きてん
「ここら辺にするか」
俺は呟きながら、寝返りをうつように体を回して降下を開始した。
見渡す限りの草原だ。麦しかないあの腐った村と同じように単調でしかない光景ではあるが、赤い日に照らされている見晴らしの良い草原が解放感と警戒の必要性のなさを与えてくれる。
俺は体を起こし、足を緑の絨毯に向けるように両の翼を制御する。俺が地面に近づいた影響で、草が同心円状に広がりながら風に靡いていた。
足を少し土に沈ませながら、俺は無事着陸した。同時に、移動の間ずっと肩に背負っていた荷物も下ろす。
「し、死ぬかと思ったのじゃ」
荷物、ヤトが虫の息で寝転がったまま動こうとしなかった。つい先ほどまで必死に俺にしがみついていたのだ。疲れているのも無理はない。俺のように竜鎧があるわけでもないし、きっと心労も相当な物だろう。
「大変だったな」
「どうして主はそうも他人事みたいな顔が出来るんじゃ?」
竜鎧を解き、砂が流れるように宙へと溶けていく様子を眺めていたら、ヤトがまったくもって理解できないとでも言いたげな瞳で尋ねてきた。
「俺には関係ないからな」
「関係大アリじゃろうが!」
「あん? なんでだ?」
「意味が分からない、みたいな顔をするでない! 主が物騒な手段で選ぶからこうなったんじゃろう!?」
「ああ、なるほど」
「まさか思い浮かばんかったのか!?」
俺がポンと手を叩くと、ヤトが信じられないモノを見た時のような表情で驚く。まあ、本当にそういう場面に遭遇した時にこの少女がどんなリアクションをとるかを知っているほどの親交があるわけではないが。
「まあ、冗談は置いといて」
「ホントに冗談ならいいんじゃが」
ヤトが呆れのため息を吐きながら体を起こした。どう見ても俺が年上なのだが、こういう節々の仕草は少女の方が年寄り臭い。
「お前、これからどうするんだ?」
「ワシのことは名で呼べと言ったじゃろう。それで、どうするとはどういうことじゃ?」
「そのままの意味だ。お前――ヤトの未来。このまま奴隷として売られるか、俺から逃げて一人で生きていくか」
「ほお? 逃がしてくれるのか。化物呼ばわりされいたとは思えんほど良心的じゃ」
「知っていたのか。俺が化物だということを」
「まあの。これでもワシはオトナじゃから、村人の会話ぐらいはよく聞いておったよ」
「盗み聞きだろう、それは」
ヤトは奴隷として売りに出されようとしていた。そんな彼女だ、まともに会話する機会はなかったことだろう。だから、耳に入ってくるといっても会話したわけではない。
「そんなことはないぞ。ワシはモテモテじゃったからの」
「それが人間かどうかは知らないが、俺は化物で間違いない」
「信じぬか頑固者め」
「信じるか耳年増め」
どうせモテモテと言うのも、トカゲとかといった人間以外の動物相手にだろう。
「それで、どうするよ」
「主はどうしようと思っているんじゃ?」
「俺か? 俺は寝るつもりだ。起きた時に女が一人消えていたとしても、仕方ないと思っている」
「もしも、逃げずに残った場合は?」
「その時は金にする。もっとも、俺の気分次第だが」
俺がヤトを手放したくないと思えば、もっといえば売るよりも近くに置いた方が有益になると判断すれば、俺は売りに出さない。利益は欲しいからな。
つまり、ヤトには今三つの選択肢があるわけだ。逃げるか売られるか俺に気に入られるか。どの選択肢が楽なのか、俺は預かり知らないが。
「主はお金にがめついのかよく分からぬ」
「少なくとも、自分の安全のために子供を売るような連中よりは卑しくない」
「ほお」
俺の言葉に、ヤトが面白そうに頷いた。
「主はあの村の人間を卑しいというか」
「そうだろう? ヤトのような子供を担保にしたんだ。依頼がなければ潰している」
「まあ、否定は出来んのお」
そう言って、ヤトが年相応の笑みを浮かべた。釣られて俺の口元も緩む。
