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てんき

「ヤトがいない?」

 カリカリに焼かれたパンを口に運ぶクロガネが、無意識に素っ頓狂な声をあげた。

 二人が寝食をする酒場の一階、商売道具であるカウンターでクロガネは慣れない朝食を楽しんでいた。今日は彼個人に指名が来ているから、昼過ぎまで寝るわけにもいかなかった。

 昨晩はいつもより繁盛したというのはどうやら本当だったようだ。そこらじゅうに空のビンと暴れた形跡だろう大穴が見受けられる。

 恐らく、一番悪酔いしたのは、この店のマスターだろう。酒で羽目を外す様子がまざまざと目に浮かぶ。

「うん。クロガネなら何か知ってると思ったんだけど、心当たりない?」

 カイナが小さな欠伸を左手で隠しながら、片手で器用にフライパンを返す。

 さすが、小さいとは言え酒場を経営しているだけはある。片手間で成されるフライパン捌きは、とてもクロガネには真似できない。

「どうして俺に聞くんだ。カイナの方がアイツと話してたのは長いだろ」

「クロガネが連れてきたんだ。ヤトちゃんに詳しいのはソッチだろ?」

 ぐうの音が出ない。カイナが言っているのは正論極まりなく、竜鎧は沈黙を通すことしかできなかった。

「もう一度聞くよクロガネ。ヤトちゃんの居場所、心当たりない?」

「……俺だって日が浅いんだ。ヤトの行きそうな場所なんて知らない」

 どうして何でも知っていると思って話しているのだろう。クロガネだって、銀髪の少女について何も情報を持っていないというのに。

「じゃあ、聞き方を変えるよ。ヤトちゃんがどうして居なくなったのか、知らない?」

「それは」

「心当たりがあっても、別に話さなくていいよ。その代わり、クロガネにはちゃんと連れて帰ってきてもらうけどね」

 ――どこまで見透かしてるんだか。

 クロガネは少しだけ苦笑してから、パンを一気に口へと詰め込む。

「悪い。急用が出来た」

 ヤトが居なくなった理由。それは間違いなく、昨夜のやり取りが原因なのだ。

 誰かが収集を付けなければならない。その役目は、朝食を急いで終わらせた彼にしか務まらない。

「しっかり見付けてきなさい」

 両開きの扉を勢いよく駆け抜けていく背中に、焼き上がった自身の朝食を皿に移しながら、カイナは優しく声を投げてきた。




「さて、ヤトならどこに行くかね?」

 クロガネは往来のど真ん中で腕を組む。考えをまとめないといけないからだ。

 失踪したヤトが逃げ込みそうな場所。心当たりはまるでなかったが、どうにかして探さないといけない。

「取り敢えず、走り回るか」

 空から探した方が早いのでは、という考えが頭をよぎったが、すぐに取り下げる。

 彼女が姿を消した原因は、十中八九クロガネにある。それなのに竜鎧という目立つモノを使えば、きっとヤトはその場から離れるだろう。

 ヤトにとってクロガネは、今一番声をかけてもらいたく、そして顔も見たくないという矛盾した思いを抱いているのだろうから。

「クロガネ様、やっと見つけました」

 汗を流しながら走り回る俺に、女性の声が投げかけられた。

「ウゲッ……」

 それは俺が望んだ声ではなかった。むしろ、今この状況においては聞きたくない声ですらあった。

「竜鎧、無礼な反応をするな。殺すぞ」

 声をかけてきた御一行の一人、ミーレスが殺気を飛ばしながら剣に手を伸ばす。

 どうやら俺の反応が気に入らなかったらしい。

「物騒な騎士サマだ。そんなに俺の首が欲しいか?」

 こちとら朝からイライラしてるんだ。邪魔するってんなら容赦はしねーぞ。

 という物騒な考えは薄い笑顔の裏に隠して、俺は足を止める。

「ミーレス。時間は押しているんですから、あまり面倒を起こさないでください」

 先ほどと同じ、俺を呼び止めた声がミーレスを咎める。

「それで? こんな町中で護衛は一人だけ。一体どういうつもりなんだ? 女王陛下」

「言ったでしょう? クロガネ様を探していたのです」

 俺を探すというのもよく分からない。わざわざ女王陛下が俺を探して、一体何の得があるのだろうか。

