第十章 あなたに捧げる思い出の花 4
社交シーズンの最後は、いつも王宮での舞踏会で締めくくられる。
多くの貴族達が顔を合わせ、今シーズン最後の挨拶の言葉を交わしている姿もあれば、オフシーズンでも親しい者達がお互いの領地への訪問を誘いかける姿もあり、このシーズンで見事に婚約が整った若い男女の姿もある。
そうした人々の姿をローズマリーは、エリザベスと共に肩を並べて眺めていた。いまだ打ち身の痛みは残るものの、この舞踏会を欠席すればいらぬ詮索をうけかねない。
無理をしなければ、人前に出ても支障のない程のローズマリーの回復を彼女は素直に喜んでくれたが、しかし別のことでは気に入らないのか、少しばかり拗ねたように、先程からずっと文句を零している。
普段大人びたクールな印象が強い彼女が、そうして駄々を捏ねる子供のように拗ねているところを見ると、なんだか可愛らしく感じてつい笑ってしまう。するとまたエリザベスは拗ねるのだ。
「全くもう、ローズったら結局許してしまうのね。もっと困らせてやれば良いのに」
彼女が気に入らないのはやはりレイドリックとのことだ。エリザベスの中でのレイドリックの評価は一気に下降線を辿ったようで、今は恐らく「最低の人間よりは少しだけマシだけど」と言う程度で留まってしまったらしい。
よほどローズマリーを泣かせたことを許せないらしい。けれども本気でそう言っているのかと言えば、また別の話だ。彼女も本当の意味ではこれが最良の結果だと言うことは判っている。判ってはいるけれど……と言うところのようだ。
「ローズはレイドリック様に甘いわ」
ちょっと謝られて縋られただけで許してしまうなんて。尚も続く言葉に苦笑した。
「だってしょうがないって思っちゃったんだもの、仕方ないわ」
確かにレイドリックが意図的ではないにしろ、ローズマリーにしてきたことを思えば、人がどれ程悩んで不安になったと思っているのだ、もう少し反省しろ、と突き放すべきだったのかもしれないが、そんなことをして時間を過ごすことの方が嫌だと思ってしまったのだから仕方ない。
もっと有意義な時間の使い方はいくらでも存在する。それにやっぱりローズマリーは、エリザベスの言う通りに彼には甘くなってしまう。惚れた弱みと言えばそれまでだが……
「私までこの人を見捨てたら、この先どうなっちゃうのかしらと思うとね…」
「………あなた、レイドリック様のお母様にでもなるつもり?」
半分呆れ顔のエリザベスに、まさかそんなつもりはないわよと笑って肩を竦めたものの、その片鱗は多少なりとも見え隠れする気がする。
「レイドリック様はもう、あなたに頭が上がらないわね」
「どうかしら。でもお母様は、家庭円満で過ごすには、そのくらいで丁度良いって仰っていたわ」
「まあ。実感のあるお言葉ね」
同時に顔を合わせ、二人はぷっと吹き出すように笑う。それから気を取り直したようにエリザベスが、拗ねた顔を笑顔に変えて訊ねた。
「それで結婚式の日取りは決まったの?」
すると、とたんにローズマリーの顔が困ったようなそれに変化する。問題の当人同士の気持ちが纏まって、これで晴れて何の問題も無くなった……と言いたいところなのだが、実は最近になってまた新たな問題が浮上しているのだ。
「実はね……お母様と、レイドリックのおじ様とおば様は喜んでくれたんだけど……お兄様がすっかりへそを曲げてしまっているのよ。家長として、お前などに妹は嫁にやれん! とか言い出して」
「あらあら…」
「よっぽど私が寝込んでしまった原因が気に入らないみたいで。何度も二人で説得しているんだけど」
ローズマリーが危険な目に遭ったことを、兄であるデュオンは相当頭に来ているらしい。妹を大切に思うからこその怒りだとは判っているし、その気持ちは素直に嬉しいと思うが、あまりにも頑なになられてしまうと、逆に困ってしまう。
最近では結婚の許可を得るためにレイドリックが連日のように男爵邸に足を運んでいるが、追い返してしまうくらいだ。
レイドリックは自分の責任だから仕方がない、許しを得られるまで何度でも諦めないから大丈夫だと、以前より頼もしくなった表情で言ってくれるけれど、シーズンが終わってお互いの領地に戻ってしまえばなかなか、頻繁に足を運ぶのも難しくなる。
