表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/55

第六章 壊れる時 1

 その後、何度かレイドリックから話が聞けないものかと様子を伺うものの、その度にはぐらかされて、煙に巻かれるというやりとりが行われた。

 ローズマリーも、話の内容が内容であるだけに無理強いも出来ず、またローズマリー自身にも自分が、彼にどこまでを許されているのかが判らないと言う迷いもあり、強く言うことが出来ない。

 ただ時間ばかりが過ぎて、気がつけばもうすぐ約束の三ヶ月を終えようとしていた。

 これから先をどうするのか。

 レイドリックと結婚するのかしないのか。

 答えを出さなければならないのに、最近では彼も忙しいらしく、彼とゆっくり話し合う時間も取れない。それでも週に一度は短時間でも屋敷に顔を出したり、二日に一度のペースでのメッセージも届くのだが、それらのやりとりは以前ほど純粋に喜ぶことが出来なくなっていた。

 今の二人の間には、間違いなくルイーザの存在が影を落としている。レイドリックは明らかに、ルイーザの話題が出ることを避けているし、ローズマリーは彼女の存在や噂を忘れることが出来ない。

 はっきりと教えてくれないレイドリックが悪いのか、あるいははっきりと問いただせないローズマリーが悪いのか……恐らくはその両方なのだろう。

 どちらにしてもこれでは、結婚をどうするかの答えなど出せないと、物憂げに呟くローズマリーに、エリザベスは柔らかくその口元を綻ばせた。

「でも、最初の頃のように、絶対に結婚なんてしない! ……とは言わないのね」

 その指摘に、誰よりも驚いたのはローズマリー本人だった。言われるまで、そのことには全く気付いていなかったと言わんばかりに目を丸くして、咄嗟に否定しようとしても、肝心な返す言葉に詰まってしまう。

「……そんなことは……」

 ない、とは言えなかった。

 たった三ヶ月で自分の心に変化が訪れるなんて、と悔しくもあり、情けなくも思ってしまうけれど、考えて見ればレイドリックとの出会いがまだ三ヶ月、という訳ではない。

 二人共に過ごした時間以前にも、彼との間には決して無くすことの出来ない思い出や心のやりとりがあって、今回の三ヶ月もそう言った彼との時間の中の、ごく一部でしかないのだ。

 レイドリックとのやりとりの全てには、幼い頃から続く交流の全てが関わっていて、緩やかに流れる川の流れのように、これからも続いて行くのだろう。その流れの先が、細く先細るのか、それとも大河のようにさらなる広がりを見せるのかは、判らない。

