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第三章 芽吹き始める 4

「こらー。そこの阿呆鳥、公衆の面前でいたいけな令嬢を拐かすなど、天が許しても俺が許さんー!」

 芝居がかった口調と共に、三人の青年がこちらに近付いて来る。内、一人はまだ軽装の鎧を身につけたままだ。

 纏まって、こちらへと近付いて来た三人を、もうローズマリーも知っていた。

 ケビンとローウェン、そして二回戦でレイドリックと戦ったボリスだ。カッと頬に熱が昇った。

 三人の視線に晒されて、今の自分の状態がひどく恥ずかしく感じる。なのにレイドリックはまだ、ローズマリーの背から手を離してくれない。

 実情はどうであれ、これでは他の人の目から見れば、場所も弁えずに情熱に振る舞っている恋人同士のようだ。さすがに居たたまれずに真っ赤になって俯くと、見かねたようにローウェンがレイドリックを窘めてくれた。

「レイドリック。ミス・ノークが困っているよ、離してあげたらどう?」

「野暮なことを言うなよ。恋人とのスキンシップを楽しむことの、何が悪い?」

「そう言うことはどちらかの屋敷に戻ってからにしろ。ミス・ノークに恥ずかしい思いをさせたままでいるつもりか? 女性を困らせるなど、騎士以前に男のすることではない」

 続いてボリスにも窘められて、ようやく渋々とレイドリックの手が背から離れた。

 瞬時に、大きく一歩後ろに下がれば、ローズマリーのその反応が少しばかり面白くなさそうに、軽く唇を尖らせてくる。そうするととたんに幼い表情になって、また内心ローズマリーの鼓動が跳ねた……なんてことは、絶対に口にするものか。

「やれやれ。三人とも、ローズの味方か」

「当たり前だ。騎士は、貴婦人の味方だからな。それよりもさっきの試合だが、相変わらずエリオス卿にはなかなか敵わないもんだな。レイドリックでも見事に完敗か」

「煩いな、人の古傷を抉るようなことを言うなよ。…まあ確かに完敗だな、それは認める。でもそれは今日の話であって、次はまた違う結果が出るかも知れない」

「相変わらず負けず嫌いだね、レイドリックは」

「負けるのが好きな人間なんかいないだろ。いるとすれば、よっぽどの変わり者じゃないのか?」

 むくれたレイドリックの肩をケビンが軽く小突いてから、顔を合わせた四人の青年達は先程のエリオスとの試合内容へと話題を変えていった。これはローズマリーをのけ者にしたと言うよりは、話題を変えることによって、これ以上ローズマリーに気まずい思いをさせないための配慮と取るべきだろう。

 証拠にボリスと目が合うと、小さく微笑み返してくれる。

「ボリス様もお疲れ様でした。とても素晴らしい試合だったと思います」

「ありがとうございます、ミス・ノーク。残念ながらあなたの騎士には敵いませんでしたが、そう仰って頂けるなら戦った甲斐があります」

「ボリスはいつも、惜しいところまで行くんだがなあ。いつレイドリックの、すまし顔をぶん殴ってくれるのかと楽しみにしていたのに」

「おい、ケビン。それが友達の言う台詞か」

「悪いけど、僕も同じことを思っていたよ。僕たちの中でレイドリックに勝てそうなのは、ボリスだけだしさ」

「私も、今度こそはと思っていたんだけどね。レイドリックを殴れたら、とてもすっきりするだろうな」

「酷い奴らだな、お前達!」

「まあ、素敵なお友達ね。皆さんのお気持ち、とても良く判ります」

「ローズまで!」

 打てば響くような四人の会話に、口元を綻ばせた時だった。再びレイドリックに掛けられた、第三者の声が聞こえた。

「レイドリック様」

 しっとりとした高い声音は、男性のものではない。

 振り返った先には侍女を共に付けた、一人の貴婦人が上品に微笑んでいる姿があった。

 美しい女性だ。

 艶のある栗色の髪を複雑な形に結い上げ、薄化粧を施した顔立ちは繊細な美貌と、どこか儚げな印象を見た者に与えてくる。けぶるような長い睫毛が、瞬きをする度に彼女の目元に微かな影を落とし、うっすらと色づいた唇は瑞々しく艶めいていた。

