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侍女アニーの願い 1

 私の名は、アニー・クルガンス。

 エイベリー子爵家の使用人であり、通常は当主の妻であるエイベリー夫人の侍女として勤め、嫡子であるレイドリック様が屋敷に戻っている間は、彼付きの侍女として働いている。

 私の母は、私を出産直前に夫を亡くし、乳飲み子を抱えて途方に暮れていたところを、結婚前に働いていたエイベリー子爵の厚意で、親子共々屋敷に部屋と仕事を与えて貰えた。

 女一人では生きて行くことの難しいこの世の中、過去の使用人の窮状を知り、救いの手を差し伸べて下さった子爵は、見た目は厳ついながらも、とても心の優しい方だ。

 その奥方である夫人も、いつもおっとりと微笑みを絶やさない穏やかな方で、使用人の間で良く聞くような、暴力を振るったり虐待を行ったり、過酷な条件で奴隷のように働かせる雇用者とは遙か天と地の差と言っても良い。

 その為か、この屋敷で働く使用人の離職率は低く、皆年季が長くて、まるで家族のように過ごしている。

 私のことも、使用人仲間はもちろん、エイベリー子爵夫妻も気に掛けて可愛がって下さった。丁度私より半年後に生まれた嫡子である、レイドリック様と年齢も近かったことから、子供の頃は、姉君のエミリア様を含めて遊び相手をさせて頂いていた時期もある。

 母を私が十歳の時に亡くしてから、もうすぐで十三年。その間も私は変わることなく、この屋敷で働き続けている。生まれてから今までこの屋敷で起こった様々な出来事を、見つめながら。

 そうした私の記憶の中でも、ここ最近特に屋敷の中が賑わいを見せているのは、とうとう跡継ぎのレイドリック様のご結婚が決まったからだ。

 お相手は、以前からご家族共々親しいお付き合いをしているノーク男爵家のご令嬢で、レイドリック様にとっては幼馴染みとなるローズマリー様だ。

 小さな頃からローズマリー様を実の娘のように可愛がっていた子爵夫妻はもちろん、同じように小さな頃から良く知っていたお嬢様が嫁いでこられるとあって、私達使用人も上を下への大騒ぎである。

 普段は私達使用人に対して、気が緩みすぎることがないようにと厳しい眼差しで仕事ぶりを監視している、執事のハリー様もローズマリー様にはとても甘い。キッと釣り上がっている細い目が、お嬢様に対しては心なしか下がり気味になるのも、多分気のせいではない。

 ハリー、ハリーと可愛らしい笑顔を見せながら、生真面目な執事の周りをくるくる回っていた、幼い頃のお嬢様の姿を思い出せば、それもまた仕方ないことだ。

 正直なところ、レイドリック様がどんなお嬢様を妻に迎えるのかと言うのは、私達使用人にとってもここ数年の間のもっとも大きな関心事の一つだった。

 何故かと言えば嫁いでこられる方によっては、この居心地のよい屋敷での生活が一変してしまう可能性があるからである。

 随分前から、レイドリック様のお相手はローズマリー様では、という話は私達の中ではあったけれど、それが下火になってしまっていたのは、成長と共にお二人の交流が久しく途絶えてしまっていたからだ。

 レイドリック様も騎士となるために屋敷を出て、騎士になったらなったで騎士団や王宮に詰めて、屋敷にはあまりお帰りにはならなくなったし、ローズマリー様も随分前からピタリと遊びに来られることがなくなっていた。

 お兄様のデュオン様は、レイドリック様がお帰りの時に合わせて時々はいらっしゃっていたけれど、ローズマリー様の姿は無くて私達は随分と寂しい思いをしていたものである。

 その為私達の記憶の中で、ローズマリー様の姿はまだ幼い少女の頃のまま止まってしまっていた。もしかしたらそのまま、お付き合いはなくなってしまうのかもしれない…そう思っていたところでの、今回のお話である。

 最初はあまり、ローズマリー様が乗り気ではないらしい、という話はハリー様から聞いてはいた。

 子供の頃は天使のように無垢だったレイドリック様が、大人になって社交界でばらまくようになった噂や評判を耳にして、年頃の乙女らしく潔癖な拒絶感を表していたのだろう。

 それは無理もないことだ。

 子供の頃と同じではいられないのは仕方ないにしても、子供の頃を良く知っているものの目からすると、成長されてからのレイドリック様の変わり様は驚く程で、私達ですら噂を耳にした時には、まさかうちの坊ちゃんが、と愕然としたものである。

 あの天使の笑顔は何処へ行った、私のお坊ちゃんが! と大騒ぎしていた使用人を私は知っている。

 それと同じくらい、今のどこか小悪魔的な笑顔の私のお坊ちゃんも素敵と血迷った事を口にしていた者も知っている。

 レイドリック様は誰のお坊ちゃんでもない。と、心の中で突っ込むに止めておいた。

 私は何故、レイドリック様がそのように変わってしまったのか、その理由をご夫妻やご本人などの様子から、薄々察してはいたので、彼らの様に天使だの悪魔だのと騒ぐようなことはしなかったけれど、その変化を痛ましく思ったのは事実である。

