Lesson01‐04.5W1Hは確認しましたか?(2)
恐らくは昨日。夕暮れ時、帰宅した私を出迎えたのは、かなりの建築年数に四苦八苦しつつもようやく友人が呼べる程度には整えた六畳一間の玄関ではなく、ただ一面の闇色だった。
表現力のない私にはそれ以外に表現できない。
それでも強いて喩えるならば、新月の夜の闇。もしくは真っ黒な光も届かない深い深い海の底。
電気が点いていなから真っ暗なんじゃ、なんてことはお粗末過ぎて脳裏に過ぎりもしなかった。
普通じゃなかった。超常現象以外の何者でもない。
そのまま私は扉を閉めて、実家に「今日、泊めて」と連絡すべきだった。
少なくとも、そうしようと思ったのだ、一度は。
なのに、うかつに私がその闇色に手を伸ばしたのは、その理由は――。
訊きたいことはそれこそ山のようにあった。
けれど慎重にならざるを得ない理由も山のようだった。
「ここは『聖都オルセン』?」
「そう」
「私が生まれた世界じゃない?」
「ああ」
何から知りたいと訊かれたら、そりゃあもちろん初めから全部だと、言いたいところだったが。
いきなりそんな質問の答えが返ってきたら混乱するのは(主に私の頭の中が、だ)目に見えている。あまり私は頭がよろしくない。し、短気である。こういう頭を使うことは、姉の役割だったから余計かもしれない。ここにこうしているのが彼女だったなら、きっと、私みたいに感情で突っ走ることもなく、にこやかに、穏やかに、こちらの内心を少しも掴ませず、相手から望む情報をひきだせたのだろう。
が、それは言っても仕方のないことだ。
今ここに在るのは私だ。それは否定できない。
否定するつもりも残念ながらなかったが、それでも言わずにおれないこともある。
確認せずにはおれないこともある。
「それを私に信じろって?」
そう言った私の表情はひどく疑わしそうだったに違いないのに、
「信じられないなら、信じたくなるようにいろいろと方法はなくはないが。必要か?」
クロードの答えはやはり淡々としていた。
頭からつま先まで見つめても、どこにもとりつくような様子もないし、媚びる様子も見あたらない。
からかいがいのない奴め。
ここで本来なら私は、当たり前だろう、と答えるべきなんだろう。
信じられるわけがない。証明して見せろ、と。
物語やなんやで、異世界に飛ばされた少年少女のように。
もしくは、夢なんじゃないか、と頬をつねってみるのもいいのかもしれない。
やってもいいが、だが、それを今やるくらいなら、私は、わざわざセスくんを人質にとってまで責任者を引っ張り出そうなんて思わなかった。それに、さっきのアレな現象のこともある。どっちにしろ今更だった
異世界なんて馬鹿馬鹿しい、人攫いの言うことなんて信じられるものかと、本当に思っているなら、さっさと私は逃げ出していた。
これが夢の中であるのなら、それこそ、慌てる必要なんてない。ここぞとばかりに、夢の国に浸って目が覚めるまで待てばいい。
逃げても解決しないから私はここにいる。
夢じゃないと確信があるから、私はクロードに問うのである。
最後の確認。
思い出すのは、薄暗い一室の怪しげなローブの一団。
そして聞き捨てならない、セスラン少年の台詞。
「ねえ、救世主って何かの冗談?」
クロードはその質問に初めて躊躇うような間を空けた。
「……いいや」
答える声も煮え切らない。
そう、と私も簡潔に頷く。これで確認したいことは確認した。
おぼろげながらも状況は見え始めた。
だから、どういう『情報』を与えられても、取り乱さないだけの覚悟は固まった。
だから。
「何が知りたいかって、言ったよね。じゃあ、教えて、はじめから全部。貴方と最初に会った、あの場所にいたあいつらは何?」
ずっと握り締めていた所為で、手の中のシーツはすっかり皴が寄っている。
寒い、と感じるのは窓から入る穏やかな風のためだろう。
私は子供がヒーローごっこをするときのマントみたいに、趣味の悪い紋様のシーツを羽織った。
「『誰が』『どうやって』私をこの世界に連れてきたの? 私が、私が生まれて老いて死ぬはずだった私の世界から、引き離されたのは『何のため』? 『何時』私は返してもらえるの」
見上げた先の端正な顔は、まるで試すように私を見下ろしている。
けれどそれはお互い様だ。私も彼を試している。この問いに彼はどう答えるのか。表情の一欠けらも見逃すまいと、彼を見つめ返している。
「俺は、恐らく全てを知らされていない。それでも?」
「構わない。知っていることを教えて」
わかった、と彼は頷いた。
「結論から言うならば、貴女を召喚したのは一部の神官と魔術士の一派だ。あの部屋には『聖女』の遺した、召喚のための陣がある。あれらはそれを使ったんだろう」
