたちはお互いを制止する関係が一番しっくり来ているから、宥められることは珍しくない。

 ただ、任務からの帰還直後に竜鎧を使われたのは初めてだった。

「俺の所有物まで焼き払われたら敵わない……それだけだ」

「へ? ああ、そう。そういうこと」

 ニヤリ。アタシの表情の変化を擬音として表すなら、これほどぴったりな音もない。

「……なんだ?」

「クロガネってヤトちゃんみたいな純粋な女の子がタイプだったんだね」

「そういう意味じゃない。と言っても聞くつもりないんだろ?」

「もっちろん!」

 今度は純粋な笑顔で、アタシは勢いよく親指を立てた。

 アタシの胸中にあった怒りという炎はほとんど鎮火していた。クロガネが溜まった疲労を無視してまで説得しに来たのだ。これでまだ猛れるほど、アタシは子供じゃない。

 ――それに、面白いネタも聞けたしね。

 アタシはニヤニヤと殴りたくなるような笑みを刻んで画策する。しばらくはこのネタで弄ってやろう。そういうアタシだけしか得をしない画策を。

「……帰るぞ。ヤトが待ってる」

「あ、そう言えば。ヤトちゃんを任せたのに無視したんだ」

「非常事態だった。仕方ない」

「大切な所有物なんでしょ? 傷つけてもいいのかな~?」

「ヤトも分かってくれる」

 この鈍感め。

 アタシはこぼれそうになった言葉を必死に呑みこんだ。そうした方が面白そうだ、という理由あってのことだ。同時に、ヤトちゃんに少しだけ同情した。

「待てよ、化物」

 クロガネとの談笑を交えた足を止めたのは、嫌悪感に塗れた男の声だった。

「呼ばれてるぞ、カイナ」

「はぁ? アタシは一般人だっての」

「じゃあ、誰のことだって言うんだ」

 クロガネがわざとらしくため息を吐く。二人に話しかけられて、片方が違うとなるともう答えは決まっているようなものだ。もっとも、どちらも該当者で間違いはないが。

「テメェのことだよ!」

 やはりというか何と言うか。声の指していた化物というのはクロガネのことだったようだ。苛立ちの籠った拳大の石が、まっすぐと彼に向かう。

「何しやがる」

 わざわざ当たるつもりなどない。クロガネは右手で石の側面を撫でるように払い落した。これぐらい慣れたものだ。造作もない。

「化物が人間の町にいるから悪いんだ」

 今までどこに隠れていたのか、路地の影から人が出てくる出てくる。至って普通の町人のような出で立ちの人間が十人。アタシたちを含めて十二人が、狭い路地に集合した。

「お前らだな。ウチの酒場に石投げたバカ共は」

 アタシの声が自然と鋭さを増していく。犯人たちに会って怒りが再燃しているようだ。

「化物を集めるような場所に石を投げ込んだだけだ。何が悪い。火を付けなかっただけありがたいと思え」

「こんの――」

「落ち着け。カイナ」

 クロガネが手を出して飛びかかろうとしたアタシを鎮める。

「俺が原因なんだな? 俺だけが原因で、酒場にイタズラした理由は他にないと」

「ああ、もちろんだ。竜と同種である、お前だけが悪い」

 竜鎧という人種は、世間に認識されている。ただ、問題はその認識の差だ。真っ当な人間として扱われず、化物か兵器としか見られないその境遇。竜鎧が狂った奴ばかりになる原因の一つだ。