念のため言っておくが、あの村の人間だけが卑しいというわけではない。アレが普通だ。自分の命を守るために他者を踏み台にするあの連中が、今の世界では正しい思考だ。
竜が全部悪い。あの支配者が世界の頂点にいる限り、きっと民衆の意識は変わらない。だってそうだろう。いつ死ぬか分からない状態が続くのだ。他者を重んじるお人好しがいたとしても真っ先に竜に喰われていく。
だからこそ、俺みたいな化物が必要とされている。
「気が合うな。売らなくてもいいかもしれない」
「おお、ワシが主のお眼鏡に適ったわけじゃな」
「嬉しいのか?」
「もちろんじゃ。ワシを買った人間が綺麗ならいいが、そうじゃなかったら悲惨なことになるからの」
「現金な奴だ。可能性にかければいいじゃないか」
「運だめしをするつもりはないぞ。何せ、たまたま寄った村に奴隷として売られたんじゃからな」
「たまたま寄ったってことは、元々旅をしていたのか? その年で?」
「ああ、そうじゃ。珍しいことでもないじゃろ?」
確かに、今どき孤児が旅をするぐらい珍しいことではないが。
あくまで平然に、特にこの話題は重くないとでも言いそうな顔をしているが、その話題が重いということを俺は知っている。子供が一人旅をする主な理由に、俺は心当たりがあった。
「それに、今さら逃げてどうにかなるとも思えんしの」
「それは同感だ」
ヤトの言葉に、今度は何の躊躇いもなく俺は頷いた。
奴隷商に売られるところだったということは、すなわち金品は全部奪われているということである。加えて、首輪なんて可愛げのないモノがあるから、町に入ることすら叶わない。
「せめて、それを外せたらいいんだが」
「外せぬのか? あの黒い鎧の力でも」
「竜鎧のことか? それならムリだ」
「なぜじゃ?」
「あの力は竜を殺すための力だ。細かい出力までは出来ないんだよ」
剣の技能として機微な力加減の操作なら出来る。だが、それはあくまで相手の身をまったく考えなかった場合だ。
華奢な子供の首輪ぐらいなら、ちょっとの油断で人間ごと引きちぎってしまうような力を、そうたやすく使えるわけがなかった。
「ふむぅ、残念じゃのう」
「悪いな。だから、ヤトの鎖を外すのは町に着いてからになる。構わないか?」
「構うも何も、そこまで行かなければ取れぬのじゃろう? なら、諦めるしかあるまい」
それに、とヤトは一旦言葉を切って立ち上がる。疲労と心労はある程度回復したようだ。
「ワシは、この鎖になれてしもうた」
なんだ、そんな顔も出来るのか。それともやっぱりそっちの方が素なのか?
ヤトの、まるで触れたら壊れてしまいそうな笑顔に、俺は思わず安堵の吐息を漏らした。
「なんじゃ。ワシにこーふんでもしたかの?」
一瞬で笑みの色が変わった。まるでさっきまでの儚い笑顔は幻だったかのように。
「バカなことを言うな。ヤトみたいなガキに欲情していたら、俺はとっくに鉄格子の中だ」
「ふむぅ、残念じゃのぅ」
さっきと同じような調子で、今度はニヤニヤと顔全体を緩めながら、ヤトは言う。
……まあ、そっちの方が合っているから何も言うまい。
「ああ、そうじゃ」
「あ? どうした」
「主の名前を聞いておらんかった。名乗れ」
「随分と高圧的だな」
「当たり前じゃろう。ワシは名前を教えたにも関わらず主はまだ名を隠している。悪いのはどっちじゃ?」
「お前が勝手に名乗ったんだ。俺に悪い点は一つもない」
「ゴチャゴチャ言うでない」
どうやらヤトは俺の言葉を聞く気がないらしい。名前を言うぐらい別に構わないのだが、改まって名乗るのも面倒だ。どうせ、町に戻ったら分かることなんだし。
「ワシの主たる者の名前を知りたいんじゃ。教えてくれんか、あ・る・じ・さ・ま」
「気持ち悪っ」
「主は殴られたいようじゃな」
ヤトが髪と同じ色の抜けた眉を吊り上げた。からかい過ぎたか、かなりご立腹のようだ。
