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父と息子

本編開始時のエイベリー家です。

 一年の多くを、王都の所属する王宮騎士団の騎士団棟で生活している自分の元に、実家の父から手紙が届いたのは、まだ春が訪れ社交界シーズンが始まったばかりのとある日のことだった。


 大切な話がある。

 今すぐ屋敷へ戻れ。


 たった二行しかない手紙だというのに、そこから逆らうことは許さないと言わんばかりの威圧を感じさせるのは、恐らく気のせいではあるまい。

 実家から日頃届く手紙の差し出し人は主に母からで、父直筆の文字など随分暫くぶりに見た気がする。根っからの筆無精な父がペンを取ったと言うただそれだけで、どうやら何かあったらしいと察しさせるには充分である。

 正直、面倒な予感しかないのだが、多分無視をすると今度は手紙などと言うまだるっこしい手段ではなく、父自らがこの騎士団に現れて自分の首根っこを引っ張っていくだろう。

 若い頃に怪我が理由で、既に騎士を引退している父だが、その迫力は本当に親子かと自分でも首を捻りたくなるくらいにケタが違う。

 太い腕、太い首、太く逞しい山男のような身体。

 母と並べて見ると、まさしく美女と野獣。誰もが首を傾げる夫婦だが、これで母の方が父に惚れ込んで、あの方でなければ嫌です、と訴えたと言うのだから驚きだ。

 その父の血を受け継いで生まれて来た自分が言うのもどうかと思うが、エイベリー家最大の謎だと個人的には思う。まあ、夫婦仲が良いのは結構なことだが。


 しみじみ思う、母親似で良かったと。

 ……それはともかくとして。


 そんな父がその気になれば自分が逆らうのは至難の業である。

 やれやれ、仕方ない。一度戻るか。

 ひどく憂鬱な気分で腰を上げる。

 だからと言って別段親子仲が悪いわけではないのだ。むしろレイドリックが成人するまでは、非常に良いと表現しても良い関係だった。

 ただ、成人して以降は自分が社交界で築いてしまった男としては名誉な、けれど騎士としてはいささか不名誉な通称や噂話のお陰で、最近は顔を合わせるとまず最初に説教が待っている。

 実直で真面目で一本気な父には、浮ついた息子の言動がどうにも我慢出来ないらしい。

 逆に母の方が、まだ若いのだもの、もう少し年を重ねれば少し落ち着くようになるわよ、などと苦笑しながら言う位で、少々世の父と母の言動が入れ替わってしまっているような印象を受ける。

 しかし、父が自分にあれこれ言うのも、息子に対して無関心ではないからこそだ。

 世の中には親子とは名ばかりの希薄な関係がごろごろ転がっていることを思えば、自分が両親に愛された子供であることは誰に説明されずとも良く判っていた。

 その愛情を感じさせられると、レイドリックは弱い。

 よほど無茶な要求でない限りは、やれやれと思いながらも親の話に耳を傾けるくらいには、親子仲は密だと言っても良かった。

 さて、今回の呼出は何の話だろう。ただの伝達事項だろうか、それともまたお説教だろうか。出来れば簡単に済む話だと良いなと思いながら、屋敷へと戻ったレイドリックを待っていたのは予想もしていなかった話だ。

 なんと自分に縁談があるという。

 いや、それ自体は何も珍しいことではない。ここ数年、特に王宮騎士に入団してからは割と頻繁に飛び込んで来る話だ。

 自慢ではないが自分がある程度女性の目を惹く容姿をしていることは自覚していたし、浮ついた噂と同じくらい、女性の間では黄色い声が上がっていることも知っている。

 これまでにレイドリックの立場では勿体ないくらいの良縁が持ち込まれたこともあれば、思い詰めた令嬢に泣きつかれて、どうか結婚してくれと頼まれたこともある。

 その全てを、やんわりと相手のプライドを傷付けないように、注意深く、要領よく、そして相手が情を残さないよう冷酷に退けてきた。

 正直今回の縁談を父から聞かされた時も、「またか」と思っただけだった。

 ただし、その相手の令嬢の名を聞かされると話は大きく変わってくる。

「ローズマリー? まさか、あのローズですか?」

「お前は他に、ローズマリーと言う名の令嬢を知っているのか」

「いえ、知りませんが……それは、先方から持ち込まれた縁談ですか」

 頭の中に、気心の知れた、しかし少々油断のならない親友の顔が浮かぶ。子供の頃から妹を溺愛して、嫁に出す相手は最高の男でなければ許さないとかなんとか、臆面もなく言い放つほどのシスコンだ。

