第15話 シュガー・コルト
――夜明けと共に目が覚めた。だが正直、良い朝とは言いがたい。
昨日は陽が落ちてからも仕事があり、床に入ったのは夜も更けてからだ。お陰で碌に寝る時間がとれなかったのだ。
「……」
それでもベッドから跳ね起きると、ふらふらとしながらも立ち上がる。
重い瞼に薄ぼんやりとした視線を足元へと向ける。ここで今更ながら自分の有り様に気付いた。
疲れていたものだから、着の身着のまま寝床に飛び込んだのだ。靴も着けたままだし、コートも脱いではない。おかげで酷いシワだらけになっている。……よく考えれば元々シワだらけだったような気もするが。
ゆらゆらと上体を左右に微かに揺らしながら鏡へと歩み寄り、その中のもう一人の自分の顔を覗きこんだ。
「ヒデェ面だなオイ」
無精髭その他のせいですっかり小汚くなった自分の面相に思わず顔を顰めるが、すると面相がますます酷くなって余計にマズい。
この後人前に出る以上、せめてヒゲぐらい整えるかとカミソリを用意しようとして……止める。
よく考えれば普段はもっと酷い面であちこち歩きまわっているのだ。今更ヒゲ程度気にしてもしょうがない。
――しかし自分がこうも身だしなみに気を使っているという事実に、なにやらすっかり『街の人間』になってしまったようで、何だか気恥ずかしくて独り苦笑いする。
まだマルトボロの街に来て、さほど長い時間が経ったと言うわけでもあるまいに、これじゃ出てきたばかりの都会に馴染もうとする田舎者みたいで、どうにも格好が悪い。
どうせ今日も朝から色々とせねばならないことがある。あまりのんびりしている時間はもとよりない。
私は手にしたままのカミソリをサイドテーブルに戻すと、部屋の片隅にデンと置かれたロールケースへと向かう。
留め金を外して開き、並べられた7つ道具を眺める。
マルティニ・ヘンリー、イエローボーイ、8ゲージショットガン、ペッパーボックス、トランター……それとあと2丁の銃が下に並んでいる。
少し悩んでから、私はイエローボーイを手にとった。15連発の火力に、ピストルや散弾銃には無い射程の長さ。これからの仕事を考えれば、8ゲージの散弾銃よりもコッチのほうが適任だろう。
「どこで撃ち合いになるか解らんからな。手数は多いに越したことはない」
――そう呟きながら、昨日のことを思い返す。
昨日は街で暴れるアウトロー共を制圧した後も大変だったのだ。
街のあちこちで起こってるボヤを消して回ったり、不発のダイナマイトを回収したり、捕まえた連中を牢にぶち込んだり、連中の持ち込んだ銃と弾丸を拾い集めたり……とにかく歩きまわり動きまわり、日没後もランプの灯りの下でイーディスらと議論したりと大忙しであった。
ワンアイド・ジャック当人の姿は見当たらず、連中が何を狙ってあんなことをしでかしたはまだ解ってないことのほうが多いが……連中の狼藉がこの一回きりで終わるとも思えない。
撃ち合いになること考えれば、やはり15連発の火力の魅力には逆らえない。やはり現状、持ち歩くならコイツだろう。
ついでに予備としてトランターを後ろ腰に取り付けたホルスターに差す。座る時に些か不便だが、保安官の仕事は基本的に歩き仕事・立ち仕事だ。まぁ問題はなかろう。
「まずは……朝飯だな」
腹が減っては戦はできぬ。
準備が済んだ私は、ともかく腹ごしらえから済ませることにした。
さて……今日も忙しい一日が始まる。
珍しく、今日はイーディスの姿が見えなかったので、横取りを心配せずに朝食を楽しむことができた。
歯の間に挟まった食いカスを楊枝で取りつつ、宿の玄関をくぐる。
――……!
――……!?
「……?」
何やら聞き覚えのある声が耳に入り、気になって辺りを見渡す。
耳をすませば、どうも宿の裏手から聞こえてくるようだ。そういえば、あそこには空き地がひとつあった筈だが……。
「ちがうちがう!抜きながら撃鉄を親指で起こすの!ほらもう一回!」
『ヌヌヌ……難しいな意外と……。こうか!?』
「ダメダメまだ動きがぎこちない。そんな動きだと抜いてる間に先に撃たれちまうぜ」
近づけばキッドとイーディスの声だが、こんな朝っぱらから何をしてるんだ?
