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第一章 望まぬ縁談 2

「あら、私は良いご縁だと思うけど」

 物凄い剣幕で訪れた友人を出迎えた、ハッシュラーザ侯爵家令嬢エリザベスは、ことの顛末を聞くなり納得したようににっこりと微笑んだ。きっぱりはっきり言い切るその言葉を、黙って聞いていられないのは、その友人の下へ駆け込んできたローズマリーの方だ。

「いいご縁!? 一体、どこが!? 相手は、鳥よ、鳥っ!! しかもただの鳥じゃないわ、浮気鳥よ!」

 本物の渡り鳥の方がよっぽど純粋で美しい存在だ。

 それに比べてレイドリックの不誠実さはどうだ。次から次へと女性の元へ、あっちへ飛び、こっちへ飛び、ふらふらと。

 騎士団では女性に対する礼儀を教えてはくれないのだろうか。

 大まじめに嘆くローズマリーに苦笑して、エリザベスは答えた。

「でも、どこかのお金はあっても下品な好色家の後家に、って言われるよりはいいでしょう?」

「うっ………」

「スコットヒル子爵家の、頭も顔もとても残念な馬鹿息子の妻にって言われるより、いいでしょう?」

「うう…っ………」

「身分は高くてもエルディス公爵様なんて、十五人も愛人を囲っている上に、認知していない子供が八人。挙句に噂によるとSMの趣味があって、ご自身のポジションはM。女性の足に縋りついて泣くのが趣味なんですってよ。そういう人より、マシでしょう? 少なくとも、レイドリック様はそう言う意味で変態だと言う噂は聞かないわ」

「………リズ」

「え?」

「………どうして、例え全てがそんなに極論なの?」

 少なくとも花も恥らう、十七歳の乙女が話すような会話ではない。おほほほ、と実に上品な笑顔で友人は笑う。

「まあ、確かにちょっと浮名は流していらっしゃるようだけど、年は近いし、見目麗しいし、性格だって目も当てられないほど悪いってわけじゃないことは、ローズだって知っているでしょう?」

「……それは、そうだけど」

 確かに、人間としてどうか、というレベルまではひどくは無い…とは思うけど、でも。

「それに、結婚なんて所詮打算と妥協だわ」

「…………」

「出し渋って、適当なところで手を打たずに売れ残ってしまった日には、それこそ贅沢なんて言っていられなくなるもの」

「……リズ。夢がないわね……」

「現実を見なくちゃ駄目よね」

「…………」

 何だかあらゆる意味で、しんみりとした空気が流れた。これでどこからともなく物悲しい曲が流れてくれば、完璧だと思えるくらいである。

「とにかく、私は良いご縁だと思うわ」

「……だけど………」

 しかし、ローズマリーはまだまだちっとも現実が見られない。見る気にもなれない。

 実に不満たっぷりに手元のカップを見つめる彼女の様子に、エリザベスは気持ち身をかがめると、そっと囁く。

「それとも、ローズ。他に、気になる方がいらっしゃる?」

「えっ…」

 とたん、ポッと頬が赤く染まるのだから、なんとも判りやすい。そしてそんな風にローズマリーが頭に思い描く人物に、エリザベスも心当たりがあった。

「…もしかして、グランエード侯爵家のアッシュギル様?」

「……っ…」

 ますます、赤くなる。

 その様は、恋する乙女と言うよりは、恋に憧れる乙女、と言った様子で、実に訳知り顔でエリザベスは頷くと、しかし、きっぱりと言い切った。

「残念だけど、アッシュギル様はローズの手には負えない方だと思うわ」

「ど、どうして!? やっぱり身分が違いすぎるから?」

「そうじゃないわ。強いて言えば女の勘ね」

「………」

「あら、なあに? その露骨に疑ってるまなざし」

 じろりと流し目を向けられて首を竦めるものの、ローズマリーはまるで納得していない。その彼女に言い聞かせる、というよりは、何か確信めいた呟きでエリザベスは言う。

「アッシュギル様は、確かにお優しくてステキな方だけど、貴族社会で生きられるのがとてもお辛そうに見えるもの。元々、妾腹の出の方で…ああ、悪い意味じゃなくてよ。侯爵家に引き取られる以前は市井の中で自由にのびのびとお育ちになられていたらしいし、貴族の令嬢よりはもっと打ち解けてお話できるお相手がいいんじゃないかしらね」