「だったら、俺が王都から出れば丸く解決するわけか」

「ああ、もちろんだとも」

「なっ!? 何言ってんの、クロガネ!」

 アタシはクロガネの襟を掴み、正面から顔を覗き込む。

「どうしてクロガネがこんなカス共の要求を呑むわけ!?」

「カイナ落ち着け。後離せ、死ぬ」

 クロガネに従い、わりとあっさりと手を離す。クロガネはせき込みながらアタシを見た。やっぱり怒っていた。

「別に要求を呑むわけじゃない。そろそろ拠点を変えようと思っていたしな」

「初耳なんですが!?」

「言ったら止めるだろ」

「当たり前でしょ!」

 アタシは怒鳴り声をあげる。まるで鬼のように、憤怒を全身で表現していた。眺めていた連中も、カイナの怒気に当てられ小さくなっているように見える。

「大体、どうして拠点を移すわけ!? 王都にいても竜鎧の仕事は出来るでしょ!」

「いや、ここら辺はもう狩り尽くした。それに、王都の騎士たちも壊滅状態になった」

 息を整えながら、クロガネは説明する。アタシもただ叫ぶだけの女じゃない。彼の説明を一言一句間違えないために黙り込んでいた。

「今、騎士はいない。だったらどうするか。簡単だ、竜鎧を集めて対処する」

 何、と波を立てたのは、すっかり背景となったアンチ竜鎧のみなさん。

「近い将来、王都周辺は縄張り争いが始まる。竜も竜鎧おれたちもな」

「縄張り争いに参加したくないからここから逃げるってことなの」

「ああ、そうなる」

 カイナが拳を握る。だが、振り下ろす先は見つからない。

 クロガネの意思は力で変えられるような生半可なものではない。先ほども言ったが、竜鎧が能力を使用するための条件は二つ、充分な休息を得るか命を奪うかだ。

 休息という選択肢を取るのならなんら問題はない。ただ、後者を主な活動手段にしている竜鎧も確かに存在する。もしも相対すればどうなるか、わざわざ説明する必要もない。

「俺は出ていく。そうだな、明後日には王都を出発していると思う。だから、これ以上カイナたちに手を出すのは止めてくれないか?」

 カイナを説き伏したとは思えないが、取り敢えず今話すべきは彼女ではない。

「分かった。そっちの女には手を出さない」

 二人を取り巻いている人間を代表して、先ほどクロガネに石を投げつけてきた男が口を開いた。

「ただし、お前は許せない。我らの気が済むまで無抵抗でいろ」

「……何故だ? 俺は条件を呑んだ。これ以上求めるのなら、まずは理由を言え」

 アタシは手負いの獣のように唸り始める。これはまずい。ただでさえ相談していなかった予定を知られてしまったのだ。これ以上彼女を揺さぶると、本当にここいら一帯が焼け野原に変わってしまう。

「我らは皆、竜によって故郷を失った。同じ力を使うお前が視界に入るだけで、その時のことを思い出す」

「だから殴らせろ、か。子供みたいな理屈だな」

 クロガネは両手を上げ、やれやれといった様子で首を横に振る。

「要求を呑まないのなら、お前がいなくなるまで嫌がらせはやめない」

「……分かったよ。カイナ、先に帰っててくれな……いか?」

 クロガネは男からアタシに目配せしようと視線を動かしてから気付いた。いつの間にか、アタシの姿がない。

「ッデ!?」

 気配を探そうとしたクロガネは、顔面を襲った真っ赤な手甲によって吹き飛ばされた。壁に背中からぶつかって、ようやく止まるほどの勢いだ。

「アァ、もうどうでもイイや」

 先ほどまでクロガネがいた位置に、真っ赤な手甲を両手に付けたアタシが立っていた。綺麗なフォームで拳を振り抜いた姿勢だ。

「クロガネとは後でみっちりと話をするとして、今はオマエラの方が問題ね。さっさと消えてくれない?」

 二つ名にふさわしい紅蓮とは打って変わって、声は他者を真っ青に変えるほど冷めきっていた。

「女。やはり化物と同じ力を持っているか」

「んなわけないじゃん。アタシのこれは竜鎧じゃないし」

 自分の手甲を指差しながら、アタシは軽く嘲笑う。

「まあ、どうでもイイよ」

 十人が、一人を恐れている。

「死にたくなければ、早く逃げた方がいいよ。逃がすかどうかまでは保障出来ないけどね」

「待て、カイナ」

 壁際で倒れていたクロガネが、ダメージに声を震わせながら顔を上げる。疲労も重なっていた上でのダメージに、彼の意識はかなり薄れている。

「カイナが手を出したらダメだ。焦土になる」

「手加減するから大丈夫だよ」

 言い終わると、アタシは再び姿を消す。

 背筋を走る寒気に従って首を横に向けると、アタシはそこに立っていた。

「だから、安心して寝てて」

 ゴチン。

「さて、どうするの? 逃げるのか戦うのか。好きな方を選びな」

 あっさりとクロガネの意識を奪い去ったアタシは、再び十人に向けられる。

「気が変わった。やっぱり、逃がさない」

 カイナが三度消えて、紅蓮の光が十個瞬いた。




 人の手が入っていない鬱蒼とした森で、鳥たちが一斉に羽ばたく。

「ほぉ、忌竜を逃がしたか」

「タジュゲェッ!?」

 余はゴブリンをおやつ感覚につまむ。ゴブリンの何十倍もある体格、もしかしたら王都にすら並ぶかもしれない体には、数匹のゴブリンなどチリに等しい。

「余の言い付けは絶対順守する、という約束だったはずだが」

 余の声も、その巨体に比例するかのごとく重い。近くにいたゴブリンの一人が、声を聞いただけで卒倒した。

「リュウガイ、ジャマシタ。キリュウ、モッテッタ」

「竜鎧。ふむ、あの羽虫が邪魔をしたか」

 報告をしてくれたゴブリンを軽く踏み潰し、余はその巨体を立たせる。

「やはり余が向かわねばならぬか」

 余は背中にあった翼を広げた。

 余の種族は竜。世界の支配者たる、最強の生物。

 王都と同じ大きさの生物が空を飛ぶその姿は、圧巻としか言いようがなかった。


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