 それでももう、ローズマリーには嫌だと言う言葉一つだけで、背を向けることは出来なかった。

 今、こうして悩んでいるのも、彼の話を聞きたいと思うのも、拒否をするためではなくむしろ、受け入れたいと思うからこそだ。

 けれど、まだローズマリーはそれをはっきりと認めたくない。彼とのことをどうしたいのか、自分で自分の心が良く判らない。あるいは、判りたくないのかも知れない。

 認めて、そして判ってしまったら、自分はその気持ちに責任を取らなくてはならなくなる。今のままではいられなくなると思うと、それが恐かった。

 それに悔しいではないか。自分ばかりが翻弄されて、絶対に変わらないと思っていた気持ちまで変化して、相手の心など何一つ判らないのに。

 心の強張りと共に、顔まで強張ってしまう。そんなローズマリーの様子に、エリザベスが苦笑しながら呟くように囁いた。

「ローズの気持ちは判らなくも無いけれど……意地を張っても、多分今は、あまり良いことはないんじゃないかしら」

 意地も、張らなければならない時と、絶対に張ってはならない時がある。一体今は、そのどちらなのだろうか。

 恐らくエリザベスの言う通りなのだろうなと思いながらも、今はまだ素直に認められるだけの心のゆとりが、ローズマリーにはないのだった。

 レイドリックと共に王宮で開催される舞踏会に出向いたのは、そうしたエリザベスとの会話から二日後のことである。

 社交シーズン中に幾度か開催される大きなパーティの一つで、この夜には王都にいる主立った貴族達が参加しているのではないかと思うほど多くの人の姿がある。

 見上げ、見渡すほど大きなホールは、昨年のデビュタントでも訪れた場所だが、改めて見渡すとやはり広い。白とクリーム色を基調としたホール全体の淡い色合いが、吊されたシャンデリアや燭台の蝋燭やランプの灯りがクリスタルの飾りに反射されて、きらきらと輝いて見えるようだ。

 巨大な天井と、その天井を支えるために壁や、ホールの至る所に打ち立てられた柱は、注意して見ていると、入り口から奥に向かって一つの物語を模した彫刻が彫り込まれている。壁に刻まれた細工は、北の方の国から流れてきた職人による独特な花細工だと聞いたことを思い出した。

 見事なのはそうした会場の建物や内装ばかりではない。

 広いホールの中には、ここぞとばかりに我が身を飾り立てた貴婦人や紳士達が、上品に微笑み合いながら、互いに近況や世間話に興じている。これだけの人々の中に紛れてしまうと、自分の存在のなんと小さなことか。

 最近ではどこへ行っても常に噂に晒されていた為に、神経質になっていた部分もあるが、これだけ大規模なパーティになれば周囲の人々もいちいち、ローズマリーの存在を気になどしていない。

 彼らの話題は全く別の話題に取って変わっていて、自分達の噂話など取るに足りない些事のように感じられるから不思議だ。

 これほどの人の中では、誰がどこにいるのかも判らないだろう……そう思っていたローズマリーの印象が、すぐに誤りであると気付いたのは、すぐのことである。

 確かに殆どの人は、多くの人々の中に紛れてしまうだろう。けれど、そうはならずに、どんな状況の中でも自然と目立ち、目を引き寄せられる人物はいるのだと知った。

 その目立つ人物が、自分の友人であるエリザベスであったり、今夜彼女をエスコートしている、ブラックフォード公爵家の嫡男、エリオスであったりする。互いに美男美女で、威風堂々とした二人の姿は、どんな王侯貴族よりも際立って見えた。

 同じ舞踏会にエリザベスも参加するとは聞いていたが、そのエスコート役がエリオスだとまでは聞いていなかった。大抵彼女はこういった場には父であるハッシュラーザ侯爵に手を引かれて現れることが多いから、今回もそうだと勝手に思い込んでしまっていたのだ。

 けれど今回彼女の手を引くのは彼だ。ハッシュラーザ侯爵の都合が悪かった為の代理なのか、あるいは元々そう言う約束だったのか…それは判らないけれど。

 二人の名が呼び上げられ、会場へと姿を見せると、それまでざわついていた会場内がしんと静まり返り、人々の視線が二人へと注がれる。

 二人が幼馴染みであり、日頃から友人として親しく付き合っている関係であると言うことは、会場内にいる殆ど全ての貴族達が承知していることだが、こうして寄り添って現れると、本当に幼馴染みと言うだけの関係なのかと囁き合い出す者が出て来るのも、もっともなことだ。

 それほど二人は似合って見えたし、言い方を変えればエリオスの隣に立って見劣りがしない令嬢は、エリザベスの他にはなかなか見つけがたい。その逆もしかり、だ。

 あの二人はまるで、自分達とは違う世界で生きている住人のようにすら思える。エリザベスとは普段から親しく付き合っているというのに、時々浮世離れしたような雰囲気を感じさせられるのは、多分ローズマリーだけではないだろう。

