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第二章 恋人試用期間中 1

 とりあえず、一応は前向きに考えて見ると告げた後の母と兄の反応は、素晴らしく早かった。この結婚が決まったかのように、すぐにも動こうとする彼らを慌てて止めるのに、一苦労するほどだ。

「まだ、はっきりと結婚すると決めた訳じゃないわ! 考えて見ると言っただけよ、先走らないで!」

 大体話を聞いたのは今日の朝のことだ。もう少し考える時間が欲しいと言っても、認められて良いはずだ。今すぐ結婚しなければならない差し迫った理由も、家の都合もないのだから。

 しかし、報告を聞いて先走ろうとしたのはローズマリーの母と兄だけではなかったらしい。レイドリックが再び屋敷を訪れたのはその翌日のことだ。

 早速、努力とやらの続きをしに来たのかと一瞬身構えたローズマリーだったが、どうやら様子が違う。どうしたのと訊くよりも早くに、彼が上着の内ポケットから、一通の封筒をローズマリーに向かって差し出して来た。

 金の蔦と花の箔が押され、縁の部分には透かし模様の入った、随分と上品で上等な封筒だ。反射的に受け取りながら、何、と視線で問えば、

「読んでみて」

 と、一言答えて、小さく溜め息を洩らす。物憂げな仕草には、いつもの飄々とした様子は伺い知れない。

 疑問に思いながらも、とりあえずは言われたとおり封筒に視線を落とせば、表書きにはレイドリックの名が。裏を返すと、そこにはどこかの貴族家の家紋の蝋が押されている。レイドリックは既に目を通したのだろう、封は開けられていて、中を取り出すと出て来たのは二つに畳まれた一枚のカードだった。

 そのカードにも封筒と同じ箔と透かし模様が入っている。繊細かつ柔らかなそのデザインは、多分女性からのものだろう。

 ローズマリーの推測は間違っていなかったらしい。一瞬警戒したものの、中を見ればカードは普通の招待状のようだ。内容は単純だ。

 一週間後に王都の屋敷でガーデン・パーティを行うので、是非ご出席下さいと言う、お誘いの文句が書かれている。差し出し人は、レノリア・ラザフォード伯爵夫人で、この名はローズマリーも知っていた。

 社交界では緑の貴婦人と呼ばれ、植物を深く愛することと、若い男女の恋のキュービッド役を好んで引き受けることで有名な夫人だ。ラザフォード伯爵夫人のガーデン・パーティに招待されることは、若い男女にとってはこの上なく光栄なことだと言われている。

 何でも彼女のガーデン・パーティで生まれた恋は両手両足の数を軽く超えるとか。

 だが、ローズマリーが彼女の名……と言うよりも、伯爵家の名を知っていたのは、そうした華やかな話が理由ではない。

「確か、レイドリックの?」

「そう。俺が騎士見習いの時にお世話になったのは、ラザフォード伯爵家だよ。マダム・レノリアは、俺の第二の母と言ってもいい」

 騎士になるためには、幼い頃から騎士見習いとして他家に入り、基礎体力と知識を身につける。

 その後は十三、四の身体が出来て来た頃から、主に国に三つ存在する騎士団のいずれかに入団し、従騎士として専属で指導してくれる騎士に従いながら、実技や学問、礼儀、他必要なことを合わせて学んでいくことになる。

 伯爵は他にも同時期に十数名ほどの貴族の子息を預かり、騎士として育てていたが、その中でも特に優れた才能を見せたレイドリックに、目を掛けてくれているらしい。伯爵の城にいる間は夫人であるレノリアも、あれこれと世話を焼いてくれたそうだ。

 レイドリックの従騎士時代の指導騎士も、ラザフォード伯爵本人だというのだから、その目のかけ方は半端な物ではない。その伯爵の期待をレイドリックも裏切るようなことはしなかったらしい。

 騎士としての叙勲は最短で十八歳が資格を得る年齢だ。レイドリックも十三でラザフォード伯爵本人が団長を務める騎士団の一つに従騎士として入団し、十八の時に騎士の叙勲を受けている。

 多くの従騎士達が二十歳過ぎにようやく叙勲を受ける速度を思えば、それだけ優秀だと言うことだろう。

 騎士叙勲を受けた後も相応の実力を見せ、王直属の王宮騎士団に取り立てられたのは、昨年の話だ。

 そうした理由からレイドリックは、見習いから従騎士、そして騎士叙勲から王宮騎士に取り立てられるまでの長い期間をラザフォード伯爵の世話になっているために、彼には頭が上がらない。

