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転々

 ゴブリンが王都を目指し、刻一刻と進軍していると知らない影が一つ、鬱蒼と茂る森を行くあてもなく歩いていた。

「ワシは、どうすればいいんじゃろうな」

 影の名はヤト。白い髪を二つに束ねた、深紅の瞳を持つ少女だ。

 彼女は今、一人だった。

 クロガネについてもっと知りたいと思った。何十年も一人で生きてきた彼女にとって初めての感情だったそれは、クロガネに拒絶されることで終焉を迎えざるをえなかった。

 もう、彼の近くに居場所があるとは思えなかった。元々出会って数日しか経っていないのだし、ここでいなくなっても問題などないと思った。

「ワシは、どうしたいんじゃろうな」

 ここまで来て、王都に戻るという選択肢はない。拒絶された以上、戻ることは出来ない。彼を基点にヤトの生活は決まっていくのだから、拒絶された奴隷と同じ立場になる可能性もある。もっとも、クロガネがそのような扱いをするとも思えないが、それでもわだかまりは残るだろう。ヤトもクロガネも、そのような面倒は望んでいない。

 だけど、そうしたら自分はどこに向かえばいいのだろうか。

 王都にはいられない。その前は奴隷として売られる商品として監禁されていた身だ。

 旅の仕方を忘れたわけではないが、旅の目的は思い出せなくなるには十分な時間が既に経っていた。

「――この森の養分となるのもいいのではないか?」

「ひぎッ!?」

 ヤトは全身に走る鋭い痛みに声を上げながら、声から離れるように飛び退いた。

「無礼な反応よな。まるで、余を敵か何かと勘違いしているようではないか」

 ヤトが声の正体へと目を向ける。木の枝を踏み潰す声は、隠れようともせずに堂々と彼女に歩み寄ってきていた。

 流れるような金髪に、覗き込むこちらが寒気を感じてしまうような青い瞳。着れさえすれば別に構わないとばかりのラフな格好。森を歩くには少し気を抜き過ぎではないかという服装以外は、特に異常な点が見当たらない人間の男。

