しょうき
鉄の扉。この地を表す上で最初に語らなければならないとするなら、まずはそこからだ。
厚さだけで人の丈を優に超える扉は、例え竜であろうと簡単には破れない。扉だけではない。まるで檻のように伸びる壁も、竜一匹ごときでは揺らぎすらしない。
来客を固く閉ざす扉は、町の中で生活する住人を守る上では防衛線となりえる。が、旅から帰った人間にはとてつもなく重く見えた。
――まあ、俺には関係ない話だが。
「もう一息だ。歯ぁ食いしばれ!!」
「いぃやじゃぁあ!!」
二つの声が分厚い扉を笑みと悲鳴を携えて飛び越えていく。
「うしっ、着いたな」
竜鎧を解除しながら、俺はやっと目的地に着いた喜びを噛み締めていた。
「ゼェーッ、ゼェーッ」
路地裏で地面に伏せるどころか完全に突っ伏して息を荒げているヤトの様子は、犯罪臭がひどく強い。
「デジャブを感じるぞ。いい加減慣れろよ」
「慣れるものか!」
プリプリと、よくもまあ疲れないものだ。コッチの方が先に慣れてしまいそうだ。
俺は鎮まらないヤトを適当にあしらいながら、家路へと足を向ける。さすがに竜鎧を付けたままでは家ごとぶち壊す可能性があるからな。
「コラッ、聞いているの……か……?」
路地を抜けたら、雑踏がお出迎えしてくれた。
必死に声をあげている子供たちは商人の見習いだろう。客足を集めるためとは言え、大変そうだ。
子供の声変わり前の甲高い声を聞き流しながら、足早に流れていく人、人、人。
竜が各地で猛威を振るっているというのに、ここを流れる人間にはそんなこと関係なさそうだった。
「――おぉー」
隣で、俺の腰ほどまでしかない背の少女が感嘆の息を漏らしていた。
「すごい人の数じゃな。これ全部、ここに住んでいるというのか?」
「ああ、そうだけど。ひょっとして、来たことないのか?」
「当たり前じゃ。これほどまでに大きな村は初めて来る」
胸を張るほどのことではないと思うのだが。あと、村ではなく町だ。
「なら一つ忠告しておくぞ。ヤト」
「なんじゃ、改まって」
「大事な話だからな」
俺がいきなり真面目な顔で話し始めるものだから、ヤトも神妙な顔つきで応じてくれた。
「まず一つ、俺から無闇に離れるな」
「一つ? ということはまだあるのじゃな。あと、ワシは大人じゃから迷子になどならぬ」
「そうならいいが、ここには人が多く集まっている。一人が注意したところで、慣れてなければすぐ付け込まれる」
人ごみに慣れている人間と慣れていない人間はすぐに見分けがつく。普段から人ごみの中で生活している人間からすればなおさらだ。そしてヤトは、言うまでもなく慣れていない側の人間だった。
「早い話が、ヤトが大人だとかそんなことは関係なくて、慣れるまでは一人で歩き回らないでくれ、ということだ。もしかしたら、俺なんかじゃ歯が立たない怪物がいるかもしれないからな」
「クロガネですら勝てない、怪物じゃと」
「ああ。頼むから、面倒事は避けてくれ」
ヤトがごくりと生唾を飲んだ。自分がいる状況を、ちゃんと理解したらしい。
「分かった、クロガネに従おう」
「あー忘れてた。赤い髪の女に気を許すな」
「赤い髪?」
「ああ。奴に会ったら終わりだと思え。人食いの怪物だから」
俺は震える体をたまらず両手で抱きかかえる。
「そんなに恐ろしいのか。クロガネが恐れるぐらいに」
俺の恐怖がヤトにも伝達したらしい。彼女も目じりに涙を溜めながら、小さな体を震わせていた。
――そうだ。そうして怖がってくれていた方が面白くなる。
俺は震えた腕のその奥で、これから起こるであろう面白いことを思い浮かべて胸を弾ませていた。
ボロ臭い木二枚を取り付けられただけの両開きの扉。木目が浮かぶ木で出来た壁はところどころ表面が剥がれ、ボロい外見をより一層際立たせる。
「ここは……?」
「俺が住んでいる場所だ。そして、これからヤトが住む場所でもある」
