第23話 ザ・ヒルズ・ラン・レッド
――グノーダの体が崩れ落ちる。
それを見るや否や、私は身を宙へと躍らせていた。
キッドも、スリーピィも、そしてイーディスも同じだった。地面を蹴り、それぞれの前方へと跳び、地面を転がり抜ける。
直後、赤光が私達の影を追いかけて、空気を地面を焼き、貫いていく。
グノーダを斃したモノと同じ、紅き死の光矢は文字通り矢継ぎ早に、私達へと襲い掛かってくる。
空気の焼ける嫌な臭いを背越しに嗅ぎながら、手近な物陰へと私は飛び込んだ。
「邪魔するぞ」
続けてキッドも私と同じ場所へと転がり込んでくる。
見れば、イーディスとスリーピィも別の物陰へと上手く身を潜めているのが解った。
私は左右のコルトを、キッドはスコフィールドをすぐに撃てる体勢をとりつつ、物陰からグノーダの姿を覗き見た。
「……」
――駄目だな。と即座に悟った。
地面に広がる赤い血。微かに震える肢体。手から力なく零れ落ちた杖を掴まんと、彼女の右手は蠢くも、僅かに動いているのはその指先だけで、地面の砂を引っ掻いているだけに過ぎないのだ。
彼女は、グノーダは死ぬ。
戦場で、荒野で、幾度と無く死に逝く誰かを見送ってきた私にはそれが解った。
助けてやりたいとも思う。だが、今はどうしようもなかった。
「――あの野郎。女を撃ちやがったな」
隣で、キッドがどすの利いた声で呟いた。
思わず顔を向ければ、私が全く知らないキッドがそこにいた。
目を血走らせたキッドは明らかに「キレて」いた。犬歯を剥き出しにした相貌は、殆ど「けだもの」のようで、とてもあの軽口野郎のキッドのものとは思えない。今までもガンマンらしい剣呑な面を見せることはあったが、この手の顔に出くわしたことはなかった。
私ともあろう者が、生唾を飲み込みそうになった。それほどの凄まじい顔だった。
女にはやたら色気を振りまくやつだとは思っていたが、しかしこのキレ方は尋常じゃない。
その姿は、人の死に慣れたガンマンのモノとも思えない。
親兄弟を、あるいは妻子を殺されたように、キッドは怒りに猛っている。
破裂寸前の蒸気機関。
怒気の吐息を漏らすキッドの姿は、まさにそれだった。
「畜生……どんな野郎だ糞ったれ……ぶっ殺してやる……」
怒りに息も荒いキッドは、私が制止する間もなく、赤光の撃ち手の姿を覗き見ようとする。
「!……クソッ!」
「動けんぞ。これじゃあ」
しかしキッドが帽子の先を見せた瞬間、紅光の矢が隠れている土壁に突き刺さり、煙を上げた。
慌てて身を引っ込め毒づくキッドに、私は手を引っ込め冷静に呟いた。
「クソ……クソ……クソ……クソ……」
毒づき続けるキッドをよそに、私はスリーピィやイーディスが隠れている方へと視線を向けた。
同じような土壁を盾としている二人の姿が見える。
『……よぉし!用心棒の先生がやってくれたぜ!』
『突っ込むぞ野郎ども!こんどこそ八つ裂きにしてやる!』
グノーダに圧されて、総崩れ寸前だった無法者連中が景気付く声が聞こえてきた。
焦った私は、ひとこと「オイッ!」とだけ叫んでスリーピィ、イーディスの注意をコッチに向けさせた。
「……」
それから身振り手振りだけで、私の考えている策を二人へと伝えようとする。
連中や、まだ姿も見えぬ赤光の射手に感付かれないようにするためだったが――。
「糞ったれめ……上等だ……相手になってやる……」
スコフィールドの撃鉄を起こす音が聞こえたかと思えば、キッドの野郎、その時には既に物陰から身を晒していた。
「バカっ――!?」
『なにやって!?』
私とイーディスが叫んだ時、キッドは土壁を踏み台に空へと舞っていた。
赤い光がビィィと独特な音を立てながら走る。銃弾とも弓矢とも砲弾とも違う音。
しかしその音が、キッドを捉えることはない。
狼かと思う身のこなしで、地を這うように駆ける。
地面に手を付けたと思った時には、片手一本でくるりと廻り跳び、立った時には銃を構え終わっている。
例の赤光の撃ち手の注意を少しでも逸らす為に土壁から身を乗り出していた私、それに同様のスリーピィ、イーディスも、ハッキリとその様を見ていた。
僅かに離れた場所に、赤光の射手と思しき人影がひとつ。そこへと向けられたキッドの銃口。
――銃声はほとんど一発分だった。
だが一発たりとも外すことなく、相手へと弾丸は吸い込まれるように突き刺さる。
「合わせろ!」
「応!」
『仕切るな!』
しかし相手は「こちらがわ」の連中の一人だろう。
確実に仕留めるべく私達は、一斉に「ヤツ」へと銃口を向けた。
私の二丁のコルト・ネービーから交互に放たれる銃撃に、スリーピィの精確な射撃が間を縫って走る。
最後のトドメに、イーディスの魔法のコルトから白い光の矢が「ヤツ」へと突き立ち、爆ぜた。
白い光が四散し、衝撃に砂埃が舞う。
「……」
