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8. 友の皮を被った化け物

毎日(18:45)更新


 その夜、私の宿の扉を誰かが叩いた。フレレクスだった。


「失礼しても?」

「どうぞ」


 私は平静を装った。


「ナプティア先生、うまくいったかい?」

「何がだ?」

「仕事を探していたんじゃないのか?」

「ああ仕事……」


 私はベッドサイドテーブルの革袋を彼に投げた。受け取るために開かれた彼の両手には、傷の一つも残っていなかった。私はそれに酷くショックを受けた。人間では有り得ないことだ。まだ僅かばかり抱いていた希望が打ち砕かれた心地だった。


「銅貨か? いや銀か。羽振りのいい職があったものだ」

「君の方はどうだ?」

「伯爵に拝謁した。君の宝物は明日戻ってくるだろう。明日、君も来い」

「私も?」

「そうだ。君がいた方が良い。君に見てもらわなければいけない。明日の夜忍び込む」


 彼は一方的に告げると、部屋を出ていこうとした。私は呼び止めた。


「フレレクス」


 私は膝の上に置いていた黒手袋を両手に嵌めた。今から一魔術師として討伐するということを告げようとした。


 しかし彼の顔を見ると、舌が動かず言葉にならなかった。


 たった2週間にも満たないが、彼と私は良好な関係を築けていた。彼は私を尊重してくれたし、私の研究の稀有な理解者だった。私の方もまた、彼の豊富な知識と類まれなる慧眼けいがんに敬意を抱いてさえいた。


 だがそれは人狼に堕ちた審問官と何が変わらないのだろう。彼とて不幸な事件に巻き込まれるまでは善良なる神官で、同僚とも友好関係にあったかもしれない。それでも彼らは討伐を選んだ。

 その決断がいかに苦しいものであったか、私はこの時になってようやく欠片ばかりの理解を得たのだった。


 情けない事に私の手は行き場を失った末に壁掛けを指さした。


「これが何かわかるか」

「ん?」


 彼は珍しく間の抜けた顔をした。


石竜ガーゴイル杯の景品だ。今日の闘技場で優勝した」

「君なら当然だ。それとも祝杯を挙げ足りないのか?」

「……そうだ」

「君の奢りだぞ」


 私は敗北感に打ちひしがれながら、手袋をポケットへ戻した。それがポケットの外に出る事は最後まで無かった。




 翌日、私は修道院で魔物の資料を漁った。生類科と同じ薬学塔で長年勤務していたが、恥ずかしながら魔物に関する知識は3年次の基礎学で止まっている。吸血鬼は黒死病ペストの蔓延とともに姿を現した。彼らは病にかからず、一部の彼らの血は病の進行を遅らせる。それ故にその狩猟の戦果は、特別高価で取引されていた。


 夕過ぎに人ならざる同行者と合流した。私の目がなければ、彼はこの町でも人を襲って血を奪っていたのだろうか。隣を歩きながら私はそんな事ばかり考えていた。


 全ての魔物は討ち滅ぼさなければならない。人狼に火を付けた時、私は不快な心地こそすれ罪悪感は大きくなかった。あの人狼が魔物であるという事以上に、多くの人間を殺めていたからだ。討伐されるべき存在だった。そうしなければ犠牲者は増え続ける。


 しかし、今隣にいる人の皮を被った化け物はどうなのだろう。彼もあの人狼と同じなのだろうか。同じなのだろう。


 だがもしもだ、万が一違ったらどうだ。


 人の形をして、人のように言葉を話す理性的な存在を、魔物であるという理由の一点で滅ぼすべきなのだろうか。


 滅ぼすべきだ、と魔術学校の薬学塔にいた頃の私なら迷わず答えただろう。


 だが今は……わからない。


 我々の前にあの伯爵の侍女、アンナが現れたのは人で賑わう大通りでの事だった。


「フレレクス様、お届け物です」

「ご苦労さま」


 彼は受け取った小さな包みを、禄に見もせず私に渡した。


「喜ぶといい。君の探していたものだ、ナプティア先生」

「ああ、本当にありがとう」


 私は心から礼を述べて包みを開けた。中身を見て私は、時間が止まったような錯覚に陥った。全身の肌が粟立つ。


 それは紛れもなく私のコレクションの一つだった。分厚い密閉されたガラス柱の中に浮かんだ球体。奇跡的に完全な形で保存することに成功した逸品。吸血鬼の眼球。人に極めて似た構造のそれは瞳孔だけが縦長であり、その持ち主の苦痛を示すかのように見開かれていた。


 彼もまた私の手の中を見ていた。レンズの向こうの彼の栗色の目は、零れ落ちそうな程丸くなった。私は彼と目が合わせられなかった。

 かつての私は、審問会から買い取ったこれを“自慢のコレクション”と呼び、薬学塔の棚に並べ鑑賞していた。何も考えていなかったからだと弁明したところでなんの意味もない。


「フレレクス様?」

「アンナ嬢、君はもう帰っていい。ともあれ……、1つは見つかった訳だ。残りを追跡する前に、我々にはしなければいけない事がある」


 彼はそれ以上言及しなかった。正しくは、言及出来なかったのだ。彼は己の正体を隠していたのだから。私はそれを知りながら、黙っていた。それがとても卑怯な事だと知りながら。

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