彼にも騎士としての責務のため、領地と王都とを言ったり来たりする忙しい日々が始まるのだ。何の責任も無かった子供の頃ならいざ知らず、大人になってからではなかなか自分の思う様には動けないことも多い。
昨日も屋敷に来てくれたのに、やっぱりデュオンは会うこともせず追い返してしまって、お陰で夕べは盛大な兄妹喧嘩の勃発である。
「大体お兄様が持ち込んできた結婚話でしょ、自分で嫁に行けとか言って置いて今更駄目とか勝手すぎるわ!」
「勝手なのはあいつの方だ、大体人の妹を持って行くだけでも気に入らないと言うのに、危険に晒すとは男の風上にも置けん!」
「そんなのレイドリックじゃなくたって同じじゃない、私をオールドミスにするつもり!? それにもう二度とそんな危険な目には遭わせないと言ってくれているじゃない、いい加減そのねじくれた性格を直したらどうなの!」
「なんだと、誰に向かって言っているんだ!」
「お兄様に向かって言っているのよ、ひねくれ者の怒りんぼ!」
はっきり言ってレベルの低い兄妹喧嘩である。見かねた母と、近侍のライナスに割って入られてどうにか一時休戦になったものの、今朝はお互い口も利かなかったし、朝食の席はまるで冷戦状態だった。
ちなみにローズマリーは、子爵邸で療養し、レイドリックとの話し合いを終えた次の日には屋敷へと戻っている。それも、ローズマリーが全快したと見るやいなや、兄が迎えに来て半ば強引に連れ帰ってしまった結果だ。
母は、デュオンは少し拗ねてしまっているだけよと、のほほんと楽観的に笑っているが、ローズマリーにはあまり笑えない。
けれど話を聞いたエリザベスは素直におかしかったのだろう。くすくすと笑い声を上げる友人を、少しばかり恨めしげに睨んだ。
「笑わないでよ、本当に大変なのよ」
「ごめんなさい。でも以前に比べれば、随分と幸せな悩みね、平和で何よりだわ」
「…それはまあ、そうかもしれないけど……」
確かにその通りだ。以前の悩みと比べれば、今の問題など些細なことで、過去の不安や戸惑いが嘘のようである。
「あんまりデュオン様がごねるようなら、先に既成事実を作ってしまえばいいのよ。簡単だわ」
「………さらっと凄いことを言わないで」
「あら。最後の手段としては有効よ?」
事実かも知れないが、それは本当に最後の手段とすべきだろう。
そんなことをすれば兄の機嫌はさらに悪化するのが目に見えている。なんだかんだ言っても、レイドリックと兄は親友同士だ、二人の友情に修正不可能な亀裂を入れたくはない。
やはり、根気強く説得するしかないかと、小さく溜息を洩らして話題を変える。
「そう言えば、エリオス様にも随分とお世話になったと聞いたわ。いつかお礼を直接言えたら良いんだけど……」
ローズマリーの身分や立場では、さすがに公爵家の嫡子であるエリオスに直接連絡を取ることは出来ない。エリザベス経由でお礼の手紙は託し、気にするなと言う短い返事は貰っているものの、やはり直接礼を言えればそれに越したことは無いと思う。
だが。
「必要ないわよ。ローズのお礼の気持ちはちゃんと伝わっているわ。それにエリオスも、ただの奉仕精神で協力したわけではないもの」
「でも、騎士を辞めると言ったレイドリックを引き留めて下さったのも、エリオス様だと聞いたわ」
そう。あの誘拐騒動事件のあと、レイドリックはボリスとの約束を守って一度は、騎士の称号を返還すべく上官に申し出たのだ。彼の決めたことだからとローズマリーは、賛成も反対もせずにレイドリックの意思を尊重したが、内心は辞めるなんてことは止めて欲しかった。
あれほど努力を重ねて今の地位を手に入れたのに、間接的にとは言え自分が原因で捨てるなんて、心穏やかでいられる訳がない。
そのレイドリックの申し出を却下したのがエリオスである。それどころか、貸した借りを返せと言われて、彼の部隊に副官として引き抜かれたと言うのだから驚く。副官とは将軍であるエリオスのサポートを勤め、有事の際には彼の代わりに、軍隊を指揮することもある、重要なポストの一つだ。
