第32話 ゴーキル・アンド・カムバック
デカブツの叫びを合図に、私は動き出す。
左足を下げ、少し開いて右踵の後ろに置く。
下がっていた右手を持ち上げ、腕を真っ直ぐに伸ばす。
首を横に向ければ、銃と腕と肩と頭が、そして視線が一本の線に重なる。
左目を瞑り、狙いを定める。
想い描いた射線の先にあるのは、巨人の胸元だ。
目測するに距離はおおよそ五〇ヤード。
拳銃を使うにはやや間合いが遠い。
だが問題はない。じきに向こうのほうから近づいてくる。
果たして巨人は一つ目頭をグイを突き出すと、前に傾き気味に勢いをつけて駆け出した。
スタンピード(暴走)する牛の群れかと見紛う土煙を蹴り上げ、怪物は私達へと真っ直ぐすっ跳んで来る。
しかし私は焦らない。
傍らのキッドも落ち着いている。
間合いはものの数秒で消え去った。
だが私は焦らない。眼もそらさない。汗さえかかない。
キッドにいたっちゃニヤリと嗤っていた。
見る見る間に視界を覆い潰していく馬鹿でかい一つ目面。
僅かに銃口を動かして私は引き金を弾く。
野郎の顔面のど真ん中、大きく開いた丸い目ン玉へ向けて、引き金を弾く。
反動で手首が跳ね上がり、白煙が眼を塞ぎ、硝煙が鼻を刺し、銃声は耳を叩いた。
それと同時に、傍らで白煙が上がり、硝煙が烟り、銃声が鳴り響く。
私が撃つのに合わせて、瞬く間に引きぬかれたキッドのスコフィールド。
二つの銃口が同時に火を吹き、二発の銃弾は同時に標的に突き刺さる。
――絶叫。
耳が千切れるぐらいにやかましい。
でかい図体してんだから銃弾の一発や二発でがたがた言うな、などと胸の中でボヤきつつ右の方へ数歩動く。
合わせてキッドも左に数歩動いた。
私とキッドの間を、旋風まとって巨体が走り抜ける。
一つ目を両手で押さえながら走ったデカブツには無論、前など見えていない。
傾いだ体はいつしか斜めに進み、誰かの家のドアを頭から突き破って止まった。
「……死んだ?」
「まさか」
さらなる怒声は辺りに木霊し、怪物は立ち上がる。
家の壁が破片になって飛び散り、埃と砂が舞い上がる。
「そうこなくっちゃ」
怪物が眼を血走らせて振り向いた。
そしてすぐにその瞼は閉じられた。
何故って?決まってる。
「二発……いや三発ぶち込んでもまだ平気か」
野郎が振り向いた先には、私の構えた借り物のコルト・アーミーがあったからだ。
目玉に二発。キッドのスコフィールドのも入れれば三発。
大仰に痛がってはいるが、見たところ眼にゴミが入った程度のダメージしかない。
拳銃用のものとはいえ44口径のブツを喰らって、その程度ですむ頑丈さに舌を巻く。
目の玉であの硬さなら、肉や骨はいったいぜんたいどうなっているのか。
「“アレ”が本当に通用するのか、ボクちゃん少し不安になってきたネ」
声には不安など毛一本ほども見せない明るい調子でキッドが言った。
私も若干に不安には思うが、しかし現状他に手はない。
「……手はず通り行くぞ」
「おおせのままにボス」
眼の痛みに暴れるデカブツから距離をとりつつ、さらなる銃弾を浴びせかける。
銃弾は肉に突き刺さり、貫くことなく止まるが、かまわない。
何故なら、これらは全て奴さんを煽って、誘い出すための「ちょっかい」に過ぎないからだ。
「――よし」
「ダッシュ!」
巨人が視力を取り戻しそうな様子に、私とキッドは銃をぶっ放しつつ一目散に駆け出した。
ヤツの怒りを背中に受けながら、私はほんの十数分前に、イーディスと巡らした「策」について思い返していた。
『今回の作戦の肝は……コイツだ』
イーディスが言いつつポンと叩いたのは、私にも見覚えのある代物だった。
ハンドル、車輪、馬や牛に繋ぐ頸木、そして大きくて湾曲した鋼の刃。
「こちらがわ」でもその姿は、アメリカで使っているソレと殆ど同じで、付け加ええて言うならば、私がガキの時分に使っていたのもほぼ同じような代物だったのを覚えている。
