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第三章 芽吹き始める 2

 レイドリックとの一時を過ごした翌日、エリザベスから届いたお茶会のお誘いに乗ってハッシュラーザ侯爵家に訪れた時、レイドリックとの会話を思い出して友人に尋ねてみたのだ。自分の疑問を素直に、そのままに。

 するとエリザベスは笑ってこう言った。決してそんなことはないわよと。

「御前試合は、戦場での戦いの模倣よ。戦場で身分など気にして、相手に合わせて勝ちを譲るなんて真似をしていたら、幾つ命があっても足りないわ」

「それはそうだけど…」

「レイドリック様は素直に、実力の面でそう仰ったのよ。エリオスのお父様…ブラックフォード公爵様が、陛下に次ぐ国の騎士の頂点に立つ、大将軍であることは知っている?」

「もちろん、聞いたことはあるわ」

「黒騎士とも呼ばれる公爵様は、大将軍の地位に相応しい実力の持ち主よ。元々ブラックフォード家は王侯貴族であるのと同時に、代々優秀な騎士を輩出する家系で、歴代の大将軍の多くはこのブラックフォード家から出ている。エリオスはその公爵様の唯一の後継者ですもの、小さな子供の頃から騎士としての英才教育を受けているの」

 そのエリオスは既に若くして、大将軍の下に続く、十名いる将軍の一人として名を連ねている。今の若い騎士達の中では最強と言っても良い。

「ローズには申し訳ないけれど、私も、エリオスとレイドリック様とでは、エリオスに分があると思うわ」

 いくら才能があってもレイドリックの実力は、彼には及ばないと言われているも同然の言葉に、複雑な感情を抱いた。そんなのは、実際に戦ってみなくては判らないじゃないと、反発めいた思いも湧く。

 そうしたローズマリーの内心を知ってか知らずか、エリザベスは実に優雅に微笑んで見せた。ローズマリーが親しいレイドリックの肩を持つのは当たり前、口でどう説明するよりも、実際に目で見れば判ることだ。

「その御前試合には私も行く予定なの。良かったら一緒に行きましょう、よろしければデュオン様も」

「………お兄様に言ってみるわ」

 屋敷に戻り早速頼んで見ると、兄の許可はあっけない程簡単に降りた。元々デュオンも、御前試合には足を運ぶつもりでいたようで、ローズマリーを、もっと他の貴族達との間に交流を持たせると言う意味でも都合が良いと考えたらしい。

 人脈は、いくらあっても足りないと言うことはない。増えれば増えるほど、人間関係の煩わしさに悩まされはするものの、それを上手く躱すことを覚え、自分の都合の良い関係を保つのも、処世術の一つだと言うことのようだ。

 なんだかとても難しいことを要求されたような気がするが、あえてローズマリーは気がつかなかったフリをした。今のローズマリーにとって、人間関係の悩みはレイドリック一人だけで充分である。

 兄の要求に一から十まで全て素直に従っていては、とてもではないが身が保たない。兄とは違ってローズマリーは、頭の出来も回転の速さも、ごくごく人並みでしかないのだ。同じことを要求されても困ると言うものだ。

 それはともかくとして、レイドリックから御前試合の話を聞いてから、その当日を迎えるまで、彼と顔を合わせる回数は減った。試合に出ることが決まってからは、その試合に向けての訓練に力を注いでいるようだ。

 そのことは事前に聞かされていたし、当然のことだと思っているから不満はない。それに会う回数は減っても、二日に一度はレイドリックからこまめな手紙が届く。書いてある内容はなんてことのない、その日あったちょっとした出来事だとか、自分が面白いと感じたことだとか、日常的なことだ。

 年に数度しか顔を合わせず、手紙だって滅多に貰ったことがなかった、ここ数年に比べれば何とマメなことだろうと、間を置かずに届く手紙に少々呆れ混じりの感心もしたけれど、届く手紙の数が増える度に、次第に彼からの手紙を楽しみにするようになってくる。