 しかし、ヤトの本能がこの男に一瞬たりとも気を許すなと警鐘を鳴らしていた。

 全身に刺さる痛みの元が、この男の発する雰囲気だと気付いたのは、ヤトが一歩後ずさった後だった。

「見つけたぞ。忌竜」

 この感覚を、ヤトは何度か味わった。

 だから分かる。この男が、世界の支配者たる竜であると。

「久しい、と言ってもオマエは覚えていないか」

「どうじゃったかな。ワシの知り合いにこんな色男がいれば、忘れぬはずなんじゃが」

 人の姿をしていると言っても、正体は竜だ。恐らく竜としてなら何度か会ったことがあるかもしれないが、人に化けた姿では思い当たる顔などない。

「フン、口だけは変わらずよく動く。オマエが余計な力を持っていなければ、妾ぐらいにはしてやったというのに」

「ワシのような子供に手を出すとは、お主は童女趣味があるんじゃな」

「フハッハハハ! 面白い冗談だ」

 男は、大声で高笑いを始めた。よほどツボに入ったのだろうか。それとも、本当に童女趣味があるから、笑ってごまかしているだけなのか。

 まず間違いなく前者だろうが、相手の気をはぐらかすためにも声に出してやろうかと一瞬考えた。言えば激昂を買って八つ裂きにされてしまうだろうから、さすがに止めたが。

「ワシを知っているということは、ここら辺の同族たちの間でもかなりの上位種なんじゃろ? じゃったら、名前ぐらいは名乗ったらどうじゃ?」

「これから死に行くオマエに、余がわざわざ名乗る価値があるか?」

「ワシがあの世で広めようと思うての。拒否するのなら、別に名乗らんで構わぬぞ」

「ほお。死後の世界があるのかは知らぬが、余の名を広めるというのなら付き合ってやろう。余の名はスディル。忌竜を殺す名だ」

 スディルと名乗った人型の竜は、ニヤリと口角をあげる。

「スディル。お主の目的は聞かんでも分かるが、ワシは見ての通り悩んでおってな。今日は見逃してもらえぬか?」

「出直す? 余が? わざわざ? それが冗談なら今のうちに訂正するべきだ。実に詰まらぬ」

 スディルの機嫌がどんどんと悪くなっていく。そして同時に、ヤトに降り注ぐ圧力もスディルの機嫌に比例して鋭さを増していく。

 どうやら彼は正直者らしい。少なくとも嘘を吐く経験はあまりないようだ。

「それは済まなかった。何分、考えるなぞ久しぶりなんでな。疲れているようじゃ」

「よかろう。すぐに謝罪したその誠意を認め、不問に致す」

「ありがたいのぉ」

 心なしか和らぐが、それでもまだヤトの体には痛みが走る。

 ――はてさて、どうしたものか。

 ヤトはこの正直者から逃げるための考えを纏めていた。

 スディルがヤトの命を狙っているのは明白。ならば、ヤトが逃げるための算段を講じるのもまた当然だった。

「逃げよう、などとは思ってくれるなよ」

 ヤトの思考を手に取っているかのような的確な釘が、彼女に刺された。

「な、なんの話じゃ?」

「分からぬのならそれでいい。だが、命惜しさに余を出し抜くつもりなら、それ相応の覚悟は持ってもらおう」

 スディルの冷たい瞳が、まっすぐにヤトを射抜く。

「もしも忌竜に逃げられてしまえば、余はショックのあまり人間の巣を壊すかもしれぬ」

「ッ!?」

 ヤトが息を呑んだ。彼の言う人間の巣。それは間違いなく、王都を指していたからだ。

 人間に化けた状態でこれほどの威圧を放つスディルがもしも本性をさらけ出した姿で王都を攻めればどうなる。軽い被害では済まないのは確実だ。そして、竜鎧であるクロガネを死なせる可能性も高い。

 それだけは阻止しなければならなかった。

「……何が望みじゃ」

「オマエが大人しくすればそれでよい。オマエが死ねば、誰も傷つきはせぬ」

 見下したような笑みを張り付けるスディル。自分の意思を曲げることも隠すこともしない彼だ。恐らく、嘘は言っていない。

「分かった。ワシは考えることを放棄する」

「よき判断だ。人間も、忌竜のおかげで命を救われたことを喜ぶだろう」

 ヤトは抵抗を放棄した。彼女にとって、わずか数日とは言えお世話になった人間がいる王都は大切な場所だった。抗うだけムダな力を持つ竜に襲わせてもいいなんて思えなかった。

