第26話 バラッド・オブ・ア・ガンマン
――甘い香りが鼻の中を満たしていた。
香りは口の中にも広がり、その甘ったるさに思わず咳き込みそうになって……我慢する。
「彼女」の集中を乱してはいけない。
彼女の横顔は真剣そのもので、今まで見てきた中で一番厳しい表情をしているのだ。
彼女の集中をひとたび乱せば、その厳しい表情はそのまま私への咎めの顔に変わるだろう。
だから努めて静かに、シャンとして待つ。
窓ひとつとて無く、ひどく薄暗いそこは彼女の、フラーヤの家の地下室のひとつだった。
マルトボロの彼女の持ち家は地上に出ている「表の部分」は独り住まいの小さな家屋だが、梯子を下った先には地上の姿からは想像できないほどに広い地下世界が控えていたのだ。
降りた先の小さな丸い小部屋からは都合八つの細い廊下が放射状に延び、それぞれの先にはやはり円状の部屋が備わっているのである。
とは言っても、そうした部屋の殆どは「倉庫」になってるとのこと。
フラーヤの魔法に使う「霊薬」の類を保管しておくための、特別仕立ての部屋で、地下の冷たさがそれには不可欠なのだそうだ。
『グー・ライク・ニス……グー・ライク・ニス……サーク・エンドゥルヴェル・ヒェール……』
そして倉庫として使われていない幾つかの部屋が、フラーヤの「工房」となっているのだ。
今、私と彼女が居るのも「工房」のうちのひとつだった。
薄暗い石造りの部屋は窓ひとつとして無く、たったひとつの扉と天井に幾つかある空気入れの穴が開いているのが数少ない外界との繋がりで、殆ど密室と言って良かった。
円状の部屋は本棚で壁をほぼ全て覆われ、僅かに空いている本棚と本棚の隙間から灯りを取り付けた金具が伸びている。
金具は松明を翳した薄着の女神を象っており、その青銅か真鍮で出来た松明の先に備わっているのは実際の炎ではなくて、薄ぼんやりと朝焼けのように輝く不可思議な石であった。
石油ランプとかと比べると必ずしも明るいとは言えないが、しかし松明やランプと違ってススや煙も出ないし、何より臭くない。それにこの程度の広さの部屋ならば、これで充分だ。
フラーヤが面している円卓の上にも、壁にあるものとほぼ同様で、少しばかり小さいモノが置かれている。
それが、彼女の手元を照らしていた。
『グー・ライク・ニス……グー・ライク・ニス……サーク・エンドゥルヴェル・ヒェール……』
呪文をささやきながら手にしたノミのようなものの刃先を、恐ろしくゆっくりと、その上見てるコッチまで冷や汗が出そうな集中を以ってジリジリと動かしていく。
それは牛が歩むよりも遅く、見ているだけの私は彼女の邪魔にならぬよう、静かに額の汗を拭った。
果たしてフラーヤの手にしたノミの刃先にあるのは、私のコルト・ネービーだ。
左のバッタモンではなくて、ちゃんと右の純正品のほうで、そのグリップ部分に彼女は四角い刃を当てて、少しずつ少しずつ、それこそ髪の毛が伸びるぐらいの速さで刻んだ線を伸ばしているのだ。
『グー・ライク・ニス……グー・ライク・ニス……サーク・エンドゥルヴェル・ヒェール……』
フラーヤのノミはただの刃物では無く、魔法の道具であるらしい。
刃や柄に複雑な図像や文字が彫り込まれており、それが何らかの魔術的意味を持つのは一目瞭然だった。
刃先は仄かな金色がゆらゆらと揺れ、黄金の線がグリップへと刻み込まれていく。
時々、刃先をグリップから外して、傍らの小皿へと刃先を漬け、また彫込を再開する。
小皿の中身は、特別な染料で、その原料には「私の血」も入っている。
……指先をちょいと切ると彼女が言うので、それだけは遠慮して、腕にしてもらった。