 それでか、伯爵夫人に対しても、普通ならば馴れ馴れしすぎると不遜となりかねない第二の母、という呼び方も許された物になる。なるほど、それならばレイドリックが伯爵夫人から招待を受けても何ら不思議はない。

 が、しかし。問題なのはそのカードに書き添えられた一言だった。

【是非、ご婚約者とお二人でのお越しを、心よりお待ちしております】

 これは一体、どういうことだろう。

 昨日の今日だ、世間に知れるにしてもあまりにも早すぎると思うのだが。

 カードの一言に、ぴしりと固まったローズマリーの反応を見計らって、レイドリックが溜め息を洩らす。早すぎる伯爵夫人からの招待状の種明かしは、彼の母親が原因のようだ。

「母もマダム・レノリアとは親しくてね。その母が、こちらの返答も待たないうちに、俺が婚約すると夫人に知らせたらしい」

「え……」

 知らせを受けた直後の、ガーデン・パーティと招待状。

 その意味するところは多分、考えるまでもないだろう。

「十中八九、ローズの顔を見る為のものだと思う。あの方は、こういった催しが大好きだから。それでなくてもローズのことは、母や、俺自身から話を聞いていて、いつか会ってみたいと仰っていたんだ。そんな君と婚約と聞いて、いよいよ黙っていられなくなったんだろう」

 もちろん正式に婚約が決まれば、真っ先に挨拶に向かう相手だ。だがその挨拶に来るまで伯爵夫人は待てなかったらしい。ローズマリーの頭の中で、レイドリックの母と、会ったことも無い貴婦人の二人が、両手を取り合ってきゃっきゃと楽しそうに笑っている姿が思い浮かぶ。

 完全な想像だが、多分、そう大きく間違えてはいないはずだ。

「ちょっと待って、それって……まずいんじゃないの?」

 伯爵夫人主催のガーデン・パーティに呼ばれるのは、ローズマリーとしても光栄なことだ。しかしこのパーティに参加することは、同時にお互いの婚約を認めたことになる。

 そう言う対象として見られるよう努力をする、と約束はしたけれど、それもまだ昨日の話。婚約するにしても、もっと後だと考えていたローズマリーにとって、これは大問題だ。

 かといって、実はまだ違うんです等と言えば、レイドリック本人や、その両親、引いては自分の家族に恥を掻かせることにもなりかねない。

 それは駄目だ、それは出来ない。同じくらい、伯爵夫人の招待を断ることも出来ない。

 だけど、二人が上手く行けば良いものの、もし駄目だった場合どうなるのだ。

 このままでは、うやむやの内に無理矢理結婚まで進んでしまうかも知れない、と心なしか顔色が青ざめて行くローズマリーの前で、小さくレイドリックが肩を竦めて見せた。

「まあ、変に違うと否定するのもおかしな話だし、流れに身を任せるしかないね、今は。いざという時には、俺が責任を取るよ。君の名誉が傷つかず、誰もが納得せざるを得ないくらいに、俺が派手に醜聞を作って婚約破棄に持って行くから安心して良い」

 華やかな噂は数多いとは言え、醜聞は御法度。特に王宮騎士となれば尚更のはずである。

 だと言うのに、今更噂話の一つや二つ増えたところで、自分自身には大したダメージにもならないからと、いっそ開き直ったように笑うレイドリックの潔さを、ローズマリーも見習いたいような気分になる。

 もちろん、とても真似出来そうに無いけれど。




 招待状に記された、ガーデン・パーティの当日。

 朝からまんじりとしない気分で、出掛ける準備を整えたローズマリーの元に迎えに来たレイドリックは、全く普段と変わらない様子だった。

 彼にとっては伯爵家への訪問は、日常的な生活の一部に含まれているのだろう。今更特別気負うようなことは何もないに違いない。

 一方ローズマリーと言えば、昨年社交界デビューはしているものの、それ以降は兄に連れられて二、三度足を運んだだけで、華やかな場所には随分とご無沙汰である。

 一応、今時期の社交界シーズンには母と兄と共に領地の管理を執事に任せ、こうして王都に出て来ているけれど、一日の多くは王都の屋敷か、エリザベスのいるハッシュラーザ侯爵家の屋敷か、その他知り合った令嬢のお茶会に誘われて出席している程度だ。

 別にパーティそのものが苦手な訳ではない。多くの少女がそうであるように、綺麗な場所、物、華やかな場所は好きだし、人とお喋りをするのも大好きだ。

 けれどローズマリーをそう言った華やかな場から敬遠させたのは、その場に際限なく広がる様々な人の噂話や、陰口が蔓延する雰囲気を楽しめなかったからだ。誰それがああしたこうした、あの家はああだこうだ等々、そんな話ばかり。

