えぴろーぐ
俺が今まで借りていたベッドぐらいしかない簡素な部屋が、今は容量ギリギリまで荷物を抱えていた。
「良かったのか?」
「あん? 何がだ」
俺は適当に買ってきた干し肉などの保存食をカバンに詰めながら、突然変なことを聞いて来たヤトに聞き返す。
「よし、これだけ詰めれば、しばらくは持つな」
「詰め過ぎじゃ。部屋からも出れぬじゃろ」
「何言ってんだ。これからベッドを詰め込むっていうのに」
「お主バカじゃろ。誰がどう見ても、カバンに入るサイズではないのは明らかじゃ」
「ヤトの方こそ。ベッドもなしでどうやって熟睡するんだよ」
「……主よ。旅と安眠は両立できぬぞ」
ヤトの赤子を諭すような相手を出来る限り傷つけないように気遣った声は、俺の意思を曲げる力を持っていた。
「チッ。やっぱり諦めるしかないか」
「クロガネは旅の経験がないのか?」
「さあな。記憶があるのはカイナの世話になってからだ。それ以前は流浪だったと思うんだが、どんな方法で王都まで来たのかまったく覚えていない」
俺はわざと分かりやすく笑顔を作りながら、軽くやり返すつもりでヤトを見る。案の定、ヤトは地雷を踏み抜いてしまったような顔で、途端に居心地が悪そうに目を伏せる。
「冗談だ。まあ、旅が初めてに等しいのは間違いないけどな」
今度は本心からの表情を刻んで、重くなってしまった空気を笑い飛ばす。
「なら、無理せんでもいいのではないか?」
「無理だと?」
「クロガネ、お主までが旅をする必要はないはずじゃ。ワシを気遣った上での行動なんじゃろ?」
「自惚れもそこまで行くと清々しいな」
「茶化すでない」
俺のわざと空気を読まずに発した言葉を、ヤトがピシャリと跳ね返した。
どうしてこうも重たい空気にしたがるのだろうか、この少女は。
「散々説明しただろ。俺は竜になったから旅に出る。そこにヤトの正体は関係ない」
ため息交じりに、ふざけることも許されない空気に嫌気がさしながら、何度もしてきた説明を仕方なく繰り返す。
「じゃが、誤魔化せば王都にはまだ居れたじゃろう?」
「それは無理だ。竜鎧にとって俺は、絶対に忌避すべき末路だからな。竜がどうとか、竜鎧の使命があるからとか、そんな理屈めいた部分じゃないところで、俺を殺しにかかってくる」
もっとも、俺が力を使わず隠し通せれば、よっぽど勘のいい奴以外は気付けずに見逃しそうではあるが。傍目には、俺はまだ人間なのだから。
しかしそれは俺を竜鎧と知っている人間がいない場所での話。王都の民衆のほとんどが俺が竜鎧であると知っている王都では、どうあがいても隠せない。
竜鎧であることが新しく来た竜鎧に知られれば、面倒になるには違いなかった。
「ワシは気付かれなかったぞ?」
「俺とヤトじゃ立場が違う。お前と違って、竜鎧は力を行使しなければ自分の身が守れないからな」
竜鎧は、良くも悪くも血の気が多い。力を持つ者がいると知れば、ところ構わずケンカを吹っ掛けてくる場合も多々ある。
俺が力を行使しない可能性など、初めからこの王都には存在しなかった。
「ならワシはクロガネと一緒に旅に出ずともよいんじゃな」
「んあ?」
予想していなかった言葉に、俺の思考にわずかばかりの隙間が出来た。
「だってそうじゃろう? クロガネと違って、ワシはここに居ても何も困らぬ」
「まあ、そうなるな」
「じゃったら旅に出んでもいいじゃろ? ワシもカイナの作る料理を気に入ってるんじゃ」
反論のしようがない正論に、俺は黙り込むことしかできなかった。
確かにヤトが言うとおり、彼女が旅をする理由はまったくなかった。
「忌み嫌われる竜を助けた御仁じゃ。どうせ、このぷりてぃーなワシを旅しつつ守るつもりじゃったんじゃろう?」
彼女はその特性上、人間からも竜からも敵視される。だからこそ、彼女は一人でなくてはならない。他人を、それも仲の良い誰かを自分のせいで傷つけるなど、ヤトは望んでいなかった。
もしも守ろうとしているのなら、ワシはその手を掴むわけにはいかぬ。
ヤトはいたって自然にいつも通り、自分を疎ましく卑下した。