ガンマンの命は指と掌だ。お陰で右の腕の真ん中が少々ズキズキするが、まぁしかたあるまい。
フラーヤが私の銃に行っている細工は、あの黒鉄のヴェンゲルと戦う上で無くてはならないものなのだから。
――『火には火を以って戦え……コッチではそういう言い回しがあるわ。魔道には魔道で挑むの』
彼女はそう言って、私に力を貸してくれたのだ。
死せるグノーダは彼女にとっても知らぬ仲でないらしい。
――『ヴェンゲルならば私にとっても強敵。独りで勝てる相手ではないわ。ならば二人で、三人で立ち向かえばいい』
彼女の仇討ちに、彼女もあらゆる方面から加わることになったのだ。
たしかに。眼には眼を。歯には歯を。剣には剣で。銃には銃で。
そして魔法には魔法にで、だ。
――『時の女神の加護を受けられなくなった今、来る「赤い竜」……あるいはそれに類する「何か」、私たちは備えないと』
かくして彼女に連れられ、私は彼女の秘密の工房に足を踏み入れた。
どのような細工を施すかは、出来上がってからのお楽しみ。
いずれにせよ彼女のことだ、間違い手違いはあるまい。
『……できたわ』
見目麗しい乙女ならば汗すら珠のように美しい。
手の甲で汗を拭い、ほっと一息つくフラーヤの姿に目の保養をしつつ、彼女の苦心の作の方へと目をやった。
グリップに刻み込まれたのは、一匹の蛇の絵だった。
不思議な細工だった。触ってみると金属のようだが、グリップに穴を削って細工物を嵌め込んだ訳ではない。
ノミ一本で削っただけなのに、色まで完璧に入っているのも不思議だ。
不思議といえばその描かれた蛇の姿自体が不思議だった。
なにせ、首が九つもある。
『ハイドーラ……それがこの蛇の御名よ』
問われずとも、フラーヤはその正体について語りだす。
『九つの頭を持ち、すなわち九つの魂を持った怪物。汝これを斃さんと欲せば、九度これを殺めねばならぬ』
「つまり、コイツを持つ限り、9度までは敵の攻撃を防げる……ってことか?」
彼女の説明を聞きつつ、九つの鎌首を持った蛇の銀色の姿を、指でなぞりながら、私は問うた。
彼女は頷き答える。
『付け加えて言うなれば、蛇は古き躯を脱ぎ捨て、生まれ変わる不死の獣』
『この二つを兼ね備えたハイドーラの加護は、あなたの窮地を、九回きっかり、それより多くも少なくもなく、守ってくれるわ』
「九度を超えれば?」
『地獄に落ちるわ』
「なるほど」
ひとつしかない命が、魔法の鎧で九度まで護られるという訳だ。
あの黒鉄の化物と戦うことを思えば、それすら心もとなく感じる。
地獄に落ちるのは、ヤツか私か。
『あなただけに戦わせるつもりはないわ』
……彼女に気を使わせてしまった。
そんなに顔色に露骨に出ていただろうか。
『大丈夫よ。顔に出ていた訳じゃないの。ただの……ただの女の勘っやつよ』
フラーヤは片目をつむってみせた。
私は何も言えず、ただ頬をポリポリと掻くだけだった。
マルトボロの街を、サンダラーに跨がり、駆ける。
フラーヤの工房より地上に戻った私は、保安官の仕事へと戻っていた。
街を巡り、治安を保ち、そして「準備」の状況を見て回るのだ。
マルトボロの街の様子は、あらゆる意味で様変わりしていた。
揃いの青帯を目印にした、マルトボロ市軍の兵士たちが、槍やサーベル、弓やクロスボウを手にして、あちこちを歩きまわっている。
ある程度装備は揃っているとはいえ、それでもこうしてみると格好は随分と雑然としている。
揃いのブルー(青色軍服)に身を包んだヤンキーども、そして今のアメリカ陸軍などと比べると、物資不足で私服での従軍が多かった我らが南部連合軍を思わせる姿だった。
前の戦争を思い出し、なんとも複雑な気分が、胸に満ちる。