物陰から覗いてみれば、キッドが腕組みする傍らで、イーディスが腰に銃を吊るして抜き撃ちの構えをしている所だった。いつのまにどこから調達のしたのか、サッシュにねじ込む代わりにちゃんとホルスターに魔法のコルト・ネービーを収めている。
『……』
ややぎこちないながらも、素人くさい今までの構えに比べるとずっと体勢が様になっている。
顔つきも真剣なもので、緊張に唇が硬く閉ざされ、額にはかすかに汗も浮かんでいる。
――パンッ!
と、不意にキッドがパンと手を叩いたと同時に、イーディスが動いた。
肩幅程度に脚を開いたまま、腰元に据えられていた手が腰のコルトの銃把へと伸びる。
銃をホルスターから抜くのに合わせて、添えられた左の掌が、抜かれたガンの撃鉄へとかかり、これを起こす。
このやり方をすれば、抜くと同時に撃てるばかりか、続け様に撃鉄を左掌で起こしてファニング・ショット――ガトリングガンのように連射するための技法――へとつなげることができる。
他にも抜くほうの手の親指を撃鉄にかけ、抜くと同時に起こすやりかたもある。私はコッチのほうが得意だ。
まぁ得意といっても早撃ちに関しては、キッドを始め私よりも上のガンマンは少なくなかったりする。
私の本領は遠い間合いにこそあるから、別に気にしてはいない。
『……ふうぅ』
それにしてもイーディスの動きはやはりぎこちないが、それでも幾分か良くはなっているように見えた。
一朝一夕で早撃ちがこなせれば誰も苦労はしないが、しかし「こちらがわ」の人間とは言え銃を触り慣れているせいか、単なる素人よりはずっと上達が早そうな印象であった。
「朝っぱらからご苦労なこったが……それにしてもどういう風の吹き回しだ?」
『!?……キサマ、見てたのか』
「まぁね」
練習に集中しすぎて、私の存在にまるで気付いていなかったらしく、イーディスは本気で驚いた顔をしている。
一方のキッドは私の存在に既に気付いていたらしい。「よっ」と組んでいた片方の手を挙げて軽く挨拶してきた。こういう所は、やはりこの男もガンマンなのだと再認識させられる。私も同様にして挨拶を返した。
「昨日の俺っちのガン捌きを見て、自分もやってみたいおっしゃるもんで」
『わ、私は自己の研鑽に熱心なだけだ!別にちょっと格好良いな、とかそんな浮ついた気持ちから出た行動ではない!』
……確かにキッドの拳銃の使い方は曲芸染みていて華やかだ。それでいて単なるショーではないのだから魅力的に感じるのも理解できた。
しかし昨日それを見て今日の朝には習うとは気の早い。
「しかし銃を抜くときは右足をもう少し前に出したほうが良いんじゃないかと俺は思うがね」
「そりゃオッサンは速さより正確さってタイプだからっしょ?イーディスちゃんの場合は弾が曲がるの忘れちゃあかんね」
『ちゃん、とはなんだ、ちゃん、とは』
「言われてみれば、そうか」
『無視するなキサマら』
キッドのような早撃ちのスタイルはどうしても銃の構え方がが腰だめやそれに近いモノになるため、至近距離はともかく少しでも間合いが開くと途端に当たらなくなる欠点がある。だから私はあまり好きではないのだ。無論それが一番効果的と思う場面では使ったりもしているが、好き嫌いの問題で言えば、まぁ好きではない。
「……まぁ良いさ。射撃のスタイルなんてのは向き不向きや好みがある。お好きにどうぞ、だ」
『引っかかる言い方だが……しかし今日も起きてくるのが遅いなキサマは』
「それが許されるやんごとなき身の上ですから」
言いつつ、私は肩をすくめた。
市庁舎へと向かう道すがら、その途中で私達はフラーヤと出くわした。
『あらおはようアッシュさんにキッドさん。それにイーディス。……ソーントンさんの姿が見えないけれど?』
「スリーピィの野郎は俺っちらよりも早くに出たよ。どこで何してるか知らんですけどね」
私達同様に市庁舎へと向かうらしいフラーヤの問いに、キッドが答えた。
