一匹の猫(第三話)
人が生きる道を、心から考えて導こうとしている幸司の思いは、「道しるべ」に反映している。そんな思いが、あるからこそ幸司は、良心的に営業を続けていた。
八百屋の政が、仕入れに来てから、もう少しで開店が迫る時間まで差し掛かっている。
「優子、そろそろ店を開くか!」
幸司は、手を休め、いつもの儀式を行おうとしていた。
「ああっ、今行くよ!」
どうやら、子猫に気が行きがちな優子が戻ってくる。
「手を消毒しとけよ。猫を触ったろ!」
「はーい。わかりました」
優子は、手を丹念に洗うと、アルコールで消毒している。
「お待たせ。さあ、始めるかい!」
優子が火打石をはじき、いよいよ開店間近である事は、御存じの儀式である。。
「今日も、世のため人の為の道しるべ!」
二人は声をそろえると、奥から猫の声がする。
「にゃあ、にゃあ、にゃあ」
三回、鳴き声を鳴いたあと、ピタリと止んだ。
「おや、あの猫も、気合入れているのかね?」
優子が、奥を覗いて感心している。いずれ、看板猫になるこの猫は、まだ幼い子猫であった。
暖簾は、店先にかけられ、「道しるべ」は今日も開店することになる。さて、いつものように儀式を済ませたあとは、来客を待つ二人である。幸司の仕込みは、ほとんどが終わっている状況であった。
「しかし、あの猫。どっから落ちたのかな?」
幸司は、屋敷内の庭の状況を振り返っている。確かに落ちる場所といえば、屋根のところにある、凹んでいる場所しか、考えることはできなかった。
「屋根の、あの場所じゃない!」
優子が、なんとなく気が付いている。
「親が見えないが、どういうことだ?」
優子と顔を見合わせていると、扉が開いて、お客さんが入ってきた。気を取られていた、幸司は気まずそうだ。
「いらっしゃいませ!」
一人の女性客が、「道しるべ」にやってきた。お通しを素早く仕上げた幸司は、お客さんをカウンターに向かえる。
「お一人さんですか?」
「はい、そうです。よろしいですか?」
「どうぞ、こちらにお掛けになって下さい」
女性は、年の頃は三〇代の女性で、とても大人しそうに見える。清楚な感じがするが、何処か寂しげに感じられた。
つづく。