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僕のお父さん

作者: いくあ

僕はお父さんが大好きだった。お父さんも僕を含め家族みんな大好きだった。

小学校に入学した僕は悪ガキだった。6年生のクラスまで行って悪さをしたりして何回も先生に怒られた。2年生の時に、古ぼけた家に石を投げて窓ガラスを割ったことがあった。そこの家には人が住んでいて、すぐさま学校に連絡が入った。そして僕のほかに3人ぐらい、いてみんなやっていたところを見られたのですぐに先生に呼び出された。親にも連絡が行って帰ってから倉庫に南京錠をかけて閉じ込められた。しかしそんな中お父さんは出してくれてよく慰めてくれた。いつもお父さんは優しかった。

休日は家族のためにいろいろなところに連れて行ってくれたりして僕はとてもうれしくてたまらなかった。

僕が小学3年生になった時家を買った。住んでいた家から2件上の家だったので2つの家を行き来するようになった。下の家はおじいちゃんとおばあちゃんが住んで上のうちはお父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、僕、妹で住んでいた。食事の時は下のうちに行きみんなで楽しくわいわいがやがや食べていて僕はとても幸せだと感じていた。

小学校4年生の時にお父さんは、キャンピングカーを買ってそれでユニバーサルスタジオや富士サファリパークなどいろんなところに連れて行ってくれて本当に毎日が楽しくてとてもよかった。お父さんは釣りが大好きだったのでよく釣りに連れて行ってもらった。そしてある休日僕と妹とをつれて釣堀に一緒に行った。僕もとても楽しみで、早速釣り始めました。そしたらいろんな魚がたくさんつれてとても面白かったです。お父さんもすごく楽しそうで1回大きな魚が当たってがんばって釣り上げました。ほんとにお父さんといつもいると毎日が楽しくてお父さんは僕のヒーローでした。でもその前の時からずっと「腰が痛い」って言っていたので大丈夫かな、っと心配になりました。

ある日お父さんは名古屋の病院に急に入院しました。その時はお母さんから「ちょっと体調を崩しちゃったから」っと言われてそうなんだっと納得しました。そして2ヶ月、3ヶ月と入院していていろんな病院に検査しに行っていた。そしてお父さんは中津川病院に移りました。

そして僕はいつの間にか小学5年生でした。それで僕はお父さんが働いてるスイミングスクールの選手クラスに上がりました。練習はものすごくハードでほんとに毎日がえらくて大変でした。でもスクールは中津にあるので終わったらいつもお父さんの病院に行きました。そしてなんだからお母さんがお父さんに付きっきりの日が多くなりました。

そして月日が流れて10月のある夕方に僕とお姉ちゃんとおにいちゃんと妹とお母さんがいて、お母さんが料理を作り終わってから、僕たちを呼んで言いました。「大事な話があるの」っと言われて、何だろうと思い聞きました。「お父さんはね....実はガンだったの...」それを聞いて僕たちはみんな泣いていた。どうしていいかわからないぐらい絶望していたような気がした。お母さんは「でもね、絶対に治るからみんなで頑張ってお父さんを支えて行こうね」っと行ってくれた。僕は頑張って行こうと決意しました。

それから僕はお父さんの近くへ行ってたくさん話しをした。勉強も水泳も頑張っていたずらなどもやめた。たくさんお父さんに「いいことをした」って言いたかったから頑張った。それでもガンの進行は進んだ。そして痛かったから痛みを忘れさせる麻薬のような薬のモルヒネっと言うものを投与してから、お父さんはみんなの名前を言ってそして「みんなどこに行った」っと言っていた。僕は怖くて怖くて仕方なかった。泣きながら「僕はここにいるよ」っと言った。「みんなもここにいる」っといってお父さんを励まし続けた。そしてお父さんは安定して寝ていた。それから毎回病院に行ったらトイレに行って病室に帰る時に病院の先生とお母さんが、話していてお母さんは泣いていた。どうして泣いているんだろうと僕には理解できなかった。

