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第一章 望まぬ縁談 1

「……結婚?」

「そう、結婚だよ」

「……私が?」

「そう、お前が」


 呆然と呟いて、ローズマリーは目の前でにっこりと微笑んでいる兄、デュオンを凝視した。どんなに目を凝らして見てみても、兄の笑顔は変わらない。腹の中で何を考えているのか判らない、見事なまでのポーカーフェイスだ。

 容姿端麗、文武両道を地で行くそれはそれは素晴らしい自慢の兄だが、その性格までも人に手放しで誉めそやされるほど綺麗なものではないことを、この十七年間の人生の中で、ローズマリーは嫌と言うほど学んでいる。

 その兄が、こうにっこり微笑んで告げる言葉が今まで嘘であったことは数え切れないけれど、直感で今回は、嘘ではないと察することが出来たのも、やはり今までの涙なしでは語れない人生の経験のお陰だろう。

 このウォレシア王国のノーク男爵家に生まれた、まあ、下っ端貴族とは言えどもそれなりに裕福な貴族家の娘としては、至極当然の話だ。

 十七歳。

 早くもなく、遅すぎることもない。まさに結婚適齢期のまっただ中だ。

 周りの友人たちも今が売り時と、どんどん縁談が持ち上がり、あちらこちらからおめでたい話や招待状が届く。

 もちろん中には売り渋るものや、売れ残るものもいるのだろう。

 それでもよっぽど誰が見ても判るほどの理由があるのならともかく、そうでなければ下手に遅れようものなら、身体に何か欠陥があるんじゃないかしら、などと不名誉な噂を立てられる恐れもあるくらい、貴族家の娘の結婚は早い。

 だからまあ、こんな時が近いうちに自分もやって来るのだろうな、と言う気はしていた。そう、気持ちだけは。

 だけど、その想像が現実となると話は別だ。

「……………相手は、誰?」

 色々と言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、やはり今、一番気になるのはこれだろう。

 ローズマリーとしても一応、年頃の少女らしく憧れている人はいる。

 それは本当に憧れ程度で、恋かと言われると疑問符がつくし、身分的にも釣り合わないけれども、結婚するならあの人のような人がいい…なんて夢を見る位は許されてもいいはずだ。

 そう、夢だけは。

 でも。

「レイドリックだよ」

 夢は所詮夢でしかないらしかった。

 にっこりと、それはもう天使の微笑みとしか言い様の無い兄の笑顔の前に、妹は一瞬気を遠く彷徨わせ、ぐらりと身体を傾がせた。

 レイドリック。

 レイドリック・エイベリー。

 良く知っている名だ。嫌って程に知っている名だ。

 ああ、もしかしたら人違いかもしれない、なんて夢さえ抱けないくらいに。

 家の為、顔も知らない、ろくに話したこともない相手と結婚させられることなど決して珍しくない貴族社会で、相手の事を良く知っている……そりゃもう、生まれた時からの付き合いだけはある相手というのは、ある意味幸運なのかもしれない。

 そう、顔も知らない相手よりは……

 だけど。

 顔も知らない相手のほうが、少なくとも実際に会うまでの間、夢を見られるという最後の悪あがきが出来るわけで。

 こうまで良く知っている相手じゃ、それさえ出来ない。

 そんなローズマリーの内心のショックに気付いているはずなのに、全くお構いなしに兄はまるで自分の手柄とでも言わんばかりに誇らしげだ。

「私も、可愛い妹の結婚相手は厳選したんだよ。お前により良い相手を、と思ってね。レイドリックは付き合いも長いし、人柄もよく判っている。お前と年齢的な釣り合いも取れるし、まあ私には劣るが、顔や見た目もそれなりに。将来はエイベリー子爵家当主で王宮騎士団に名も連ねている。お前の結婚相手としてこれ以上の相手はなかなかいないだろう?」

 兄のナルシストな発言はともかく、確かにローズマリーの脳裏に浮かぶその名を持つ青年は、五つ年上の今年二十二歳。年齢的にはぴったりだ。

 背もそこそこに高いし、容姿も整っている。少々猫科の動物を想像させるような印象を持っているが、人付き合いも良く、笑うと人懐こく愛嬌のある青年で、ご令嬢、ご婦人方の間での人気も高いと聞いている。