グノーダが私へと遺した最後の「神託」。
その内容を、マルトボロ市のお偉方はとても重く受け止めた。
「赤い竜」に備え、街には戒厳令が敷かれ、兵士たちが集められ、マルトボロ市軍が結成された。
平時はイーディスやタビー将軍の率いる騎兵隊と、少数の警邏兵しかいないマルトボロだが、予測される非常事態に、戦える男連中は残らず駆り出されたというわけだ。
「よぉ。お仕事ご苦労さん」
「……てめぇも働いたらどうなんだぁ、ちったら」
通りすがった床屋の前、安楽椅子に身を沈め、足を柱に掛けてくつろいでいたのはキッドだった。
ズボンにシャツにチョッキと、いつもに比べれば少しだけ全うな格好をしている。
他に変わった部分があるとすれば、銃が2丁に増えているところだろう。
右側に下がっているのがスコフィールド・リボルバーなのは変わらないが、新たに左側にコルト・シングルアクション・アーミーが加わっているのだ。照星を削り、早撃ちに用に改造した4インチバレルの「シビリアン」だった。
さらに言えば、安楽椅子の傍らには散弾銃が一丁立てかけてあった。
殺したアウトローから奪い取ったものだ。平凡な水平二連式だが、駅馬車の護衛が使うコーチガン同様に、銃身は短く切り詰めてあった。キッド向きの、接近戦で絶大な威力を発揮するタイプだ。
「俺っちみたいなただガンマンにゃあ、こういう時だとできることがないのよね実際」
キッドは大あくびをしつつ言った。
退屈凌ぎなのか、手の中にはトランプがあって、しゃべくりながらもシャッフルしたりとこねくり回している。
その指さばきはパッと見ただけでも中々のもので、賭博師としても稼げそうな程だった。
あれだけのガン捌きを見せる男だ。指先の動きは、手慰みですら恐ろしく精確だった。
「だからと言って昼間っから呑みながらのカード遊びとは、良い身分だ」
ショットガンの傍らの素焼きの瓶を見つつ私は言う。
臭いから察するに中身は間違いなく酒だ。証拠にキッドの野郎、頬や鼻先がほのかに赤い。
「こう見えて生まれだけは止事無い血筋でね。御曹司なのさ」
「その御曹司の成れの果てがお前か」
私の返しに、キッドが一瞬、真顔になった。
だがそれもすぐに崩れて、いつものふざけた顔に戻る。
そして肩をすくめた。
「その通り。こんな風になっちゃった訳。神様の考えってのは……文字通り天のみぞ知るってえヤツさ」
結局退屈にも飽きたキッドと連れ立って、私はマルトボロの市街を巡った。
ささいな喧嘩の仲裁を2、3度こなした頃には一通り見回りは済んで、気づけば町外れまでやってきていた。
以前訪ねた、騎兵隊の訓練場もほど近い。
「おっ」
そこで見かけたのはスリーピィの姿だった。
井戸の縁に腰掛け、いつぞや見たようにハーモニカを吹いていた。
「『おおスザンナ』か。懐かしいねぇ」
キッドが曲名をズバリ言いあてた。
戦争が始まる前に流行った曲で、フォーティーナイナーズ(49年組。ゴールド・ラッシュの際にカリフォルニアへと押し寄せた連中の通称)は元の歌詞を変えて、高らかに歌いながら黄金郷を夢見たものだった。
無論、そんなものは殆ど夢でしかなかったが。
「~~♪」
キッドが口笛をハーモニカの音色に合わせた。
これまた見事なモノで、うまい具合に協奏曲になっている。
色々と多芸なやつだ。
「――♪♪♪」
スリーピィの奏でる「おおスザンナ」に合わせて、彼の傍らの子供が手拍子を叩く。
いつぞや市庁舎で見かけたのとは違う子供のようだった。
髪の毛の色が違うのだ。
薄い金髪の、可愛らしい顔をした少年だった。
格好はこ汚いが、何故か育ちの良さそうな雰囲気を身にまとっていた。
『スヴェン!スヴェン!』