「――勝手なことを言うなよ」

 この場にいるはずのない、ヤトが最も聞きたくて、最も顔を会わせたくない人の声がした。

 スディルが後ろに跳んで距離を取る。その二人のちょうど間に、見覚えのある二つの日輪が舞い降りた。

 ――ちょうど、ヤトを守るように。

「……クロガネ」

「探したぞヤト」

 二つの日輪を背負った黒い甲冑を着た男は、ヤトの知る限り一人しかいない。

 俺もまた、安堵したような顔でヤトの名を呼んだ。

「羽虫か。来るとは思っていたが、実にタイミングの悪い」

「ひぅっ!」

 スディルが忌々しそうに呟く。途端に威圧が重く鋭く周りを潰していく。

 ヤトが自身にも圧し掛かってくる圧力に苦悶の声をあげた。

「ヤト。大丈夫だ」

 俺の声がヤトを包み込む。

「俺がいる」

 全身を痛みつけていた威圧が消えていく。俺の言葉が、スディルの威圧を打ち消していく。

「忌々しい。同胞の真似事など」

「なんだよお前はさっきから。邪魔なんだが」

「余からすればキサマの方がよっぽど邪魔だ」

 呆れたような態度で甲冑の肩をすくめる俺がこの場に現れたことで、確かにこの場の雰囲気は変わった。

「俺はどうも運がいいらしい。二つの問題を一気に片付けられるなんてな」

 努めて明るく、クロガネは声を弾ませる勢いで言った。彼の心情的にはこれぐらい喜ばしい状況ではあるものの、他二人はもっと重い雰囲気を出していたからだ。

「確認だけど、ヤト。あの人に化けているトカゲはお友達か?」

「い、いや、そんなことはないぞ」

 いきなり話を振られたヤトが、少しうろたえた様子で答える。

 俺が来るまでは、かなり重たい話題だったようだ。

「羽虫が。余の前に立って何をする」

 俺が手甲に手を当てて、片刃の直剣を抜き取った。

「当然、お前を狩る」

 切っ先をスディルに突き付けながら、俺は不敵な笑みを添えて告げる。

 そして、両の翼に全力で力を込め、切っ先をスディルに向けたまま敵に突撃した。

「ほお。意外と速いな」

 しかし、俺の剣はスディルを捉えられなかった。

「冗談だろ、オイ」

 否、その言い方だと語弊がある。切っ先は確かにスディルの額に当たった。しかし、剣は役割を果たせなかった。

「しかし、あまりにも非力」

 剣は、額に出現した鱗一枚によって行く手を阻まれ、スディルの頭を貫けなかったのだ。

「次はコチラの番だな」

 言うが早く、俺が防御の姿勢を取る前に、スディルは鱗で埋め尽くされた拳を鳩尾に叩き込んだ。

「ガハッ!?」

 息が詰まる一撃に呻き声をあげながら、俺の体は木々をなぎ倒しながら面白いように吹き飛ぶ。

「どうした羽虫。威勢がいいのは口だけなのか」

「うるせーよ」

 今度は翼に全力を注ぎ、残像が残るほどの速度で斬りかかる。

 しかし、それでも鱗に傷一つ付けられなかった。

「フン。通じぬと言っているだろうが」

 俺の体を、スディルの拳が再び襲う。今度は竜鎧の一部を掴み、逃げられないようにして何度も拳を叩き込み、。

 俺の口から、赤い液体がこぼれた。

「よい余興だった」

 スディルの言葉と共に一際破壊力を増した一撃が、竜鎧を砕きながら俺を捉えた。

 あまりの威力に衝撃波を周りに撒き散らしながら、それでも相手を吹き飛ばさないほどの一撃を食らった俺は、音もなく崩れ落ちる。

「クロガネ!!」

「オマエの求めていた救世主が、こんなにも脆いとは思わなかったぞ。興ざめだ」

 絶対的な力の差。簡単に覆らない格の差。

 俺とスディルには、それだけの差があった。

「興ざめついでだ。オマエも木の枝を折るかの如く殺してやろう。何、痛みを感じる時間も与えぬゆえ、安心するがいいぞ」

 倒れている俺に不安の視線を送っていたヤトを、冷めきった目で見下すスディル。そして鱗を敷き詰めた拳を振りかぶる。

「………………待てよ」

 風に消え入りそうな声が、スディルの動きを止めさせた。

 ヤトの顔が、光が灯ったように明るくなる。