 知らない人の噂話を聞いても楽しくないし、パーティに出席している誰かの姿を横目に見て陰口を叩くのも好きじゃない。元々は領地の田舎でのびのびと成長してきたローズマリーにとって、わざわざ他人の粗を探す行為が良い物だとはどうしても思えなかった。

 何を聞かされても、はあ、そうですか、としか言いようがないし、正直良い気分もしない。

 それくらいなら家にいた方が良い。

 エリザベスと親しくなったのは、昨年の王宮で開かれたデビュタントで知り合い、彼女も同じように人々の噂話に辟易した様子で、「こんなお喋りはうんざり」と呟いた一言に好意を抱いたからだ。

 それから意気投合して、今では男爵令嬢と侯爵令嬢という、同じ貴族でも大きく違う身分を物ともせず親しい付き合いを繰り返している。

 とまあ、それはともかくとしても。

 久しぶりのパーティに、どうしても緊張でガチガチになるローズマリーとは打って変わって、これから散歩にでも行こうかと言わんばかりに自然体のレイドリックの態度が、少しばかり憎らしい。

「やあ、ローズ。準備は万端のようだね」

「お陰様で。誰かさんの様にリラックスは出来ないけれど」

「大丈夫、マダム・レノリアはそれほど格式や礼儀に厳しくない、おおらかな方だよ。もっと肩の力を抜いて、笑ってよ。いつも可愛いけれど、今日の君は格別に素晴らしいね。まるで春の花の妖精のようだ」

「……それはどうも、ありがとう。出来ればもうちょっと独創性のある褒め言葉だと、もっと嬉しいけれど」

「おや、手厳しいな。心からの言葉なのに」

 ローズマリーに言わせれば、恥ずかし気もなく、歯の浮く台詞を口に出来るそのスキルの方が素晴らしい。もちろん、皮肉の意味を込めてだが。

 とは言え、見え透いた世辞でも褒められればやっぱり、それなりに嬉しいものだ。朝早くから、母やメイド達にあれやこれやと着飾らせられた、努力の結晶である。褒め言葉の一つや二つ、貰っても罰は当たらないと思う。

 かく言うレイドリックの装いも、彼に実に良く似合っている。貴族の子息と言うよりも、騎士を強調するデザインの白と緑の色合いは特に彼が好むもので、スマートな長衣のシルエットと合わせて彼の肢体を伸びやかに見せていた。特別派手という印象はないものの、地味な印象も与えない落ち着いた趣味の良い装いである。

 礼服というと、贅をこらした無駄に煌びやかな衣装を好んで身に纏う貴族も多いが、一番大切なのはその装いが当人に似合っているかどうかだ。どんなに贅沢な衣装でも似合っていなければ、滑稽なだけだ。

 その点で言えばレイドリックの礼装は、やっぱり憎らしいほど良く似合っていて、華やかさをあえて抑えめにしていることで、余計に騎士らしい凛々しさが強調されている。

 これでは女性の目を惹き寄せてしまって当然だ。いつもは彼のプライベートな時間に顔を合わせることが殆どで、彼の礼装を目にする機会は滅多にない………一瞬だけでも目を奪われてしまったことは、ローズマリーのささやかな秘密である。

「ローズから目を離さないように頼むぞ、レイドリック。何せちょっと目を離すとどこに飛んで行くか判らない、お転婆だからな」

「お兄様ったら。いつまでも小さな子供扱いしないで」

「私からすれば、お前はいつまでも小さな子供のままだよ」

 見送りに出て来た、デュオンの意地悪な台詞にムッとして、頬を膨らませた直後に自分を見下ろすレイドリックの視線を感じ、慌ててぺしゃんこに潰すも間に合わなかったらしい。

 頭の上から聞こえて来る笑い声に、まだまだ子供だと言われているような気恥ずかしさと居たたまれなさを感じて、思わず俯きそうになった時、肩を抱かれ引き寄せられる感覚にハッと顔を上げた。

「ご心配なく。ローズが生まれた時からの付き合いだ、そこのところはよく判っているつもりだよ。暗くなる前にはきちんと送り届けるから、安心して任せてくれ」

 軽く片手を上げて挨拶を交わし、軽く肩を押される。促されるがままに正面に停まる、子爵家の馬車に乗り込めば、車内でレイドリックとローズマリーの二人が席に腰を落ち着けた頃を見計らって、ゆっくりと馬車が動き出した。

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