 彼の手紙の中で、もっとも多く名前が出て来るのは、やはり同じ見習い時代からの仲間である、ケビンやローウェン、そしてボリスの名だ。四人は良く連なって、あれやこれやと賑やかにやっているらしい。

 手紙が届く都度、返すローズマリーからの手紙を受け取るところを目撃されて、ひどくからかわれたと戯けた口調で書いてある文章には少し笑ってしまった。その時の四人のやりとりが、簡単に想像出来たから。

 レイドリックにとってあの三人は、仲間であり、悪友であり、そして親友でもあるのだろう。兄とはまた違う関係を作っている姿を見ると、少しだけ遠く感じることもあるけれど、笑っている顔を想像すれば、ホッと心が暖かくなる。

 そんなことを考えながら、ふとローズマリーは気付いてしまった。

 努力をしようと言ったのはレイドリックだし、実際に努力してくれているのも彼の方だ。

 幼馴染みとしての気安いやりとりも多く、だからこその居心地の良さは確かにある。それを踏まえた上でも、レイドリックのエスコートは慣れたもので、自分が特別な存在になったかのような錯覚を抱いてしまいそうになる。これでは多くの令嬢が彼に陥落してしまう理由も判らなくも無い。

 ローズマリーだって戸惑いながらも、レイドリックに引き摺られるまま彼との時を過ごしているけれど、気がつけば以前よりも彼のことを思う時間が増えている。

 もちろん、会う機会や時間が増えたのだから当然のことかも知れない。これまでだって度々幼馴染みのことを思い出しては、元気だろうか、無事にやっているだろうかと考えることもあった。

 でも今はその頃とは、少し何かが違っている。

「……まさか、ね…」

 こんな簡単に、彼の思惑どおりになんて、まさかそんなことがあるわけがない。

 これでは彼がこれまで相手にしてきた、その他大勢の令嬢と同じではないか。ちょっと甘く優しくされればすぐに舞い上がって、恋だの愛だのと騒ぎ出す彼女たちのことを、内心では自分とは違う存在だと思っていたのに。

 あの時感じていた令嬢達に対する少し傲慢な感情が、そのまま自分に跳ね返ってくる思いに唇を噛み締めた。

 頭の中に浮かんだ可能性を首を振ることによって追い出して、自分の机の上に並べた手紙を見つめる。

 そうしながら、自分に言い聞かせた。レイドリックは幼馴染みで良い。それ以上でも、それ以下でもない、それが自分にとって一番良い……傷つかずに済む関係なのだから、と。今は少しだけ、特別な環境の中で絆されてしまっているだけだと。

 彼に、惹かれ始めているなんてそんなこと、あってはならないのだとも。

 それでも、一度芽生えた「もしも」の可能性を、完全に忘れ去ることは出来ない。その可能性と感情が、やがてローズマリーに新たな問題を投げかけてくるようになる時が、もう間近に迫っていた。




 重たい剣戟の音が響き渡る試合会場の中で、上がったのはレイドリックの勝利を告げる審判の声だった。

 対戦相手であるボリスの手からはじき飛ばされた彼の剣は、遠く離れた地面に突き刺さり、彼が駆け寄るよりも先にレイドリックの剣先が彼の眼前に突きつけられている。

 それでもボリスはまだ起死回生を狙うように一瞬だけ自分の剣に視線を向け……けれど、やはり無理だと判断したのだろう。やがて諦めたようにため息と共に肩の力を抜き、降参だと両手を挙げる。

 その後に審判から告げられた、レイドリックの勝利だった。

 王宮騎士団を始め、各騎士団に所属する騎士の中から、選ばれた騎士十六名が参加者に名を連ねて開催された御前試合は、勝ち抜き戦によるトーナメント方式で行われた。

 先程のレイドリックとボリスの対戦は二回戦でのことだ。馬には乗らず、武器も剣だけの白兵戦に見立てた試合は、実際の戦場で身に纏うものよりも軽装で、その分観客の目を意識した、華やかな衣装を身に纏った騎士達の姿と、白熱する剣戟の応酬で会場を大いに沸かせていた。