「俺の名前はクロガネだ」
これ以上怒らせる前に、俺はそうそうと名乗りあげた。
旅、と言っても後は帰るだけだが、道中で機嫌が悪いままだと、さすがに気分がよくない。
それにだ、名乗ることを渋っていたのもただ面倒だからという程度の理由だし、名前ごときに深い意味があるわけでもない。
どうせ、俺の本名はないのだから。
「クロガネ、クロガネじゃな。よし覚えたぞ」
ヤトは嬉しそうに俺の名前を繰り返していた。それほど楽しいのだろうか。人の名前を覚えることが。
「そんなに面白いか? 俺の名が」
だから思わず聞いてしまっていた。言葉にしてから気付いた。そんなことを聞いてどうするんだ、と。聞いたところで俺に何の意味があるんだ、と。
「面白い、というわけではない。ただ、クロガネという名だけは忘れぬようにしなければと思っての」
――どうして、そんな顔をするんだ。名前を教えただけだというのに。
「……そうか。明日は早いからな、さっさと寝ろよ」
俺は、壊れてしまいそうなヤトから目を背けるように、背中を向けて寝転がった。
「ふむ、分かった」
背後で、少女が横になる気配を感じた。
俺は気配の動きを確認してから目を閉じる。今日は色々あった。依頼を達成し、村が依頼内容を守っておらず、十にも満たない少女を押し付けられた。
なんとなく、本当になんとなく何の確証もないが、俺の未来はこの少女によって変えられたような、そんな馬鹿げた気がした。
俺たちが眠りについて数刻が過ぎた。
日は落ち濃闇に包まれた草原は、先の見晴らしの良さをすっかりと呑みこんでいる。
暗闇に慣れた者なら、俺たち二人の姿はきっと丸見えだろう。慣れていれば、結局は見晴らしが良いままなのだ。
「ギギッ、ミツケタ」
例えば、夜に慣れた人型の怪物、ゴブリンといった外敵なら俺たちの姿はかなり距離があろうと見つけられる。
濃緑の肌は闇夜との境界を忍ばせ、月明かりで反射する濁った眼が十個、紅く輝いていた。
足を忍ばせ、体を潜ませ、ゴブリンたちは俺たちに近づいてくる。
「んむぅ? なんじゃ?」
眠気眼を擦りながら体を起こすヤト。まだ寝ぼけているからだろう、ボーッとすること数秒、近づきつつある異変に気付いた。
標的に存在を気付かれてしまったと察したゴブリンたちが、目の色を変えて隠密から強襲へと行動を移す。草原程度なら、連中の動きを鈍らせることなど出来はしない。
「敵襲か!?」
ヤトが異変の正体を見抜いた時にはもう遅く、五匹のゴブリンは俺たちを取り囲めるほどまでに近づいていた。
「ギギッ。ミツケタゾ、キリュウ」
「な、なんじゃお前らは」
「ゴブリンだ。普段なら、俺みたいな化物には近づかないんだが」
俺はヤトの隣に腰を落としながら、手に竜鎧を展開する。
「ジャ、ジャマスルナ」
俺の参戦にうろたえた様子を見せるゴブリン共。いつもなら、自分より強い相手には決して手を出さない連中だ。そして、俺たち竜鎧はゴブリンなんかよりよっぽど強い。世界最大の反逆者なのだから、竜という支配者以外では勝てなくて同然だ。
良く見ると、ゴブリンの小さな体は震えていた。やはり、竜鎧である俺に対しては人間以上の感情を持っているらしい。
だが、手を引く考えはないようだった。奴らの濁った瞳に映る意思は、恐怖ごときでは揺らぎそうもなかった。
「かかってくるのか。死ぬ覚悟は出来てるみたいだな」
俺は竜鎧で覆われた黒い手のひらを上に向け、何度か指を曲げる。安い挑発だ。
「シ、シィャア!!」
俺が退く気がないと察したのか、一匹のゴブリンが雄たけびを上げながら俺に跳びかかってきた。
ガゴンという鈍い音と小さな悲鳴を奏でながら、俺は跳びかかってきたゴブリンの頭を粉砕する。
籠手にべっとりとこびりついてしまった血を腕を振り払う。加減を強くしすぎたらしい。若干の肉片が混じった赤は、腕を振っただけではなかなか取れなかった。
