第19話 セメタリー・ウィズアウト・クロッシズ
――幾つも幾つも、連なった土の群れ。
雲ひとつ無い青空の下、陽光にジリジリと焦がされる砂の山々。
しかし灼熱の太陽にも負けず、今もその領地を広げているらしき雑草の森
数えきれない程の風に吹きさらされ、塵芥と叢の海に沈んだ太古の街。
崩れた門のアーチの残骸、今や朽ち消えた屋根を支えていた石柱の列、水も枯れ果て底には草生した噴水。
ひとつとして全うな建物など無く、ひとつとして生きた人影は見えない。
――廃墟。
――どこまでも廃墟。
小高い丘に立って眺め見た風景は、学のない私にはそうとしか映らない。
だがフラーヤは言っていた。ここはかつて、偉大なる帝国の都であったのだと。
「……」
遥か異界の、遥か昔の夢の跡。
――「ストン・ホー」。
それがこの滅びた街の名前だった。
「……」
サンダラーの鞍より水筒を取り外し、口を僅かに湿らせる。
マルトボロの街よりさほど遠い場所でも無いが、独り荒野を旅する者として水の量にだけは常に気をつけている。
人は食わずとも多少は生き長らえられるが、水がなければほんの数日で死んでしまうのだ。
「……意味があるかも解らんが……行くか」
呟き、サンダラーの首もとを軽くポンポンと叩く。
私とサンダラーはストン・ホーの廃都へと足を踏み入れた。
学者先生でもない私が、何故こんな場所へやってきたのか。
それは昨日の晩、フラーヤに教えられた話がきっかけだった。
「レドウォルドの墓?」
『ええ。このマルトボロの街は、彼の墓の上に造られた、という旧い伝説があるのよ』
屋根にかかる満天の星空の下、彼女はそんな話を私にしてくれた。
「……その……レドウォルドってのはそもそも誰なんだ?」
私がそう聞くと彼女はちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに得心のいった様子になった。
『言われてみれば、まれびとのアッシュさんが知ってる筈ないものね。ごめんなさい、すっかり失念してたわ』
私はすかさずフォローを入れた。
「出自を忘れるぐらいに、俺もそんだけこの街にも馴染んでた、と思うことにするよ」
『本当にね。言い方は悪いけど、身だしなみも綺麗で、とても旅の渡り鳥とは思えないわ』
「死んだ親父の教えでね。街に行くときは恥ずかしくないように身だしなみはキチッとしろとさ。田舎者と見られないようにね」
軽く笑いあって、本題に戻る。
フラーヤは余所者の私にも解りやすく、噛み砕いて昔語りをしてくれた。
『遠い昔、何百年も前にこのウィルドレン地方の全てを治めていた大王の名前よ。数えきれない御伽噺の主人公でもあって、だから子どもであっても誰もがその名を知っている……そんな存在なの』
「……ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンみたいなもんか」
『?誰のこと?』
「いやこっちの話だ。続けてくれ」
私が先を促すと、フラーヤはレドウォルドの伝説について詠った。
例の鈴が鳴るような声で、古き王の詩を教えてくれたのだ。
『五百の伯、五万の兵、五百万の民を統べる者』
『死を乗り越え、時をも超える偉大なるただ一人の者』
『過去の、現在の、そして未来の王』
『その名はレドウォルド。その名は赤き竜を意味する』
『西はイストランドの山々から、東はオスカンの海に至るまで』
『馬をい兵を槍を駆り、四界を征せし偉大なる王』
『その名はレドウォルド。その名は赤き竜を意味する』
『その玉座のおわすのは、ストン・ホーの都、その背後に備わる丘の上』
『六つの天突く塔に、鳥すら超える能わぬ白き壁』
『白き館の内に満つるは、値金五万の財貨、数兵五万の剣槍』
『その全てを有するもの、誰よりも偉大なる王』
『その名はレドウォルド。その名は赤き竜を意味する』
『その拳は海を割り、その剣は地を裂き、その槍は空を貫き通す』
『いかなる武者をも超える勇者。戦士の王』
『その名はレドウォルド。その名は赤き竜を意味する』
