第三章「スノウリィ・マウンテン・フラッグス」2
(寒い・・・)
マナブは防寒着を着た男に手を引かれ、薄暗く雪積もる坂道を降っていた。
辺りには木々がまばらに生えており、ここは山道のように見える。
(親父・・・?)
マナブは死んだはずの父親が目の前に居ることに動揺していた。
そして、父親の大きな背中、大きな手は、マナブ自身が子供の身体に戻っていることを感づかせた。
「奴への意識を切らすなよ」
父親はそう言ってチラリと後ろを見た。
(・・・後ろに何かがいる)
マナブが振り返ると、二十メートルほど後ろに追いかけてくるそれが居た。
日が暮れているため、薄らとしか姿は確認できないが、小学校低学年くらいの子供のようだった。
そしてなぜか、トカゲのような爬虫類のお面で顔を隠している。
「ここ十数年は目撃されていなかったから、油断していた」
(そうだった。俺の親父は猟師をやっていて、人里離れた山奥に暮らしていた。そして、この日は何かしらの用で親父と村に向かっていたんだったな)
「あれはここらに言い伝えられている神の一種だ。しかも凶悪な・・・人間の意識の隙間、虚を好物としている。だが、意識を集中している限り、こちらに襲っては来れないはずだ」
父親とマナブはそれと一定の距離を保ちながら、早足で歩いている。
おそらくそいつと距離を離し過ぎても、それはそれで意識の緩みが生じるため危険だと判断しているのだろう。
「アソボウヨ・・・」
後ろから決して子供のものではない掠れた声が聞こえてくる。
村まではまだ数キロメートルある。マナブは恐怖のあまり今にも叫び出しそうだった。
「しつこいな・・・」
父親はマナブの手を強く握りしめる。
父親がそれを恐れていることは、幼いマナブも気づいていたが、その大きな手の力強さを実感し、マナブは少しだけ気力を取り戻していた。
しかし、父親の息遣いが荒くなっていく。
おそらく父親もそれを見るのは初めてなのだろう。
その対処法も半信半疑のまま逃げているに違いない。
その不安はやがてマナブにも伝わってくる。
気づけばそれとの距離が十メートル程までになっていることに気がついた。
焦りと恐怖が増していく。
やがてその精神的重圧が、それの像に反映され、後ろから発せられる強大な死のイメージに二人は飲み込まれていく。
うわああああああああああ!
「マナブ大丈夫か?」
マナブが目を覚ますと、ブルータルが立っていた。
どうやらマナブは狂い翼の攻撃に気を失い、ほんの少し夢を見ていたらしい。
「ああ・・・マデリンは?」
「まだ、そんなに距離を離されてはいない。追うぞ」
マナブも立ち上がり、ブルータルと共にマデリンと狂い翼の後を追った。
山頂付近にて。
先に走り出したマデリンだったが、徐々に距離を詰められ狂い翼と並走する形になっていた。
二人は感じていた旗は近くにある。
吹雪によって視界が悪くとも、旗が放つ威光のようなものが見える気がするのだ。
山頂と呼ばれる場所までは、わずか三人がギリギリ通れるであろう直線的な一本道。
まさにラストスパートだった。
しかし、マデリンと狂い翼の前に立ちはだかる、大きな影があった。
体表が白い毛で覆われた猿のような姿の、体長二.五メートル位の巨人が立ち塞がっていたのだ。
「なんだこれは!?」
狂い翼は思わず声を上げて、立ち止まる。
しかし、すぐにマデリンとの覚悟の差を痛感した。
マデリンは一切スピードを緩めることはせず、雪の巨人に対して、右に行くというフェイントをかけ、見事に雪巨人の股下に滑り込んですり抜けて行った。
さらに狂い翼はもう一つの事実に気がつく。
後ろから先程倒したはずの、マナブとブルータルが追いかけてくる。
「チィッ・・・挟み討ちはまずい。だがこれは逆に利用できるな・・・」
そうつぶやいた狂い翼は襲い来る雪巨人の攻撃を跳躍で回避して、そのまま空を二歩蹴って飛び超えた。
「こいつらがお互い潰し合えば、俺は安全に旗を手に入れることができる」
跳躍した狂い翼を見たマナブとブルータルも、すぐに雪巨人を視認する。
「猿人・・・!?」
マナブはその姿に驚き、思わずつぶやいた。
「こちらに注意が向いた。襲ってくるぞ!」
ブルータルはそう言うと雪巨人の前に立ち、組み付いた。
「グウッ・・・」
雪巨人の圧倒的な怪力に唸るブルータル。
「ブルータル!」
「こいつは俺が捩じ伏せる!お前は奴らを追え!」
ブルータルは雪巨人を強引に細道の左傍に寄せ、マナブが通れるようにした。
マナブもそれを理解してトップスピードで通り抜ける。
そして、マナブがブルータルに礼の目配せを送ろうと後ろを振り返った時。
細道を外れ、崖から転がり落ちるブルータルと雪巨人の姿が見えた。
「ブルータルッ!」
マナブは叫んだ。
しかし、立ち止まるわけにはいかなかった。
マナブはそのまま先行する狂い翼に引き離されないように駆け抜けた。
そして、マデリンは目と鼻の先にある聖王の旗をやっとで視認する。
「あれだ!間違いない!」
マデリンは後ろを振り向くと、狂い翼が雪巨人を振り切り追いかけてきていたが、二十メートル程の距離がまだある。
マデリンは旗に飛びつき、その背後に存在する崖に落ちないよう、その足に急ブレーキをかけた。
旗を手に入れたが、その先は崖、帰るには来た道を戻るしかない。
狂い翼は走るのを止め、マデリンの方にゆっくりにじり寄ってくる。
「先に手にせずとも、お前から奪えば同じことだ」
狂い翼は左右に手を広げ、通せんぼの格好をした。
「できるかしらね。アナタに」
マデリンは聖王の旗を槍のように構えてニヤリと笑い、狂い翼を挑発した。




