けつしょう
朽ちた木の板が辛うじて壁の役割を果たしている、そんな酒場に。
「カイナ様。言ってくれればもっといい場所にお店を建てさせましたのに」
一国の主が立ち寄っていた。
「それは嬉しいお誘いだね。でも、アタシは高級なワインじゃなくて、浴びるほど飲める安い酒の方が好きかな」
酒場の店主、カイナが丁重に女王の誘いを断って苦笑する。
「この前たらふく飲んでいた奴が言ったところで説得力は皆無だがな」
主の護衛でいるミーレスが、吐き捨てるように毒をこぼす。
「ミーレス。アンタが人のこと言えるの?」
「少なくとも、お前ほどハメを外していなかった」
「二人とも、同じぐらいお酒が回ってましたよ? どちらが多く飲んだかは言うまでもないですけどね」
アン女王の言葉にミーレスの顔が途端に曇り、反対にカイナは面白いおもちゃを見つけた子供のように顔をニヤつかせた。
「コホン」
俺は咳払いを一つ、場の流れを変えるためにわざと大きく鳴らした。
話を宴会での話で盛り上がる連中が、どうしてこの場に集まったのかを思い出したように顔を俺に向ける。
「そろそろ話を始めてもいいか?」
「そうだな。影が薄いから忘れていた」
「おい」
ミーレスのあまりに安易な挑発に、俺の声は思わず荒だった。
「ゴメン、クロガネ。アタシの美貌についての話だったっけ?」
「カイナはまた飲んだんだな。今すぐ酔いを醒ましてやるよ」
「冗談だって」
竜鎧で手甲を展開しながら俺が近づくと、カイナはすぐに両手を前に出して苦笑した。
「そうですよ。わたくしの美しさの話だったでしょう?」
「女王、アンタもか?」
「すみません。流れに乗るべきかと」
「こんな変な流れに乗らないでくれ……」
口元に手を当て楽しそうに笑うアン女王に、俺は重たいため息を吐いた。
国の重鎮クラスの人間たちは、さすがと言うべきかキャラが濃い連中ばかりだ。こんな連中を集めた俺も重要度なら負けてないかもしれないが、影はどうしても霞む。
「さて、冗談はこのぐらいにしましょう」
「そうですね女王陛下。我々はどこぞの酒場の店主みたく時間が有り余っているわけではありませんし」
「その喧嘩買うよミーレス。表出なよ」
「二人ともいい加減にせぬか。そろそろクロガネが本気で怒るぞ」
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめて、この場にいる誰よりも幼く見える、その実一番の最年長でもある、少女が二人の矛を収めるように促す。
「むぅ、ヤトちゃんが言うのなら仕方ない」
「フン、元々紅蓮とやり合うつもりは毛頭ない」
ヤトに言われて、二人とも興が冷めたように顔を逸らした。似たように唇を尖らせる表情は、大きな子供にしか見えない。
「しかしクロガネ様。怪物に騎士に女王まで集めてする話とは、一体どのような重大発表なのでしょうか?」
「ワシもおるぞ」
「失礼しました。国の中枢で動いた経験のある人間ばかりを集めて。これならよろしいでしょうか?」
「ふむ、よかろう」
「よくないだろ。お前がいつ国の中枢にいた」
クロガネが頭を抱えて指摘をする。
話がまったく進まない。はたして今日中に伝えられるのだろうか。
「それではクロガネ。焦らすのもここまでにせぬか」
「話をさせてくれないのは誰のせいだ」
ヤトがしれっとした顔ですべての責任を押し付けてきたものだから、俺はジットリとした視線で彼女たちを睨んだ。
「……はぁ。手短に話すと、俺は旅に出る」
「「「なんだって?」」」
「ハモるほどのことか?」
三人のまったく同じタイミングと発音と表情に、俺は呆れた声をこぼす。
「驚くじゃろうな。クロガネは国の重要人物の一人じゃ。急に旅に出ると言われれば、驚かずにはいられん」
唯一驚きの反応を示さなかったヤトが腕を組んで冷静かつ客観的な意見を述べてくれた。