『――レドウォルドは戦士であると同時に魔法使いであったそうよ。魔法を己の体に掛けて、不死者となったと記録には記されているわ』
「だが、墓があるってことは結局死んだんだろう?」
『ええ。レドウォルドの魔術は完璧ではなかった。三百年の時を生き延び、ただ独り彼のみを王として擁する王朝を支配し……そして三百年目のその日、遂に討たれ、滅びた。術の唯一の綻びを、ただひとつの急所を射抜かれて。年代記にはそう残されていた』
……なんとま随分とスケールの大きな話だ。
しかし私達の世界なら単なる御伽噺と笑い飛ばされても、「こっち」では恐らくそれすら事実なのだろう。めまいがしてくる。
「……ただひとつの急所ね。そりゃいったいどこだったんだ?」
『それは良くわからないのよ。年代記にも「ただひとつの急所」としか書いていないし。もっと旧い記録を掘り起こせば、どこかに書いてある文献が見つかるかも、だけれど』
「ふーむ」
『今も残ってる年代記には欠落も多くて、レドウォルドの時代については解ってないことの方が多いの。レドウォルドを討った刺客の名前もすらも、残っていない。三百年の時を生きた、偉大なる王を討った男なのに……』
「一応、男だっていうのは解ってるのか」
『ええ。刺客について記した中で、残っているのは、この一節だけ』
フラーヤは一旦ここで話を止め、息を呑んでから告げた。
「――その男、西方より来たり。青ざめた馬を駆り、その影に地獄を従えたり、か」
フラーヤから聞いた一節を思い出しつつ、当の私は栗毛に白と黒の毛足した色合いのサンダラーに跨がり、ストン・ホーへと進んでいた。
余談だが、我が愛馬サンダラーはアパルーサという種だが、これは上半身と下半身で毛並みが違うのが特徴で、特に下半身は斑点状の毛並みをしていて、なかなかにユニークだ。サンダラーの場合は上半身が栗毛で、下半身が白に黒いブチが入っている。
「聖書にそんな一節があったな。確か……ももも、もくし、もくしろく、黙示録!それだ!」
偶然の一致なのか、それとも大昔に「こっち」に来たまれびとが「私達の世界」の物語を持ち込んだのか、あるいは逆に持ち帰ったのか。……まぁ学者先生でもない私からすればどっちだろうと大差はない。
「そうだ……ヨハネの黙示録。えーと……確か第6章の辺だ」
帽子を脱ぎ、頭を掻きながら思い出す。流石に何節の文面だったかまでは出てこないが、まぁこれだけ解ればもう充分だろう。
ちなみに聖書を諳んじてる私だが、別に信心深いという訳でもない。
神を信じないわけでもないが、教会に通ったり、説教に耳を傾ける程ではない。
――そもそも、まっとうに信心深い男が人殺し稼業などするものか。
「……あの聖書。どこ行っちまったのかな」
私が聖書の中身を覚えているのは、それが父の数少ない遺品で、うっかり無くしてしまうまでは長旅の暇つぶしに良く読んでいたからだ。
聖書ぐらいは地力で読めないと、とは生前の父の口癖だった。
父も私同様学のない男だが、聖書だけは読むことが出来た。
読み書きができるのもそのせいだ。……最も、書く方は結構怪しい部分のほうが多かったりもするのだが、読む方ならばそれなりにこなせる。
西部じゃ読む方もマトモにできるヤツはどれだけいるか怪しいものだ。
つまり西部じゃ私も立派な「教養人」と言うわけだ。
(それが何の役に立つのかは……まぁ微妙な所だがね)
つらつらと取り留めもないことを考えていたら、ストン・ホーの入り口まで辿り着いた。
崩れたアーチと、その傍らに突っ立った異形の像――たぶん「こっち」の旧い神か何か――が出迎えてくれた。
「……」
アーチの向こうの街並みをしばし眺める。
うむ。何度見ても人っ子一人居ない廃墟でしかない。
「……レドウォルドの財宝か」
フラーヤが教えてくれた話。
レドウォルドの墓に、屍と一緒に埋められた財宝の話。
――フラーヤの話を、私はもう一度思い起こす。
『レドウォルドが名無しの男に討たれた後、人々は彼の亡骸を、黄泉への船を象った棺に収めたの……夥しい金銀財宝の副葬品と一緒に』