俺はため息を一つこぼす。ヤトの確固たる意志が、なんとなく分かる気がした。彼もまた、誰かの自己犠牲の上に成り立つ生を真っ当していたからだ。
「一人で旅してもいいが、どうせなら二人でいたい。それじゃ納得できないか?」
だから、本心であり嘘でもある、矛盾した言葉で濁すことにした。
「なっ!? アホかお主は! そのようなことを平然と言うでない!!」
ヤトがかぁっと赤くなりながら、空気の震えが肌で分かるぐらいの怒鳴り声を上げた。
彼女自身は誤魔化しているつもりだろうが、傍から見れば彼女がどう思っているのかは実によく分かった。
「ヤト」
「な、なんじゃ!?」
ヤトの顔は赤いまま、警戒心を露わにした瞳で俺を睨む。
敵意のないそんな視線が恋しくて、俺は彼女に鼻が当たるぐらいの距離まで顔を寄せた。
「俺と一緒に、旅をしてくれるか?」
視界いっぱいに広がる彼女の真っ赤な顔が、パクパクと口を開けては閉じるを繰り返す。言葉が喉まで出かかって、それでも出ていない。言いたいことは山ほどあるのに、何一つ声にならない。
俺は、抱きしめたくなる衝動をこらえながら、彼女にとって初めてかもしれない優しい笑みを差し出す。
「……ワシでいいのか?」
「ヤトじゃないとダメなんだ」
即答。
「……ワシは忌竜じゃ。近くにいるだけでクロガネを不幸にするかもしれぬぞ」
「不幸なんてどうでもいい。近くにいるだけでいいんだ」
またも即答。
まばたきの音が聞こえそうなほど近くにあるヤトの瞳が、色っぽく潤んだ。
「……分かった。クロガネが構わぬなら、好きにすればいい」
覚悟を決めた表情でそう告げて、ヤトはそっと目を閉じる。
そしてわずかばかり、艶やかな唇を前に突き出した。
「いやー、良かった。断られたらどうしようかと思ったぜ。どうも寿命が伸びたみたいだったからさ」
その反応を確認しながら、俺は音なくヤトから離れる。
「……………………は?」
「だから、俺の寿命が竜と同じぐらいまで伸びたんだ。良かった良かった、一人で旅してても絶対に飽きるからな」
俺は天秤を自ら崩した。だから自分の身に起こった変化にも気付けた。
この体が、本当の化物になってしまったことを、俺が一番よく分かっていた。
「――の」
「あん? なんだって?」
「ワシのドキドキを返せこのバカぁぁぁああっ!!」
王都中に、何かが弾かれたような音とクロガネの悲痛な叫びが響いた。
「寂しくなるね」
王都の入り口、ヤトと一緒に飛び越えた門の前で、カイナが口を開く。
「これが今生の別れになるわけじゃないだろ」
俺はめったに見れないカイナの顔に苦笑いをこぼす。
「そうじゃぞ、カイナよ。例えこの無愛想な男とぷりてぃーなワシがいなくなるのが寂しいからと言って、枕を涙で濡らす必要はないんじゃ」
「おいヤト。誰が根暗だ誰が」
「ワシは別に主のことを言ったわけではないぞ」
「この場に男は俺しかいないだろうが」
俺の言葉に、ヤトとカイナが吹き出した。まことに不本意である。
「そうだね。二人なら大丈夫だよね」
笑い過ぎたからか、目尻の涙を指で拭うカイナ。
「そうじゃ。心配なぞいらぬ!」
「まあな。竜がいれば道中も安全だろうし」
ヤトが元気よく、そして俺が極めて冷静にそれぞれ言う。
「うん。気を付けてね二人とも」
俺はカイナの心底心配しているのだろう、怪物とは程遠い表情に背を向けた。ヤトが、ワシに任せろ! などと調子のいいことを言っているが、面倒なので無視する。
俺たちが行く先はない。目的地もなければ、何のために旅をするのかも決めていない。
「クロガネよ。取り敢えず、旅には目的地が必要じゃ。どうする?」
「そうだな」
俺の顔を覗き込むヤトの笑顔を眺めながら、あごに手を当てて考え込む。
「それじゃあ、竜が二人いることだし、強い奴を片っぱしから狩ろうか」
「なんじゃ物騒な。そんな考えしか出ぬのか?」
「強い竜を狩れば金がたんまり入る。そしたら、質のいい睡眠が出来るだろ?」
「主は寝ることしか考えてないのか……」
「睡眠大事。これ鉄則」
「あ~うむ。分かった分かった。当面はその目標でよしとしよう」
竜二人の狩りは流れるままに、旅と共に始まった。