キッド同様に私もスリーピィがどこへ何しに出かけたのかをしらない。スリーピィなんてあだ名に反してヤツは早起きだしフットワークも軽い。街に来てからは生活のパターンの違いもあって、私やキッドとは殆ど別行動をとっている形になっていた。主に騎兵隊の連中と行動を共にしているのは確からしいが……今度、うまく出くわせた時があったら近況を聞いておいたほうが良いかもしれない。
『それよりもフラーヤ。君はいったい何の用事だ?こんな時間から市庁舎に向かうとは』
とのイーディスが聞くのに彼女が答えて言うには。
『昨日、捕まえた人たちが居たでしょ?あの人達に聞きたいことがいろいろあるから、私の手を貸してって頼まれたのよ』
との事である。
……色仕掛けでもするのか?思わず私の視線はフラーヤの豊かな胸元へと向かい、そのままやはり実に良い太ももへと流れた。
「……あやかりたいねぇ」
同じことを想像したらしいキッドがニヤニヤと笑い、何を考えてるから察知したらしいイーディスに殴られていた。
私は慌てて咳払いして誤魔化した。
しかし考えに気付いたらしいフラーヤがクスクスと苦笑いを私達へ向けてくるのが、何とも気恥ずかしい。
全く、全部キッドの野郎が悪い。
市庁舎に着いた私達は、カビ臭い地下の牢屋へと案内された。
「……いやだねぇ牢屋ってのは。決まって暗いしジメジメしてるしカビ臭いし、おまけに小便臭い」
「入ったことが?」
「一度ね。酒場で暴れた時にしょっぴかれたり……オッサンは無いの?」
「俺はかしこいのさ」
私は少しだけ得意気に言った。
お世辞にも堅気とは言えない商売に身をやつしている以上、人並み以上に用心深くなければ長生きできない。
後ろ手に鎖が繋がれるようなことにはならないよう、私は注意して立ちまわって生きてきた。
時には高い『鼻薬』を買わされる破目にもなったが、幸い牢屋に入った経験は一度もない。
『着いたぞ』
軽口で時間を潰しているうちに、長い階段を降りきって私達は目当ての部屋へと辿り着いた。
松明の仄かな灯りに照らされたその扉は、傍目にも分厚く頑丈に作られているのが解る。ついている錠前も恐ろしく大きいし、また手が込んできる。おそらくアレは銃で撃っても簡単には破れないだろう。
『入る前に……まずコレの準備が必要ね』
言いつつフラーヤは手にした袋の口のヒモを解き、中身を私やキッド、それにイーディスへと差し出した。
「……何じゃこりゃ?」
それを見た時の感想は私もキッドと同じだった。
灯りのモトにかざし、しげしげと眺める。
「噛みタバコ……いや違うな。この匂いは……」
くんくんと匂いを嗅いでみる。最初に連想したのはミントだ。そうだこれはハッカに似ている。
だがしかし、干して固めたものらしい茶色のブロックは、解して見てもミントの葉には見えない。
『メヌンタの葉というの。それを干して固めたものよ。いい匂いでしょ?』
「まぁね。嫌いじゃない」
確かに悪い匂いではないが……この場面でコレを出した意図が解らない。
そんな疑問が顔に出てたのか、フラーヤは問われる前に教えてくれた。
『この部屋に入る前に、まずこれの一部を口に含んで噛んで欲しいの。飲み込んじゃダメよ』
「ふんふん」
『それから小さくちぎって、鼻の穴に突っ込むの』
「ふんふ……ん?」
なんだって?
『鼻の穴に入れるのよ。少し抵抗あるかもしれないけれど……やって置かないともっと困るわ』
『そうだ。さっさとやれ』
鼻声でフラーヤに同意したイーディスの顔を見た。
そして私もキッドも思わず吹き出した。そりゃそうだ。鼻に噛みタバコもどきを詰め込んだイーディスの顔は、地がきりりとした美人だけに
余計に滑稽で……堪えるほうが無理だ!
「ぶふっ!」
「ぶわほっ!」
そのまま弾けるように笑い出す私達。
無論、私もキッドも拳骨を食らって、鼻に余計にメヌンタの葉をねじ込まれたのは言うまでもない。