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第四章 振り返る過去 1

 ローズマリーが自分の子供の頃の思い出を振り返る時、必ずその思い出の中に登場するのは、兄のデュオンと、幼馴染みのレイドリックだ。

 小さな少女の世界は箱庭のように小さくて、その二人と、他に両親、そしてレイドリックの両親が登場するともう、それだけで舞台はいっぱいになってしまうくらい、小さな小さな世界の中で生きて来た。

 成長すると共に徐々にその世界は広がり、他にも幾人かの登場人物が思い出を優しく彩ってくれるけれど、それでも特に登場回数が多い人物に違いは無い。

 何でもかんでも、二人の真似をしようとする幼い頃のローズマリーは、自分と二人との間に年の差の他に、男女の性別の違いがあることも知らなかった。

 そして、成長と共に二人と同じ行動が出来なくなる時が来る、と言うことも知らなかったほど、共にあることが自然だったあの頃。

 ローズマリーがどう思おうとも、現実は着実に目の前に訪れる。

 レイドリックがこれまでのようには、男爵家に遊びに来ることが出来なくなると告げたのは、ローズマリーが六歳になってしばらくした頃である。

「どうして?」

 純粋に意味が判らずに問い返したローズマリーに、レイドリックが答えた返答は、「騎士になるから」と言うものだ。でもローズマリーには、何故騎士になる為には、これまでと同じように付き合うことが出来なくなるのか、その理由が判らない。

 説明してくれたのは兄だ。

「レイドリックは今年の夏から、ラザフォード伯爵家のお世話になって、見習いとして住み込むことになるんだ。そうなれば基本的に、年に二度の休暇以外には実家に帰ることは出来ない。お前のお守りも卒業と言うことだ」

 多分この時のローズマリーは、随分と目を丸くしていただろう。後に母に聞いた話、大きな目が零れ落ちてしまうのではないかと心配するほどだったと言う。当然ローズマリーは覚えていないのだけれども。

 ただ、今も覚えているのは、やっぱり兄の言うこともレイドリックの言うことも、納得も理解も出来なくて、ただ、自分が嫌われてしまったからそのせいで、もう遊べないのだと思ったことだ。

 レイドリックは、何度も違うと言ってくれたのに、ローズマリーの耳には聞こえなかった。それほどにショックだったのだ。

 わんわんと声を上げて大泣きして、

「どうして? ローズの何がいけないの?」

 そればかりを繰り返す。自分に悪いところがあるなら、直すようにする、良い子になるからとどんなにお願いしてみても、優しくて自分に甘い幼馴染みもこの時ばかりは、首を縦には振ってくれない。

 ならば、自分も騎士になると、一緒にその伯爵家に行くと言っても駄目だった。

「我が儘を言うのはいい加減にしろ、ローズ。それ以上レイドリックを困らせるな」

 どうして。どうして。

 兄に厳しく叱られて、泣きながらローズマリーが逃げ込んだのは母の元である。柔らかな母の膝に縋り付きながら、わあわあと声を上げて泣く幼い娘の背を撫で、母は少し困った顔をしながらも言ったものだ。

「仕方がないわ。あなたは女の子でレイドリックは男の子なんだもの。男の子と女の子では、将来背負うものが違うのよ。いつまでも同じではいられないの」

 と。

 母の言うことは、やっぱりローズマリーには理解出来ない。いくら、男女の違いを説明されても、その役割の違いを説明されても同じだ。もっとも、当時の自分の年齢を考えれば、仕方がないことではあるのだけれど。

 幼いローズマリーには、自分が二人に嫌われてしまったから、だから意地悪をされているのだとしか思えなかった。

 これまでのようには会えないと言われたショックはもちろん、嫌われてしまったことがとても悲しくて、それからは自分の部屋に閉じこもってしまった程だ。

 昼になっても夕方になっても、食事の時間になっても出てこようとしないローズマリーを、部屋の外から幾人もの人が呼ぶ。けれどその呼ぶ人の声の中に、兄とレイドリックの声はない。

 やっぱり、自分は嫌われてしまったのだ。一緒に遊びたくないほど、顔も見たくないくらいに。考えれば考える程に悲しくなって、涙で枕をぐっしょりと濡らしながら、泣き続けた。

