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祝福の鐘 1

 今年も社交シーズンがやって来た。

 多くの貴族達が自分の領地から王都に出て来る姿は、ある意味圧巻だ。人々はここぞとばかりに蓄えていた噂話や、暫くぶりに会う人達との交流に忙しく、語り合う場はいくらあっても足りない。

 そうした社交界の中で、今シーズン真っ先に話題に上るのが、昨年までは「渡り鳥の君」との名を馳せていた、レイドリック・エイベリーの結婚である。

 あの噂の君もとうとう観念するらしい。そんな噂話を流しながら、女性達の多くは落胆し、男性達の多くは結婚という檻に捕らえられてしまう彼に同情の溜め息をこぼす。

 とはいえ、当の本人はと言えば周囲の声など全く気にした様子も無く、今が人生の春とばかりに晴れやかな笑顔で、隣に寄り添う婚約者と仲むつまじい姿を披露している。

 その様子には、演技や芝居めいた仕草は何一つない、本当に心からのものだと誰の目にも映るから、余計に嘆く女性達の声はしばらく止みそうになかった。

 今夜もそうだ。

 社交シーズンの開始を告げる王宮主催の舞踏会に揃って登場した、結婚を二ヶ月後に控えた彼らは、誰がどう見ても幸せそうな恋人同士そのもので、見ているだけで「ごちそうさま」と呟きたくなるのはエリザベスだけではないだろう。

 恋しい人の隣で微笑むエリザベスの親友は、数ヶ月顔を合わせない間に随分と大人びたようだ。顔立ちももちろんだが、表情や立ち居振る舞いにまで年頃の、清艶な美しさが増したように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。

 昨年まではレイドリックにエスコートされていても、どこか借りて来た猫のようにぎこちない印象があって、無意識にだろうかレイドリックの身体の影に隠れるような素振りだったのに……そうしたローズマリーの様子を、レイドリックが密かに楽しんでいたことをエリザベスは知っている。

 けれど今は、すっかりと彼の隣にいる事が当たり前、と言った堂々とした様子でそこにいる。

 一目見て判る。

 愛されて、大切にされて、これから先の幸せを疑うこともなく、心も身体も充実しているのだろうと。

 そうしたローズマリーの姿を見て良かったと、素直に嬉しいと思うのは本当なのに、同時に少しだけ羨ましいと思う羨望の感情と、親しい人が自分の元から離れてしまうような複雑な寂しさを感じてしまうのは何故だろう。

 エリザベスは己の感情を誤魔化すように、今、自分をエスコートしてくれている幼馴染みの腕に、そっと額を押し付けた。

 これでは自分の方こそが、初めの頃のローズマリーのようだ。

 親友の姿を見つけたら、誰よりも先に声を掛けるはずだというのに、何故か今夜のエリザベスは少しばかり腰が引けてしまっている。それは彼女に腕を貸しているエリオスにも伝わったらしい。

「……どうした?」

 短く問われ、けれど自分でも上手く説明出来ない感情は言葉にならない。結局出来たことは、曖昧に微笑み誤魔化して、首を横に振ることだけだ。

 付き合いの長い幼馴染みには、自分の不自然な仕草などすぐに見抜かれているだろう。とはいえ、エリオスはここでエリザベスを問い詰めるようなことはしない。ほんのわずか、物言いたげな眼差しで見下ろしただけで、後は真っ直ぐに顔を上げると、無言のままにエリザベスの背を自分の前に押した。

 一歩二歩と身体が前に出るのと、誰かを捜している様子だったローズマリーの視線がこちらを捉えるのとはほぼ同時だ。とたん、自分を見つけてぱあっと花開くように広がる、彼女の笑顔が眩しい。

 ああ、本当にどうして自分は、その笑顔に心がざわついてしまうのだろう?