私は残弾の尽きたコルト・ネービーをしまい、後ろ腰に差していたトランターと、ペッパーボックス・ピストルを抜いた。共に曲がりなりにもダブルアクション式のリボルバーだ。こういう何が起こるかわからない戦場では、素早い連射力はそれだけで頼りになる。
「その弓を張りて構え……その矢に火を添え給わん……」
スリーピィは詩篇の一節を口ずさみながら、愛用のニッケルコルトの空薬莢を押し出し、次弾を再装填していた。目は前方に向けたまま、手の先だけでやっているのだから大したモノだ。
「……」
一方キッドはと言えば、既に再装填を済ませていた。
スミス・アンド・ウエッソンのリボルバーはこの排莢と再装填の速さが売りだ。反面、コルトのリボルバーに比べると華奢で、使える銃弾のパワーも比較して弱くなってしまうが、その利点は欠点を補って余りある。
『――ホクス、スキナ、スカンガ――』
イーディスはまだ紫煙を吐き出す銃身に左手を翳し、何やら呪文らしきものを唱えていた。
隻眼を瞑ってまで、集中し念入りに呪文をかけている。まじないを知らぬ私でも、見てそれだけは理解できた。
――つまるところ、誰一人気は抜いていない。
しかもそれは、「ヤツ」を赤光の撃ち手を斃した残りの無法者共へと対する為じゃあなかった。
私には予感があった。キッドもスリーピィもイーディスもそうだったのだろう。
グノーダを斃した相手が、そう簡単にくたばる訳もないと。
旋風が通り過ぎ、砂煙の帳を取り払っていく。
まず何をして良いのか解らず、固まったままらしい無法者たちが雁首を揃えて間抜け面しているのが見えた。
そして「ヤツ」の姿を、ようやく私達は具に目撃した。
あれほどの攻撃を一身に受けてなお、健在なその姿は一度見たら忘れられない程に異様だった。
『――黒鉄のヴェンゲル』
イーディスが喘ぐように告げたその名が「ヤツ」の名前だった。
ケープ付きの長い黒外套。幾つも吊るし、あるいは括りつけられた奇怪な装身具の数々。
しかし何よりひと目を引きつけるのは、庇の広く平らな帽子の下、その顔面を隙間なく覆う黒鉄色の仮面だった。
いや、仮面というのは正確じゃあない。それは殆ど兜と言っていい形をしていた。
僅かに横一直線に開いたスリットを除いて、顔面は全て一枚の鉄板に覆われてしまっている。
スリットの内側は真紅の光に満たされていて、その向こう側を覗くことは出来ない。眼光による赤ではない。赤いランプが中にあるかのように、スリット全体が赤い光で埋まってしまっているのだ。
その様は私ですら驚きで冷や汗が出るほどだった。生き物らしさを感じさせない、異様極まる面だった。
黒鉄に覆われているのは顔だけではなく、コートの下の胴も、腿も、脛も、全てが黒光りする鉄板らしきものに覆われ、靴も鉄板を打ち出して作ったような有り様だった。
黒い手袋に覆われた両手には、両方共に、とても見覚えのある得物がふたつ。
「まれびと」の、つまるは「こちらがわ」の武器。
レミントンM1858通称「ニュー・モデル・アーミー」。6連発のキャップ&ボール式。
愛用するガンマンも多い、コルト・ネービーと並ぶ傑作拳銃。
しかしその銃身に刻まれた奇妙なエングレーブ、幾何学文様と数字で成り立つ奇妙な刻印は、それがイーディスの得物と同じ種類のモノであることを示していた。
つまり――。
「撃て!」
ヤツが、黒鉄のヴェンゲルとやらがレミントンを構えようとした刹那、私は叫ぶと同時に引き金を弾いていた。
トランターとペッパーボックス。二丁のダブルアクションから繰り出される切れ目のない射撃は、ヴェンゲルの体を滅多打ちにする。
キッドもスリーピィも、それぞれの得物をヴェンゲルへと向け、撃った。
キッドは奴の頭を、スリーピィは奴の心臓を狙い、速く、あるいは精確に撃つ。
銃弾は容赦なくヤツへと突き刺さり、その体を揺らし、後退りさせた。
――だが斃せない。倒すまでにすら、至らない。
「 DUCK YOU SUCKER / 嘘だろ、糞ったれ 」
銃弾は全て、ヤツの体を覆う装甲に弾き飛ばされていた。
傷ひとつ、へこみひとつついてはいない。
そんな鎧を、銃弾を弾ける程の鎧を着込んで歩ける人間など居ない。
だが「こちらがわ」では違う。
アイアンクラッド(装甲艦)のように悠然とヴェンゲルは私達の前へと立ちはだかっていた。
『――』
ヤツは呻きひとつ上げもせず、一歩踏み出したかと思えば、手にしたレミントンを私達の方へと――。
『 DUCK YOU SUCKERS! / 伏せろ、馬鹿ども! 』
イーディスの声に、私達は一斉に地に伏せた。
イーディスの魔法のコルトから撃ちだされた白光と、ヴェンゲルの魔法のレミントンから撃ちだされた赤光は、宙空、真っ向からぶつかり合って――爆発した!
「ぬわお!?」
「くそっ!」
「ジーザス・クライスト!」
衝撃に身を捩って、まろぶように後退る。
そのまま這うように走って、例の土壁の裏へとかろうじて駆け込んだ。
「あんなの相手に……どーすりゃ良いんだ」
思わず、私の口からそんな弱音が漏れていた。