そして11月の3日、日本国憲法公布で祝日の日、前日からお母さんは病院にいて家にはいなかった。それで朝早くにおじいちゃんがやってきて、起こされておじいちゃんが「お父さんが危ないかもしれんって連絡が入ったから病院へ行くぞ」っと行って僕は本当にびっくりしてどうしたらいいかわからなくなった。そしてお父さんのところに行ったらまだお父さんは無事だった。着いてから少したつと病院の先生が来て「どうこうが開きかけている」っと言って、僕は本当に何がなんだかわからなくなっていたと思う。ただ頭の中には怖さが充満していた。でもその後にもう一度見たら開いて行きそうだったのが戻って安定していた。それで僕は少し安心した。午前10時だというのにみんなぐったりしていた。僕もそうだった。でもお父さんとずっと手をつないでいた。それから午前1時事態は急変した。病院の人が心電図を持ってきて呼吸器を取り付けていた。みんなで「お父さんがんばって」っと言った。だけど心電図は弱まって行きずっと0を示して「ピー」という音がずっと鳴り響いていた。みんな泣き叫んでいた。僕はお父さんを揺さぶって「僕のお父さんはこの世にたった一人なんだよ。死んじゃいやだよ。戻ってきてよ。」ずっと言っていた。家族みんな泣いていた。病院の先生にお姉ちゃんは「お父さんを戻してよ」っとしがみついて言っていた。それから病院の人はお父さんを着替えさせるからっと言ってみんな廊下に出て行った。僕はお父さんにしがみついていた。でも離された。もう怖いのと悲しいの感情で本当に何もわからなくなった。それで時間があったので病院の屋上に妹とおばあちゃんとで行ったら、雨が降っていた。そしてお父さんと一緒に家に帰った。そして夕方から御通夜が始まった。すごいたくさんの人が来た。僕の知っていた人もいたと思うけど誰が誰だかわからなかった。そして終わってから僕は1日起きていてお父さんと朝まで一緒にいた。そして次の日にいつまでもいると肉体は腐ってしまうから焼却場へ行くことになっていた。しかし車が出る時に僕は「お父さんを連れて行かないで」とそこでも泣き叫んでいた。しかし止めれるはずも無くつれていかれた。そして焼却する前にお母さんが「お父さんの顔をあわせるのはこれで最後だよ」と言って僕はずっと眺めていた。そうしていたらお姉ちゃんがお父さんとお母さんに買ってあげたペアリングをお父さんにつけていた。「お母さんとお父さんはずっといっしょだよ」っと言った。この時、指輪にはたくさんの気持ちが込めてあると感じました。そしてお父さんを入れた棺は火の中に入って行った。待合室で待っていた時、煙突から出ている煙を見ていて「あそこからお父さんは天国に行くんだね」とお母さんが言って、僕はそれすら見るのがいやになってずっと泣いていた。

そして終わってから出てきたお父さんはもう骨になっていた。僕は怖かった。みんなは箸と箸で遺骨を渡して骨壷に入れていた。おばあちゃんに「やってみ」と箸を渡されたけど僕は怖くてできなくて、待合室へと走って行った。家に帰ってから3日後にお葬式が行われた。そこでお父さんの親友だった人が別れの話をして、たくさんの人が来ていた、僕はつらかった。そして悲しかった。

そして1週間学校を休みになったが、まったく1週間の記憶が無かった。僕は生きる気力をなくして疲れ果てていた。そして1週間経ち学校へ登校した。行ってもつらいだけだと思い、嫌だった。しかし1番に親友だった子が話しかけてくれた。クラスみんなもいつもどうりに接してくれた。お父さんの話題には誰一人聞かずに、話してくれた。僕は「自分がここにいてよかった。生きていてよかった。」「僕にはこんなにも優しくしてくれて、僕を必要としてくれる仲間がいた」本当にうれしくて頑張って生きていこうと思った。家に帰ってからもお母さんが「いつまでもくよくよしたっていいことは起きないんだよ。」と言った。昔お父さんにもそう言われて思い出した。

だから僕は僕自身に誓いを立てた。悲しい思いをするのは大変でとても重くてえらいことだから、こんな思いは僕だけでいい、誰にも思わせないようにする。今まで出会ってきた人これから出会ってきた人、全員を幸せだ、楽しいそんな思いでいっぱいにしよう。そう自分の心に誓った。

そして僕は今中学3年生だ。4年の月日が流れた。もう怖いことは無くなった。心も体も大きくなった。こんな姿をお父さんに見せてやりたいと思うこともあった。でも僕を必要としてくれるたくさんの人がいるから今も頑張っている。

これから僕にたくさんのつらいことや悲しいことが起きるかもしれない。でも僕にはこんな強いお父さんが居たんだ。そして僕を必要としてくれる仲間がたくさんいるんだ。そう思い。今度は僕がお父さんがしてくれたように幸せや楽しさをみんなに配って行きたい。人生は短い物だけど、たくさんのつらいことや楽しいことがあるから、それを一個一個お父さんのように大事にしていき、人生というものを僕は最後まで走って行きたい。

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