『レドウォルド王の「船塚」の場所は、今となってはようとして知れないけれど、その場所は伝説によると――』
「ここか、あるいはマルトボロの地面の下、か」
……しかしこの廃都の残骸の有り様を目前にすると、彼女には悪いがどうにも信じかねる。
少なくとも財宝の隠し場所は、コッチではなさそうである。飽くまで一見した印象でしか無いが。
「それにしても…船塚、ね」
船。船といえば川か海か湖か。
クレメンタインが溺れ死んだのは川だった。
「……まさかな」
口で言いつつも、気にはなった。
だからこうして、こんな廃墟までわざわざ偵察に来たと言うわけだ。
「それだけが目的でもないけどな」
鞍に視線を降ろせば、ライフルの入るべき場所に別の銃が突っ込んである。
先日、手に入れたばかりのコルト・ドラグーンだった。こいつのテストと、慣らしをついでにやるのも、この地に私が訪れた理由であった。
銃の練習は人気のない所で。その点、ここはうってつけの場所だった。
――ストン・ホーにサンダラーと共に乗り入れて数分後。
――私は早くも自分の思いつきを後悔していた。
「……」
右手は手綱を握りつつも、左手ではコルトのグリップに指を這わせている。
暴発を防ぐ為の撃鉄留め(ホルスターに付いている、撃鉄に輪を引っ掛けて動かないようにする紐)も既に外してある。
肩の力を抜きつつも、すぐに銃は抜けるように緊張の糸を張る。
どこから攻撃されても、即座に反撃できるように、視線を回し、気配を探る。
――誰かに、いや「何か」に見られている。
そんな感触が、ストン・ホーに入ってから一瞬たりとも消えない。
どこかは解らない。その主の正体も知れない。だがこれだけは確かだ。
何かが確かに、私の様子を伺っている。
(姿は見えない……まるで、見えない)
少なくとも丘の上から遠目に街の様子を探っていた時には、人の気配など全く無かった。
だが街に入った途端に、これだ。
(気のせいだなんて思わず、引き返しておけば良かったんだ)
自分の判断の甘さを呪う。自分を見る気配がどんどんその強さを増しているのが肌で感じ取れる。
だからこそ、迂闊に動けない。背中を見せれば、撃たれるかもしれないという危機感が、私の背骨を走り続けている。
(誰だ?誰が俺を見てる?いや……そもそも「人」なのか?)
「私達の世界」では悪霊だのの類は所詮御伽噺の存在に過ぎない。
だが「こっち」では、それは極普通に存在しているものなのかもしれない。その可能性は充分ある。
(化けて出るには時が経ちすぎてるぞ……何年前の話だと思って――)
そこで思考が止まった。
朧な気配が、明確に、変わった。
濃密な気配。感じ取れる視線。
間違いなく背後の空間に、誰かが、何かが、いる。
サンダラーすらも気配に嘶き、今にも駆け出さんとする。
私はそれを手綱を引いて必死に防ぎ、左手でコルトを抜いた。
「誰だ!?」
馬上で振り返り、銃口と視線を向ける。
「!?」
だが誰もいない!はっきりと感じられた気配の主の姿は、そこにない。
気配そのものが、一瞬で失せている。
「……」
銃口を擬したまま、視線だけを左右に動かし探る。
姿はやはり見えない。気配も相変わらず失せたままだ。
まるでさっきまでの出来事が気のせいだと言わんばかりに。
「……」
私は銃口を下げた。しかしコルトはホルスターに戻さない。まだ気は抜けない。
それでも、ちょっとホッとした。手の甲で額の汗を拭い、前へと向き直る。
――そして「ヤツ」を見た。
「!?!?!?」
反射的に銃口を「ヤツ」へと向ける。
だが何の気休めにもならない。
いかなる気配もなく、まるで亡霊のように、それでいて確固として「ヤツ」はそこに立っていた。
前方20ヤード(約18メートル)ほどの空間の先、崩れた家屋の上に、「ヤツ」は立っていた。
金色の兜。顔を覆う金色のマスク。
真紅の衣。レリーフの掘られた金の盾。真紅の柄に、金色の穂先の槍。
髭を生やした男の顔を象ったマスク。目の部分だけ穴が開いて、「ヤツ」の双眸が私を覗いている。
その金色の瞳は、明らかに人のものではなかった。