 そこまで考えて、俺は思い出す。そういえば、王宮から俺へ直々のご依頼が来ていたんだった。ヤトがいなくなった事実の方が大きな問題だったから、すっかり忘れていた。

「そうか。俺忙しいから後でいいか?」

 言いつつ、二人からの答えを聞く前に俺は足早にこの場を去ろうとした。どんな答えが来るかは分かっていたから、二人のどちらかが口を開く前に立ち去ろうと思ったんだ。

「ダメですよ」

 凛とした声。次いで、ギィンと金属音が鳴った。

 俺の足が止まる。足元に、小さい振動を残す剣が突き刺さっていた。

「……町中で剣を振り回すのはどうかと思うぜ?」

「貴様が逃げなければ済む話だ」

 ミーレスが何かを投げた姿勢のまま言葉を吐き捨てる。十中八九、俺を縫いつけた剣を投げたのは彼の仕業だろう。

 物騒な男だ。俺はため息を吐いて、剣を引き抜く。

「ほら、返す」

 軽い苛立ちを込めながら、俺はミーレスの足元に剣を投擲する。柄が取りやすいように右足のすぐ近くに狙いを付けられた剣は、俺の狙いからわずかにずれてミーレスの鎧を撫でた。

「フン」

 ミーレスは特に動揺した様子を見せず、剣を抜いて腰の鞘に収めた。

 チッ、拍子抜けだ。俺は心の中で、大きく舌打ちをする。

「今日調査に行ってくれるのですよね。なのにどうして、クロガネ様は今も王都にいるのですか?」

「急用が出来たんだ。それが終わったら行く」

「許容できません。こちらも急を要しています」

「知るか。お前らの都合を押し付けるな」

 俺はアン女王を睨みつける。しかし、竜鎧という化物に睨まれても、彼女には毛ほども効いていなかった。

「クロガネ様。アナタがわたくしを恨んでいるのは存じております。しかし、駄々をこねるのは違うのではないですか?」

 女王をやるだけあって、威圧は化物に勝るとも劣らないほど重たかった。

 ここでアン女王の機嫌をあまりにも損ねると、ギルドそのものを廃止しかねない。彼女にはそれだけの権利と権威があるのだ。

「俺がやらないといけないんだ」

 事情は分かっている。分かっているが、従うかどうかはまた違う問題だ。

 俺はヤトを見つけなければならない。他の誰でもなく俺でなければならないのだ。

「それは竜鎧にしかできないことなのですか?」

「いや、違うが……俺にしかできないことだ」

「竜を狩るのですか?」

 今度は声が出せず、俺は沈黙を返すことになった。

 女王への答えは否だ。だが、彼女はその返事を許すような人間じゃない。

「なるほど。竜鎧が必要、というわけではないのですね」

 アン女王は納得した様子で頷く。

 俺は口をつぐんだままだ。彼女の言うことを、またも否定できなかった。

「わたくしの方を優先してもらえませんか? 先約はわたくしのはずですが」

「先約は関係ない。急用ってのはそういうものだろ」

「そうですか。どうしても聞いてもらえないのならもういいです」

 アン女王が口を尖らせて、拗ねたようにそっぽを向く。

 挑発のつもりなのだろうか。それなら効果てきめんだ。俺の額と、だらりと下がった腕の先で固く握りしめられた拳に、小さな血管を浮かばせられたのだから。

「わたくしが直接、原因を調べてきます」

「は、はぁ!?」

 あまりに的外れな言い草に、思わず俺は間抜け声を響かせた。

 俺だけではない。ミーレスもまた、じゃじゃ馬の発言に目を丸くしながら大口を開けて、騎士然とした普段からは想像もつかないような間抜け顔を晒している。

「そんなに驚かれる理由があるのですか? 元々我が国の問題なのです。王であるわたくしが解決するのが筋、というものでしょう?」

 い、いやいやいや。本気で言っているのかこの女は。

 場所と状況が揃えば首を縦に振ってしまいそうな説得力に一瞬呑まれながらも、俺は心境で彼女の考えを否定する。

 そもそも、アン女王は戦いに必要な物をまるで持っていない。竜鎧のような能力はおろか、騎士のような鋼の鎧も、ゴブリンが使うような錆びれた斧も使用した経験などないだろう。あったとしても儀式用である無数の宝石があしらわれた実用性のカケラもない剣ぐらいのものだ。