 もっとも彼の愛情表現は、ストレートな一面もあれば少し捻くれた一面もあるので、その大切な妹が兄の愛情を手放しで全て受け入れているかというと、そうではないことも知っているけれど。

 あの親友が、自分を妹の相手に相応しい最高の男として見なしているだろうか。

 ……いや、それはないだろうなと即座に否定して、思わず苦い表情になる。案の定、その話は先方から持ち込まれたものではないらしい。

 あちらから希望すると言うよりは、むしろ……

「いや、私からだ。だが、デュオンはローズの心次第だと言いながらも受け入れてくれた」

 やっぱりか、と思うのと、あのデュオンが受けたのかと言う驚きとが同時にレイドリックの心を襲ってくる。

 どんなつもりで彼は、目の中に入れても痛くないほどの妹の結婚を了承したのだろう。そう思いながらも、レイドリックは内心ほとほと困り果てていた。

 恐らくこれまで知り合った女性の中で、今回の相手ほど邪険に扱うことの出来ない女性は他にいないだろう。身分がとか立場が許さないという強制的な理由ではなく、レイドリック自身がそれは出来ないのだ。

 まず最初に、傷付けたくないし、泣かせたくないと思う感情が浮かんでしまうから。

 ローズマリーという五つ年下の少女は、レイドリックの心に甘さと懐かしさと愛しさと、そして少しだけ切ない過去の思いを蘇らせる。

 妹のように幼い時期を過ごした大切な幼馴染みの少女。最後に会ったのは、昨年の社交シーズンが終わる頃だから、もう七、八ヶ月ほども前だろうか。

 子供の頃は頻繁に顔を合わせていた幼馴染みの少女も、ここ数年は疎遠で年に数度、顔を合わせることがあるかどうか。

 ただの立ち話以上の会話をした記憶に至っては、年単位で遡らなければならない。

 年齢を重ね、会う度に愛らしい小さな女の子から、女性として花開くような美しさを匂わせるようになってきた少女は、疎遠になってしばらくした頃から以前のように無邪気な笑顔を見せてはくれなくなっていた。

 恐らく社交界での自分の噂を耳にするようになったのだろう。

 潔癖な年頃の少女なら、その浮ついた噂に嫌悪感を抱くのは当然だ。自分自身、そう思われても仕方ないような言動を繰り返してきた自覚があるので、仕方が無いと思う。

 ただ、少しだけ寂しいような切ないような気分にはなるけれど。

 それでも季節の折々には律儀にカードが届くし、自分が騎士として何処かに出陣したり派遣されると聞けば、無事を願うメッセージを送ってもくれる。

 王宮騎士に取り立てられた時には、恐らく彼女自身が精一杯作ってくれたのだろう、手作りの剣帯と共に、祝いの言葉が添えられていた。

 普段なら手作りの品など重く感じるだけだが、彼女からの贈り物はそうではない。

 特に騎士に女性から剣帯を作って贈る行為は、身内か恋人相手に限られる。疎遠になってもローズマリーがまだ自分を身内だと思ってくれている証のようで、素直に嬉しかった。

 その剣帯は今もレイドリックの腰に下がっている。

 正直に彼女に対する気持ちを口にするなら、例え疎遠になっても完全に切れることのないよう、細々と関係を繋いでくれる彼女を可愛いと思うし、好意を持ってもいる。

 出来れば幸せな人生を歩んで欲しいし、もし彼女を意図的に傷付けるような存在があるなら、排除する行為も厭わない。

 でもその感情は、一人の女性に対するものと言うよりも、大切な幼馴染み…言わば妹に抱くような感情だ。

 この時点でレイドリックにとってローズマリーは年頃になったとは言っても、まだまだ子供で、印象は小さな五つ六つの少女と変わりないままだったのである。

 そんな相手を突然縁談の相手として、一人の女として見ろと言われて困らない訳がない。

「父上。ローズのことは確かに可愛いと思いますよ、ですが……」

「夢だったのだ」

「…は?」

「夢だったのだ、ローズに『お父様』と呼んで貰える時を!」

「………はあ」

「子供の頃からずっと、娘になってくれればと思っていたのだ!」

「………」

 思わずレイドリックの視線が白々と宙を泳いでしまっても仕方がないと思う。


 今の話題は、自分の縁談の話だったよな?

 決して父の、長年の夢を語る場ではなかったよな?


