きけつ
「すぅー、すぅー」
少女は眠りについていた。寝る直前に襲撃を受け、なんならその襲撃者の骸がまだ転がっているのにも関わらず、ぐっすりと寝ている。
どうやら、旅をしていたというのは本当のようだ。こんな死臭が残っているような場所で安眠するなんて、町から一歩も出ない人間には出来やしない。
「起きろ。そろそろ出発するぞ」
「ん……んぅ?」
ヤトが声に反応して意識を浮上させていく。俺はその様子を静かに見ていた。
「なんじゃ、もう朝か?」
目をこすりながら、ヤトは上体を起こす。どうやら、起きる時の癖のようだ。
完全に目を覚ましたのだろう。目元から手を離したヤトが固まる。
「暗っ!」
ヤトが驚きに声を上げた。当然だ、まだ日は姿を現していない。言い直そう、まだ夜の範疇だ。
「なんでこんな暗いんじゃ!」
「なんでって、まだ日が昇ってないからな」
「知っておるわ!」
ヤトが激昂している。
どうしたのだろうか。ちゃんと質問に答えてやったというのに。
「どうしてこんなに早く起こしたのじゃ!」
「出発する、と言ったはずだが」
「いくらなんでも早すぎるじゃろうが!!」
なるほどなるほど、そういうことか。俺はヤトが何故これほどまでに怒りを燃やしているのか。原因を直接本人の口から聞くことで初めて理解した。
「仕方ないだろ、空を飛ばないんだ。早く動くしかない」
「なんでじゃ? 何故空を飛ばぬ」
俺の言葉に、間髪いれず噛みつくヤト。この少女の頭の回転は、なかなかに侮れない。
「ダダをこねられたからな」
「……ダダ、じゃと?」
いくら回転が早くても、さすがに予想が出来ない言葉が出れば鈍くなるか。
「空飛ぶなんてイヤじゃー、とダダをこねられた以上、空を飛ぶわけにもいかない」
「んなっ!?」
固まったヤトが、驚きの熱で再び色を変える。
俺は、澄ました顔をする彼女が見せる年相応の反応に、思わず笑いながら言う。
「間違っているか?」
「間違っては、おらぬ」
ヤトが認めたくないものを無理やり認めているような、事実そうなのだが、そんな悔しそうな顔をしている。
「だから、俺たちは早くに出発しなければならない。今日中に町に着きたいからな」
「何か用事でもあるのか?」
「寝たい」
「…………は?」
「だから、寝たいんだ。布団で、今日こそは」
間抜け面をぶら下げるヤトに、俺は懇切丁寧な説明をしてやる。
すると、彼女の顔がみるみるうちにまた色を変えていった。
「主の願望ではないか!」
「ん? それがどうした?」
「どうした? ではない!」
ヤトがまたどなり声をあげる。まったく、起きてから対して時間が経ってないにも関わらず元気なことだ。
「主の個人的なわがままに付き合ってられるか! ワシはまだ寝たいんじゃ!」
「ゴブリンに邪魔されたからか」
「ああ、そうじゃ! アヤツらが来なければワシはよく眠れたのに」
両手を振り回しながら、ヤトが全身で怒りを表現する。
「そういえば」
微笑ましい光景だと思うが、俺は黙って眺めているつもりはなかった。適当な相槌を打ちながら、頭の中では色々と考えを巡らせる。
「あのゴブリンたち、ヤトを標的にしていなかったか?」
竜鎧である俺を連中は避けている。というより、竜鎧という存在を大体の生物が忌避している。だというのに、昨夜のゴブリンは俺を前にしても逃げ出さなかった。
しかし、俺を狙っているというわけでもなさそうだった。そして、俺を恐れているようにも。
だとしたら、目的はもう一つしかないだろう。
「――ッ!」