 そんな女王陛下が、竜がいるかもしれない現場に出向く? なんの冗談だ。無駄死にしたいのか、はたまた自殺願望があるとしか思えない。

「女王陛下。あまりに危険です!」

「あら、いいのですよミーレス。わたくしが無駄死にしたところで、困るのは貴族だけですもの」

 チラリと、俺を一瞥する女王。

「困った貴族がどうするのか、わたくしは天国から見守っています」

「なるほど。そういうことか、女狐」

「あら女狐だなんて。お上手ですね」

 ケラケラケラと口元に手を当てながら笑う女王は優雅としか言いようがなく、彼女の真意に気付いてしまった俺は吐き気がするほどの怒りを覚えた。

 彼女の狙いは自身の身を滅ぼすことだ。女王の死、という大事件を巻き起こし、国全体に混乱を与えようとしている。

 アン女王陛下に子供はいない。言い換えれば、この国の王を務める後釜がない。ならば起こる結末は一つ、有力貴族による覇権争いだ。

 覇権争いが始まればいずれ戦争が勃発するだろう。俺たち竜鎧も、竜ではなく人を狩るために駆り出される。量産もされるに違いない。

 それだけではない。今の平和を生きる民衆も巻き込まれるのだ。戦火に、そして俺たちが生み出す破壊の渦に。

「自分の命を使って他人を脅すのは、アンタぐらいだ」

「脅すつもりなどありません。可能性の提示は交渉の基礎ですから」

 ミーレスもやっと女狐の思慮に気付いたらしい。何か言いたげにしながらも、邪魔をしては悪いからと押し黙っている。

 その忠誠が、主を殺そうとしているんだぞ。止めなくていいのかよ。

 俺は思いを飲み込んだ。言ったところで、女狐が丸めこむだけだろうからだ。

「どうされますか? クロガネ様。アナタにしかできない用事を済ませてわたくしを見殺しにするか、それとも先に予約していたわたくしの依頼に付き合うか。好きな方をお選びくださいね」

 好きな方か。答えは最初から一つしか用意されていないだろ。

 竜鎧の多くは犠牲の少ない方を選ぶ、合理的な思考の持ち主が多いのだから。

「分かった。先に依頼をこなす」

「ありがとうございます」

 安堵したような笑顔で、アン女王は礼を言う。演技の上手い狐だ。女王より演劇の方が向いていたんだろうに。

 俺は、やり場のない気持ちを目を逸らすことでなんとかごまかした。途中、一瞬だけ目があったミーレスの、女狐とは違って本心からだろう深いため息を、少し印象に残しながら。

 竜鎧同士が斬り合っているような激しい金属音が、突然王都に鳴り響いた。

「こんな町中で戦闘か? んなわけないよな」

 音の正体は鐘だ。昼を告げる鐘が鳴っているのだ。

 もう昼なのか。ヤトを探し始めたのは朝だったから、かなりの間探してたことになる。俺の体内時計がまだ早いと告げているのは、きっと探すのに夢中になっていて感覚がずれているのだろう。

