表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/40

7. 吸血鬼との対面

毎日(18:45)更新

「あなたなら、きっとここに来ると思っておりましたわ。ああ、嬉しいわ。ずっとあなたを待っておりました。あなたのような方がここにいらっしゃる時を、ずっと」

「しがない旅人に何のご用でしょう、ヴィルシアン伯爵」


 フレレクスの声だった。私は驚き席を立った。彼を人質にするつもりなのかと思った。侍女は私を止めなかった。私は客室を抜け出し廊下へ出た。


「そんなに警戒なさらないで。だって私たち、仲間でしょう?」

「ご冗談を」


 私は音を立てず応接間を覗いた。彼は伯爵と向き合っていた。私に背を向けている。伯爵は最後に見た時と同じように、赤いグラスを傾けていた。彼女がフレレクスに襲い掛かる様子はなかった。


「あなたの正体を知ってるわ。あなたがここに来た目的も。だから取引しましょう。アンナ、彼にもグラスを」

「必要ありません。それを私に近づけないで頂けますか」

「どうして? ふふ、あなたには抗い難い香りでしょうね。私に協力してくれるなら、好きなだけ差し上げるわ。あの魔術師が側にいては、食事が出来ず空腹なのでしょう?」


 その時の私には、彼女の発言の意味が理解できなかった。ただ背筋を冷や水が伝うような嫌な予感がした。


「彼は無関係です、閣下」

「あなたならご存知かもしれませんけれど、私は完全にはあなたと同じじゃありませんの。まだ変化途中と言った方がいいかしら。不老の力を手に入れたけれど、それだけ。あの魔術師のお方とは、先ほど晩餐を共にしましたの。同じ話をしたのだけれど、残念だわ。彼はうまく逃げてしまった。もしも彼が私に魔術を向けていたら、衛兵に彼を捕えさせて、地下で飼って差し上げようと思っておりましたのに。残念だけれど、仕方ありませんわ。私の望みは、完全な吸血鬼になる事、そのためには吸血鬼の、あなたの協力が必要なの」


「お言葉ですが、変化途中というのは正しい表現ではありません。あなたはただ一時的な不老薬を飲み、人の血を飲んで、そんな気分になっているに過ぎません。私が知りたいのは、その不老薬をどのようにして継続的に入手しているかです。そこの壁に絵画を取り外した跡がありますね。大きさと金具の古さから考えると肖像画でしょう。描かれていたのは__」


「まあ、まあ。あなたとても賢いお方なのに、ご自身の立場がお分かりじゃないみたいね。私はあなたを審問会の祭壇へご招待する事も出来ましてよ。そうしたら、誰が一番困るかお判りになりますわよね。これは対等な取引ですわ。あなたが私の望みを叶えて下さるなら、私は決して約束を違えたりしません。ですから、あなたもしらを切るのはおやめになって」


「……脅迫ですか。ヴィルシアン伯爵、確かに仰る通り私は人ではありません。ですがあなたが想像しているようなものでもありません。私は殆ど力を持たない極めて低級の存在です。ですから、人を吸血鬼にしたこともありません。方法も存じません。ご期待に添えられず残念ですが、他を当たって頂きたい」


 彼の声は一変し冷ややかなものになった。


 私は耳を疑った。同時に自分がいとも容易く騙されていた事に衝撃を受けた。皮肉な事に、彼がそうだと裏付けるだけの証拠が私の中に十分揃っていた。これまでの旅で、彼は日が高いうちは常に厚手のローブを纏い、一方で夜に眠っている様子は無く、食事を摂っているところも見た事が無かった。それだけなら、人目を嫌う性質で夜盗を警戒していただけなどと考えられぬ事も無い。だがなにより、彼は審問会の術師が偽物であることを、不自然に早く気付いていた。


 愕然とする私の肩に何かが触れた。振り返ると、そこには侍女のメイアが立っていた。彼女はその華奢きゃしゃな体に似合わぬクロスボウを手にしていた。ぎょっとした私に彼女はクロスボウを握らせた。


 そんな私の前を、伯爵はゆっくりと歩き暖炉の棚(マントルピース)の上に置かれた古書を取り上げた。その一瞬、確かに彼女は開いた扉から覗く私の方を見て微笑みかけた。私はこれら全てが彼女の仕組んだ事なのだと悟った。彼女はわざと、私の前で彼の正体を暴いて見せたのだ。


「ここに方法が書かれているわ。焚書ふんしょを免れた幻の書。材料は揃えてあるわ」

「かの血塗れ王グリム公自らが執筆したという『を射る一矢』。写本がまだ残っているとは。どこでこれを?」


 フレレクスは受け取った本に気を取られているのか、背後の私に気付く様子は無かった。


 私の手の中のクロスボウは巨大な銀の矢を番えていた。親指ほどの太さの銀の矢だ。この矢で射抜かれれば、多くの魔物は無事で済まないだろう。そして照準の先には吸血鬼がいる。伯爵に語った魔術師の誓約は事実だ。私は引き金を引かなければいけなかった。


「言えないわ。これで協力して下さるわよね?」

「この全てを読めというですか?」

「一日あげるから、儀式の項を完璧に覚えてきなさい。字は読めますわよね?」

「寛大な心遣いどうも」

「それと材料に必要なものを頂いてもいいかしら?」

「今?」


 フレレクスは本から顔を上げた。

 私は息を止めて、そんな彼の背中へ照準を合わせた。いくら下手といえど、この近距離で外すようなことは無い。これがあの手紙の主が言っていた決断なのだろう。しゃくだが、彼女らの計画はよく出来ていた。私は魔術師の誓約に従って吸血鬼を仕留め、それだけでなく奪われた荷も帰ってくる。全て彼女らの掌の上だ。非常に不愉快だが、私に選択の余地など無かった。


「ええ、今すぐによ。こちらにも相応の準備がありますの」

「公平な取引と仰っていましたね。それなら、前金を頂けるのでしょうか?」

「図々しい人。でもいいわ、明日の昼にはあなたの元に届けさせましょう。手伝いが必要かしら?」

「結構」


 彼は細身の片手剣を抜いた。銀製の見事な一振りだった。私は彼がそんな武器を所持していた事すら知らなかった。彼はその上に掌を滑らせ、滴る血を盆へ注いだ。


 今思えば、私は彼に完全に騙されていたのだ。ならば、彼は私からも同様に騙し討ちを受ける覚悟をしておくべきだった。私はそんな事を考えていた。引き金を引くためには、そう考える必要があった。少なからず彼には恩がある事が私の心に影を落としていた。


 私がこの時最も願った事は、彼が私の殺気に気付き振り返ることだった。そうすれば彼は応戦しただろうし、彼が攻撃を仕掛けてきたならば、私も引き金を引けたからだ。しかし、私の願いはついぞ叶わなかった。


「取引成立ね」

「気分が悪い。これを治療と考える君たちを理解できない」

「望むなら縫合してあげますわよ」

「冗談じゃない。帰らせてくれ」


 私はこらえていた息を吐いて、クロスボウを下した。そして侍女に突き返した。彼が吸血鬼であるならば、討伐しなければいけない。だが、それはこんな卑劣な方法であるべきではなかった。


「お待ちになって」


 伯爵がフレレクスを引き留め、何かを耳打ちするのが見えた。私はその間に逃げるように伯爵邸を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