第10話 ア・バレット・フォー・ザ・ジェネラル
はだけたシャツの胸元から帽子のとれた頭の先まで、キッドの肌は赤く染まっている。
目は両方とも充血し、そして何より全身から漂うこの酒臭さ!やっこさん相当に飲んでいるらしく、やや離れた私達の位置からも一見してそれが解った。そう言えば昨日の晩から姿が見えなかったが、察するに夜通し飲み明かしていたらしい。しまいにゃ酔っ払い同士で喧嘩までおっぱじめたらしかった。
――この街に来て早々この有り様なのだからにつくづく呆れた野郎である。
私達の見ている前でやっこさん、左手に持った素焼きの水差しから直接中身を喉へと注ぎこむ。そして空になると同時に大きくゲップを一つ。だがそれでもまだ飲み足りないという面をしていた。
私は再び額をピシャリとやって、傍らのイーディスはと言うと怒気で髪が逆立ち、口は逆Vの字に曲がっている。
「ありゃまおふたりサン、朝もはやからお揃いで」
しかるキッドは私達に気づき、軽い調子で声をかけてきた。その軽い調子に、傍らのイーディスから出ている怒気がさらなる熱を帯びてきて、私としては自分のことでもないのに居た堪れない気持ちになってきた。別に私も品の良い紳士ではないのだが、少しでも真面目にしようと思った自分のほうがアホみたいに見えてきて堪らん。
私はキッドへと声をかけた。
「……それで?お前さんのほうこそ朝もはよから何しでかした?」
「何って言われてもね。別に変わったことはないけど。俺っち飲んでただけさ」
親指で例の太っちょを指し示す。そして聞く。
「じゃあ、そこで芋虫みたいにうにうにしてるのは何ってんだ?」
「さぁ?地面で寝るのが好きなんじゃないの?」
『ふざけたこと言ってるとキサマ――』
キッドのへらへらした姿にお冠のイーディスは犬歯を剥き出しにして詰め寄らんとするが、その動きは突如遮られた。
『野郎!』
『やってくれたなぁ!』
酒場から飛んできた幾つかの怒声。声に僅かに遅れて飛び出してきたのは、やはり酔漢と思しき連中だ。どいつもこいつもだらしない格好で、見るからにチンピラ然としている。
各々、手には椅子だの何だのを持って、キッドへと向かい襲いかかってきたのだ。
「よ」
『うわぉ!?』『むがべ!?』
しかしキッドは振り向きもせず、ひょいとその場にしゃがみ込む。
1番手の男は勢い良くキッドの背中に蹴躓き、宙を飛んで向かう先は例の太っちょの上だ。
かくして地の上に反吐ぶちまけのたうち回る酔っぱらいが2人。……酷い光景だ。
「よいしょ」
『ぽげ!?』
だがキッドは自分の飛ばした相手を見ることもなく、その場でくるりと身軽に足払い。二番手の男はその場で盛大にズッコケ、走る勢いを加わってやはり路上へとゴロゴロと転がっていく。
『ヤロッ!』
「ほいさ」
『なに――へぶば!?』
三番手はいまだ地面のキッドへと椅子で殴りかかった。これをキッドは地面に尻をついて両足で受け止め、そのまま椅子を蹴り返せば三番手の顔面に直撃!店内へとたたら踏みながら戻されるその姿を、キッドは山猫のような身軽さで立ち上がると追いかけた。しかもその手には例の素焼きの水差しがある。今までの大立ち回りの間、ずっと手に持ったままだったのにヒビひとつ入った様子は無い。
「……驚いたな。良く動けるじゃないか」
『感心してる場合か!行くぞ!』
思わず素直に感心していたらイーディスはどすどすと足音立てつつ酒場へと突進し、私は慌ててその後を追う。
『いいぞ!やれやれ!』
『右だ!右でぶっとばせ!』
『あの若造に10アウラル賭けるぜ!』
『おれはホズーの野郎に20アウラルだ!』
踏み込んだ酒場の中は野次と罵声と怒声と歓声、そして殴り合う音、モノの壊れる音でどんちゃん騒ぎになっていた。