「そんな、まさか……」

 先ほど自身を使って俺を脅してきた女狐ことアン女王が、先ほどとは明らかに違う青い顔で一人呟く。

「どうした? あれは昼の鐘だろ?」

 俺は痛い目を見たばかりだ。予想外の表情に動揺しながらも、警戒は怠らないよう注意して、わざと明るく話しかける。

「バカが。昼の鐘があそこまで過激なわけないだろう」

 ミーレスが落ち着いた声色で俺を貶す。だが、いつも通り人の神経を逆なでするような声音と違い、顔はわずかに強張っていた。

「確かにいつもとは少し違うが、今日の当番の気が荒いだけだろう? 特別な意味があるとは思えない」

 ――いや、そんなことはない。

 俺は自分で言った言葉を即座に否定する。

 実を言うと分かっていたからだ。この鐘が意味でなく、これから起こる出来事を、俺の直感は感じ取っていた。

 そうして、こういう時の勘というのは、よく当たるものだ。

「――ぅです」

「なんだって? 鐘がうるさくて聞こえないぞ」

 アン女王が顔を青くしたまま、俺のもっとも聞きたくなかったことを口にした。

「竜の、侵攻です」

「……冗談だろ?」

「残念ながら事実です。訓練で何度かこの鐘を聞きましたから」

 アン女王は苦虫を噛み潰した顔を止めない。加えて鐘も鳴り止まない。

 彼女が言っていることが事実であることの、証明に他ならなかった。

「竜鎧、紅蓮を呼んで来い。女王陛下、我々は王宮に戻って子宮軍議を開きましょう」

 俺と女王が二人して茫然となっていたが、ミーレスの指示によって思い出したように動き始める。

「カイナをか? 分かった、王宮に連れて行けばいいんだな」

 軍人のとっさの判断に、俺は迷うことなく従った。

 俺みたいな雇われ者には思いつきもしないようなところまで、この男は思慮を働かせているだろうからだ。普段の俺を見下した言動は気に入らないが、こういう時ぐらいは存分に頼らせてもらう。

 俺は竜鎧を即座に展開し、一気に空を翔けた。




 俺は竜鎧を展開し、出来うる限りの全力で空を翔ける。向かう場所は一つ。カイナが絶対にいる場所だ。

「カイナ! いるか!?」

 目的の場所、町はずれにあるオンボロ酒場に竜鎧を解除しながら突っ込んで、俺は大きな声で目的の人物を呼んだ。

「騒がしいね。一体何? 昨日飲み過ぎたせいか、昼の鐘が鳴り止まなくって」

 あくびを噛み殺しながら、頭をかくカイナ。

 胸元の緩いTシャツと下着しか着けていない様子は、異性の劣情を駆り立てるには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。

 さっきまで寝てたらしい。深紅の瞳には若干の不機嫌がこもっている。

「残念だがそれは幻聴じゃない。鐘はずっと鳴っている」

「へぇ。今日は昼がずっと続くってこと?」

 こんな時でも調子を崩さないカイナは、焦っている俺にとっては苛立たしいだけだった。

「そうじゃない。取り敢えず、王宮に行くぞ」

「いやいや、なんでアタシが王宮に呼ばれるの。これでも昔色々やらかして出禁なんだから、連れて行ったらクロガネまで面倒になる」

 矢継ぎ早に紡ぐ俺の言葉に、カイナはダラダラと拒否していく。

 こんなことを言い合っている時間すら惜しい俺は、つい実力行使をしたくなる。しかし、そうなったら負けるのは俺の方だ。時間がないからこそ、そんな無駄は省きたい。

「紅蓮のカイナを王宮が呼んでいるんだ。行くぞ」

「へっ? いやいや、嘘は嫌いだから」

「嘘じゃない。竜が攻めてきたんだ」

 俺の一言がどうやら効いたようだ。まばたきの間よりも早く、カイナの顔が鋭くなる。

「タチの悪い冗談、じゃないんだね?」

「ああ」

「分かった。すぐ着替えてくるから待ってて」

 カイナが目にも止まらぬ速さで階段を駆け上がっていった。そして三十秒で再び俺の前に姿を見せる。

 背中まで伸びている髪と同じ、深紅のロングコート。手には不釣り合いなほど不格好な手甲が付き、どことなく鉄臭い。

「それが、カイナの本気状態、ってことか?」

「うん。久しぶりに着たけど、入って良かったよ」

 カイナが苦笑した。確かに、紅蓮のコートは少し窮屈そうだ。きっと、毎晩酒を浴びるように飲んでいるからだろう。

「何か言った?」

「いや、何も」

 勘のいいカイナの懐疑的な視線から目を背けながら、俺は真顔を保つだけで精いっぱいだった。

「まあ、いいけど。いこっか。今日はアタシが飛ぶよ。クロガネも捕まって」

「えっ? いやいや、俺も飛べるから大丈夫だ」

「竜鎧さんにはまだ働いてもらわないといけないんだ。休んで貰わないとね。まあ、たまには人の飛行にも付き合ってみなよ」

「いや、だけど」

「つべこべ言わない」

「……了解」

 有無を言わせない圧力に、俺は小さく首を縦に振った。それしかできなかった。

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