「こんなボロい建物にか?」
俺は、ヤトの正直な言葉と表情に笑いながら、朽ちかけている扉に手をかけて軽く押す。
「ボロいとは失礼ね。こちとら立派に商売してんのよ」
俺とヤトを出迎えてくれたのは、少し呆れが混じった女の声だった。
店内も外観に違わずのボロ具合。ただ、手入れが行きとどいたカウンターとその向こうに規則よく並ぶ酒瓶の数々が、この建物がどういう意図による物かを物語ってくれる。
「まだ潰れてなかったのか。しぶとい」
「余計なお世話。クロガネだって生きてるとは思ってなかったよ」
女の声は、俺の姿を見て一瞬だけ色が変わる。が、俺はあえて無視をした。
カウンターで一人、拭いていたコップを適当に置く女。
目を引くのは真っ赤な髪と、ヤトと同じ深紅の瞳だ。赤にして紅。彼女を表すとしたらこの色は外せない。
だが、彼女の魅力は何も色だけではない。男の視線を集める大きなロマンが二つ、彼女が身じろぎするたびに揺れている。
「生きてて悪かったな。ただいま」
「随分と遅かったね。おかえり」
この酒場のマスターである女性、カイナが言葉の裏に込められた安堵の笑顔で俺を迎えてくれた。
「遅かった理由は? アタシを心配させやがった理由を、もちろん教えてくれるわよね」
「大きな問題じゃない。ただ荷物が増えた」
カイナはこんなボロい酒場を一人で切り盛りしているが、一応彼女もギルドのオーナー。簡単にいえば、俺の上司に当たる人間だ。
カイナは懸念材料があったか聞いているのだ。決して俺の身を案じたからではない。あくまでもギルドにとっての損害だけが、彼女にとっては大切なのだ。
「荷物ぅ? そんなに報酬金があったの?」
「いや、金はなかった」
「は?」
カイナの瞳が、一気に険しくなる。
「代わりに渡されたのが、コイツだ」
背中に隠れる少女を指差しながら、俺は努めて平然とした声色で報告する。
カイナの鋭い視線が、ヤトを貫いていた。
「子供? まさか、盗んできたの?」
「んなわけがない。今回の依頼を達成した報酬だ」
「報酬は現金のはず。どうして子供を押し付けられるのよ」
カイナの炎を思わせる瞳が、今度は俺を睨む。竜なんかよりもよっぽど恐ろしい目。返答次第でこの目がどう変化するのか分かっている俺の手は、少し震えていた。
「奴隷商に現金と両替してもらうつもりだったらしい。竜が目論見を崩したようだが」
「クロガネはそれを信じたの?」
肌を刺す視線に微量の殺気が混じる。ここで間違えると拳が飛んでくるに違いない。
「いや、信じてない」
奴隷商を呼ぶにも金がかかる。資金難の村や一部の金持ちからお呼ばれされている彼らは、優先順位を金で考えるからだ。金を積まなくても来てくれるのは間違いないが、それが何年後かは保証されない。
そもそも第一に、奴隷という制度は法で禁止されている。
国が孤児を集めて実験に使用することはあるが、それ以外の組織がヒトを買うことは禁止されている。人道的な意図ではなく、他の用途で貴重な資源が使われると困るからこその法だ。しかし、国の威光が届かない地方の小さな村なんかでは、未だ人身売買は行われている。村人にとって、竜という名の脅威が国の法よりも怖いのだ。
「信じていないなら、どうしてその条件を呑んだわけ?」
「たまには人間をもらうのも悪くないと思ったんだ。文句あるか?」
「逆に聞くけど、文句がないと思ってるのかな?」
カイナはギルドを背負っている。つまり、人間と竜鎧たちの確執に直接仲介する人間だ。余計な手間を増やさないためにも、彼女は例外を極力許してはならないのだ。
「済まなかった。でも、気がかりがあるのは確かだ」
カイナの気苦労が予想出来る俺は、少しだけ反省して謝る。
「どの口が言ってんだか。で、その気がかりって?」
俺の謝罪は鼻で笑われた。どうやら誠意が足りなかったらしい。今度何か美味いモノでも奢るとしよう。