「リズ!」

「こんばんは、ローズ。今夜のあなたは、いつにもまして綺麗ね」

 直前までの腰の引けた様子を綺麗に隠して、精一杯いつもと変わらぬ様子で微笑む。

 小走りに駆け寄って来るローズマリーの後ろから、ゆっくりとした足取りでレイドリックも共に近付いて来る。目が合うと、穏やかな微笑を口元に刻んだまま、目礼だけが返ってきた。

 婚約者と友人の親睦の邪魔をするつもりはないらしい。婚約したり結婚したりすると、女性の交友関係を制限する男性も決して少なくない中で、友人を大切にする彼は婚約者の友情にも寛大だ。

「あなたにそう言われても、素直に喜べないわ。リズの方こそ相変わらず、女神様のようよ」

 ローズマリーの言葉は本心のようで、その笑顔には曇りがない。友人のこの素直で無邪気な笑顔が、エリザベスは好きだった。

 何の裏もない純粋な笑顔は見ているだけで心が晴れるし、何一つ疑わずに受け入れる事が出来る。

 それにも増して、やはり満たされた女性としての美しさも加わった笑顔は、本当に輝くばかりで…同性であっても一瞬目を奪われてしまうほどだ。

「お世辞じゃないわよ、本当に綺麗。女って、やっぱり愛し愛されると違うのね、そうは思いません? レイドリック様」

「なっ…、ちょっ……!」

 とたんに飛び上がるように肩を竦めて顔を真っ赤にしたのはローズマリーだ。エリザベスに悪戯っぽく話の矛先を向けられたレイドリックはと言うと、一瞬だけ目を丸くして、それから心得たようにローズマリーの肩を抱くと、そのこめかみにちゅっと小さなリップ音を立ててキスをする。

「それはもう。筆舌に尽くしがたい劇的変化ですね、俺も目頭が熱くなる思いですよ」

「けなしてる!? それ、けなしてるわよね!?」

「嫌だな、君が立派なレディになって嬉しいって言っているんだよ?」

「まるで前の私は立派なレディじゃなかったみたいじゃない!?」

「そんなことはないよ。君は今も昔もとても可愛いよ?」

「……っ…!」

「例えれば今の君は優雅なシャム猫で、去年の君は意地っ張りなトラ猫かな」

「………お望みどおりそのお綺麗な顔に、爪痕を刻んで差し上げましょうか?」

「うそうそ、冗談だって。本当に綺麗になったよ、レディ・エリザベスの見立ては間違ってない」

 あはははは、と遠慮無く笑うレイドリックに対し、ローズマリーの手元で、シャキーン、という音が聞こえたような気がした。貴婦人の丁寧に手入れされた爪は、鋭さでは及ばないものの、ある意味猫の爪と同じような威力を発揮する。

 けれどもその爪の威力が発揮される前に、レイドリックの手は再びローズマリーの肩を抱いて、そのまま自分の懐に抱き込んでしまった。

「爪痕を刻んでくれるなら顔より、背中の方が嬉しいな。いつだって歓迎するよ?」

「そこで無駄にいかがわしい笑顔を振りまかないで!」

 人目も憚らない甘く艶めいた微笑と抱擁は、周囲の人々のあちらこちらから意味深な視線を浴びて、その視線が矢のようにローズマリーに突き刺さる。

 それらの視線を前に、堂々と胸を張って顔を上げられる程の度胸はまだローズマリーにはないらしい。

 この人、どうにかして。

 そう言いたげに訴えるようなローズマリーの眼差しに対して、エリザベスが返せる返答は一つだけだ。

 諦めろ。

 温く微笑んだまま、首を横に振り、ほうっと扇の内側で悩ましげな溜め息をこぼすエリザベスに、見捨てないでと訴え続ける今のローズマリーは、猫は猫でもぷるぷると雨の日に軒下で打ち震える、飼い主に見捨てられた子猫のようだった。

 結局その縋るような子猫の眼差しを無視することが出来ず、助け船を出したのはエリオスの方だ。半ば呆れたような眼差しをレイドリックに向けながら、いささか疲れた声を洩らす。