本当に結論から喋っているのだろう。淡々と初心者には易しくない説明をクロードは続ける。
顔から表情が消えている。できるだけ、客観的な言葉を選んで、尚且つ表情を消すように勤めているようだった。それでも、その後の言葉を続ける際に、彼は苦いものでも噛んだかのように一瞬、蒼い目を揺らした。
「……貴女が喚ばれたのは闇に飲まれつつあるこの世界を救うためだ」
このちんくしゃな娘が、と毒づいたセスランを思い出す。よりによってこんな小娘になにができるんだ、と彼は言いたかったんだろう。育ちのよさそうな少年だった。少なくとも初対面で言葉を選ばない程度には、その闇とやらは彼らを脅かしているのだろう。だったら、その言葉はある意味、正論だ。
痛々しげに私を見下ろしてくる、彼の方がおかしい。
「恐らくは、元凶たる『魔女』が斃されるまで。救世主である貴女は自分の世界に戻れない」
私だって言いたい。
さいあくだ。なんでよりによって私なんだって。
地球人口60億だったっけ。異世界がいくつあるか知れないが、何て確率だろう。
脳裏にちらついた、優しい眼差しを瞬き一つで記憶の端に追いやって、私の反応を待っているクロードに一つ頷いた。
覚悟をしていたって、口を開いたら、酷い言葉が出てきそうだった。
「マリ?」
「……大丈夫、何でもない。それよ」
り、と本当は続けるつもりだった。
まだわからないことの方が多過ぎるのだ。
むしろ、クロードの説明で新たな疑問が増えたくらいだ。
だが、言葉の最後にかぶさるように、視界の端にあった木製の扉が大きな音を立てて吹き飛んでしまっては、そんな訳にもいかない。
割りとしっかりとした木材で出来ていたはずの重そうな扉は、派手に飛び、部屋に入って一歩ほどのところを新たな定位置に決め、私が散らかした服や小物が下敷きに落ちた。茶色い扉の中心が焦げ茶色に、ところによっては黒に変色して、挙句煙を上げているように見えるのは気のせいだろうか。おかしな風にへしゃげた蝶番は頑張って扉の枠に一秒ほどへばり付いていたが、無念そうに床に落ちた。
その様子を唖然と見た私とは正反対に、クロードは眉間に皴を刻んでいる。
警戒しているといった風ではなかった。そう、この表情は、まるであれだ。私が作ったツチノコ用罠@落とし穴を見つけたときの、鬼と名高い小学校の担任の顔に似ていた。
扉が扉だった場所になり、そこから、人影が飛び込んでくるまで5秒もあっただろうか。
「ちょっと、クロード! 異世界の子が、無詠唱で無機物召喚したってホント?!」
喜色満面、とはこのことを言うんだろう。
これまた、今度は鳶色の髪と緑の目をした中性的な顔の美人な青年(惜しむらくは似合わない上にサイズのあっていない灰色のずるずるローブ)が、駆け込んでくると同時に、クロードは腰に下げていた長剣を抜いていた。
「サイラス・コウエン。お前は一度赤子からやり直してみるべきだと、常々俺は思っているんだが、お前はどう考える?」
侵入者と相対するためにクロードは、こちらに背を向けている。そのために、私は彼の顔を見ずにすんだ。幸いにも。
ごめんなさい、と壁に張り付いて謝った、サイラス青年はあっぱれ、ごまかすように笑みを浮かべていたが、残念ながら、顔が青いのまではごまかせていない。
これは一時中断だなあ、と私は怒れる背中を故意に視界から締め出してから、自分が必要以上に固く拳を握っていたことに気がついた。水を差された形だが、拍子抜けした感が強くて、代わりにクロードが怒っている所為もあるだろうが、腹も立たなかった。
それより、お腹が空いた、と思う自分に苦笑いする。
もしかしたら、ここで邪魔が入ったのは丁度よかったのかもしれなかった。
サイラス氏の首筋を掠めて壁に垂直に刺さった剣を見ながら、突撃した相手がセス君で本当によかったと私が心底胸を撫で下ろしたことは、ここだけの話だ。
というわけで、ここまでおつきあいくださいましてありがとうございました!
本日も亀です。まわりくどいです。
……第一人称じゃなければここまで酷くなかったと思うんですが、、、だからこそ、今回は挑戦してみたわけで、精進したいと益々思い至った所存です。
サイラスくんがようやく出てきました。
割りと無理やり感が満載です。……ほっとくと、恐らく、もう一話二話出番を逃しそうでした。誰が悪いかって言ったら、今回はクロりんです。
……きみ、そんなに説明ヘタだったっけ、と頭を悩ませる羽目になろうとは思いませんでした。おかげで、真理ちゃんがうっかり欝になりかけましたorzでもそうね、貴方そんなに喋るほうじゃないもんね。皮肉ならたくさん喋るけど。
いやまあ、マリちゃんも聞き方が悪いと言えば悪いんですが。あれは不可抗力だからな……たぶん←
そんなわけで、困ったときのサイラスくん登場です。