「俺はまだ戦えるぞ」

「ほお。羽虫を侮っていたようだ。まさか、まだ壊れていなかったとは」

「ケッ、あんな攻撃屁でもねーよ」

 力の入らない体を震わせながら、俺は何とか立ち上がる。竜鎧を破壊したスディルの拳が、効いていないはずがなかった。

 血塗れな顔で、それでも不敵な笑みを崩すことなく竜鎧を纏い直す。

「もうやめろクロガネ! お主が無理して戦う必要なんてないんじゃ!」

 ヤトが涙を滲ませながら訴える。生存は涙が出るほど嬉しかった。が、これ以上戦ってほしくないと思っているのもまた事実だった。

「どうしてだよ。俺を納得させるだけの理由があるのか?」

 目だけでスディルを射抜きながら、言葉だけはヤトに投げかける。

「なんだ、羽虫。知らずにここに来たのか」

「トカゲには聞いていない。黙ってろ」

「フハッ! これは面白い。本当に知らぬのだな。忌竜、自己紹介ぐらいはしていなかったのか?」

「何だと?」

 スディルが一人大笑いしていた。

 状況をいまいち掴めない俺は訝しげに、全ての事情を知っているヤトは唇を噛みながら、それぞれ支配者の笑い声を聞いていた。

「忌竜、どうだ。今この場で改めて自己紹介をしてみたら」

「そんなこと……!」

「出来るわけないか? ならば余が代わりに話してやろう」

 愉悦で堪らないとばかりにニヤニヤと笑うスディルが、沈黙を通すヤトの代わりに口を開いた。

「このメスは竜だ。人間という下等種に化けてはいるが本質は余に近く、羽虫にとっては敵になる」

「くだらねー嘘吐いてんじゃねえよ」

「嘘ではない。こ奴の言っていることは、真実じゃ」

 俺の否定を、ヤトがさらに否定する。

 なんでだよ、このトカゲの言うことを、なんでヤトまで支持するんだ。なんて簡単な言葉が、血で錆びついた俺の喉を通らない。

「ワシはな、クロガネ。お主の近くにいていい存在ではないのじゃ」

 やめろ。そんな顔で俺を見るな。そんな悲痛に塗れた表情で、俺を気遣おうとしないでくれ。

 ヤトの顔が、昔の俺が殺した人間と重なる。竜鎧になる前の、夢に出てくるあの壊れそうな笑顔と重なる。

「このメスはな。全生物を敵に回せる、特異な能力を持っておる」

「止めんか。ワシはクロガネに討たれるべき敵。敵に能力を教えるべきではないじゃろ」

「信じられるか。ヤトが俺の敵だなんて」

「羽虫はまだ受け入れられぬようだぞ忌竜。ついでだから能力ぐらい教えてやればいいではないか」

「受け入れるとか、そういう問題ではないじゃろうが」

 何故だかヤトとスディルの距離が近く感じて、俺と彼女の間には広く深い溝があるような気がして。

 溝を埋める方法が、今は持っていないことに俺は気付いてしまった。

「忌竜は姿を晒しただけですべてを滅ぼす。そこに種族の格は関係ない」

「竜も人間も滅ぼせるっていうのか? どういうことだよ」

 スディルという支配者の言葉の意味は表面上でしか理解できなかった。

 理解が追いつくはずがない。ヤトが隠していた秘密のあまりの重さは表面上だけでも見てとれて、加えて彼女にはまだ秘密があるらしい。

「ワシは、ワシの姿を見た者だけでなく、血を分かつ者まで根絶やす。根絶やしてしまうのじゃ。人間も竜も、それ以外の生物も例外なくな」

「……ッ!」

 俺の口からは、とうとう言葉すら出なくなった。

 ヤトが背負っている物、それは俺の比ではないほどに重く、暗い能力だったのだから。

「まだ信じられぬか? それはそうだろうな、羽虫は忌竜と仲が良い様子だ。信じられぬのも無理はない」

 スディルの同情だと分かる言葉の方が、まだすんなりと入ってきた。しかし、見下されているという事実に気付けても、俺の声は変わらず出ない。

 ヤトの秘密は、俺に憤る力さえも与えなかった。

「忌々しい力だ。余が直々に出向いてまで始末しようと思うくらいにな」

 スディルという竜は嘘を吐けない。