 とにかく、私達ですらそうなのだから、小さな頃は時間さえあれば四六時中一緒に過ごしていたローズマリー様からすれば、レイドリック様の変化はすぐには受け入れがたいほど大きなものに感じられたのだろう。事情を知らなかったのなら尚更だ。

 今回の結婚話にあれこれとお考えになっていたのは、ローズマリー様だけでなくレイドリック様も同様だったはずだ。

 ローズマリー様との約束がある時には楽しげに屋敷を出て行かれても、帰ってきた後では何か物憂げに考え込む仕草が増えていた。たぶん、ご自分にローズマリー様を幸せに出来るのか、その資格があるのかと小難しい事を考えていたのだろう。

 大人になれば様々なしがらみや考えに縛られて、思う様に動けなくなるのも当然のことだ。

 ここで何も考えずに、親の言われるがままにハイハイと行動するような自分の考えのない人間の方が、私には願い下げだから、これはこれで悪くはない傾向だったのではと思う。

 ただ、少しばかり……いや、かなり、無駄な足掻きが多く、素直になることに時間が掛かりすぎたような気もしないでもないけれど。まあそこは、本人にとってもなかなか譲れない何かがあったのだろうと思うことにしよう。

 そうした中でもお二人の間ではあれこれとあったようで、怪我をされたローズマリー様を血相を変えた顔で屋敷に運び込んで来たあたりで、とうとうレイドリック様は自分の心と、彼女に白旗を挙げたらしい。

 レイドリック様に抱えられて、数年ぶりに私達の前に現れたローズマリー様は、もう小さな女の子とは言えないくらいにお年頃のご令嬢に成長されていて、あの小さなお嬢様が、と時の流れを強く感じさせられたものだ。

 道理で私も年を取るはずである………と、色々な意味で少し切なくなることを考えるのはよそう。

 ちなみにその白旗に拍手喝采したのは、子爵夫妻と屋敷の使用人一同だ。

 ローズマリー様は私達使用人にも、深い親しみの籠もった笑顔で対応して下さる方だ。これで将来のエイベリー家使用人ライフは安泰である。

 一度お二人のお気持ちが固まると、後はもう話は流れるがままである。少しばかりお兄様のデュオン様がへそを曲げられて、無駄な抵抗をしていたようだけれども、恋に落ちた若い二人の邪魔をいつまでもするつもりもなかったようで、それから間もなくしてお二人の正式な婚約が成立した。

 挙式は来年の六月。

 まだまだ時間があると思ってはならない。むしろ普通は婚約期間は一年程度が多い中で、その一年に数ヶ月も足りないお二人の場合は、駆け足で準備を進めなくては間に合わない。

 お嬢様の身の回りの品や日用品などは、嫁入り道具として男爵家で用意され、結婚の一ヶ月程前から運び込まれてくる予定だが、それ以外の生活環境の全てを整えたり、花嫁のドレスを用意するのは新郎の家で行うことである。

 このドレスと同様に純白のまま家に嫁ぎ、その家の色に染まりなさいと言う、昔ながらの慣習だ。

 ドレスの発注だけでも、デザインから生地選び、採寸縫製等々で軽く半年は掛かるし、招待客への案内状はこの一ヶ月中には発送しなければ先方の迷惑になる。

 お世話になっている方々への挨拶回りも必要だし、領地と王都の二つの屋敷の部屋の準備や内装の改装、家具の用意も必要だ。

 貴族の結婚には、爵位に関わらず王室と国教会からの許可も必要なので、その許可書も取らなければならない。

 やらねばならないことは山とあり、それに比べて時間はいささか足りない。けれども皆どことなく嬉しそうなのは、やっぱりこれから先のお二人を含めた周囲の人々の幸福が、何の抵抗もなく想像出来るからだろう。

 私が一番嬉しいのはレイドリック様がもう一度、女性を心から愛そうと思えるようになったことだ。

 私にとってもレイドリック様とローズマリー様は幼い頃からの、大切な方々である。幸せになって欲しいし、その為の協力ならば喜んでお手伝いさせて貰おう。

 さて、そうした慌ただしい日々の中で、ローズマリー様は度々、エイベリー家の屋敷に訪れるようになった。訪問理由は結婚準備の為、ということだけれども、もちろんそれだけではなく、想いを通じ合わせた恋人に純粋に会いたいと言う気持ちもあってのことだろう。

 顔を合わせ、共にいる時の二人の様子は、正直私には直視に耐えかねる。甘いものは、食べ物から雰囲気まで、少々苦手なのだ。

 ムズムズして、何とも見ている方が落ち着かない。

 けれども私とは違い大好物な人達も多く、その代表がエイベリー夫人だ。

 寄り添う二人の姿に、若い頃の自分の姿を重ねているのだろうか……私とあの人もそうだったわ…と何度となく呟く言葉を耳にしているけれど、残念ながら旦那様はレイドリック様のように、ご婦人との甘い一時がお似合いになる方では、ちょっとない。

 ついでに言うならば子爵夫妻は若い頃に限らず、今でも充分ラブラブだ。

 そんなこんなで、一波乱も二波乱もあったお二人のご結婚も、ようやく現実味を帯びて来た、とある冬の入り口。

 この日も午後からローズマリー様がレイドリック様に会いに、お屋敷に訪れれて、恋人達の甘い出来事が繰り広げられるのである。

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