 そう思いながらも、両手の拳を握り締めて力説する父親に突っ込む気にはなれない。

 そんな真似をしたら最後、延々とその夢とやらにどれ程の情熱を傾けているかを語って聞かせるような面倒臭い一面があることを、息子は嫌と言うほど知っていた。

 だが父親のそうした夢のような野望はともかくとして、驚きが過ぎ去ってしまえば、自分の両親が彼女を息子の妻にと願う気持ちは判らないでもなかった。

 昔から家ぐるみで付き合ってきた関係であり、彼女は父にとっても今は亡き親友の娘であり、我が子のように慈しんでいる存在だ。

 むしろ今まで、その話題がなかったことのほうが、多分不思議な位なのだと。

 はてさて、どうしたものか。

 父のこの暑苦しい様子では簡単に断る事は出来ないだろう。その父の申し出に親友も乗っていると思えば尚更だ。

 いくら今、自分が誰とも結婚する意思がないと告げたところで、自分の年齢や立場を思えばいつまでも通用する言い訳とも思えない。

 それに結婚はいつかはしなくてはならないものだ。妻を貰い、家を継ぐ子を授かることは、貴族家の嫡男においては逃れられない、義務の一つ。

 相手が幼馴染みの少女であろうとそうでなかろうと、いずれは受け入れなければならない未来であることに変わりはない。

 ……そこまで考えて、不意にチクリと胸の奥が痛むような感覚に、僅かに眉を顰めた。そして父には知られぬようにこっそりと溜め息を付く。

 直後胸の内に蘇った記憶は、決して思い出して喜ばしいようなものではない。出来れば永遠に心の底に沈めてしまいたい…いや、綺麗に忘れてしまいたい種類のものだ。

 ……馬鹿だな、と自分で思う。もう過ぎ去った遙か昔の過去のことだ。

 今の自分はあの頃と違う、そのはずだ。ただ傷ついて、目を背けることしか出来なかったあの時とは違うのだ。


 ………………本当に?


 直後、自ら自問自答するような静かな声を聞いたような気がして、頭を振った。今はこんなことを思い出したくない。

 それに考え方を変えてみれば、今回の話は決して悪い話ではないのかもしれない。

 幼い頃から長い時を過ごしている彼女とならば、他の令嬢とでは築くのが難しい関係も、さほど苦労なく築き上げられるかも知れないし、お互いに良く知った相手である以上、一から関係を作る必要も無い。

 嫁姑の確執を心配する必要もまず無いだろうし、屋敷の使用人の多くも彼女のことを良く知っていて、可愛らしいお嬢様と好いている。

 あの親友が義兄となるのかと思うといささか、その点に関しては憂鬱だが……

 とりあえず、話をしてみようか。

 それから考えて見ても、きっと遅くはないだろう。

「………判りました。とりあえず、ローズと話をしてみますよ」

「うむ。そうだな」

「ですが、彼女にも意思というものがあります。ローズが俺を認めてくれるよう努力はしますが、それでもどうしても嫌と言うのなら無理に押し進めることは出来ない。その時にはきっぱりと諦めて下さい。自慢ではありませんが、彼女にとって、昔ならいざ知らず、今の俺は理想の結婚相手ではないはずです」

「何を情けないことを言っているんだ! こういう時にこそ、日頃のお前のその口のうまさでだな…! なんだったら既成事実という手段も…!」

「彼女の気持ちがないうちから名誉を穢すような行為をするつもりはありませんよ。第一そんな真似をすればデュオンが黙っているわけがないでしょう。無責任にそそのかさないで下さい」

「う……む……だが…」

「無理強いして、おじ様なんて大嫌い! と言われたいなら、別に止めませんけど?」

「……………判った…っ」

 よほど嫌われたくないのだろう。酷く苦渋の滲む唸るような声で了承する父親に、また内心溜め息をつきつつも、早速とばかりに身支度を始める。

 恐らく今頃はローズマリーも、兄からこの話を聞かされて目を白黒しているのではないだろうか。

 多分きっと「そんなの絶対お断りだわ!」とかなんとか叫んでいるのだろう。ここ数年の彼女の自分への評価は、嫌と言う程自覚している。

 一度はそうした言葉をぶつけられることも想定しなければならない。

 けれど、ローズマリーと面と向かって会話をするというのは、何年ぶりになるだろうか。ほんの少し顔を合わせ、一言二言交わすだけだったことを思えば、堂々と彼女と話をする理由が出来たことは、少しだけ楽しい。

 別に彼女と会話をすることそのものに、理由など必要ないと判っているけれど…レイドリックの中にある、過去の引け目がそう思わせる。

 とにかく話をしてみよう。きちんと話したその上で、最終的に彼女がやっぱり嫌だと言うのなら、父もそれ以上は強引に話を進めることは出来ないに違いない。

 この時レイドリックは、そんな風に思っていた。

 まさか自分が、これをきっかけに愛すべき幼馴染みの少女を相手に、坂から転がるような勢いで深みにはまっていく未来が待っている可能性など、考えもしないままに。

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