 けれど一瞬ローズマリーを驚かせたのは、彼女自身の美しさ以上に、彼女が身に纏うドレスだ。彼女の肌の白さを強調させるかのように、首元からつま先まで全身を、漆黒のドレスで包んでいる。

 それがより一層その貴婦人の華奢な身体付きをも強調するようで……この女性は誰かと、戸惑いながらも見上げたレイドリックを見て、ぎくりと心臓の鼓動が一つ跳ね上がった。

 彼女を見るレイドリックの表情が、酷く強張っていたからだ。

 てっきり彼の社交界での知り合いかと思った。恭しく気取った仕草で挨拶をして、当たり障りのない会話を交わして…それで終わる程度の。

 なのに違う。レイドリックのこの表情は、違う。

 すぐにレイドリックは自分の表情を取り繕うように隠し、微笑みを浮かべて見せたけれど、ローズマリーには判ってしまった。彼の目が笑っていないことに。

 貴婦人と、レイドリックとの間に漂う噛み合わない違和感を感じ取って、ローズマリーは自分が驚く程動揺していることを自覚した。

 誰?

 そして何故?

 答えはまだ、得られない。

「お久しぶりです、ボローワ伯爵夫人」

 礼儀正しいながらも、レイドリックの口調も声も、どこかよそよそしい。それに気付いているのかいないのか、ボローワ伯爵夫人と呼ばれた女性は柔らかく微笑んだまま、形のよい唇を開く。

「随分とご無沙汰をしておりました。……最後にお会いしたのは五年前かしら」

「いいえ、六年前ですよ」

 六年前。ローズマリーの頭の中で、その年数が急速に大きな意味を持って膨らんでくる。頭の中に、あの日の夜の出来事が鮮明に蘇った。

「もうそんなになりますのね。あれきり、レイドリック様とはなかなかお会いすることがなくなってしまって……」

「ご主人は如何なさいましたか?」

 昔を思い出すように話し始めた伯爵夫人の言葉を、半ば遮るように強引に話題を変えさせるのも、レイドリックらしからぬやり方である。普段の彼なら、相手を気遣って話題を変えることはあっても、相手が話す言葉を遮るような非礼をしてまで変えたりはしない。

 明らかに昔の話は聞きたくない、と言わんばかりだ。

 少し察しが良い人間なら、すぐに気付くだろうに相変わらず伯爵夫人は、気に止めた様子も無く微笑み続ける。その、変わらない微笑が何故だか少し恐く感じられた。

「実は主人は、昨年亡くなりましたの。元々、普段からお酒を良く飲まれる方で……その日も、沢山お酒を頂いてから、ベッドに入って間もなく…うっと声を上げたと思ったら、それっきりになってしまいました」

「それは…知らずに失礼しました。お悔やみ申し上げます」

「いいえ。もう数日で一年になりますもの。気持ちも大分、落ち着きましたわ」

 と言うことは、伯爵夫人の衣装は喪服と言うことだろうか。それにしても、夫を亡くしたと言う割には随分と淡々と話す印象だ。

 もうじき一年という言葉どおり、時間の経過と共に気持ちが落ち着いたせいもあるのかもしれないが、それにしても少しくらいは夫を失ったことによる悲しみを感じられても良さそうなものなのに。

 そこまで考えて、ローズマリーはそっと瞳を伏せる。駄目だと思った。今の自分は、突然現れた、レイドリックと知り合いの貴婦人の登場に動揺している。その為に必要以上に彼女の粗探しをして、悪い先入観を抱こうとしている。

 この時頭に浮かんだのは、過去、この貴婦人がレイドリックの恋人だったのではないかという思いだが、若く見えても伯爵夫人はレイドリックより年上に見える。六年前、彼はまだ十六の少年で、年上の貴婦人…それも既婚者を相手に浮つくことはないはずだ。