 国の騎士の中でも特に将来の有望さと才能が認められた者が所属する、王宮騎士団の一員だ。この国では貴族の子息の多くが騎士の称号を得るが、レイドリックのように将来爵位を継ぐことが決まっている子息の中で、本格的に騎士として才能を伸ばす者は案外少ない。

 普段の、ローズマリーが知る彼の姿からはなかなか想像出来ないものの、家柄よりも実力重視である王宮騎士に取り立てられるのだから、相当なものなのだろう。

 客観的に見ても、兄の言葉を覆すことが不可能なほどに良縁と言って良い。そう、ごく一部の問題点を除けば。

 だけどそのごく一部の問題点を、ローズマリーはどうしても無視することが出来なかった。

「………じょ……」

「じょ?」

「…………じょっ………冗談じゃないわよ、あの女ったらし!」

 そう、レイドリック・エイベリー二十二歳。

 エイベリー子爵家嫡男。

 所属、ウォレシア王国王宮騎士団第三十六席。

 そして、通称、渡り鳥の君。

 鳥。

 鳥である。

 それも、渡り鳥。

 女性と女性の間を調子よく、ひょいひょい渡り歩く、その名が全てを表していると言っても良い、彼の通称であった―――――




「それにしても、俺もそろそろ年貢の納め時かなと思ってたけど、ローズがお相手とは盲点だったな」

 それから三時間後、ふらりと屋敷に訪れたその人は、実にしみじみと呟きながら、繊細な模様が描かれた陶磁器のカップに口を付けた。

 そうする仕草はさすがは貴族のご子息らしく実に優雅で、女性の溜息を誘うに充分なのだが、いかんせんローズマリーはこの男との付き合いが長すぎる。

 ああ、せめて今までの付き合いをなかったことにして、この男の悪癖を知らなければまだ、胸をときめかせることが出来たかもしれないのに。

 彼とこうして真正面で向かい合いながらお茶をする、なんて何年ぶりのことだろう。

 幼い子供の頃は日常的だった光景も、この年になればそうも行かない。

 それでもこの一時が、幼馴染みとしてのものだったならローズマリーも、もっと素直に楽しむこともできたはずなのに。

 結婚だなんて……今の自分には想像も出来ない。

「それはこっちの台詞よ、女の敵」

 どんなに不満を露わにしても、少しも自分の言葉をまっとうに受け止めてくれない兄に対する怒りと、目の前の幼馴染みの青年の飄々とした態度にも怒りが募る。

 まるで機嫌の悪い子猫のように唸るローズマリーに、やれやれとばかりに苦笑して、降参の形で両手を広げて見せた。

「酷いな、ローズは少し俺のことを誤解していると思うけど」

「いっそ誤解であって欲しいわ。今までのあなたの女性遍歴の全てが嘘だというのなら、是非私に説明して見せてちょうだい」

「それはちょっと、お茶の時間だけじゃ足りないかな」

「納得さえさせてくれるなら、何時間だって付き合うわよ」

 そんな説明が出来ればの話だが。

 じっと睨み付ければ、あからさまにローズマリーの視線から目を反らす。それ見たことか、やっぱり説明など出来ないのだ。判っていても心底呆れた。

「まあ、そんなに露骨に敵意を露わにしないでくれよ。これでも昔はあんなに、仲良く過ごしていたじゃないか」

 だからこそ、ローズマリーが兄とも慕っていた少年時代から、大きく変わってしまった今の彼が許せないのだ。

 少年だった頃のレイドリックは、少なくとも女性と刹那的な享楽を楽しむような趣味はなかった。可愛い女の子が好きだとは常々言っていたけれど、彼にとっての可愛い女の子というのは常にローズマリーのことで、女性と見れば見境なしに甘い言葉を囁いたりなどしなかったのに。