 俺は自信に溢れた奴の、嘘を吐こうとしないその考えはとっくに読み取れていた。だからこそ、スディルが言っていることは真実であるという、何よりもの証拠だった。

「余らの繁栄のため、忌竜にはここで死んでもらう。人間にとっても、悪い話ではあるまい?」

 スディルの言葉に嘘偽りはない。つまり、奴の言うことはすべて正しいのだ。

「そうじゃクロガネ」

 ヤトが純白の髪で顔を隠しながら口を開く。

「ワシは生きるだけで皆を不幸にする。じゃから、死ななければならぬのじゃ」

 ヤトが顔をあげる。

「じゃからどうか、こ奴と戦おうとせんでくれ。傷つこうとせんでくれ。ワシはここで死ぬ定め、クロガネはこれからも生きる運命じゃろう?」

 そう言い切ったヤトの体は小さく震え、目には涙を滲ませていた。

 彼女の心境など、考える必要がなかった。

「これだけいわれてもまだ動かんか」

 俺の敵が痺れを切らしてため息を吐く。それは余裕の表れであり、悔しいが否定は出来なかった。

「ならばそうだな。今人間の巣を襲っているゴブリンを退かせよう。羽虫がこの場を立ち去るのならな」

「!」

 俺は息を飲む。スディルが言ったのは、俺の目的を見事狙い打った言葉だったから。

「おおかた、羽虫がここに来たのはゴブリン共の元である余が目的だろう? ならば、おまえがここにいる理由も無くしてやろう」

 確かに、俺がこの場に来たのは王都を襲う元凶を排除するためだ。ヤトを見付けたのは偶然に過ぎない。

 普通に考えて、ここは撤退するべきだろう。

 一人を犠牲に街を救えるのなら、それに越したことはない。竜鎧も、その思想の元生まれたのだから。

 ならば、取るべき選択肢は一つしかない。


「で?」


 選んだのは、戦い。

「だから、どうした?」

 剣を手に堂々と、血塗れな顔は不敵に、俺は言い放った。

「……聞いておらんかったのか? それともただの阿呆なのか? ここで下がればすべて丸く収まると言っているのだ」

「聞いていた。だから聞いているんだ。それがどうした、ってな」

「なんだと?」

「ヤトの秘密もゴブリンの群れも、俺たちだけじゃ解決できない問題だと思ってんのか?」

 ヤトが忌み嫌われるべき存在だから殺す? 王都に進軍するゴブリンの群れを退かせるから帰れ?

 ふざけているのか。それはあくまで、お前たち竜の考えに過ぎないだろうが。

「人間舐めんじゃねぇよ。トカゲの知恵を借りるなんて、こっちから願い下げだ」

 ヤトが本当の姿を晒せないというのなら、俺が守り通せば済む話だろう。ゴブリンの群れがいくら集まろうと、兵士たちが死ぬ気で王都を守り抜く。

 ご高説なんざ、お求めじゃない。

「……どうやら阿呆のようだな」

 スディルが愉悦に歪ませていた笑みから、一気に不機嫌になった。その証拠に、奴の眉間には深いシワが刻まれている。

 俺は初めて奴より優位に立てたような気がして、つい面白くなって笑顔を深める。

「今からでも遅くないから訂正するのじゃクロガネ! 解決するしないの問題じゃないんじゃぞ!?」

 ヤトが血相を変えて俺を叱る。その表情は俺を本気で心配して焦る感情と、嘘でもそう言ってくれて嬉しいといった、矛盾した感情が交差していた。

「ヤト」

「何を落ち着いた素振りを見せておるのじゃ!?」

「ヤト、お前は俺のなんだ?」

「い、いきなりなんじゃ!?」

「ヤト、お前は俺の所有物だ。そんなことも忘れたか?」

「忘れるわけないじゃろうが。どうしてお主と会った時のことを忘れるというのじゃ」

「そうか」

 俺は少し安堵しながら、落ち着いた声音で話を続ける。

「所有物の分際で、持ち主である俺に口答えをするな。心配しなくても、不要になったらすぐに捨ててやる」

 顔は動かさず、目だけでスディルを睨みつける。

「だが、それは今じゃない」

 スディルも俺の出す殺気に反応して、臨戦態勢に入った。ボロボロとは言え、まだ俺という剣は折れていない。スディルは己の経験上から、俺という阿呆な羽虫の面倒さを察していた。