なるほど。言われてみれば、ヤトが言うことも一理あるかもしれない。
「竜鎧。いきなりそんなふざけたことを言う理由はなんだ?」
「理由?」
「自分の立場が分からないわけではあるまい。お前が、そう決めた理由は、なんだ?」
ミーレスが言葉を区切って、先ほどカイナとじゃれ合っていた時の数倍鋭い目で、俺を睨みつける。
言わなければ殺す。目がそう告げていた。
「襲撃で襲ってきた竜は、俺たちが束になっても勝てないような相手だった。女王には言ったけどな」
「はい、確かにそうおっしゃってましたけど、結果的に倒せたじゃないですか」
アン女王が、首を傾げながら言う。それがどうして旅に出ることにつながるのか理解できない。そんな顔だ。
「人間の器だったら、多分奴に勝てなかった。現に、俺が人間だった時は勝てなかったからな」
スディルを倒すのは絶対に不可能だろう。竜鎧が兵士と同じ数集まって初めて互角になるほどの格の違いがあった。
「待ってクロガネ。まさかアンタ」
「ああ、カイナなら分かるだろ? 俺が何をしたのか」
カイナはゴブリンが襲撃してきた時でさえ見せなかった青ざめた表情で、一人戦慄していた。彼女は知っているのだろう。俺が過去に、竜鎧について教えた彼女なら。
「どういうことですかカイナ様。教えてください」
「クロガネはもう、人間じゃない」
「ああ、そうだ。俺は人間を辞めた」
カイナの言葉を引き継いで、俺は自分の体に訪れた変化を告白する。
「俺は、竜になったんだ」
その場の空気が凍りつく音が、俺には確かに聞こえた。
「で、でもクロガネ様は竜には見えません。人の形をしていて、普通に会話も成り立っているではないですか」
アン女王が納得できないと、必死の形相で反論を用意した。頭の速さにはホント恐れ入る。
「――ホントか?」
だから俺は大人げなくもはっきりと、現実を見せてあげることにした。
少しだけ本質をさらけ出すという実に大人げない方法を。
「「――ッ!」」
アン女王を守るようにカイナとミーレスが俺に敵意を向ける。
これが答えだ。二人とも、心のどこかでは俺を敵とみなしている。それが俺の告白に対する事実だった。
「そういうことだ。俺は人間の皮を被った竜。人間の振りをすることは出来るが、竜鎧からすればすぐにバレてしまう、本当の化物だ」
竜鎧は人間と竜の中間にいる。世界が誤解しているだけで人間である竜鎧は、一種の天秤のような危ういバランスの元成立っているのだ。
俺はその天秤を、わずかに傾けただけ。化物になるには、それだけで十分だった。
「竜鎧を新たに招集しなければ、問題ないのですね」
「そうだな。だが、それが出来ないって分かっているだろ?」
表情を暗くするだけで、三人は誰も口を開かなかった。否、開けなかった。仕方ないか。俺が言ったことは事実なのだから。
「動物たちのように、竜鎧にも縄張りがある。今回は俺が縄張りを手放す。それだけだ」
「また会えるのかな?」
口を開いたカイナが聞いたのは、いつもの様子からは想像もできないほど心細い疑問だった。一番付き合いが長い彼女だ。心細さが一番大きいのは、きっとカイナなんだろう。
「旅の途中でまた寄ることはあるかもな」
だから俺は笑顔でそう言った。カイナがそれだけ満足してくれるとは思えなかったが、俺が今用意できるのはそんな言葉しかなかった。
「そうか。話はそれだけか?」
「ああ、そうだな」
「そうか。では仕事に戻らせてもらう」
「ちょっ、ちょっとミーレス!」
ミーレスが颯爽と酒場を出ていき、彼にお守りされる立場のアン女王も後を追って出ていく。
「で、本当はそれだけじゃないんでしょ?」
「さすがカイナ。その通りだ。でも言えない」
「そっか。ヤトちゃんを泣かせないようにね」
「……カイナには敵わないな」