 その内に泣き疲れて眠ってしまったらしい。

 気がつくと窓の外はすっかり暗くなっていて、扉の向こうで何度も自分の名を呼んでいた人の声も聞こえなくなっていた。

 気遣われると鬱陶しいとすら感じたくせに、放っておかれるとますます自分が不要な人間の様に思えて、またしゃくり上げるように嗚咽を漏らしたとき、お腹がぐうと小さな音を立てた。

 そう言えば、朝から何も食べていない。泣き続けていたせいで、喉もからからに渇いている。空腹よりも、喉の渇きの方が辛くて、仕方なくベッドから降りると、とぼとぼと部屋の扉に向かって歩き出した。

 ふわりと花の香りがしたのは、扉に手を掛けた時だ。すっきりとした、少しだけ刺激のある独特の香りは、ローズマリーも知っている。

 少しだけ扉を内側から開くと、その僅かな隙間から小さな花の束が姿を見せた。ローズマリー……自分と同じ名を持つその花が、漂う香りの正体である。

 母が好むこの花は、男爵家の庭にも植えられて群生している。開花時期にはむせ返りそうになるほどの強い香りを、不得手とする人も多いだろう。けれども母のお陰か、それとも同じ名を持つと言う親近感のせいか、ローズマリーもこの花が好きだった。

 床に置かれていた小さなブーケを拾い上げ、その香りを嗅ぐと、不思議と少し気持ちが落ち着いてくる。目の端に浮いた涙を拭った頃を見計らったように、横合いから声を掛けてくる人がいた。

「落ち着いた?」

 誰もいないと思っていたけれど、ローズマリーがそう思っていただけで、彼女が出て来るのを扉の外で待ってくれた人がいたらしい。顔を上げて目が合えば、その人はローズマリーを見てにこりと微笑む。

 人懐こく、優しい…物心ついた頃から見馴れた顔だ。

「レイ……」

 この頃のローズマリーは、レイドリックのことをレイと呼んでいた。まだ上手に回らない子供の舌では、彼の名は少し呼びづらかったからだ。

 彼は一体、いつからここで待ってくれていたのだろう。

「中に入ってもいい?」

 問われてすぐに頷くことが出来なかったのは、やはり昼間の記憶が強く残っていたからだ。けれども、ずっと待ってくれていたらしい彼の行動を思うと、駄目と言うことも出来ずに曖昧に俯く。

 そんなローズマリーの額に軽く口付けを落とすと、レイドリックは小さな少女の身体を部屋に戻してから、一緒に用意していたらしい果実水をグラスに注ぎ手渡してくれる。

 あれだけ泣いたのだから、喉が渇いたでしょうと言う彼の言葉どおりに、カラカラだったローズマリーが躊躇わず、そのグラスの中身を飲み干したところで彼が言った。

「昼間はごめんね。でも誓って言うけれど、ローズを嫌いになったわけじゃないよ。ローズのことはずっと好きだ」

「………じゃあ、どうして?」

 今までは何をするにも一緒で、どこに行くにも連れて行ってくれたのに。

「僕は騎士になるから。ずっとそうしたかったんだ。だから、伯爵家に行く」

 騎士になるためには、まず幼い頃から他家に入り基礎を学ぶ必要がある。本当ならば、もう二、三年前には見習いとして家を出るべきで、この時点でのレイドリックの年齢では遅いくらいだ。

 遅れた理由は、ひとえにレイドリックの母にある。

 レイドリックの父、エイベリー子爵も以前は騎士で、今回世話になるラザフォード伯爵にも片腕と信頼されるほど、実直で勇猛な騎士であったらしい。

 しかし残念なことにエイベリー子爵はまだレイドリックが五歳の頃、戦場で命を落としても不思議はないほどの深手を負い、長い間生死を彷徨う出来事があった。ローズマリーはまだその頃は生まれたばかりの赤ん坊で、記憶など全く残っていないが……相当な騒ぎになったのは間違いない。

 その時の怪我が元で、エイベリー子爵は若くして騎士の称号を返上している。何とか助かった命の代わりに、左手の自由を失ってしまったからだ。その後熱心なリハビリにより、ある程度動く様にはなっているが、握力は極端に弱く、腕も肘より上には上がらない。

 そんな夫の姿を見て、夫人は息子のレイドリックが騎士となる道に強い拒絶を示した。息子を失うことを恐れたのだ。夫は幸いにも助かった、けれど息子が同じようになった時、同じように助かるとは限らないと。