 もちろん、現実問題として考えて、例え妾腹とは言え、正式に侯爵家の人間と認められた者が身分のない娘とどうにかなる…などと言う確率はきわめて低いけれど。

 まあ、それはともかくとして。

「ローズには、レイドリック様がお似合いよ」

「振り出しに戻るのね?」

「だって、本当にそう思うもの。それに、レイドリック様だってご承諾になられたのでしょう?」

「………どうかしら…」

 あの様子を見るからに、彼だって乗り気ではない様子だ。断っていたとしてもおかしくはない。

「その後ちゃんと、ローズのご機嫌伺いにいらっしゃったんでしょう。なんだかんだ仰ってもご承諾されたのよ」

 ご機嫌伺い。

 あれが、ご機嫌伺いになるのだろうか?

 だとしても、父親のエイベリー子爵に命じられて仕方なくに決まっている。

 彼だってはっきりと言っていたではないか。妹だと思っていた自分を、突然女として見るように言われても困ると。

「まあ、落ち着いて。冷静になって考えてみて、レイドリック様が嫌い?」

 改めて、諭すように尋ねられると、ローズマリーも返答に困る。

 そう、まあ……正直に答えれば、嫌いではないのだ、嫌いでは。

 お調子者だけれど話は面白いし、人のことをよくからかうけれど優しいところもあるし、一応気遣うところはさりげなく気遣ってくれる。男性としてではなくて、一人の人間として見るのなら、決して嫌いではないし、幼馴染みとしては好きだと思う。

 子供の頃に比べれば、随分と疎遠になってしまっているけれど、腹の中にあれこれと抱え込むことが苦手なローズマリーには、僅かなりとも好意を持っていない相手とは親しく付き合える技量などない。

 なんだかんだと言いながらも、思い出を共有する大切な人だ。

「……でも、急に結婚だなんて……」

 兄の、親友だと思っていたのに。

 兄のような幼馴染みだと思っていたのに。

 それに、やっぱり、女付き合いの激しさが気になる。

 少々お転婆で、じっとしていることが苦手なローズマリーは、兄の頭痛の種になることもあるが、基本的には貴族家の箱入り娘である。

 頭のどこかでは、男性とはそういう部分があるものなんだろう、と理解はしているが、やはり自分の夫となる人には潔白であって欲しい……自分一人だけを想って欲しい、と思うのは感傷的なわがままだろうか?

 そういう点で考えると、レイドリックの素行に自分が耐えられるとは思えないのだ。彼の女好きは、そう簡単には治らない気がする。

 それに……頭の中に過去の出来事が過ぎった直後だった。

「自信が無い?」

「なっ…」

 突然、切り込んでくるようなエリザベスの発言に、思わず言葉が詰まる。

「レイドリック様はたくさんの女性をご存じですものね。当然魅力的な女性も多くご存じだろうし、結婚するとなれば、やっぱりどうしてもその女性たちと心の中で比べられてしまうでしょうし」

「リズ!」

 容赦のない友人の言葉に、ローズマリーの眉がつりあがった。

 が、否定は出来ない。

 そう、結局は女好き、という相手の悪癖もさることながら、数多くの女性を知っているレイドリックといざ結婚してみても、「つまらない女」とレッテルを貼られることが、何より嫌なのだ。

 自信が無い、と言われればその通りなのだろう。

 自分でも判っている。

 十七歳、と言う年齢を考えても、まだまだ子供っぽいし。お転婆で、おしとやかでもないし、容姿も人並み程度には取り繕っているものの、とびきり綺麗とか、可愛いと言うわけではない。

 もちろんレイドリックの言う様に、色気がないことも自覚している。

 何一つ、他の女性より勝っていると思える自信がないから、比べられてしまうことがとても怖い。

 もちろんローズマリーが、レイドリックとの結婚を渋る理由はそれだけではないけれど……これらの問題も、確かに存在していることは否定できない。

「ローズ。そんなことを考えていては、あなた、レイドリック様どころか他のどなたともご縁を持つことは出来ないわよ?」

 その通りだ。

 実に正論で、耳に痛い言葉だ。

 結局ローズマリーの発言は、つまるところ、自分の自信のなさから来ているもので、相手がたまたま知人だった為にその不安を不満に変えて叫んでいるだけであって、他の誰であっても同じ不安は抱いたままだろう。

