母恋し、幼き想いは(第四話)
季節柄、田舎町の公園にはバラの花が赤く、咲いている頃である。その赤いバラの花言葉は愛情である。
愛情、その愛情にもいろいろある。一つは、男女の愛情であり、人生のパートナー同士の関わりである。それとは別に、今回は、親子の情愛について考えてみたいと思った事実がある。
「哲ちゃん、お袋さんに、会うこともあるのかい?」
料理を作りながら、幸司が意味深に、哲ちゃんに訊いている。
「お袋と、会うことは少ないよ!」
「大人になったから、理解できるけど。昔は、やっぱりお母さんが恋しかったな」
話しをしながら、ゆっくり目にビールが空いた。
「お前、飲むの、ゆっくりになったな。どうしたんだ?」
その男の、飲むペースを知る幸司は、驚いたように呟いている。
「うん、この頃は、飲めなくなってさ!」
なんとなく、自分の事も考えているように思える友人が幸司を見ている。
「もう一杯、飲むか?」
幸司は、哲ちゃんにビールのおかわりを訊いてみた。
「もうちょっと、してからでいいよ」
「そうか、わかった!」
意外な答えが、帰って来た時は驚きを隠せない。幸司は、友人の成長を嬉しく感じた。
友人の哲雄は幼き頃、親の離婚で、家族がバラバラになった事実がある。小さな子供を残して、生き別れた母親の心情は図れない。
親であるがゆえに、心は苦しんでいると幸司は思っていた。事実、養子である幸司も、親に離されているから、心の葛藤の神髄が理解できているのだ。
「哲ちゃん、次の料理だよ。シンプルだけど、卵焼き!」
友人の大好物は、卵焼きであった。昔、幼稚園に通っていた頃の、母親の味である卵焼きは、甘みがあり懐かしい思いであることは、幸司も解かっている。
「単なる、卵焼きだけど。貴重な食材だよね!」
病気を持っている友人は、卵農家の事情も理解している。最近は、鳥のインフルエンザにて、処理される例が多い。少し、疑問を感じている哲雄は命の大切さを考えていた。
母親が家を出た後は、卵焼きを食べる機会がなかった。スーパーにある卵焼きを買ってはくるけれども、心の中にある想いは払しょくできない。
幸司が料理人になると、卵焼きを食べに来る友人が、いつも美味しそうな表情を浮かべている。時々、出かける回転寿司にも、卵焼きを必ず取る友人が懐かしく思える。
「幸ちゃんの卵焼きは、甘さが程良くって、お母さんを思い出すよ。お袋、どうしているかな?」
ふと、お母さんのことが気になるのか、天井を見上げながら、表情を悟られまいとしている友人を見ている幸司は、この男の奥底にある葛藤がどれほどのものであるのかと思っていた。
つづく。