心に触れる時
華やかな祝宴を終えたカインとミレイユは、いよいよ初夜を迎えた。
侍女によって丁寧に支度をされたミレイユは、夫婦の寝室へと向かう。
寝室へ足を踏み入れると、優しい笑みを浮かべたカインが出迎えた。
ミレイユの肩を抱いたカインは、ベッドではなくソファへと誘導する。
「ミレイユ、お疲れ様。式に祝宴にと、一日中気を張っていて疲れだろう?」
「いえ、問題ございません」
ソファに座ったカインは、ミレイユに温かいハーブティーを淹れる。
「……結婚が決まってからずっと慌ただしくて、ゆっくり話す時間もほとんど取れなかったからな。せっかく夫婦になれたのだから、少し話をしよう」
ミレイユはこくりと頷いた。
「ミレイユは、私に対してどんな印象を持っている?」
「……若くして帝位に就かれ、正しく国を導く素晴らしいお方です」
「ありがとう。でもね、幼い頃の私は身体が弱く、泣き虫だったんだ。両親はそんな私を立派な後継者にすべく、厳しい教育を施した。……それこそ、ほとんど虐待のような」
そう言うと、カインはミレイユに背を向け、羽織っていたガウンを脱いだ。
背中には何かで叩かれたような痕跡が、びっしりと残されている。
「少しでも失敗をすれば、鞭や木の棒で叩かれた。だからこの傷跡は……私が未熟者だった証なんだ」
カインはガウンを羽織り直すと、ミレイユの方に向き直る。
「私は皇宮での生活も好きではなかった。ここにいる人々は、従者も、両親も……自分でさえも、みんなどこか取り繕っている。人々は君を人形姫だなんて言うが、皇宮での生活は人形芝居そのものだよ」
「……では、なぜ私を選んだのですか?」
カインはミレイユの髪をそっと撫でながら答えた。
「幼い頃、一度だけ皇宮から逃げ出したことがあった。その時出会ったのが君なんだ」
「申し訳ございません、私は……」
「覚えていなくても仕方ない。君はまだ五歳くらいだったはずだから」
ミレイユは真顔のまままっすぐと、カインの目を見つめていた。
「皇宮が逃げ出してたどり着いた私は、川のほとりで泣いていた。すると、どこからか現れた君が笑顔で駆け寄ってきて、この花をくれたんだ」
そう言ってカインは、ポケットから押し花の栞を取り出した。
「君が家族の元へ帰ったあと、私は皇宮に連れ戻されてしまったけど……それ以来、この花を見るたびに君の笑顔を思い出し、この世界はただの人形芝居ではないと思えた」
「ですが、私は人形姫です」
「君に何があったか、詳しいことはわからない。けれどきっと、今に至るまでに多くの傷を抱えてきたと思う」
カインはミレイユをそっと抱き寄せた。
「その傷を無理に明らかにする必要はない。だけど、あの日君が私の傷を癒してくれたように、私も君の傷に寄り添わせてほしい」
カインの告白を聞いて、ミレイユの目が僅かに揺れる。
その反応を見たカインは、聖堂で交わしたものより深く口付けた。
◇◇◇
結婚式翌日からも、日々は目まぐるしく過ぎていく。
国内の統治だけでなく、国内外の視察に外交に、各国の統治者との会合に……と、休む暇もない。
そんな忙しい日々の中でも、ミレイユは与えられた仕事を、完璧に卒なくこなしていく。
彼女が皇后となることに不満を抱いていた者たちも、その働きぶりに感心するほどだった。
一日中働き続けるミレイユを、カインは常に見守り気遣う。
毎晩寝る前になると、ミレイユの体調に合わせたハーブティーを淹れるのが、カインの習慣になっていた。
完璧な皇帝に、完璧な皇后――二人の様子を見た者たちは、これぞ理想的な統治者だと褒め称える。
結婚から一年が過ぎた頃、時折ミレイユは一人になると、何か考え事をするような素振りを見せるようになった。
何をするでもなく、ただボーっと一点を見つめている。
そんな姿を見たカインは、ミレイユを案じて話を聞くことにした。
「ミレイユ、何か悩み事でもあるのか?」
ミレイユはティーカップを手にしたまましばらく俯くと、何かを決断したように話し始める。
「……陛下が初夜にお話になったことを、覚えていますか?」
「ああ、もちろんだ」
「その話を聞いた時、おこがましくも私自身のことのように感じたのです」
不安そうにゆっくりと話すミレイユを安心させるように、カインはそっと背中を撫でる。
「ご存じの通り、エーデルヴァイス侯爵家には、跡取りとなる男児がおりません。ですから、長女である私が婿を取ることになったのです」
「ああ、それは聞いている」
「婿に取るのであれば、少しでも優秀な良家の子息を――そう考えたら両親は、私を完璧な淑女になるよう教育をしました。貴族としての教養はもちろん、立ち居振る舞いも」
ティーカップを持つ手が僅かに震え、気づいたカインはそっとテーブルに戻した。
「淑女たるもの、いかなるときも感情を表に出してはならない。嬉しい時も、悲しい時も、常に微笑みを崩してはならない。十歳の頃からそうやって教えられ、上手くできなければ食事を抜かれたり……時には叩かれたりすることもありました」
「……私と同じだな」
「もっとも、私は跡が残るほどの暴力は受けておりません。傷がついては、女としての商品価値がなくなりますから」
ミレイユは無理に笑ってみせた。
その姿が痛ましくて、カインは思わず抱き寄せる。
「しかし、周囲の反応は両親の期待とは真逆でした。誰もが私を人形姫と呼んで距離を置き、天真爛漫なリーゼルを愛したのです。世間体を気にした両親も、気づけばリーゼルばかりを可愛がるようになりました」
「ミレイユ……」
「せっかく決まったエドガー様との縁談も、私のせいで婚約破棄になり、きっと私はもう誰にも愛されないのだと……」
話しながらポロポロと涙が溢れるが、ミレイユ自身そのことに気が付かない。
「ですが、全てを諦めていた時に陛下から求婚をされて……内心戸惑いました。陛下と親交はありませんでしたし、もっと他に素敵なご令嬢もいらっしゃりましたから」
それを聞いたカインは黙って首を振る。
「陛下が過去を打ち明けてくださった時、私も話すべきだと思いました。だけど……勇気が出なかった。自分の思いを口にするのが怖かった……だから、こんなに時間がかかってしまったのです」
「ミレイユ、君のためなら私は千年だって待っていられるんだよ」
「……ありがとうございます」
カインは体を離すと、指でミレイユの涙を掬った。
「あ……私……」
「この涙は、君がずっと内側に押し込めていた、感情のかけらだね。君の心に触れさせてくれてありがとう」
そのカインの言葉に、ミレイユは整った顔を崩し、声を上げて泣いた。
「ミレイユ、愛してるよ」
ミレイユが泣き疲れて眠るまで、カインはミレイユを抱きしめ続けた。
それ以来ミレイユは、カインの前で感情を見せるようになる。
最初は恥ずかしそうな笑みを浮かべたり、疲れた時に素直に「疲れました」と伝えたり……。
その小さな一歩から始まり、次第に侍女や宮殿に訪れる貴族たちにも、以前とは違う柔らかい表情を見せるようになった。
「きっと皇帝陛下の愛が、皇后陛下の心を溶かしたのですね」
「愛の勝利ですわ!」
ミレイユの変化を目にした者たちは、この変化を美談として周囲に伝えていく。
気づけば二人は統治者としてだけでなく、夫婦としても尊敬の眼差しを向けるようになった。
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