 夫人の涙ながらの強い抵抗に、エイベリー子爵はもちろん、レイドリック自身も強行することは躊躇われた。

 女の我が儘だと切り捨ててしまうのは簡単だが、血まみれの夫の姿を心の傷にしてしまっている夫人の意思を、真っ向から無視することは彼女の繊細な心のバランスを崩してしまうようで、恐ろしかったからだ。

 その代わりに二人は、長い時間を掛けて夫人を説得した。

 騎士となる以上は確実な安全など保証出来ない。時には心配するとおりに命を落とすこともあるだろう……それでも、何より大切なのは本人の意思だ。その、本人の意思を親の思い一つで摘み取ってしまってはならないと。

 結果、夫人をどうにか説得し、消極的ながらも同意を得ることが出来たのがつい最近のことらしい。

 説得している間にも、レイドリックは父から騎士となるために必要な知識や基礎体力作り、剣や馬の扱い方などを学んでいたが、他の少年達より始まりが遅くなってしまったハンディは否めない。

 遅れた分を取り戻す為にも、一層の努力が必要となる。

 だからしばらくの間は会えないと、再びレイドリックは告げた。

 もちろんそんなのは嫌だとその時にもローズマリーは泣いたが、いくら泣いてもレイドリックは少し困ったように微笑むだけで、自分の言葉を撤回することはしなかった。

 今思えば、ローズマリーには年上の少年だけれど、この頃のレイドリックだってまだ、十一になったばかりの子供と呼べる年齢だった。そんな年頃で、優しい両親の元を離れて、他家に入ることは不安で、心許ないことだったはずだ。

 でもこの頃から既に彼は、騎士になると言う明確な目標を持ち、宣言どおりに夏を迎える頃、実家である子爵家を出て行った。どれ程ローズマリーが泣いても、縋っても、やんわりと宥めるだけで意思を変えることはしないままに。

 それまでは、口でどう言おうとも結局は皆に甘やかされ、誰もが何でも言うことを聞いてくれるものだと思っていた日常が、決して全てが自分の思う通りにはならないのだ、ということを学んだ出来事でもある。それ自体は寂しくて、ショックでもあった。

 でもレイドリックは帰省する度に必ず男爵家に顔を出してくれたし、その度ごとにローズマリーを初めとした小さな花のブーケやプレゼントを渡してくれた。

 出先でローズに似合いそうなものを見つけると、つい買っちゃうんだ、と笑っていた彼の笑顔が嬉しかった。

 どこへ行っても幼馴染みは幼馴染みであり、自分達の関係が変わることは無いのだと、ローズマリーに教えてくれるように細々とした気遣いをしてくれたと思う。兄のデュオンが、いっそレイドリックの方がローズマリーの本当の兄みたいだと、やっかみ半分、苦笑半分で告げたほどに。

 大きくなれば判るようになると、レイドリックが告げたように、ローズマリーも十を数えるくらいの年齢になれば、自ずとこれまで判らなかったことも判るようにもなってきた。

 彼らと同じことを、自分には同じようには出来ない……そのことはやっぱり悔しくて寂しかったけれど、仕方がないことなのだと納得出来るだけの心の成長も遂げていた。

 大人になるに従って、子供の頃には出来ていたことが出来なくなる。逆に、子供の頃には出来なかったことが、大人になるに従って出来るようになる。

 年月と共に徐々に現れて行く変化は、避けようのないものなのだと。

 それでも、変わらないものもあるはずだ。その変わらないものの中には、兄や幼馴染みとの関係も含まれていると、ずっと思っていた。

 けれど………絶対に変わらないものなど、もしかしたら、この世にはないのかもしれない。

 六年前のあの夜のことを思い出すと、今でもローズマリーの胸はキリリと傷む。優しいばかりの思い出の中に、唯一残る苦い記憶。

 あの夜の出来事を、彼はなかったかのように振る舞い、あれから一度も口にすることもなく……またローズマリーもあえて口にすることはせずにいるけれど、忘れてしまうことも、何もなかったことにも出来ないままだ。

 レイドリックが、以前の彼と同じようでいて、でも何処かが変わってしまった夜。それは彼との間に、越えられない距離を明確に感じた夜でもあった。


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