どうやらエリオスも彼なりに悩みや問題は持っているようで、その問題の一つが自分の副官の不在であったようだ。年若くして将軍の一人にまで名を連ねるほど昇進した彼だが、やはりその年若さでは、色々と手が届かないこともある。
その上信用出来る者以上に、身分や立場に群がってくる者の方が多く、少しでも信頼出来る者が手元に欲しいと思っていたようだ。ここ最近のレイドリックとのやりとりで、多少の問題はあれど人柄的には、信用に足りる人間だと判断されたと言うことだろうか。
もちろん今すぐではまた他の者との軋轢を生むことになるから、時期を見て必要な任務を与え、その任務を果たした後で功績として辞令を下すということのようだ。
一度は、レイドリックは自分は事実とは違う噂とはいえ、あまり良いとは言えない評判が流れた立場だし、若年である年齢的なことを考えても他に相応しい者がいるはずだと辞退しようとしたが、結局なんだかんだと言い負かされて、辞めに行ったはずなのに引き抜かれて帰って来ると言う妙な結果になったらしい。
「エリオス様も、何だか少し不思議な方ね」
「そうでもないわよ。エリオスは以前からレイドリック様の戦での功績や、腕を買っていたもの。今回はたまたま、貸しを作ってそれを理由にしたけれど、いずれ同じ結果になったわよ」
「そうなの?」
「ええ。彼は自分の欲しいものに対してはとても貪欲なの。あれでも腐っても公爵家の人間ですもの。親切で真面目な貴公子、なんて思っていると簡単に足元を掬われるわよ」
何とも歯に衣を着せぬ言い方に、一瞬絶句してしまった。
顔を合わせた機会は少ないけれど、ローズマリーの印象からとてもそう言うタイプの人には見えなかったものの、幼馴染みであり彼を良く知っているエリザベスが言うのだから、そうなのだろう。
どちらにしても彼の言動の多くに助けて貰ったのは事実だ。ローズマリーを浚ったザンピエール伯爵も、こちらにエリオスの姿があると知ると、さすがに恐れを成したのか、あるいはレイドリックの脅しと言う名の警告が堪えたのかすっかりと大人しくなって、今夜の舞踏会にも出てこない。
恐らくほとぼりが冷めるまではしばらく雲隠れするつもりなのだろう、と言うのがこちらの見解である。まああの男の顔を二度と見たいとは思わないので、しばらくとは言わずに永遠に引き籠もってくれていていいのだけれど。
また、ボリスの方もあれ以来王宮騎士団にはぱったりと顔を出さなくなったと聞く。一足先に王都を離れ、本来所属している騎士団に戻り……恐らく、もう王都には出てこないつもりだろうと、レイドリックが少しだけ複雑そうな表情で話してくれた。
「それで? 噂のレイドリック様は、あなたを私に預けて、一体どこで何をしているの?」
舞踏会ももう終盤に近い。締めくくりのパーティは夜明けまで続けられるけれど、そろそろ切り上げて退出する者達の姿もちらほらと見え始める頃だ。ローズマリーも今回は大事をとって、最後までは残らずに早めに退出する予定で参加している。
レイドリックはそんな彼女をエスコートして、三曲ほどダンスを共に踊り、それから顔見知りの人々に挨拶をして落ち着いたところで、同じく参加してたエリザベスにローズマリーを預けて、席を外した。
その理由はローズマリーも知っている。あらかじめ彼から聞かされていたから。
「………最後のけじめをつけてくると言っていたわ」
それでエリザベスも今、彼が誰と会っているのかを理解したようだ。ああ、と頷いてそれきり考え込むように黙り込むものの、非難する様子はない。むしろ、必要なことだろう。
あの麗人の顔を思い浮かべると、過去は過去のことと割り切ったつもりでもやっぱり、ローズマリーの心は乱れる。本当は二人きりで会ってなど欲しくない。
でもこれから先のことを考えれば、避けて通れないことだとも判っている。今はただ、彼のことを信じてその帰りを待つより他に無かった。
そうしたローズマリーの内心を良く心得ているレイドリックは、今まさにボローワ伯爵夫人、ルイーザと真正面から向き合っている。
六年前に告げられなかった別れの言葉を、今改めて向けられたルイーザは、一瞬だけその顔を歪め、けれどすぐに諦めに似た苦笑を浮かべて見せた。
「…判ってはいたけれど、もしかしたらと何処かで期待していました。もしかしたらまだ、あなたは私を待っていて下さるのではと……でもそれは、私の身勝手な夢でしたわ」