子供が振り返った。スヴェンというのは名前なのか。
立ち上がり、軽く手を振った。
振った相手は、一人のご婦人だ。
くたびれた格好をした、まだ若い婦人が一人、少年とスリーピィの方へと歩いてくる。
スリーピィはハーモニカから口を離し、少年の背を押しつつ立ち上がった。
「――」
『――』
少年を挟んで、婦人とスリーピィが言葉を交わす。
距離があるので、何を話しているのか、詳しくは聞き取れない。
「――」
『――』
だが二人の表情は実に楽しげだった。
笑い合う声は、ここにいても聞き取ることができた。
「……」
キッドが肘で私の脇を小突いてくる。
恐らくは私と同じことを考えているのだろう。
「瘤付きが好みとは随分と通なヒトねぇ」
腕組みして、なにやら関心したように頷くキッドに、私はなんと返せば良いのやら。
ご婦人と少年が揃って去るのを見届けた所で、スリーピィへと歩み寄った。
その半ばで、スリーピィはすでにこちらの方を向いていた。この辺りはさすがといった所か。
「……最初に断っておくが、やましいことは何一つないぞ」
こっちが何か言う前に、スリーピィの方から力強く、そう断言が飛んできた。
「彼女の夫は市の騎兵隊員で半年前……我々が来るより前、偵察任務中に行方知れずなったそうだ」
スリーピィは婦人と少年が去った跡の影を見つめつつ、言った。
淡々とした口調だったが、そこには賞金稼ぎには似合わぬ人情味があった。
「市から若干の年金は出ているが、生活は苦しい。だが彼女は、女でひとつで日々頑張っている。……どうにも放っておけなくてな……」
ハーモニカを手の中で回しながら、スリーピィは言葉を切った。
何と言ったら良いか、次の単語が見つからないのか、はにかんだような顔で口の中でモゴモゴと言っている。
「……だったら、寝床まで付いて行ってやったらどうだ。満更でもないんだろう」
「いや。それは駄目だ。絶対に駄目だ。そこは彼女の夫の、スヴェンの父親の居場所だ。そこは、誰にも立ち入る権利はない」
私が言うと、スリーピィは一転、断固とした様子で告げる。
聞いているコッチが驚くほどに、強い調子の言葉で、感情が篭っている。
自分自身へと、言い聞かせているようにも聞こえる。
「でも、消えちまって半年前だろ?流石にもう、生きちゃいないんじゃあねぇの?」
キッドが当然の疑問を口にするが、スリーピィは即座に首を横に振る。
「死んだ、とハッキリ決まった訳じゃない。……それに、きっと生きている筈だ」
そして次にスリーピィの口から出てきた言葉は、いよいよもって自分へと向けていると私には聞こえた。
「父親ってのは、必ず帰ってくる。どこにいようと、どれだけの時間をかけようとも、どんな手段を使ってでも。必ず帰ってくる。生きている限り。必ず。必ず――」
気づけばスリーピィの視線は、ここではないどこかへと向けられていた。
それは果たして過去か、あるいは未来か。少なくとも、今ではない。
「――」
夢見るような瞳は一瞬で失せて、いつもの冷徹な彼へと戻った。
そのままスリーピィは黙し、静かに立ち去っていった。
その背中を見送るキッドが、呟くように言った。
「……帰ってこないほうが、良い時もあるさ」
――妙なことをおっしゃる。
そう思ったのが顔に出たか、キッドが私のほうを見たかと思えば、自嘲するような、苦笑いの顔を浮かべていた。
「帰ってきた父親が、昔と同じって保証はないだろ。帰ってこなければ、想い出が壊れることもない」
キッドもまた私に背を向けて、どこかへと歩き出した。
「そして……壊れちまった想い出のほうは、二度と帰ってはこないのさ」
そんな言葉を跡に残して。