「……レイドリック卿、あまり婚約者をからかうものじゃない。後で拗ねられて困るのは君だろう」

「大丈夫ですよ、拗ねてもローズは可愛いですから」

「………ねえ、ローズ。あなた本当にいいの? この結婚、後悔しない?」

「……今、一瞬だけ後悔が胸の内を横切った気がするわ」

 それでも後悔が横切ったのは一瞬だけなのか。

 愛の力とは偉大だと恐れ入るばかりである。

「……リズ。その、もの凄く可哀想な人を見る眼差しは止めてくれないかしら」

「あら、ごめんなさい。つい本音が」

 恨みがましい顔をしながらも、けれどそれでもローズマリーが幸せそうなのは間違いない。彼女がこうして抵抗を見せるのはあくまで人前だからであって、きっと二人きりの時には素直にレイドリックの腕の中に身を任せるのだろう。

 レイドリックも今は茶化して、ローズマリーをからかって遊んでいても、愛の言葉を告げるときには、疑いようもない程真摯に言葉と瞳を向けるに違いない。

 二人がそうなるに至るまでのあれこれを知っているからこそ、素直に良かったと改めて思う。幸せになって欲しい、いつまででもずっと、

 なのに……どうしてか、自分はやっぱり寂しいと思ってしまう。

 親友の幸せは素直に心から祝福してあげたいと思うし、実際祝福してもいる。

 その気持ちに偽りはないのに、同時にこんな寂しさと複雑さを感じてしまう自分が嫌で、エリザベスはようやくレイドリックの腕から抜け出したローズマリーに向かって、両手を伸ばした。

「リズ?」

 きょとんと目を丸くする彼女に、今度はエリザベスの方がひしと抱きつく。抱き締めた友人の身体は華奢で、柔らかく、そして少しだけ甘い良い匂いがした。その友人の身体をぎゅっと抱き締め続けながら、エリザベスは告げる。

「……おめでとう、ローズ。本当に…………幸せになってね」

 耳元で囁くように告げられたその言葉に、驚きの表情を浮かべていたローズマリーは、直後ゆっくりと表情を綻ばせ……そして同じようにエリザベスの身を抱き返すと、笑顔で返した。

 その後はいつもと変わらぬやりとりだった。エリザベスとローズマリーの話題はもっぱら、二ヶ月後の結婚に向けての準備についてのあれこれで、彼女の話に興味深く耳を傾けていたし、レイドリックとエリオスの二人は、男同士騎士団のあり方や最近の出来事について言葉を交わしている。

 そうした会話の中で、ボローワ伯爵夫人ルイーザが、主治医であった一般男性と共に身分と財産を放棄して国を出たらしい、という話題も話に昇った。

 その話はローズマリーもレイドリックも初耳だったらしく、二人は大層驚いた様子だったけれど、社交界では醜聞として広がっているルイーザの行動について抱いた印象は、違ったらしい。

 ぽつりとローズマリーが呟いた。

「そう。……お幸せになられるといいわね」

 そして、レイドリックも。

「そうだね」

 と。

 ルイーザの名を聞くと、未だエリザベスの胸の中は、誤魔化し切れない嫌な感情が込み上げて来る。彼女にどんな理由があったにせよ、その言動にローズマリーやレイドリックが苦しめられたことを知っているから余計にだ。

 でも当の二人にとってはもう、彼女のことはとっくに過去のことになっているのだと、そのやりとりで知れる。

 様々な事があった分だけ、二人の絆は増し、そして二人揃って前を向いている様が見てとれて、そうした様子がひどく羨ましかった。

 ここでようやく、エリザベスは気付いた。ローズマリーの幸せを祝福しながら、どうして心の中ではどろりとした複雑な感情を抱いてしまうのか。どうして彼女が遠くへ言ってしまうような寂しさを感じるのか、その理由を。

 ……自分は、嫉妬していたのだ。彼女を連れて行くレイドリックに、そして……自分を置いて、人生という道を先に歩き出すローズマリーの二人に。

 それが嫌で、この心が知られたくなくて、エリザベスは精一杯いつもと変わらない艶やかな微笑みを浮かべ続ける。

 そんな自分を、隣でエリオスが無言のまま静かに見つめていることに、気付きながら。

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