「口だけは変わらずよく動く。だがどうする? 余と羽虫の差は、気合いだけで克服できるほど甘くはないぞ」

「ああ、そうだな」

 俺は別段否定することもなく、スディルの言葉を一つの事実として肯定した。

「でもな。俺はどうやら負けられないらしいから、奥の手を使ってなんとかするしかないだろ?」

「ほお、奥の手。回避できない死線を前にして、随分と余裕があるのだな」

 スディルが再び愉悦で顔を綻ばせる。

 思い切りバカにしているのだろうその顔は気に入らないが、立場が逆なら俺も同じような態度を取っていただろうから、爆発しそうな怒りにはそっと蓋をした。

「出来れば使いたくなかったんだ。使うぐらいなら死んだ方がマシだとさえ思ってた。だから使わなかったんだ。悪いか」

 俺一人だったら、他人一人の命を背負ったぐらいだったら、使わなかったであろう最後の手段。絶対にヤトを助けなければならない。他の誰でもない、俺のために。

「それは面白い。忌竜を守るために、死よりも避けたい手段を講じるか」

「それぐらいの覚悟を決めないと、お前には勝てそうもないからな」

 俺はため息を混ぜた苦笑で、冗談めかしく頭を抱えた。

 悔しいが、これは事実だ。真っ向からやり合っても勝てない。

 正攻法からではどれだけ全力を尽くしても足りない。

「クハッ! よい心がけだ」

 スディルが楽しそうに、それこそ遊びを前にした子供のような笑顔で、俺のため息を笑い飛ばした。

 早くその奥の手とやらを見せろ。奴の青い瞳はそう言っていた。

「我は竜なり」

 だったらスディルの興味に甘えて、見せてやるよ。

「不変にして絶対、原初ゆえに頂点」

 俺の体から剥がれ落ちて行った竜鎧のカケラたちが、無数の粒子となりて俺の体に集まっていく。

「世界を支配し、他種を破壊し、繁栄を生み出す」

 俺の口から紡がれるこのウタは、はたしていつどこで知ったのか定かではない。でも、一つだけ言える。

「我は、我こそが竜なり」

 このウタこそ、竜鎧おれの本質を表している。

「顕現せよ、黒鉄クロガネ!!」

 俺の体に竜鎧が纏われる。

 だが、それは東洋鎧に二つの太陽と言った、いつもの状態とは絶対的に違っていた。

 まず外観を染めるのは黒。ここは変わらない。

 大きさは森の中でも隠れないほどに大きく、ヤトぐらいなら目に入れても痛いぐらいで済むほどに巨大だ。巨大なアギトからはみ出す牙は鋭く、自重に耐えられず埋もれる指から伸びる爪はどれだけ太い木も両断してしまいそうなほど鋭い。