「クロガネよ。倒した嬉しさは分からんでもないが、意味不明な踊りをしている場合ではないと思うのじゃが」
「遊んでるわけじゃない」
俺は腕を振り回すのを止めた。どうせ、これからまた汚れるだろうから。決して、ヤトに指摘されて急な恥ずかしさがこみあげてきたからではない。
俺が視線を籠手の汚れからゴブリンたちに移すと、残り四匹のゴブリンはまるで人間のように肩を跳ねさせる。
一歩近づく。すると、小さな敵たちが一歩距離を取った。
「分からないな。それほどまでに俺が怖いのなら、なんで逃げない?」
俺は戦う前に疑問として残り続けそうな事項を尋ねた。
ゴブリンという種の知能は決して高くない。食物連鎖の頂点には到底及ばないし、人間にすら覆しがたい差が存在している。
だが、それは何も悪いことばかりということでもない。
高くない知能は、理性という面倒なモノを作れない。言い換えれば、連中は本能からは逃れられないのだ。
「恐怖を感じているなら逃げるはずだ。お前らには相手との戦力差を計れる程度の知能があるだろ?」
「そうなのか」
俺の背中に隠れているヤトは、まるで実感のないように感嘆の息を漏らしていた。
「もしかして、俺が怖いというその震えはただの演技か? それとも、竜鎧よりも恐ろしい存在がお前らのバックにいるのか?」
俺の最後の一言に、ゴブリンたちは焦りを露わにした。なるほど、事情は大体呑みこめた。だが、どうして俺たちを狙うのか、その理由までは分からない。
「何が目的だ、答えろ小鬼」
俺はあの下衆た村で出した時とは違う、全力の殺気を連中にぶつけた。恐怖に支配された連中に言うことを聞かせるためには、それ以上の恐怖で塗り替えるしかないからだ。
「アァ……」
揺れている。ゴブリンたちが二つの恐怖のはざまで、どちらに従うべきか悩んでいる。
俺は、その様子を黙って見ていた。殺気は出したままだが。
「キリュウ、ツレテク。ソレガ、メイレイ」
「メイレイ! メイレイ!」
命令という言葉を繰り返しながら、ゴブリンの意思は一つになっていく。どうやら、天秤は黒幕に傾いたらしい。
残念だ、もしも全部教えてくれたのなら、俺は手を下さずに済ませたかもしれないのに。
俺はため息を口の中で噛み殺しながら、邪魔者を排除しようと飛びかかってくるゴブリンに合わせて足を動かす。
俺が守りではなく攻撃に出たことが予想外だったのか、目を見開いた状態で宙に浮かんでいるゴブリンの鼻っ面に肘を刺す。固い物を砕く感触が籠手に伝わってきた。
「いーち」
仲間が倒れたことに動揺する隙も与えず、すぐ近くを浮いていたゴブリンを足で薙ぎ払い、勢いを反転させてもう一匹にもかかとを叩き込む。
「にーぃ、さーん」
だが、そこまでが精いっぱい。
俺が最後の一匹に追撃を加える前に、ゴブリンはヤトの元までたどり着く。その汚い手で、白無垢な少女に触れようとしていた。
「させるわけないだろ」
俺は左の籠手に逆の手を突っ込む。そして、相棒である片刃の直剣を引き抜いた。
「よーん」
直剣をぐるりと反転、逆手に持ち替えてヤトに触れようとしている最後の敵に投擲、串刺しにする。
小さな襲撃者たちが地面を赤く染めるまで、それほど時間はかからなかった。
「強いんじゃな」
「化物だからな」
生き物をナマモノに変えた俺は、特に考えることもなく返した。
例えどんな相手だろうと、たった一種の生物以外には負けることがない。ある意味見慣れた光景でもある。今さら何を思えというのか。
「怖いか?」
「まったく」
「そらよかった」
無い胸を張りながら答えてくれた所有物に、俺は思わず吹き出しそうになった。
「さっきも言ったが」
「明日は早いから寝ろ、じゃろ。分かっておる」
「……おやすみ」
分かっているのなら、強く言わない方がいいか。
俺たちは横になってすぐに眠りについた。