その中心にいるのは言うまでもなくキッドだ。何人かの酔漢相手に大立ち回りだ。
『このや――がべっ!?』
『くたばりやが――ぬご!?』
『舐めんなくそガ――きょっ!?』
駆けまわりステップを踏みテーブルに跳び上がり、軽業師のような身のこなしで向かい来る拳を避けつつ、足を引っ掛け敵同士を殴り合わせ平手をかましパンチをふるまう。その間も素焼きの水差しは手放さない。
『もう勘弁なんねぇぞこらぁ!』
遂には「光物」を抜かれた。いつの間に戻ってきたのか、例の通りで藻掻いてた太っちょだ。
手の内にあるのはチンケなナイフだが、それでも素手の喧嘩ではご法度の得物だ。
『キサマら!やめんか!』
イーディスも流石に我慢の限界を超え、サーベルを外して鞘先の金具を床に叩きつける。
その音に野次馬も酔漢も一斉に彼女の方を見るが、例の刃物男だけは止まらない!ナイフを切っ先をキッドへと向けながら体ごと突進する。
「ッ」
避けるのが間に合うタイミングじゃあなかった。だから私はとっさにコルトを抜いて、太っちょの足を撃とうと思った。
――だがそれは不要な心配だった。
キッドが素焼きの壺を宙に投げる。
「はいさ」
『ぶべらっ』
突き出されたナイフ、を握った右手の手首を掴み引き寄せ、それと筋交いに近づいた太っちょの顔面に掌の付け根、肉の盛り上がった部分を叩きつけたのだ。
鼻血を舞い散らせながら、巨体は背中から床に倒れこむ。
「よっと」
巨体が沈み、床板が抜けるかと思う衝撃が酒場を走るのと、キッドが投げた素焼きの水差しをキャッチするのは同時のことであった。一発でデブ公はのびている。 カウンターの一撃は完璧だったのだ。
――早撃ちだけの男じゃない。拳のほうも中々だ。
我ながらコイツを難なく捕まえられたのが正直不思議だ。結構飲んでる筈なのに動きに危なげな所は見えないのだ。
(酒と女の組み合わせだなうん。覚えておこう)
捕まえた時は娼婦と乳繰り合ってた事を思い出し、「もしも」の時は女を用意しておこうと、キッドに詰め寄るイーディスを尻目に思う私であった。
喧嘩の原因は本当に下らないものだった。
不案内な癖に酒場へと乗り込んだキッドが、頼んだ酒の種類が元だったのだ。
「いやね、俺っちは知らなかったんだけどさ。どうにも俺の飲んでたのが連中の飲んでた酒より上等だったらしくてね。余所者の癖に調子にのんなだのなんだのと――」
――ほんっとうにくっだらねぇ理由である。まぁ、おおかたキッドのほうも売り言葉に買い言葉で連中を煽り立てたのだろう。その光景については容易に想像することができた。
『本来なら貴様のほうも騒擾の罪で労役をやらせる所だが……今回だけは特別に罪は免じてやる』
そう言いったイーディスは、釈然としてないのが顔にありありと出ていた。
それもそうだ。例の酒場の飲み代や修理代等々は市の持ち分ということになってしまったからだ。さらに言えば、実際はイーディスが自分の財布で代わりに支払ったのである。『監督不行き届きは自分の落ち度』らしい。生真面目なヤツである。私なら躊躇いなく市の財布にたかる所だ。
それにしてもキッドに持ち合わせは無いはずだから、野郎は最初からツケにして飲む気だったのだろうか。
『だがこんなことは今後二度と許さんからな!まずそのだらしのない格好から直してもらう!』
そんでもってキッドは首根っこ掴まれて、イーディスにずるずるとどこぞへ引きづられて行った。
ここに今いるのは、ふたりを見送った私のみである。
「……自分の足で回ってみるか」
ひとり呟き、散弾銃を負いながら歩く。
好奇に満ちた視線の数々が私へと集まるが、気にしない。
かく言う私のほうもこの街やその住人を好奇に満ちた眼で見ているからだ。