 それこそアッシュギルが縁談相手だったとしても、本当に自分で良いのかと、喜ぶよりも恐れを抱くに違いない。

 そう思うと、この目の前の美しい友人が妬ましくなる。

「……リズは、いいわよね」

 美人で。

 聡明で。

 生まれも良く、貴婦人としての全てを持っていて。

 親しく思うのと同じくらいに、羨ましくも思う憧れを抱く友人。

 とても同い年とは思えない友人は、やはり自分と同じくまだ未婚ではあるが、求婚者の数も山ほどあって、彼女の父親のハッシュラーザ侯爵は今、その中から厳選している最中だと聞いたことがある。

 婚約者も兄にお膳立てされた相手で、自ら求婚してくれる男性の一人もいない自分とは違う。思わず、顔を俯けそうになった時、真向かいから声が跳ね返った。

「ローズ。確かに私は、一般的に恵まれた立場であることは認めるわ。でもそれはローズ、あなただって同じではなくて?」

「……っ」

 確かにその通りだ。

 子供の頃から両親や兄に大切に、何不自由なく、今まで育てられてきたことはローズマリーもちゃんと判っている。着るもの、食べるものに困ったこともなければ、身分に縛られすぎて自我を潰される程、束縛された覚えもない。

 それは間違いないのだけれども。

「あなたは、充分可愛らしい、とても魅力的な私の大切なお友達よ。そんなあなたには、もっと誇らしく胸を張って、堂々として欲しいわ」

 誇り高い侯爵令嬢だからこそ言える言葉だと思う。

 思うが……逆の立ち場になってみて考えてみると、確かにローズマリーも、目の前でぐずぐずと卑屈になっている人物を見るのは不愉快だろう。

 友人には、やはり対等にそして気高く、強く生きて欲しいから。

 顔を上げたローズマリーに、エリザベスはやんわりと微笑んだ。

「あなたの素直で真っ直ぐなところ、私はとっても大好きよ。だから、そのままの素直さで、是非もう一度考えてみてね? レイドリック様とのことを」

「……リズは随分、レイドリックの肩を持つのね?」

「肩を持つ、と言う訳ではないのだけれど」

 恨めしそうに見つめるローズマリーの視線を受けながら、相変わらずエリザベスは上品な微笑みを絶やさない。

「私、基本的にあなたのお兄様、デュオン様のことは信用しているもの。多少難はあれど、あなたのお兄様が、ローズを大切に思っていることは間違いないことだし……レイドリック様が本当にどうしようもない男性なら、今度の縁談は薦めなかったに違いないわ」

「………」

「それ以前に、ご友人として長い間お付合いはしていないでしょう? デュオン様も、あなたもね」

「それはそうかもしれないけど」

「それにレイドリック様も、あなたが思っているほど不誠実な方ではないと思うわ。そうね……強いて言うなら、あなたの憧れのアッシュギル様と同じように、上手に生きていくことが不得手でいらっしゃる部分が、あると思うのよ」

 そうだろうか。

 ローズマリーの目から見ると、どこか儚さを感じさせる憧れの君とは違い、レイドリックは実におおらかに、貴族の子息としてのびのびと生きているように見えるけれど。それこそ、ふらふら、ふらふらと。

 けれど、自分よりもよほどしっかりと人を見る、この友人の言葉も捨てがたい。

 そうなると………彼女よりもずっと、レイドリックと付き合いの長い自分が、まるで何も気付かないなんて、と思う嫉妬に似た悔しさも湧き上がってくる。

 つまりは、その程度の気持ちを傾ける程度には、欠片なりともレイドリックの存在はローズマリーの中に存在する。

 認めるのは物凄く、不本意ではあるけれど。

「さあ、もうお帰りなさいな、ローズ。あなたの騎士様もお迎えにいらっしゃったようだし、そろそろ潮時よ? でも、今すぐ慌てて答えを決める必要は無いのよ。もう少しだけゆっくりと、考えて見てはどうかしら」

 窓の外を見やったエリザベスのその言葉が正しいものである事を知らしめるように、扉の外から控えめな執事の、来客を知らせる声が掛かる。

 こうしてローズマリーの家出は、たったの三時間で終わりを告げたのであった。


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