 試合観戦に会場へと押し寄せたのは貴族だけではなく、運良く入場券を手に入れることの出来た王都の民達の姿もある。普段は遠くから見るだけの、王の騎士達の戦いぶりに熱狂する声が四方八方から上がり、すぐ隣にいるエリザベスや兄の声すら聞き取りにくい。

 初めて目にする御前試合での騎士同士の戦いは、これが試合とは到底信じられない程の緊迫感と迫力でローズマリーを圧倒した。他の騎士達の戦いですら、気がつけば手に汗を握り締めているような状態なのに、それがレイドリックの試合となれば一層緊張は増す。

 しかもその相手はローズマリーも知っている、ガーデン・パーティで知り合ったボリスだ。パーティでの印象は、三人の中で一番大人しげに見えたが、戦いとなると彼の様子はまるで別人のように一変した。

 もちろん普段と違う印象だったのはレイドリックも同じだ。戦いの詳しいことなどローズマリーには判らないが、レイドリックの剣筋や攻撃は普段飄々として見える彼の物とは思えないほど、好戦的で容赦がないように感じられる。

 先へ、常に先へ。一歩間違えれば、相手の差し向ける剣に貫かれるかもしれないことなど、恐れてもいないような戦い方は勇敢に見えるのと同時に、危なっかしくて恐くなる。レイドリックは、本物の戦場でも同じなのだろうか。

「あいつ…まだあんな戦い方をしているんだな」

 そう思ったのはローズマリーだけではなかったらしい。隣で見学してた兄が呟いた、珍しく苦みの混じった声がやけに強く耳に残る。

 結果的にボリスは、レイドリックのそうした間を置かない、容赦ない追撃に押されて敗北した。ボリス自身一つの手も抜かずに精一杯戦ったことが判るものの、あと一歩届かない。二人の力の差は、どこにあって、どんな理由によるものなのだろう。

 互いの健闘を称え、握手を交わした後に会場を去り際、レイドリックの視線がローズマリーの姿を捉える。多くの観客がいる中で自分の姿を見つけ出すなんて、きっと愛の力だわ…などとは、残念ながら思わない。

 身分や立場に応じて、観客席はある程度仕切られているので、その位置関係を知っていれば目当ての人間を見つけ出すことは難しくないことだと知っているから。

 目が合うと、とたんにレイドリックが晴れやかに笑って片手を上げて寄越す。自分の周囲にいる令嬢達から黄色い声が上がり、あれは自分にだ、いいや自分にだと言い合う声を背中にしては、なかなか派手に手を振り返すことも出来なかったけれど。

 胸の前でこっそりと手を振れば、彼の笑みが深まったので、ちゃんと伝わったようだ。

「短期間で随分親密になったじゃないか?」

 そうした二人のやりとりを目にした隣にいる兄から聞こえた声が、心なしかじっとりと探るような声音に聞こえたのは気のせいか。

「あら、デュオン様。ローズとレイドリック様が親密さを増すのは良いことですわ。お兄様としても、嬉しいことではございません?」

 一方逆隣からのエリザベスは、少々意味深に弾んでいる。自分で結婚を薦めているくせに、何か文句でもあるのかと言わんばかなエリザベスに、デュオンはことさら大げさかつ、わざとらしい仕草で嘆いてみせる。