 所詮、男というのはそう言う生き物なのだろうか。

 記憶の中の少年の頃のレイドリックを、出来ることならそのまま切り取って、永遠の綺麗な思い出として飾っておきたいくらいだ。

 なまじ今の彼に、少年時代の面影が残っているから、余計に悔しくなる。

 鮮やかな朱金の髪に、質の良いサファイアの瞳。元々は色の白い肌は、健康的に陽に焼けて、彼の整った容姿に彩りを添えている。

 一方、実の兄妹だけあって、兄とローズマリーは髪も瞳の色もそっくり同じ、漆黒の癖のある黒髪と、琥珀色の瞳をしている。

 そうした色の違いや、それぞれが持つ雰囲気の違いもあってか、二人の印象は大きく違う。レイドリックが明るい空に輝く太陽なら、兄は漆黒の宵闇の中で輝く月だ。

 兄のデュオンは自分には劣ると言ったが、ローズマリーに言わせれば、確かに兄も麗しき美貌の青年でも、レイドリックと兄とでは種類が違う。

 所謂レイドリックは、派手な美貌だ。だからだろうか、余計に彼の華々しい女性遍歴が、余計に際立って感じるのは。

「とにかく、私はこの結婚はお断りです! あなたの方からきちんとそう話をしてちょうだい」

「ローズ…」

「どうせあなただって、私みたいなお子様はお呼びじゃないんでしょう? お互い気が進まない結婚は不幸の始まりだわ」

「そうは言っても、うちの両親も君のことを気に入っているからね…」

 だからこの話を無かったことにするのは、なかなかに難しい。

 彼としては事実を口にしただけなのだと判る。確かに子よりも親の発言権の方が強いこの社会で、親が決めたことを子が覆すのは生半可なことではない。

 大抵は親に命じられたことは逆らわずに、はいはいと受け入れるのが子の役目だ。

 判ってはいても、そのレイドリックの一言が余計にローズマリーの苛立ちの火に油を注ぐ。

「結婚くらい、自分の意思で決められないの?」

 男のくせに情けない。

 じろりと多大な嫌味を含んで睨めば。さすがにレイドリックも、少しばかりムッとしたように眉根を寄せた。

「本来貴族の結婚に、本人同士の意思は無関係だと言うことくらい、君も知っているはずだけど?」

「それは……」

「それにローズも不満だろうけれど、俺だって正直どうしようかと思っている。君が生まれた時からの付き合いで、妹のように思っていた子を突然、女として見ろと言われてもね。俺だって色々と考えるんだよ」

 確かにその通りだ。

 自分の不満ばかり表に吹き出させていたローズマリーだけれど、自分がこう思うのと同じくらいレイドリックにだって言い分はある。

 これが彼の偽らざる本音なのだろう。

 何故かそれはそれで、少し切なく寂しい気がした。そんな風に感じた自分の心を誤魔化すように、自分の不満ばかり言い過ぎたかもと反省しかけた時だ。

 彼は、ふう、とそれはそれは悩ましく溜め息を付き、しみじみと呟くように言った。

「このまま結婚しても、初夜で失敗したら洒落にならないよなあ」

「いや―――っ!」

 直後、ローズマリーの傍らにあったクッションが、レイドリックの顔面目掛けて宙を飛んだ。

 直接的な攻撃は片腕で防ぐことが出来ても、耳を貫くローズマリーの悲鳴のような絶叫は防げない。

「変態! すけべ、馬鹿じゃないの!?」

 叫ぶ声に涙が混じった。

 人が必死に考えないようにしていたことを。

 そう、つまり、結婚するって事は、そう言うことで。

 初夜の床云々の詳しい内容を教えられたことは無いまでも、堂々と口には出来ない秘めた男女のあれこれがあることくらいは知っている。

 既に先に結婚した友人や親戚の女性達から、面白がるように吹き込まれるピンク色の知識は、ローズマリーをそれなりに耳年増にしていた。 

「変態、変態ーっ!!」

「失礼な。男の沽券に関わる重要な問題じゃないか」

「スケベっ! ドスケベ、一度死んで来たら!?」

「死ぬのは人生に一度限りで充分だと思うけど」

「絶対、結婚なんかしない―――!!!」

 甲高い泣き声に変わった絶叫から逃れるためだろうか、レイドリックは眉を顰めると、片手で自分の耳を押える。

 兄のデュオンが二人のいるテラスへと訪れたのはその時だった。

「いや、仲が良いね、二人とも相変わらず。私も何の心配もないよ」

「どこがっ!? ねえ、お兄様、どこが!?」

「デュオン。ローズは俺も可愛いと思うけどね、もうちょっと女性として持つべきものは持たせたほうが良いと思うぞ」

「女性として持つべきもの?」

「そう。色のついた気質」

 色の付いた気質。

 つまりは。


 色気。


「尼っ!! 私は尼になりますっ!! そしてそのまま枯れてやるわっ!! 誰があなたなんかと結婚するもんですか!!」

「おやおや」

「ローズ……」

 かくして幼馴染みと兄の溜息を他所に、家を飛び出したローズマリーの、なんとも安易でありがちな家出が決行されたのであった。


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