(いやはや……改めて見ればスゴイねホント)
空いた手で頬を掻きつつ思う。
街の造りそのものは「こっち」もアメリカも大差は無い。通りがあって、その両脇に家々が、また路端には筵が敷かれ、行商が店を開き、あるいは屋台が並んでいる。違うのは売っている品の数々であり、そして道行く人々の姿形だ。
得体のしれない食べ物や、使い道が見当もつかない諸々がところ狭しと並べられいる様は、まるで中国人移民の街へとやってきたきたような気分にさせられる。しかし眼へと飛び込んでくる画の印象は、こっちのほうが遥かに強烈であった。
そりゃそうだ、「こっち」じゃ売り手の方も普通じゃないのだ。
緑の鱗に覆われた蜥蜴頭。茶色の毛に包まれた犬頭。黒一色に金の瞳が輝く猫頭。
どうして昨日この街に来た時に気付かなかったのか。たぶんたまたま目につかなかっただけだと思うが、少なくともこの通りの売り手のうちの半分は人間ではなく、獣と人間を混ぜこぜにしたような珍妙な連中なのである。
最初、被り物かと思ったが違う。
被り物は瞬きなどしないだろうし、耳をピクピク動かしたり、長い舌をピロピロと出したりはしないだろう。
『……なんだい?』
「あ、いや、別に。お構いなく」
ジロジロと思わず眺めていたら、蛇頭の男に気づかれてしまった。別に逃げる理由も無いが、何となく居心地が悪かったので退散する。エゼルの村じゃさんざんオークどもと「触れ合い」を重ねたものだが、しかしこうも人間と思えぬ人々に対面すると、色々と受ける衝撃が大きくて目が回りそうだった。
『……あら?』
そして不意に聞こえる艷やか声は、私の知っている声だった
鮮烈にして未知なる異文化との出会いに目眩を覚える私にとって、その声の主は助け舟だった。
『アッシュさんじゃない。こんな朝早くからお出かけかしら?』
「仕事だよ一応」
胸元のバッジを見せれば、彼女も得心し上品に頷く。
黒を貴重とした軽めのドレスを着た彼女は、化粧らしい化粧もしてないのに相変わらず美人だ。
微笑むとその美しさが一層引き立つ感じがする。
『余所者の保安官……あんたぁがぁ噂の「まれびと」かい?』
不意に横から飛んできた問いかけに、フラーヤに意識を惹き寄せられてた私はフッと我に帰った。
声の方を見れば、フラーヤとはうってかわって不格好な姿がある。
人間ではない。猫頭の男(?)だ。毛は灰色と白の二色模様をなすトラ猫だが、その毛がぼさぼさな上に額の辺りに丸いハゲがあって、鼻には黒い染みまである。目は閉ざしているかのように細く、風邪でもひいているのか鼻をグスグスと鳴らしていた。
『ええ将軍。こちらがまれびとのアッシュさん。昨日からマルトボロの保安官のひとりを務めてらっしゃるの』
フラーヤが私に代わってその猫男へと答えたが、私の注意をひいたのは彼女の言葉の中にあったある単語である。
「将軍?」
薄汚い格好の薄汚い猫男のことを将軍と呼んだように聞こえたが……。
『ええアッシュさん。こちらのシャント族のかたがタビーさん。まわりはみんな将軍と呼んでいるわ』
『よろしくアッシュとやら』
将軍閣下がグスリと大きく音を立てて鼻を啜った。
何度見ても(少なくとも人間の感覚では)ブサイクな面である。愛嬌はある顔立ちだが、将軍というあだ名に相応しいタイプにもどうも見えない。
「なんで将軍なんだ」
『将軍だからさ』
「……どう見ても将軍じゃないだろう」
さしずめルンペンの浮浪者といった風情である。
そんな私の感想が顔に出てたのか、将軍はもう一度大きく鼻を啜ると、細い目をちょっとだけ見開いて言う。
『じゃあその証拠を見せてあげよう』
そして大きなあくびをしてみせるのだった。
大きな犬歯が剥き出しになっても、やっぱりどこか滑稽な顔立ちだった。