「相変わらず、大したものだ。登場しただけでこの場の雰囲気を、根こそぎ持っていってしまうんだから」

 隣を見れば、呆れているとか、悔しがっていると言うよりも、純粋に感心したような声を上げてレイドリックも二人の方を見ている。

 確かに彼の言う通りだ。この場にいる人々の殆どが、ただ登場しただけで、特別なことを言ったわけでも、行ったわけでもない二人に否応なく注目しているのだから。

 けれど。

「………私には、あなたもかなり、目立つ人だと思うけれど」

 彼らには及ばないかも知れないけれど、少なくともローズマリーの目にはそう見える。レイドリックがどこにいても、視界に入る場所にさえいるなら、見渡すだけですぐに見つけられる自信がある。

 それは彼がやっぱり、他の人よりも目立つからだ。そう確信していたローズマリーだったけれど、彼女のその言葉を耳にしたレイドリックは、少し違う感想を抱いたようだ。

「まさか。これだけのそうそうたる顔ぶれの中で、俺なんてその他大勢の一人にしかならないよ。その証拠に今、こちらに注目している人はいないだろう?」

「それはそうだけど、でも…」

「だけど俺も、ローズのことは君がどこへ行っても見つけられる自信があるよ。自分にとって特別な人には、どうしたって目が向いてしまうからね」

「え…?」

「試しに何処かに隠れてみる? 何処に隠れてもすぐに見つけてあげるよ」

 それはどういう意味だろう。ただの冗談か、それとも特別な意味があるのか否か。

 レイドリックの思わせぶりな言動は今に始まったことではないけれど、その度にどう受け止めればいいのか、いつも惑わされる。

 今だってそうだ。特別というその言葉の意味を、きちんと教えて欲しい。ただの幼馴染みの延長上にあるものなのか、それとも違うのか。また、自分がレイドリックの姿を際立って感じるのも同じ理屈なのか、そうでないのか。

 が、そんなことを当然言えるはずもなく、曖昧に口を閉ざしたところで、周囲にいた貴族の幾人かが、こちらを振り返り歩み寄って来る姿が見えた。彼らはどうやら、レイドリックの知人らしい。

 こうなるともう私的な会話をすることは出来ない。

 エリオスとエリザベスの二人が周囲に与えた独特な雰囲気も次第に消えて、周囲では同じように、知人や友人と言葉を交わす社交の場へと戻っていく。

 見覚えのある人、無い人、言葉を交わしたことのある人、無い人、様々な人達と当たり障りのない会話を交わし、婚約の祝福を受け、そして少しばかりの好奇心を含めた眼差しを向けられる。

 いつもよりも目立たない、とは言っても、完全に噂話から逃れることは出来ないらしいと、彼らの好奇心を真正面で受け止めながら、半ばうんざりとした時だった。

「ローズ」

 高い声に名を呼ばれて振り返れば、先程は別の世界の人のようだと感じていたエリザベスが、こちらを見つけて近付いて来る姿があった。その後ろにはエリオスの姿も見える。やはり彼らは別格のようで、近付いて来ると周囲の人々が自然と道を空けるのがいっそ見物だ。

「こんばんは、ローズ。今夜はまた格別可愛らしいわね」

「あなたの方は、女神様か何かのようよ。何だか少し、気圧されてしまうわ」

 思ったことを素直に言えば、とたんにエリザベスの表情が曇った。怒ったと言うよりも、少しだけ拗ねたような仕草は、普段から大人びて見えるエリザベスには少々子供っぽい反応のはずなのに、それさえ美しく見えるから狡い。

「そんな寂しいことは言わないで。意地悪なことを言うと、あなたから聞いている色々なことを、レイドリック様にお話してしまうわよ」

「…それは駄目。リズの方こそ、意地悪なことを言わないでよ」

 くすくすとお互いに笑い合ってから、エリザベスの視線がレイドリックへと向けられる。真っ直ぐな視線に思わず飲み込まれてしまう人も多い中、レイドリックは変わらず社交的な笑顔を浮かべたまま、自然な動作で差し出されたエリザベスの右手に優雅な仕草で口付けを落とした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