「ゴブリンに襲われた」
「……何?」
今度はカイナの眉を動かすことが出来た。
カイナは当然ながら俺が竜鎧であることを知っている。そして、竜鎧がゴブリンなんて小物に襲われないことも。
「原因はこのガキだ。俺を見た瞬間震えていたが逃げなかったからな。竜鎧を想定しているとは思えない反応だった」
「証拠はあるの?」
「ない。強いて言えば俺の勘だ」
「なるほど。それは参考になりそうね」
カイナが髪を掻き上げながらため息をこぼす。
どうやら俺の回答は、彼女の沸点を回避することが出来たらしい。
「なあ、クロガネよ。話は終わったんじゃな?」
今まで俺の後ろに隠れていたヤトが、何故か恐怖に体をすくませながら口を開いた。
「あん? ああ、一応は終わった。どうした、トイレか?」
「違うわ! じゃなくて、終わったのなら早く逃げるべきではないか?」
言葉の意味が分からない。俺はヤトが必死の思いで告げた言葉を、固まりながら頭の中で繰り返す。
「クロガネェ。どういうことか説明してくれるかしら?」
「いや、待ってくれ。俺も意味がよく分からない」
ヤトに向けていた体に、カイナの強烈な殺気がぶつけられる。蛇に睨まれたカエルのように、俺の冷や汗が止まらない。
「クロガネが言うておったではないか。赤い髪をした人食いの怪物がおると」
「ああ、そういえば」
ズン、と俺を射抜いている殺気が重く鋭くなった。
「お前の入れ知恵ね。クロガネ」
「いや、違う」
「即答の割にはニヤついているように見えるんだけどね?」
カイナから殺気が消える。その代わりに、言葉に怒気がこもっていた。
「ハハッ! 悪い悪い」
俺はついに耐えきれなくなって、思わず笑ってしまった。ヤトが嘘を真面目に信じ込んで今まで必死に恐怖に耐えていたのもそうだし、カイナが適当に張った印象操作にあっけなくひっかかったことも、俺にとっては愉悦極まりない状況だった。要は面白かった。
「ねえお嬢ちゃん。少なくともアタシはそこの大爆笑しているバカより優しいからね」
カイナが子供に向けられる声に変えて話す。そこそこ付き合いの長い俺からすると、違和感でしかないほどの高い声だ。
「俺ぐらいなら一瞬で消し炭に出来るくせにな」
「黙ってろクロガネ。燃やすぞ」
どうして俺に対してはそんなドスの効いた声になるのか。
「くろがねぇ……」
「ほら、お前のせいで!」
ヤトがまた俺の後ろに隠れて、カイナの怒号が飛ぶ。
このまま放っておくのも面白いが、これ以上ふざけているとカイナが本気でキレかねない。残念だが、ここで止めることにしよう。
「ヤト、この人はカイナ。紅蓮のカイナって呼ばれてる俺の仲間だ」
「仲間? ワシを食う怪物ではないのか?」
「怪物ではあるが、ヤトは食べない。はずだ」
俺には言い切ることが出来なかった。何せ、カイナならやりかねないからだ。
「食べない。後、誰が怪物だ誰が」
「化物な俺より強い時点で人間じゃねーだろ」
「クロガネは黙ってて」
俺が黙ったら、カイナは話すら聞いてもらえないだろうがいいのか。
そう思ったが、カイナの逆鱗に触れたくない俺は大人しく軽口を噛み殺した。決して、怖かったわけではないからな。
「カイナ、このガキはヤト。一応俺の所有物という扱いになっているが、自由に使ってくれて構わない」
「人手が足りないし手伝いとして働いてくれるならこっちから頼みたいぐらいだけど、家族はいないの? いるなら、送り返すべきだと思うけど」
「ワシは一人旅をしておった。身寄りはないからそこは安心せい」
「……そう。そういうことならありがたく使わせてもらうね」
ヤトの言葉に、カイナがすべてを察したような顔で頷いた。実際に、大体の事情が分かったのだろう。ヤトがなぜ、奴隷商に売られそうになっていたのかを。その状況を思いついた胸糞悪い村人たちの考えを。