ヤトの動きがまた止まる。今度は驚きというよりも、触れられて欲しくない核心を不用意に突かれたような顔。なぜだか言ってしまった俺まで気まずくなってしまうような、そんな表情だった。
「……何か知ってるのか?」
「い、いや。知らぬぞ。ワシは何も知らぬ」
「そうか。悪い、変なことを聞いて」
俺はそれ以上何も言わず、わざわざ生み出した手のひらサイズの剣を片手に、昨日の屍たちに近づく。
「ワシが言うのもおかしいが、問い質さぬのか? どう考えても怪しいのはワシじゃろ?」
「言いたくないんだろ? なら無理に聞くつもりはない」
不安そうな視線が俺の背中を射抜いているのだろうが、俺は無視して朝食の調達を始める。
さすがに一晩あければ、ほとんどの血が抜けているか。
「問い詰めてほしいか? 隠しごとを無理やり口を割らせてもらいたいのか?」
「そんなわけ、ないじゃろう」
「ああ、俺だって望まない。だから聞かない。もしお前が面倒を引きつける体質だったとしても、化物である俺にはどうとでも出来る」
言って、俺は解体した肉を自分の口に突っ込んだ。固く味もかなり悪いが、食べられないことはない。
「食うか?」
背後へと振り向き、切り分けた肉の一つをヤトに差し出す。
白髪の少女は、泣きだしそうな顔をしていた。
「どうした。俺が死体を解体していることが、今さらながら怖くなったのか?」
「そうではない」
即答で、俺の言葉は否定される。少しおどけたつもりだったのだが、くだらない冗談は取り合ってくれそうになかった。
「主は、クロガネは、ワシを許すというか」
お前が何をやったと言うんだ。許すも何も、ヤトは何もしていないだろう。――とは、言わなかった。
ヤトは並々ならぬものを、それこそ両親を目の前で失ったぐらいの悲劇を、背負っているようにも思える。刺激は、避けた方がよさそうだった。
「許そう。元より俺はお前の主だ。許すのは主の特権だろ?」
だから俺は笑い、ヤトが今一番欲しがっているであろう言霊を渡す。
「……ッ!!」
言葉が無くなるほどに感動してくれたのか。はたまた逆に、溢れすぎた言葉が詰まって出なくなってしまったのか。
ヤトが声もなく、ぽろぽろと涙を流した。俺も、これ以上は口を開けなかった。
「済まぬ。見苦しいところを見せてしもうた」
ヤトが急に泣き出してから一刻ほどの時間が過ぎた。星夜の下を歩く予定だったのだが、日が顔を見せてすっかり明るくなっていた。これではかなり急ぎ足で歩かなければ、また野宿となってしまう。
「……食え。今日は歩くからな、食わないと辛くなる」
俺は、それしか言わなかった。早く出発しなければ、せっかく早起きした意味が無くなる。
「そうか。なら、食わねばな」
涙の後を拭いながら、ヤトが何かを察したように笑う。俺としては気に入らない部分があるが、ヤトにはコッチの方が似合うということはもう充分に分かった。
「ふむ。味は最悪じゃの」
俺の渡した肉のカケラをヤトは噛み切りながら、さっきまでの泣き顔からは想像出来ないような明るい笑顔と声音で吐き捨てた。
「今用意出来るのがこれだけなんでな。味ぐらいは我慢しろ」
「しょうがないのぅ。ワシは大人じゃから、我慢してやるとしよう」
我慢だ、ヤトはつい先ほどまで弱い部分を見せていたではないか。ここで怒ってはダメだ。
俺は額に青筋が走るのを自覚しながら、味も見た目も悪い肉を噛み千切る。
「食った上で歩けぬ、とか言うようなら容赦なく飛ぶからな」
「もちろんじゃ」
ヤトが平面としか表現の出来ない胸を張りながら答えた。
ちなみに、出発して五時間後にヤトは歩けなくなるほど疲労し、結局竜鎧が一気に空を翔けることになるのだが、それはまた別の話。