「理屈ではそうですがね。レディ・エリザベス。目の前で可愛い妹が、親友と言えども他の男と親しげにしていると、少々複雑な感情を抱いてしまうのも兄心なのですよ」

「まあ、困ったお兄様だこと。デュオン様もお早く、決まったお相手を見つけられることをお薦めいたしますわ」

「ご心配なく。自分のことは妹の後で、ゆっくりと考えさせて頂きます」

 お上品な会話だが、自分を間に挟めて左右で進めるのは少々勘弁して欲しい。何だか居たたまれなさに拍車が掛かる気がするのは、ローズマリーの気のせいではきっとないはずである。

 二人の会話に巻き込まれぬよう、神妙に肩を竦めていると、会場ではすぐに次の試合を告げるファンファーレが響き渡った。楽器の音に背を押され、新たに会場に入ったのは、右手からはアッシュギル。左手からは黒衣の青年騎士だ。

 上から下まで黒衣を身に纏い、いっそ地味に見えてもおかしくない程なのに、太陽の下で輝く鮮やかな金色の髪がまるで黄金のようで、ひどく目を惹く。顔立ちは、レイドリックのような甘さは少なく、柔らかさもアッシュギルに比べれば少ないものの、一目で軍人と判る、引き締まった凛々しい顔立ちの青年である。

 彼の姿を見るのは、今日で二度目。エリオス・レオ・ブラックフォード……つまりは、エリザベスの自慢の幼馴染みであるその人だった。

 彼を見るまでローズマリーは、エリザベスの彼に対する評価には、いささか幼馴染みとしての甘さも含まれているのではと思っていた。自分の、レイドリックに対するものと同じように。

 でも実際に彼の戦いぶりを見てしまえば、甘かったのは自分の方だと悟る。未来の大将軍と言われるだけあって、彼の実力は他の騎士達とは明らかに群を抜いている。何も知らない素人の目でも明確なのだから、対戦相手の騎士からすれば尚更に、自分と相手との実力の差を思い知っているだろう。

 それでもアッシュギルも、怯むことなく剣を振るい、王宮騎士として恥じぬ戦いを見せたが、結果はやはり誰もが想像した通りの結果に終わった。最初から劣勢を覆すことが出来ないまま終了した試合結果に、さすがのアッシュギルも悔しげな表情をしていたが、エリオスに右手を差し出され、握手を交わした時にはもう、いつもの彼の顔に戻っている。

 去り際に、彼もこちらを見た……正確にはエリザベスを。ローズマリーと違ったのは、その視線を受けたエリザベスが、周囲を気にすることなくはっきりと、彼に向かって手を振ったことだ。

 にっこりと微笑む彼女の笑顔に、金髪の青年の表情がふわりと苦笑するように綻んだ……ように、見えた。親密だと言うのなら、自分達だけでなくこちらとて負けず劣らずではないだろうか。

「……ねえ、リズ?」

「なあに?」

「あの……もしかして、リズって……エリオス様とは特別な関係なの?」

 尋ねる口調がしどろもどろになってしまう。しかしエリザベスの反応はと言うと、けろりとしたもので、くすくすとおかしそうに笑いながら否定する。

「違うわよ、何度も言うけれどエリオスは幼馴染み。小さな頃から親しくしているけれど、それ以上でも以下でもないわ。浮いた話の一つも無い堅物で、今のところ彼の一番大切な女性は、妹のリゼルよ。何もレイドリック様ほどとは言わないけれど、あれだけの美丈夫なのだもの。エリオスも、もう少し浮き名を流しても良いのにね」

 と。天下の公爵家令息を、堅物と言い放ってしまえるのはエリザベスくらいのものだ。

 ちなみにその妹姫のリゼル嬢は、あまり身体が丈夫ではないらしく、夕べも熱を出して父と兄に外出禁止令を出されてしまっているらしい。ローズマリーが会ったことはやはりないけれど、あの貴公子の妹ならば、さぞかし美しい少女に違いない。

 少し近寄りがたい印象を受けたが、先程彼が見せたふっと笑った雰囲気は、一瞬驚く程優しく見えた。きっとその雰囲気の通りに優しい兄なのだろう。

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