――有輪犂、というヤツだ。
地面を耕すのに使う道具で、馬や牛に牽かせ重い刃を地面に突き刺し、その刃の湾曲で地面を深い所から穿り返すのだ。
コイツが有るのと無いのでは、畑仕事の勝手が随分と変わってくる。
特に土が湿って重く固い所じゃあ、コイツなしじゃまるで仕事にならない程だ。
ラウトゥヌム・トロル。死骸仕立てのデカブツ。そのずうたいから見ればグリズリーですら赤子だ。
唯一の弱点らしい、デカ頭をちょん切るのに使えそうな得物が私たちには必要だった。
そこで見つけたのが一軒の鍛冶屋。
コイツは待ってましたとばかりに鎮座していた。
果たして備わった馬鹿でかい刃に、イーディスがひらめたいのだ。
『私はココの辻の陰に刃を仕込んで待ち伏せる』
床にコップやガラクタなどを広げ、描かれた即席の地図を棒きれで指しつつイーディスは策を話す。
『ヤツがいるのはココ』
大きな釘を指し、そこから棒の先をツツツと動かす。
『そしてココにお前たち二人が向かう。そこでヤツを挑発し、誘導する』
『ここが酒場で、ここが雑貨屋。ここの辻を曲がって――』
「それはなんなん?」
イーディスの説明をキッドが遮った。野郎が指差した先には木切れがひとつ。
『……ただのゴミだ』
彼女は棒きれの先で邪魔者を地図から叩き出した。
キッドは舌を出して少しだけバツ悪そうな顔をする。
『説明を続けるぞ。屍巨人を挑発してここの角まで誘導する。そこで私が仕掛けておいた犂の刃で、ヤツの首を斬り落とす』
「どうやって?犂の刃は重い。一人じゃ持ち上げることもできんぞ」
『そんなことは先刻承知だ。良いか、まずは――……』
「うわお!?」
「あっぶね!?」
そこまで思い返した所で、私の意識は現実へと引き戻された。
「!?ヤロッ!?」
「飛び道具とか反則だろ!」
私のすぐ隣を飛び越えていくのは大きなテーブルで、キッドの真上を飛んで行くのは窓枠だった。
振り返らずとも音で解った。
あのデカブツが手近な家々を叩き壊し、そこを手づかみに握りこんだ諸々を投げつけてきているのだ!
「クソ!ここじゃ狙い撃ちだ!」
「俺右行くぜ」
「こっちは左だ」
私は左へと、キッドは右へと同時に跳んだ。
左右に別れた私達の真ん中の地面へと、どっかの家の梁が突き刺さる。
土埃を背に、私たちは通りの両側、適当な家屋の門を潜った。
「!?ぬお!?」
だが屋根の下も安全地帯じゃあない。
衝撃に柱が揺れ、埃が雨のように降り注いでくる。
髪がホコリまみれになり、私はそいつを手で掻き落としつつ舌打ちをひとつ。
こんな時は、帽子がないのが忌々しい。
こんな時は、帽子がないのがつくづく忌々し――。
「!?……クソッ!」
さらなる轟音と衝撃に、私は毒づいた。
腹のうちでぼやく余裕すらないということか。
私はすぐさまバケモノを誘き寄せつつ逃げるに適した路を探す。
「――ほーらコッチ来い!来やがれってんだでくのぼう!」
――探しているうちに、キッドがまた何かやり始めたらしい。
身を屈めつつ、手近な窓からこっそり外をうかがった。
「でけえ目の玉ついてんだろーがよこのやろう!コッチをみやがれってんだ!」
キッドが屋根の上にいた。
この短時間でどう登ったかしらないが、やっこさん確かに屋根の上にいた。
――咆哮。
キッドの存在に気づいた屍巨人が、ガラクタ遊びのをやめて、キッドを追いかけ始めた。
相変わらずの軽業師裸足の身のこなしで、やっこさんは屋根の上を飛び、跳ね、走り回って駆けまわる。
巨人はその動きに翻弄され、一層唸りながら必死に追いかける。
気づけば一人と一匹の姿は遠くなっていく。
慌てて私は隠れていた家より飛び出し、連中を追いかけた。
キッドだけに、良い顔をされてなるものか!
――などとムキになるほど私はガキではないが、野郎にこれ以上でかい顔をされるのだけは心底御免だった。