 いくら浮き名を流すとは言っても、暗黙のルールはある。レイドリックが既婚者の夫人を相手にどうこうするなどと言うことは考えたくない。

「先程の試合、拝見させて頂きましたわ。結果は残念でしたけれど、とても素晴らしい試合でした」

「それはどうも」

「……ご婚約なさったと伺いました。そちらのご令嬢が?」

 これまでは一方的に視線を注ぐばかりだった女性から、突然目を向けられて、心臓がぎゅうと掴まれるような衝撃に身を竦ませる。そこへ、レイドリックの背がローズマリーの視界を遮った。

 否、遮ったのはローズマリーのではなく、ボローワ伯爵夫人の視線だろうか。

 否定することもなく頷き…多分、彼は小さく笑ったのだろう。顔は見えなくても、僅かな声の変化と、肩の揺れで判る。ただ判らないのは、その笑いの理由だ。

「ええ。昔から親しくさせて頂いている、ノーク男爵家のご令嬢です。彼女とも幼い頃からの付き合いで、勿体ない程の良縁だと思っています」

「まあ…ではレイドリック様は今、お幸せなのですね」

「……奥様」

 会話の途中で、後ろに控えていた侍女が控えめに口を挟んだ。続いて振り返った伯爵夫人に何事かを囁く小さな声が洩れ聞こえてくる。お時間が、と聞こえたところからして、どうやら何かの時間が迫っているらしい。

 その侍女の言葉に頷き返して、また伯爵夫人はゆったりと微笑んだ。

「では、今日はこれで失礼致します。次はもう少しゆっくりお話が出来ると良いのだけれど」

「……でしたら私が、途中までお送りしましょう。今は試合に興奮した者が大勢いますから、万が一のことがあってはいけません」

「ご丁寧にありがとうございます」

 ふんわりと微笑む伯爵夫人に軽く頭を下げ、先導するのはボリスだ。

 伯爵夫人が場を去って行くまで、空気はピンと張った糸の様に張り詰めていた。

 ボリスに案内され、立ち去って行く伯爵夫人の背を、じっと見送るレイドリックの瞳は、豊かな彼の感情が消え失せたかのように、一切の表情が無い。麗しい女性の登場に、何かしらコメントをしそうなケビンや、ローウェン、そして夫人を先導して行ったボリスまでも似たような表情をしていた。

 それがまた、ローズマリーの不安を煽った。

「……レイドリック」

 小さく呟いた彼の名を呼ぶ声は、今は届かないかも知れない。そう思った予想に反して、すぐに彼の目がこちらを振り返る。そして……ようやく、少しだけ笑った。

「ごめん、おかしな雰囲気だっただろう?」

「……今の人は誰?」

「マダム・ルイーザ。ボローワ伯爵の細君で、今は未亡人…と言うことになるのかな」

「違うわ、聞きたかったのは名前じゃなくて………」

「少し古い知人と言うだけだよ。他に話せるようなことは、何もない。君は気にしないでいいよ」

「………」

 気にしないでと言われて、その通りに出来るなら苦労はしない。けれどレイドリックの目は、これ以上聞いてくれるなと訴えている。そんな目を向けられてしまうと………普段は彼に言いたいことを言うローズマリーも、何も言えなくなってしまう。

 そんなローズマリーの肩を抱き寄せて、少しも納得していない彼女を宥めるように額に唇を寄せながら、もう一度レイドリックは囁いた。

「本当に、何でも無いよ。君が気にするようなことじゃない」

 だけど、ローズマリーは気付いてしまっている。

 あの貴婦人は、立ち去る最後まで自分達が婚約したと聞いても、祝福する言葉を口にしなかったこと。彼女の、今幸せかと尋ねた言葉に、レイドリックは返事を返さなかったこと。

 そして……今、こうしてレイドリックが囁いている言葉が、ローズマリーにではなく、まるで自分自身に、そう言い聞かせているかのような呟きであることを。

 レイドリックに対する気持ちが、少しずつ変化を見せ始めた矢先の出来事に、ローズマリーは自分がこの場合、どう対応すべきなのか……すぐには判らず、ただ、途方に暮れるばかりだった。


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