「クロガネ、よく平気だったね」
「は? 急にどうした?」
カイナがいきなり俺の身を案じてきた。
有り得ない。彼女は知っているはずだ。化物としての俺が一体どれだけの生存率を持っているか。今回報酬としてヤトが渡された依頼程度の難易度なら、万に一つの可能性もないことを、カイナは知っているはずだ。
そんなカイナが俺の身を案じるということはそれつまり、何か良からぬことを考えているに違いない。
俺はぶっきらぼうに返す胸中で、厳重な警戒をした。
「いや、もしその村にアタシがいたら、多分焦土にしてただろうなって思ってさ」
「ヤトがいなかったら、俺も村を地図から消していた」
見ると、カイナが目を丸くしていた。
俺が言ったことはそんなにもおかしかったんだろうか。こちらとしてもカイナの珍しい呆け顔が見れたので、それほど不快ではないんだが。
「へえ。クロガネも結構丸くなったんだ。おねーさん嬉しいよ」
「うっせーよ。アンタの世話になったことなんてないだろ」
「タダで寝床貸してもらってる分際が、ナマイキなこと言うじゃん」
「……感謝はしている」
俺はカイナから逃げるように足を動かし、カウンターのすぐ隣に備え付けられている階段を目標に進む。
「どこに行くんじゃクロガネ」
「寝る。俺は疲れたんだ」
この酒場はカイナの自宅でもある。二階には彼女の寝室と酔いつぶれた客が仮眠するための部屋がいくつかあり、俺もその一つを使わせてもらっていた。
そしてこれから向かう先も、俺がいつも使わせてもらっている部屋だった。
「あ、そうそう」
カイナが何か思い出したように手を叩く。
俺の背中を言いようがないほど嫌な予感が走り抜けていった。俺の直感が告げる。これは面倒事を押し付けられる、と。
「クロガネに召集がかかってるよ」
「パス。カイナ代わりに行ってくれ」
「それは無理。何せ、竜鎧殿は集まるように、とのお達しだし」
お達し? 竜鎧を集められるような、それでいて代役を立てることすら許さないほどの権力など、心当たりが一つぐらいしかないぞ。
俺は予感が確信に変わるのを実感しながら、口を開く。
「――まさか」
「そのまさか。この国の王様直々の指名で、クロガネに依頼したいそうよ」
カイナが教えてくれたクライアントに、俺は思わず頭を押さえる。ついでに上っていた階段を一段踏み外し、膝を思い切りぶつけた。
「いって!」
「クロガネ、大丈夫かの?」
「大丈夫……じゃないな。ちょっとめまいがしてきた」
国王直々のご指名で王宮に来いなんて言われると、誰だってめまいの一つや二つぐらいはするだろう。真っ当なことをしていると胸を張れない俺ならなおさらだ。
「王宮での話を早く終わらせて寝たらいいじゃない」
カイナがニヤニヤと不愉快な笑みを刻みながら冷たく言い放った。さっき俺がヤトを使ってからかったことへの仕返しのつもりなのだろう。
さては最初から覚えていたな。覚えていた上で、俺が一番ショックを受けるタイミングを見計らっていたんだろう。そうに違いない。
本当、底意地が悪い人だ。
「今すぐに寝たいんだが」
「却下」
即答は声も冷たく、拒否権の猶予はなさそうだ。
俺は回れ右して酒場のボロ臭い扉に手をかける。まったくもって、気分が乗らない。
「クロガネ」
「どうした?」
気が乗らないからこそ、ヤトの声にいち早く反応した。少しでもあの面倒な空間に行く時間を伸ばそうと、心の底では躍起になっているのかもしれない。
「ワシを置いていくのか?」
「さすがに王宮には連れていけない」
「そう、か」
「心配するな。ちゃんと帰ってくる。だからカイナの言うことをよく聞いて待っててくれ」
「うん。分かったぞ!」
太陽のように輝く笑顔で、ヤトが元気よく頷いた。
――仕方ない。早く行って早く帰れるように努力しよう。
俺は柄にもない決意を胸に、竜鎧を展開した。