「クロガネ……なんじゃその姿は。まるで竜のようではないか」

 ヤトの言うとおりだ。

 俺が纏った新たな竜鎧は、竜としか表現の出来ないモノだった。

「フハッハハハ! 実に愉快だ。余を倒すためとは言え、羽虫にとっては天敵であろう同胞に姿を変えるとはな!」

「姿だけだと思うか?」

 低く響く俺の声に、スディルはツボにハマったのかさらに大声で高笑う。

「よかろう。同胞と化したオマエの覚悟を見せてもらったせめてもの礼だ。余も全力で相手してやろう」

 スディルが高笑いを止めて、自分で人間の殻を破りながら変異していく。

「余をもっと楽しませてみよ。そうすれば褒美をくれてやらんこともないぞ、羽虫よ」

 暴力的な大きさ。三千ものゴブリンを従わせるだけの圧政を強いれるだけの力が、その風貌だけからでも溢れていた。

「下剋上は始まってるぞ。クソトカゲ」

 二匹の竜が、互いに絡まるように相手を食い殺そうとアギトを開いた。




 兵士とゴブリンの群れが、うねりをあげてぶつかりあう荒野。

「オラオラァ!! もっとアタシを楽しませてみてよ!」

 ゴブリンの塊の中央で紅蓮の炎を咲かせながら、アタシは吠えていた。

 紅蓮のカイナと呼ばれるアタシの本懐は、圧倒的な熱量を両手の手甲から繰り出す超近接型戦闘。破壊の規模は他騎士の追随を許さず、破壊力はクロガネさえも上回る。

「ギギィ!」

「遅い!!」

 正面、アタシが攻撃した後の一瞬の隙を狙ったゴブリンの一匹を、紅蓮を振りまきながら頭を握り潰した。

 ゴブリンが紅蓮のカイナという存在に恐怖する。しかし、アタシはそんな些細な問題を気にするような繊細な人間ではなかった。

「来ないならこっちから行くよ!!」

 両手から炎を噴き出して、距離を取ろうとしたゴブリンの一団に飛び込む。そして、縦横無尽に炎を操り、ゴブリンの群れをまとめて焼き斬った。

 戦線アタシ一人により維持され、王都を守るために命を捧げる覚悟を決めた騎士たちはアタシの取りこぼしを処理している。

 英雄という言葉すら生ぬるい怪物、それがアタシが持つ力の全容だった。

『『ゴァァァァァァアアアアア!!』』

「何? 竜!?」

 アタシが着々と辺りのゴブリンを殲滅していきながら、突如聞こえた獣の雄たけびに拳を固める。

 この場にクロガネはいない。もしも竜がコチラに来たとしたら、相手をするのは間違いなくアタシだ。警戒をしておいて損ということではない。

 アタシは炎を駆使しつつ、声の出所を探して辺りを見渡す。

「ウソでしょッ!?」

 声の主がいる位置はすぐに分かった。

 むしろ気付かない方がおかしいほどだ。アタシが見つけた声の主は二匹、金色の巨大な竜と、比べると少し小柄に見える黒い竜。二匹が絡み合うかのごとく互いに牙を突き立てて死闘を演じていた。