「夢は、いつか醒めるものですよ」
微笑みながらレイドリックは穏やかに答える。その瞳には、もう完全に吹っ切れて、以前には存在していた迷いはどこにも見てとれなかった。
「あなたの現実に、私の居場所はないのね」
沈黙したまま答えない。答えないことが、その返答だ。
はあ、と深い溜め息を付いて、ルイーザは肩を落とした。以前のように泣いて縋るような真似はしないし、涙も浮かべてはいないけれど、彼女の心が失望と悲しみに満たされているのは感じられる。
でももうレイドリックも、そんな彼女に対して手を差し伸べたりはしない。半端な行為は余計に相手を傷つけるだけだ。
そうして二人の間に降りた、短い沈黙の後、ルイーザは不意に伏せていた瞳を上げると、まるで挑むような視線を向けてくる。そして彼女は言った。
「ねえ、レイドリック様。私、あなたの婚約者が大嫌いです」
この言葉にはさすがにレイドリックも驚いたらしい。けれどこの言葉を口にしたのは、ルイーザが初めてではない……レイドリックが知らないだけで。
どこか楽しげな微笑さえ浮かべながら、ルイーザの言葉は続く。
「まっすぐで、素直で、私にはない強さを持つ彼女が憎らしいわ。自分が他人に愛されて大切にされることを当たり前のように、受け入れられる綺麗さが大嫌い」
ルイーザにはそれが出来なかった。両親には金づるのように扱われ、親しい友人や親身になってくれる人もなく、誰もが外見の美しさだけを見て近付いて来る。
優しく暖かく愛されて、感じるのは安堵ではなく、いつもいつ失うのかの不安だった。だからこそ、愛されて育ち、自然と受け入れることの出来るローズマリーが憎らしい。そしてとても羨ましい。
どうして彼女には出来て、自分には出来ないのか、どうして彼女には守ってくれる騎士がいて、私にはいないのかと。
でも。
「……そうですね、そうかも知れません。……でも、昔の俺は今のローズを愛する気持ちと同じように、あなたを愛したいと思っていましたよ」
「………」
レイドリックの愛し方は結局、今も昔も変わらない、変えられない。
今、ローズマリーを愛するのと同じように、過去にはルイーザを愛そうとしていた。その手を振り払い、背を向けたのはルイーザ自身だ。
彼女が今、妬ましい羨ましいというローズマリーが受けている愛情を、以前は自分だって受け入れる機会があったのだ。
柔らかくはあっても、はっきりとした責任を問うレイドリックの言葉に、さすがにルイーザもそれ以上は何も言えずに瞳を伏せる。そんなルイーザの右手をとって、甲に恭しく触れるか触れないかの口付けを落とした。
「どうぞあなただけの騎士を、お捜し下さい。あなたの幸せを遠くから願っています」
ルイーザも微笑んだ。今度は少しばかり潤んだ、けれど華やかな笑顔で。
「ありがとうございます。……レイドリック様も、どうぞお幸せに」
二人の手が、名残を惜しむこともなく離れて行く。そしてもう、二度と再び重なることはないだろう。それは、ようやく六年前の恋が終わりを告げた瞬間だった。
再び一人で会場に戻ってきたレイドリックは、エリザベスと共に帰りを待っていた、どこか心配そうな表情のローズマリーを見ると、思わず目を奪われる程晴れやかな、少年のような笑顔を浮かべて寄越す。
その笑顔に心底安堵して、小走りに近付いて来た彼女が足を止めるより早くに、自ら歩を進め腕を伸ばして距離をゼロにすると、目を丸くして見上げているローズマリーの顔に己の顔を伏せた。
触れるだけの一瞬の口付けだったものの、その瞬間を目撃していた者も多く、ローズマリーも瞬時に顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるだけで、言葉らしい言葉が出てこない。彼女の後ろで成り行きを見守っていたエリザベスもまた、「あらまあ」と当てられたように、少しばかり目元を赤らめて視線を泳がせる。
帰り道の馬車の中で、羞恥にすっかり機嫌を損ね、背中を向けたままこちらを向こうともしないローズマリーをやけに楽しげに宥めるレイドリックの笑顔は、彼女を屋敷に送り届けた後も消えることが無かった。