「……何アレ」

 アタシは驚きから茫然と、竜二匹の争いを眺めながら呟いた。

「クロガネ、生きてるよね?」

 隙だらけなアタシに、好機とばかりに飛びかかるゴブリンを文字通り蹴散らして同居人を心配する。

 クロガネには一人別行動を取ってもらっている。このゴブリンを動かしている黒幕、そんなことが出来るのは竜しかいない、を狩る専門職である彼に任せたのだ。

 竜がいる以上、彼があそこにいる可能性も高い。あの二匹の化物が凌ぎを削っている場に、人間であるクロガネもいる。

 そこまで容易に想像できたからこそ、アタシはクロガネの身を案じた。




「まだ同胞の体には慣れぬか?」

 奴と同じ竜の体になったからか、トカゲの表情の変化もよく分かるようになった。今は楽しくて堪らないといった様子だ。

「黙れ。食い殺すぞ」

「調子に乗るなよ紛い者。不慣れな戦い方で倒せるほど、余は甘くない。オマエなら理解出来ると思っていたんだがな」

 俺が竜になってから、スディルの調子は随分と馴れ馴れしくなった。きっと俺を下等な人間としてではなく、自分と同じ竜として接しているのだろう。

「そんなオマエにとって都合のよい方法を提案しよう」

「なんだ、何を企んでやがる」

「別に何も。余が愉しみたいだけだ、乗らぬならそれでもよい」

「話ぐらいは聞いてやるよ」

 竜化して、かなり溝は浅くなった。だが、それでもまだ奴には届かない。

 後少し、決定的に足りない。

 だからこそ、スディルの言う都合のよい方法とやらが気になった。悔しいことに奴は嘘を吐かない。きっと奴の言うとおり、俺にとって最も都合のよい提案なんだろう。

「余とオマエで、全力のブレスをぶつけ合う。どうだ、よいと思わぬか」

「分かった、やろう」

 即答で、スディルの申し出を受け入れる。まだ竜の体を完全に制御しきれていない俺にとって、それはまさに都合のよい提案だった。

「大丈夫じゃろうな、クロガネ。ブレスのやり方はちゃんと分かるのか?」

「心配するなヤト。姿は変われど俺の力なんだ。最大出力ぐらいは出来る」

 心配性の母親みたく俺に声をかける少女に竜の顔で笑いながら、俺は口元に力を集中させる。

 火の粉がこぼれる。

 分かる。今まで狩る側だった俺を手こずらせてきた竜の最強の武器、連中を支配者たらしめる最大の根拠を、黒鉄クロガネという竜が使おうとしていることを、俺はまるで他人事のように感じていた。

「準備はいいようだな」

 スディルの口から青い炎が顔をのぞかせる。どうやら奴も準備万端らしい。

「「ガァアッ!!!!」」

 俺とスディルが同時にアギトを開き、全力で支配者たる証明(ドラゴンブレス)をぶつけ合う。光と熱と轟音が辺り一面に広がり、森は荒野へと姿を変えていく

 ――これが、本物の竜か。

 俺は同時に放ったはずのブレスがだんだんと近づいてくる。なるほど、初めて正面から竜の象徴を相手取っているが、これほどまでの威力を誇っていたとは思わなかった。

 スディルの様子を確認することは叶わない。しかし、ブレスの向こうに隠れている奴の巨体は、きっと勝利を確信しているのだろう。

 確かにそうだ。このままでは、足りない一歩の差で俺は負ける。

「クロガネ。目を閉じよ」

 ヤトの凛とした声が、ブレスが起こす破壊の音に不思議と混ざらず聞こえた。

「よいか。ワシがよいと言うまで決して目を開けるでないぞ」

 有無を言わせない声に俺は従って、固く目を閉じる。ブレスだけとは言え戦闘中に自ら視覚を封じるのだ。俺の本能が警鐘を鳴らしていたが、彼女を信じると決めた理性はやかましい本能に従おうとしなかった。

 目を閉じて数瞬で、破壊の音が遠ざかっていくのを感じた。

 ヤトがスディルの力をどうにかして削いでいるのだと気付くのには、長い時間がかからなかった。

「よいぞ、クロガネ。目を開けよ」

 指示の通りにクロガネは目を開ける。

「ここまで手を貸せば、いくら未熟な竜でも勝てるじゃろうて」

 ヤトが両手の平を上に向けて、やれやれと言った調子で首を横に振る。

 ブレスが激突している地点は俺から大分離れ、スディルの目と鼻の前ほどに近かった。

 彼女の言うとおりだ。もう、決着はついたも同然だった。

「ワシを、忌竜をどうにかできると言ったんじゃ。ここで死んでもらっては困る」

 ヤトの瞳が、見た目の年齢とはかけ離れた冷たさを秘めていた。

「さらばじゃ、スディルよ」

 俺は全力に気合いを加えた限界以上の力で、ブレスを押し返す。

 スディルは断末魔の一つも残すことなく、蒸発した。一瞬だけ見えた奴の顔は、確かにヤトを睨んでいた。

「任務、完了」

 スディルを焼き払ったと確認してから、俺は変異した竜鎧を解除する。

「カ……ハ……!?」

 同時に今までにないほどの疲労感と力を酷使した反動で、俺はすっかりと変わり果ててしまった焦げた地面に倒れ込む。

「お疲れ様、クロガネ」

 直前にヤトの優しい声を耳に残しながら、俺は気を失った。

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